25話・蓬莱の玉の枝
「ただいま~」
「お帰りなさい。讃良ちゃん」
「お母さん。友尊は?」
学校から帰ってきた讃良は、リビングにまっすぐ向かった。
「大学祭の催し物の買い出しで遅くなるんですって。大変ね。大学生も」
「あ~。喉が渇いた。お母さん~。お水ちょうだい」
「なんです。いい年をして。外から帰ってきたのに手は洗ったの?」
「飲んだらする。する~」
ソファーに座って甘えた声を出すと、冷たい水が入ったグラスが差し出された。
「サンキュ。お母さん」
「讃良ちゃんは心配でないの? あんなに仲がいいのに」
「なに? 何のこと?」
母は、讃良の正面の一人掛けのソファーに腰を下ろした。
「何のことって、友尊さんのことよ。最近帰りが遅いし、ここのところあまり家にいないじゃない?」
「それは……」
友尊には帰るべき世界があって、こっちの世界と行き来してるからと説明できるわけもなく、話したところで信じてもらえるかどうか分からない。讃良が思案していると、母が娘の態度に思うところがあったようで、戸惑った様子で言った。
「友尊さんに彼女が出来たんじゃないかしら?」
「ええっ。彼女ぉ?」
「実はね。お母さん見ちゃったのよ」
母が言いにくそうに告げた言葉は、讃良を深く深く奈落の底まで突き落とした。
「友尊さま。そろそろ就寝時間になりますが?」
「あ…… もうこんな時間か?」
向こうの世界と、こちらの世界の時間の流れはほぼ同じだ。執務室の上に置かれた書類に判を押し、整理していた友尊は肩を鳴らした。
「今日はさて。残りは明日に回すとしようか」
「はい」
そろそろ戻らないと、讃良が心配してるだろうかと、友尊が思ったときだった。縁の向こうから声がかけられた。門番のひとりが庭先に立っていた。
「不破さまはこちらにお出ででしょうか? 大変です。門前に沢山の石工職人達が押しかけてきて、注文品の未払いの件で、相談したいことがあるそうです」
「注文品?」
「何だ。それは? 石工たちに何か注文したのか? 不破」
「いいえ。身に覚えはありませんが」
「どういうことなのだ?」
「さあ?」
そこへ門番の制止を振り切り、中庭へと入り込んできた職人たちが、この館の責任者と思われる友尊たちを見つけて懇願した。
「お願い致します。この間ご注文頂いた蓬莱の玉の枝の御代を我ら頂いておりませぬ。どうか速やかにお支払い頂くよう、車持の皇子さまにお伝え下さいませ」
皆が一斉に頭を下げる。この国で最も尊いとされるお方に、直談判など失礼極まりない行為だと剣に手をかけた不破を、友尊は目で制した。
「不破」
「ですが…… ここは何でも屋ではないのですよ。あなたさまが誰彼構わず下々の悩みを聞いて回るから、嘆願書の山がいつまでも減らないんじゃないですか」
「構わぬ。仕方ないではないか。仮にも皇族と縁がある皇子が、石工たちに迷惑をかけたと聞いては放っておけぬ」
「ありがとうございます。ははっ」
石工たちは頭を地べたにつけるようにして、平伏した。友尊は石工に訊ねた。
「ところで蓬莱の玉の枝とはなんなのだ?」
「根が銀で、茎が金、実が真珠という蓬莱山にあると言われている木の枝です。車持の皇子さまはある姫君さまに所望されて、我らにそれを本物そっくりに作るよう言い渡されました」
「蓬莱の玉の枝か。わたしは知らなかったぞ。そんな物がこの世にあるなんて」
「それは現実には存在致しません。ある夢想家が書いた本のなかで出てくる夢の木なのですよ」
「そうか。しかしそのことを知ってる姫がいるとは物知りなのだな」
不破が蓬莱の枝は、物語りのなかに出てくる話なのだと言った。友尊たちの世界では、女人は文学にふれる機会は少ない。勉学は主に男性がするものであり、女性が勉学にいそしむのを男性は嫌う世の中でもあった。




