第三話 二人旅
それは兎も角として、魁人は取り敢えずシャゼムの誤解を解く事にした。
『おれハ、ぶぁでぃるぼデモ、ぽるめれいずデモなク、“人間”トいウしゅぞくだ。ソシテ、あ・りあーてゅトハちがウいせかいカラきタンダ』
『エ? ちがウいせかい?』
『ソウダ、ダカラ……』
『わカッタ、ソウいウことナラ……』
魁人の言わんとしている事をシャゼムが理解してくれた事で、魁人はほっと胸を撫で下ろす。が、それはまだ早計で有った。
『もとヨリ、むらニハもどラなイかくごダッタ、ダカラ、あにきニつイテゆク!!』
『は?! ~~~~~!!』
シャゼムの見当はずれの覚悟に魁人は頭が痛くなった。おそらく、違う世界……と言う意味を正しくは理解していないのであろう。遠回しに『面倒は見きれないぞ』と言う事を匂わせたつもりだったのだが、シャゼムの覚悟は、魁人の想定以上だったのだ。
既に、生まれた土地にすら戻らない覚悟で居ると言うのであれば、例え、魁人が絶対に同行を拒否したとしても、魁人が折れるまで今日の様に付いて来るつもりなのだろう。
『…………わカッタ、つイテこイ…………』
魁人のその言葉に、シャゼムが喜びの叫びを上げる。正直な所、本当に地球まで付いて来られてしまうと、色々と厄介な事に成ってしまう為、最後まで一緒に……と言うのは困るのであるが、しかしそれでも魁人としては、下手に纏わり付いて来られるよりも、目の届く所に居て貰った方が、今後の厄介事は少ないであろうと言う判断をしたのである。
(……一緒にいるのなら、説得する機会もあるだろうしな……)
もしここが、異世界だとするなら、その帰還方法を探すのは並大抵の事では無いだろう。だとすれば、実際に帰る事が出来る様に成るまでには、相当な時間がかかると考えられる。
ならば、シャゼムを説得する事も出来るだろう……そうも考えたのだった。
『ナラ、とリあエズ、ドウスルンダ?あにき?』
『……ソウいエバ、なぜ、あにきナンダ?』
『エ? ダッテあにきハ、あにきダロウ?』
『イヤ、おれノなまえ……アー……』
ここに来て、魁人は自分が名前を名乗っていない事に気が付く。シャゼムの名を聞いた後、意識が言葉を学ぶ方にシフトしていた事もあって、自らの名を名乗るのを忘れていたのであるが、会話が通じる様になった時には、既にシャゼムは、魁人の事をアニキと呼んで居た為、魁人の方も自身が名乗りを上げていなかったと言う事に気が付かなかったのである。
『おれノなまえナンダガ……』
『エ? あにきノなまえ? ……おしエテもらエルノカ!?』
『ウン?』
何故か頬を染め、もじもじと身をくねらせ始めたシャゼムに、何か可笑しな事を言ったのかと魁人が首を捻る。
(そう言えば、シャゼムの名前も“弓矢の射手”と言う言葉そのままだったな……名前って物自体に、何か謂れがあるのか?)
そう思い、この世界での名前についての常識と言う物をシャゼムに訊ねる事にした。魁人が『名前を名乗るって事は何か特別な意味があるのか?』と聞くと、シャゼムは曖昧に苦笑を漏らし『そりゃそうだよね……』と、どことなく落胆したような様子を見せたのであるが、気を取り直すと、説明を始めた。
シャゼムの説明によれば、名前……特に魂に付けられた魂の名は、その個人の全てを司る物であり、力ある上位者に、この名前を知られれば、その存在を捕らわれてしまう事もあるらしいと言う、中々重要な物であり、普通は家族に近しい者か、余程信頼できる相手にしか、明かさない物……なのだと言う。
(ああ、だから、あの反応か……)
シャゼムは、村を捨ててまで一緒に付いて行く……と言った事で、それだけの信頼を得たのだと思ったのだろう……魁人はそう考えた。
だとすれば、シャゼムの名はどう言う事なのか?と言う疑問が出てくるのであるが……
『おれノな、“シャゼム・ハルフ”ハ、ゆみノうでカラつケラレタ、“あざな”ダ』
それを聞き、魁人は『ああ』と納得の声を漏らす。要は通り名と言う事である。シャゼムの一族に、産まれてすぐに魂の名を付けると言う風習は無く、生まれた時はその親の字名にその子供であると言う単語……子供を付ける事で呼ばれるらしい。
もし、シャゼムに子供が出来たのであれば、その子供は“エルニ・シャゼム・ハルフ”となり、本人が新たな字名を得るまではそう呼ばれると言う事なのである。
『……きょうだいモカ?』
『アア』
(それは色々と紛らわしく無いか?)とも思ったのだが、シャゼムの一族の内部の事なので、魁人が特別どうこう言うべき物では無いだろうと思い、あえて口にはしなかった。しかし、だとすると、シャゼムに魂の名は無いと言う事になる。
(地球で言う所の“真名”の様な扱いなのかな?)
