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空の鏡と聖上の恋人  作者: 朝比奈 呈
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19話・桃源郷の娘


「それはない。神器の鏡は動いてないようだ」


 友尊は神器と契約を結んでいるので、姿を透視することは出来なくても、気配を辿ることは出来る。気配は讃良のいた世界から動いてはいなかった。友尊は首を捻る。


「しかし…… どういうことなのか?」


 讃良の側近くに感じる神器の気配。疑わしい彼女を見張るために従兄としてあの家に入りこんだが、彼女はどうも神器を持ち出した人物ではなさそうだ。彼女の周囲の人間の仕業かもしれないと考えているが、この世界との接点が分からない。



「そういえば友尊さま。吉野に隠棲された叔父上さまのもとへ通う若人が、絶えないのを御存知でしょうか?」

「物部たちか?」

「ご存知でしたか?」

「曽祖父の代に活躍していた一派だな。父の代には勢力が弱まり、蘇我や中臣にとって代わられたんだったな?」

「そうです。鬼道を用いて活躍してきた時代の立役者でありながら、お父上の代には、大国から渡って来た者の知識や技術が優遇されるようになり、古くから仕えてきた者達は隅へと追いやられてしまったようですから」

「父上は、地位と権力を独占し自分たち一族の生活の富だけを求めて、民のことを分かろうともしない古参の豪族達をよくは思っていなかったからな。貧しくとも国の為に、民の為に働ける有能な者を高く評価した結果が、古参の臣下の深い禍根を残したという所か」



 友尊は融通の利かない老人たちを思い浮べ、ウンザリした。そこへ追い討ちをかけるように不破の話が続いた。



「それとこの件と繋がりがあるのかどうかは分かりませんが、拝殿のボヤ騒ぎのことですが、どうやら付け火されたようです。火元は手燭のようで、側に薄絹の衣のような物が燃えた後がありました。騒ぎが起こる前に不審な者がいたことが分かっております」

「不審者とは?」

大天(おおあま)の姫の乳母だそうです」

「それは間違いないのか?」

「確かです。祝いのお神酒を届けに来た後、拝殿の前をうろうろしていたのを、幾人か目撃しております」



 友尊は不破の報告に、内心複雑な思いを抱いた。この時期に元許婚だった姫君の乳母が、拝殿の前をうろついていたのは疑わしい。


「もしかしたらこの件は、叔父上さまの策謀かもしれません」


 ボヤ騒ぎを起こし、皆の目がそちらに向いてる隙に神器の鏡を盗み出したのは、友尊の叔父の仕業ではないかと、初めから不破は疑っていた。


「お気をつけ下さいませ。友尊さま。あのお方が影で動かれているとしたら、今後も何が起こるかわかりません」

「分かっている」


 不破は忠告すると退出した。これから寝る主に気を利かせたのかもしれない。几調裏に用意された、寝台の上に寝転がるとため息しか出なかった。

 つくづく嫌な世界だと思う。曽祖父よりも前の時代より、友尊の一族はこの国の頂点に立つ者になるべく、身内同士争い、沢山の血を流してきた。それが代々続いて来た。

 友尊もいつか倒れ、負の連鎖を続けて行くのか、それを彼の子や孫に科して行くのだろうか? と、考えると気が重かった。そこへ、脳裏に呼びかけてきた声があった。


『ここにいる間は夢でも見たと思ってゆっくりしていけば……』


 桃源郷のように平和で、醜い争いのない世界にいる彼女が微笑んでいた。


『友尊』


 自分の名を呼ぶ彼女の声は遠慮がなく、自分と対等な態度で接する。


「そなたは分かってるのか? 自分が対等に見なしている相手が、この国では国民に(かしず)かれている存在だと」


 この場にはいない脳裏に浮かんだ讃良に話しかける。記憶の中の讃良は、微笑を浮かべていた。


「おかしな娘め。初めて出会った日の夜に、余を前にして寝てしまうわ、小柄で華奢なくせに太りたくないと食事を減量していたり、意味もなく怒ったりして感情を露にする」


 目を閉じれば、次々讃良との出来事が、克明に頭のなかに浮かんでくる。友尊は可笑しくなって吹きだしそうになった。


「参った。これでは寝れぬではないか」


 友尊は寝台から抜け出した。



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