雨ときどき風鈴の音
お久しぶりです。雨音しふです。前の投稿から随分経ってしまいましたが、前回との話の繋がりは余りないので、それも踏まえて楽しんでください。
夏は一度始まるとすぐには終わらない。
それはわかっているが、この暑さはどうにかして欲しいものである。幸い、文明の発達で一部の空間は快適に過ごせるようになったが、人が多すぎてはどんなに快適でも居心地は良くはない。そういった意味ではこの他に誰もこない珈琲喫茶はとても過ごしやすかった。
…クーラーが壊れるまでは。
「ふぅ…暑いわね…」
私はいつも通り珈琲喫茶に向かっていた。この暑い中歩いてたら仕事場に着くまでに私自身が暑さでやられてしまいそうだからだ。まぁ、どちらの距離もそこまで変わらないのだが。
いつも通りに喫茶店の前の通りにたどり着く。とてもわかりにくい位置にある喫茶店の入り口。日陰の為少しはマシだが都会の猛暑は日光を避けたとしても、こもった熱が御構い無しに襲ってくる。
しかし、それもここまで。いい感じにクーラーの効いた喫茶店ならゆっくりと休めるだろう。
そう思い、店内に入った。
がそこは快適とは真逆の場所と化していた。
「お、暑い中ご苦労さん。いやー、クーラーが壊れてるみたいでな」
ヒゲを生やしたダンディ。とは少し違いはあるが整った顔立ちの店主は呑気にそんなことを告げた。
私はこの暑さを避けるべく喫茶店に来たのにも関わらずクーラーが壊れて外と変わらない…いや、むしろ、部屋の中の空気循環が悪い狭い喫茶店に籠る羽目になっていた。
・・・・
「はぁ、私の快適空間…」
「喫茶店はお前だけのものじゃないからな」
「く…でも、今ここから出るのは負けた気がする…!」
「一体何と戦ってるんだ…お前さんは…」
いつもならこの喫茶店の窓側の席で外を歩く人たちを見て、大変そうなどと思いながら温かいコーヒーを飲むのだが、この暑い空間ではそんなことをする気は起こらない。
基本的に私は窓側の決まった席にしかいない。直射日光が当たる窓側は今はナンセンスである。今回は入り口近くのカウンターの席に力なく座るとメニュー表が渡された。窓側の席は常にメニュー表がおいてあるのだが、他の席は店主が置くらしい。それを力なく受け取ると、いつものメニュー表にはないものを見つけた。
「マスター…アイスコーヒー…」
「はいよ」
そう伝えるとすぐさま机の上に頼んだ品物が置かれた。
いつもと違いカップではなく、グラスに氷が入っている。間違いなくアイスコーヒーだった。
「作りたてよね?」
「大体お前さんが来る時間は予測できるからな。作っておいた」
「へぇ、それは準備がよろしい…」
店主の読みは当たっている。私はこの時間には大体喫茶店に来る。だが、それならば普通のコーヒーは作れるだろう。しかし、カウンターの席に座る行動すら読んでアイスコーヒーまで作れるものだろうか?
「ちなみに来なかったら?」
「自分で飲んでたな。暑いし」
大体予想どおりの答えだった。
基本お客が来ないにしてもそれはいいのだろうか?とも思ったが、この店主なら私ぐらいなら気にせずに飲むだろう。
「それにしても…アイスコーヒー飲んでも全然涼んだ気にならないわ…」
「すまんなー。でも、カウンターの内側はもっと暑いんだぞ」
「エアコンが壊れなければ…」
そう言ってもエアコンが直るわけはない。だからといって涼しくするためのアイデアが出てくるわけでもない。
「…アイス」
ふとそう言ってみる。もしかしたらこの店主なら冷蔵庫に忍ばせてあるかもしれない。
「打ち水」
そう簡単には出てきそうではない。だけれど引くわけにはいかない。
「かき氷」
「水枕」
「ゼリー」
「すだれ」
「あんみつ」
「…扇風機」
もはや何の戦いかわからないが店主の方がネタ切れになりつつあるようだ。そろそろだろう。
「シャーベット」
「…そういえば」
私は何か冷たくて甘い食べ物が出てくるのかと期待が高まる。
「涼むならあれがあったな…」
「もの…?食べられるの?」
「本心が出てるぞ…」
店主はカウンターから出ると下の階へ降っていった。そして、数分後。その涼めるものを持ってきていた。
「放置したままよりは使ってやったほうがいいよな」
「…それ、風鈴?」
「そうだ。デザートじゃなくて悪いな」
「まぁ、ないものねだりだし…でも、それどこにつけるの?」
「そうだな…」
風鈴自体はいいアイデアだと思う。だが、風もないし、そもそも窓の近くはぶら下げる場所もない。
というよりは、そんなに遠いと風鈴の音がカウンターまで聞こえないだろう。
「とりあえず、扉のところにつけるか。出入りするときに鳴るだろ」
「風鈴の意味ってなんなのかしらね…」
そんな会話をしつつ、店主は扉の部分に風鈴を取り付け、扉を開けるするときに音が鳴るか確認していた。アイスコーヒーを飲みながら涼んでいると、店内が暗くなっていたことに気がついた。どうやら、外の天気が悪くなってきたようだ。そして、そう思った瞬間。
ザザーーーーー!!