『ダトスルト、おれノえねうハ、おしエナイほうガよイカ……』
果たして魁人の本名である“鼓童 魁人”と言う名前が、真名や魂の名に相当するかは分からない。が、念の為、秘匿しておいた方が良いだろう。
そう思って、名前を明かさないとシャゼムに告げると、あからさまに落胆した様子で肩を落とした。持ち上げておいてからの突き放しである為、その気持ちは分からなくは無かったが、自分の信頼を得る事が、それ程大切な事だったのかと、魁人は苦笑した。
『ダトスルト、おれノあざなハ“兄貴”ニなルノカ?』
『マァ、ソウなル……』
なんとなく不満そうな様子で、シャゼムがそう言った。おそらく、シャゼム本人が魁人を慕っているがゆえに“兄貴”と呼びたかったのであろう。そうであれば、誰も彼もが魁人の事をただの字名として“兄貴”と呼ぶ状態は、シャゼムとしては面白くない物なのかもしれない。
『……ほかニ、あざなノこうほハあルノカ?』
シャゼムの様子を見て、魁人が、そう提案してみるとシャゼムはうれしそうに顔を上げ、その後、腕を組んで魁人の字名を考え始めた。
『……あまリ、ふくざつニかんがエルナヨ?』
『ヴ? だいじょうぶダあにき!!』
…………結局、シャゼムが納得できる字名を思いつかなかった為に、その件は保留となり、二人は例の魁人が丘から見た城壁を目指して、歩みを進める事にしたのであった。
蛇行する川……それを越える為には、魁人達が居た場所から、さらに迂回した所から渡らなければならないと聞いた魁人は、シャゼムの道案内で、その場所を目指す事にした。
その途中、城壁の、そこに有る筈の都市について、シャゼムに話を聞いてみたのだが、その反応はあまり芳しい物では無かった。
『なにカ、もんだいノあルばしょナノカ?』
『……アソコニハ、まじゅうガいルンダヨ……』
『まじゅう?』
シャゼムの言に依れば、あの城壁の有る場所は、かつて神人族の都市であったらしい。だが、10年程前に上位魔獣が襲って来た為、避難を余儀無くされ今は無人なのだと言う。
その為、今、あの城壁を目指したとしても、内に居るのは、その魔獣の眷属である下位種族だけなのだとか。
その襲撃が有った時、シャゼムの村も、その下位種族に襲撃を受け、その後も単発的な小競り合いを行って居る事もあり、シャゼムとしては、あまり関わりたくは無いらしい。
『デ? まじゅうッテノハ、なんナンダ?』
『…………ぶぁでぃるぼノいっぱデハあルンダケド……』
言い辛そうにするシャゼムだったが、魁人の方を一瞥した後、彼の眼が細められたのを見て、溜息を吐きながら言葉を続けた。それによると、魔獣の元に成っているのは、確かにシャゼムの一族と同じ、ブアディルの眷属では有るのだが、永き間に本能が勝り、より野獣に近く成ってしまった者を指すのであると言う。
そう言った魔獣は、より本能に忠実に動いてしまう為、獰猛であり、神人族は勿論の事、同じ眷属である魔人族にも、容赦無く襲い掛かって来るのだとシャゼムは語った。
(……より本能に忠実……ね……うん? 獣に近しく成った者が眷属を使う……ねぇ……)
決して、シャゼムの言葉を疑って居る訳では無いのだが、魁人はその説明に違和感を覚えた。
確かに地球の動物の中にも、群を作る種類は居る。しかし、そう言った種類で有ったとしても、それは同種族での話であり、上位種がその下位種を従える……と言った事は、稀な例を除いて、あまり類を見ない。
その稀な例にした所で、人間と犬の様に、一方が従える対象を熟知して初めて成立するのであって、別種同士が同じ様な群に居る場合、それは共生をしているか、それでなければ寄生しているかのどちらかである。
(それとも、それだけの知能は残っている……と言う事なのか?)
