2話・盗まれた神器
長い夜もふけて誰もが寝静まった夜。酒宴の主役であった彼は、ふと館の異変を感じ取り目が覚めた。鼻先に何かを燻したような匂いが伝わって来る。側近の者を呼ぼうと縁に出ると、辺りはもうもうとした煙に取り巻かれていた。なるべく煙りを吸い込まないように、衣服の袖で鼻や口元を覆い、周囲を伺う。
宮城の外からは警護の者たちの「火事だ。火事だっ」という声と、「早く非難せよ」と、いう声が聞こえて来た。女たちの悲鳴や戸惑う声も伝わってくる。そこへ慌しく駆けつけて来た者がいた。
「聖上。火事のようです。ご非難下さい」
友尊が幼い時から側に仕える不破は、彼を火の手から庇うようにして外へと連れ出した。
「他のものはどうした?」
「皆非難しております。さあ、お早く」
館の外では非難してきた者たちが、手際よく消火活動を行なっていた。池から組んだ水を、火の手が上がった場所にかけてゆく。思ったよりも火は小さく早く消火されそうだ。と、思った所で、彼はあることに気がつき踵を返した。不破がそれを訝る。
「聖上?」
「拝殿は無事か?」
「はい。火はこちらの一角で済みましたから、あちらには移らなくて済み…」
ぼやで済んでよかったと主の問いに応えながら、不破もまた彼と同じことに気がついたらしい。足早に後を追ってくる。館に隣接する拝殿には、先祖代々譲り継がれてきた三種の神器と呼ばれる、彼にとっては命よりも大事な神聖な物が保管されていた。拝殿はどんな時も厳重に警備されているはずだったのだが……。
「だれもいない?」
「先ほどのボヤ騒ぎで、救援にかけつけたのかもしれません」
警護の者の姿が見えないことを訝る友尊に、不破が応えた。
「人命の救助が優先されますから」
恐らくそれを分かっていた者に狙われたのだ。彼は拝殿の戸が開いてることに気がついた。
「聖上。鍵が開いております」
不破の指摘は、まだ拝殿に犯人が残っているかもしれないという見解を述べていた。不破と顔を見合わせ、一気に拝殿のなかへと入り込む。暗がりに慣れた目で、注意深く探ったが侵入者の姿はなかった。
不破が、三つの神器をしまいこんである玉虫色の箱を確認する。細長い箱には神剣。小さな正方形の箱には聖なる玉が、大きく平たい箱には神鏡が納めてある。何一つ欠けてはならない神器だ。これらを一生かけて守っていく責任が彼にはあった。
「良かった。神器は無事のようです」
不破が安堵の息を漏らしたが、彼はすぐに違和感に気がついた。神剣と聖なる玉は、主と認めた彼に対し、青白い蛍のような光りを発して呼応したが、神鏡は日の下では輝いて見えたのに、今は曇ってるかのように何の反応も示さなかった。
「これは… 偽物だ」
「盗まれたということですか? 一体誰に?」
信じられないというように不破が言う。無理もない。昼間の儀式で彼は自らが主として、神器たちと契約を交わしたのだ。神器は勝手に主を見限ることはしない。ここにある物が偽物なら、いつから中味が偽者とすりかわっていたかということになるが、恐らくボヤ騒ぎに乗じて、何者かが偽物と本物を入れ替えたに違いなかった。
「このことは他言無用」
「はっ」
これはお前と私の秘密だと彼が念をおせば、忠義に厚い不破は当然のように頭を垂れた。ボヤ騒ぎまで起こして、警備の者の目を他に向け、神器を盗み出したことから、この館に詳しい者であることは知れた。大体相手のめどはついていたが、疑わしいだけでは相手を罰することは出来ない。
それになぜ、八咫の鏡だけ持ち出したのかも納得がいかなかった。
偽物と入れ替わった神鏡の行方を探す為、神の力を借りることにした。神鏡を産み出した。と、言われる鏡の神なら、何か真相を教えてくれるかもしれない。神を呼び出すため、両手の指を組んで呪言を唱え、印を切った。
「イシコドリメ神、イシコドリメ神招来!」