本格的なスコールとなった。
「うわぁ、すごいな」
「まぁ、どうせ短時間でしょうけどねー」
「ま、そうだろうな。天からの打ち水だと思えばいいんじゃないか?」
「そのあと蒸し暑くなるだけの打ち水なんて勘弁よ」
少しするとスコールは止み、太陽の明るさで店内は照らされた。また暑くなるだけだろうと思いながら、アイスコーヒーを飲んでいた。氷が溶けるのは早く、グラスの下にあるコースターは随分濡れていた。
「さて、ちょっと下に降りてくる」
店主はそう言ってまた、下の階に降りて行った。
アイスコーヒーの追加をすればば良かったかもしれない。と思ったのは店主が離れてから少しあとだった。
店内は暑いままで憂鬱な気分は変わることはない。せっかくの風鈴は風がなく、意味を成してはいない。
…ただ、一つ思ったのはこの暑い中で過去の人達ならどうやって過ごすだろう。やはり、店主が言っていたような方法なのだろうか。そう考えると私は文明の発達の乗っかっているだけの1人の人なんだと感じてしまう。
「まぁ、暑いから仕方ないか…」
私らしくない。そんな事を感じていた。
そして、らしくない考え事をしていると店主が下の階から戻ってきた。手には何かの箱を持っていた。
私が箱を気にしていると箱の中身を見せてくれた。
「いいタイミングで届いたな」
「…これは?」
「羊羹だ。さっき届いた」
「それで?」
「あぁ…いや、今から食べるんだが、いるだろ?」
「貰っていいの?」
「飲食店的にはアウトだが、こうも暑いのに店に来てもらってるのに悪いからな」
店主はそう言って、届いたばかりの羊羹を切り分けてくれている。なんにしても涼むものとしては十分過ぎるだろう。
「ほいよ」
「ありがと。…ん。美味しい」
「喜んでもらえたようでよかったよかった」
「餌付けかしら?」
「むしろ、いつもそんな感じじゃないか?」
何か悔しい気持ちもあるが、あながち間違いではない。でも、今はこの涼めるものを味わえることに感謝になくてはならない。
…これも夏らしいといえば、夏らしい過ごし方なのだろう。そう考えてみると、例え文明が移り替わって行ったとしても、変わらないものもあるのだと思える。この狭い喫茶店でいつも通りの快適さはないが、お客様が私だけなのも、店主がいつも通りなのも変わらない。いつも通りだ。今は文明の発達の中で流されているだけの1人かもしれない。でも、たまにはこんな風に変わらないものを楽しむのもいいかもしれない。と少し私らしくないことを思いながら…。
「にしても、本当に壊れたのか?修理費かかるから嫌なんだがなぁ」
「諦めなさい。そして、いつも通りの快適空間を戻しなさい」
「調子悪いとかならいいんだが…リモコンしかないからこういう時は困るよな」
「…リモコン」
ふと。思い当たる節がある。かなり昔の事だが自宅に居た時にクーラーがつかなくなって、壊れたかと思ったが、実はものすごく些細な事だったときが!
「店主…電池変えるとか試した…?」
「ん?電池?試してないな…」
「…」
「…」
その後、店主は静かに下に降りていき、リモコン用の電池を持ってきた。
「これどうやってはめるんだ?」
「むしろ、変えた事なかったの…」
「あー、確かな」
「…」
途中、店主は機械がダメなんだというのを知ってしまいながら、電池を交換した。
そして、
ピピッ!
「おぉ、動いた動いた…」
「今日の1日は一体なんだったのよ…」
「まぁ、こういう日もいいじゃないか!ははは!」
「さっきまでは私もそう思ってたわよー。まぁ、もちろん今日の過ごした時間は無駄じゃなかったとは思うけどー。あと、羊羹ごちそうさまでした。」
「じゃ、今日の全部解決だな」
上手くいいまとめられてしまったが、今日みたいな日はもう過ごせないだろう。
それはそれでよかったと思って帰ろうかと思った時に、また店内が暗くなってきた。そして、
ズザザーーーー!!!
ゴロゴロ…
さっきよりも盛大なスコールとなった。今度は雷の音も聞こえている。
「これじゃ、帰れないわね」
「じゃ、どうする?」
「雨宿りもかねて快適になったこの喫茶店で少しだけ、いつも通りにさせてもらうわ」
「ま、それならそれでいいんじゃないか?」
「そうね。じゃあ、マスター」
「はいよ」
私はいつもより、得意げに。そして、いつも通りに。
温かいコーヒーを頼んだのだった。