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第一話

 入学初日に遅刻した僕は、その件でしばらくクラスメイトにからかわれながらも、平穏に一学期を過ごした。同じ学校の制服を着ていたから、彼女とはすぐにでもまた会えるだろう、と思っていたのだが、待てど暮らせど彼女と出くわすこともなく、ようやく、彼女の姿を見つけたのは、秋の体育祭のときだった。わらわらと校庭に集まる人だかりの中に彼女を見つけ、とっさに後を追ったが、「久しぶり」なんて気軽に声をかけられるほど、僕は器用でも気さくでもなかった。結局、躊躇っているうちに彼女を見失っていた。

 それでも、次こそは、と何の保証もないチャンスに意気込み、彼女との話題作りのため、ネットでカメラのことを調べ続け、二年になるころには、持ってもいない『一眼レフ』にやたら詳しくなっていた。

 そして、二年のクラス替え。僕は教室に入るなり、驚愕して固まった。

 教室の後ろの席で、彼女が一人、頬杖をついてぼうっと窓の外を眺めて座っていた。

 彼女の姿を見た瞬間、運命とか奇跡とかいう言葉が頭の中でぽんぽんと花火のように打ち上がった。

 チャンスが来た。今こそ、溜めに溜めたカメラの知識を披露するとき。しかし、意気込みだけは一人前で空回りばかりだった、年頃の僕。思わぬ彼女との再会に、せっかく詰め込んだ薀蓄(うんちく)は吹っ飛んで、頭の中は真っ白。動揺を抑えきれぬまま臨んだホームルームでの自己紹介は、二つ後ろの席に座る彼女の存在が気になって、背中だけやたら汗が出るし、緊張で噛みまくるし、散々だった。

 彼女はといえば、自己紹介も堂々としていた。臆する様子も恥ずかしそうな素振りもなく、抑揚のない声で淡々と語った。部活は美術部、趣味は旅行、と話し、写真のことはいっさい口にしなかった。

 一眼レフカメラを入学式に持って行くくらいだ。てっきり、カメラに興味があるものと思っていたのだが。読みが外れたのだろうか、と不安になった。

 彼女との再会に高揚していた気持ちが一気に沈み、光明が差し込んできたかに思われた僕の青春に早々と翳りが見えた。

 カメラは、僕が人知れずせっせと紡いできた彼女との赤い糸のようなもので、唯一の彼女とのつながりだった。それがなければ、彼女に声をかけても、何を話したらいいのかも分からない。

 結局、戦ってもいないのに打ち負かされた気分になりながら、放課後を迎え、帰り支度を整えていたとき、


「久保くん」


 クラスメイトたちが慌ただしく席を立ち、教室を出て行く――そんな喧騒の中、その落ち着いた声は僕の耳にピンと張られた弦の響きのごとく、細く小さく、しかし澄み渡った音色となって届いた。

 そのときの緊張感といったら。かあっとみぞおちの奥が熱くなって、肺が押し上げられるように息苦しくなって、でも、たまらなくワクワクした。

 表情を引き締め、ゆっくりと振り返ると、彼女が立っていた。あのときとは違い、真新しさのなくなった制服は、もう彼女の身体によく馴染み、スカートの丈もすっかり短くなっていた。まだ丸みがあった輪郭はほっそりとして、きつい印象だった顔つきには聡明さが備わり、長い黒髪が一段と似合っていた。

 たった一年ぶりだというのに、対峙した彼女は、ずっと大人びて見えた。

 でも、あいかわらず、その眼差しはあのときと同じ。憂いを帯び、どこか虚ろで、目が合っているようで合っていないような、そんな違和感があった。


古河(こが)さん、だったっけ」


 白々しく、うろ覚えみたいな口振りで僕は返した。本当は、古河詩織、という名前を自己紹介で聞いてから、何度も何度も頭の中で繰り返していたのに。


「何か用?」


 さわやかとは程遠い、地味で目立たない容姿だというのは自覚していたが、それでも自分なりにできうる限り、清々しく微笑んで気取ってみせた。

 すると、彼女は眉をひそめ、不思議そうな顔をした。


「去年、歩道橋の上で、写真撮ってくれたよね。違った?」

「あ」と、焦って僕は笑顔を消し去り、何度もうなずいた。「そうそう」


 最初から、一年ぶりだね、と言えばよかった、と心底悔やんだ。


「あの写真……」僕が後悔の渦に飲み込まれる中、ふいに、彼女が切り出した。「いい写真だった。光がキレイに差し込んでて、顔が明るく映ってて。ありがとう」


 愛想笑いもなく、ただ、事実を述べるようにさらりと彼女はそう言った。

 その瞬間、僕のあらゆる雑念は春風にさらわれるかのごとく、さあっと消え去った。

 純粋に、嬉しかった。


「あのさ、あのカメラって――」


 タガが外れた。まさに、その言葉が当てはまる。彼女と話すこの日のため、一年間、溜めに溜めていた一眼レフの薀蓄。それを詰めた瓶の蓋が弾け飛んだ、そんな感じだった。僕は夢中でカメラについて話し続けていた。

 やがて、薀蓄の瓶がすっからかんになって僕が口を閉じると、彼女はきょとんとしながら、ただ一言。


「久保くんって、よくしゃべるね」


 よっぽどの一眼レフマニアだと思われたようで、彼女は僕にカメラのことを聞いてくるようになった。そのたび、僕は得意げに答え、帰るなり、次の質問に備えてネットや雑誌で猛勉強するのが日常になった。

 そんなある日、


「久保くんって、どこ中だったの?」


 彼女の何気ないその問いから、ゴールデンウィークに二人で出かけることになったのだ。

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