兎も角、あの城壁内の町は、そんな危険な魔獣と眷属が支配しているらしい。
それを聞いて、魁人は城壁を目指す事に躊躇を覚えた。魔獣と言う物がどの様な物なのかは分からないが、あれだけの城壁を持った都市の人間が避難を余儀無くされたと言うのであれば、相当の脅威であろう。
(……何かしらの文献が残っている可能性も有るけど、流石に、わざわざ危険に突っ込んで行くのもなぁ……)
『……アノとしヲきずイタノハ、ぽるめれいずナノカ?』
『? アア、ウン、ソウダヨ』
『ほかニ、ぽるめれいずノとしハなイノカ?』
その魁人の言葉に、シャゼムは『何で、そんな事を聞くんだ?』と言った顔をしたが、少し考える様に首を傾げ、やがて口を開いた。
『たしカ、だいしんりんヲぬケタさきニモ、ぽるめれいずノとしガあッタハズ……』
『? アノとしニいタひとびとハ、どこニいッタンダ?』
『……サア』
流石にシャゼムも都市の人々の行き先までは知らないらしい。だが、少なくとも、近くに新な都市を築いた……と言う事は無かった様だ。
城壁を必要とする様な都市である、おそらく、某かの最前線と成る事を想定して居たはずなのだが……もしかすれば、神人族の、魔人族に対する最前線であった可能性も有るだろう。だとすれば、シャゼムが魔獣と称した相手も、魔人族の先兵であるかもしれない。
もし、その魔獣がシャゼムの一族を襲っているのだとすれば、逆に、シャゼムの一族の方が魔人族の中での異端なのかも知れなかった。
(今、聞けるのが、シャゼム側からの一方的な歴史だからな……やはり情報が少ないか……)
もし、今でも神人族と魔人族の争いが続いているのだとすれば、このままシャゼムと行動を供にし続けるのは、魁人としてもリスクが高いかもしれない……が、だとしても既に同行の許可を与えた相手に『やっぱ無し』と言うのは、少々気が咎めた。
(神人族の都市に近付いたら、シャゼムには姿を隠してもらわなくちゃな……)
上目遣いに自分の様子を伺うシャゼムの事を見ながら、魁人はそんな風に考える。根本的な事を言えば、魁人が神人族の都市に入れるか?と言う問題もあるのだが、魁人を見たシャゼムが彼の事を神人族であると勘違いして居た事から、おそらく外見的には近しいのであろう……と、魁人は考えていた。
『……とリあエズ、ソノとしニむかオウカ。』
『わカッタヨ!あにき!!』
結局、密林……大森林を抜けるのに3日程の時間が掛かった。元々は、都市同士を繋ぐ街道があったらしのだが、流石に10年と言う月日を経た今、それは、痕跡程度しか残っては居なかった。
その為、二人は密林の中を進むしか無かったのであるが、元々、部族の中で狩りを担当していたシャゼムのお陰も有り、その道中に特別問題が起こる様な事は無かった。
強いて言えば、川を渡る場所として行った所には、蔦が張ってあるだけであったとか、シャゼムが獲物だと言って取って来た、件のアナグマモドキに対し、魁人が微妙な気分に成った事位であろうか……兎も角、魁人も、その3日間で、かなり言葉も流暢に話せる様になり、お互いの意思の疎通もスムーズに出来る様に成っていた。
『やっと、大森林を抜けたか……』
『そうだね、でも、神人族の都市までは、まだ少しかかるよ?』
木々を掻き分け平地へと至り、陽光に対し眩しそうに目を細めた魁人が感慨深げに呟くと、シャゼムは小首を傾げながら、そう言った。
(……こいつ絶対B型な気がする……)
地球の血液型のソレが、この世界の人種にまで対応する事は無であろうが、魁人はそんな風に思った。基本的に平野で育った魁人にとって、どこまで行っても視界を埋め尽くし、遠くまで見通す事の出来ない木々に囲まれた景色と言うのは、それなりにストレスだったのであるが、生まれも育ちも大森林であるシャゼムにはその気持ちは分からなかったらしい。しかし、少し眉を顰めながらも、魁人は今後の予定を僅かに考えると、口を開いた。
『……そうか、なら、今日はこのまま、野営にするか……』
『分かった、じゃぁ、オレは獲物を探してくるよ!』
『ああ、シェルターは作っておく』
魁人の言葉で、シャゼムは弓矢を取り出すと、今出てきたばかりの密林へと、獲物を求めて再び分け入って行く……と、魁人は魁人で、密林の木々を利用して、街道跡から少し離れた場所に、簡易的なシェルターを構築し始める。この流れは、行動を共にした3日間で、自然と出来あがった役割分担であった。
大森林から出た直ぐの辺りは、やや丈の高い蓬の様な草や、小さな黄色い花弁を大量に付ける花等か生い茂ていた為、魁人は簡単に踏み堅め、邪魔になる部分を十徳ナイフで刈り取って、場所を作る。
そうしてシェルターを組み終わり、薪を拾って焚火の用意をすると、魁人はシャゼムが戻って来る迄、バックパックの中身の確認をする事にした。
持って来て居た携帯食料はほぼ手付かずで、ペットボトルの方は、半分ほどが空に成っている。と言っても、純粋に魁人が地球から持ち込んだ水は既に飲み尽くしており、この半分ほどの水は、小川や沼の水、朝露を集め、煮沸し、ろ過したもので、この世界に来てから手に入れた物であった。
当初シャゼムは、水に対し、ここまで神経質になる魁人の事を不思議そうに見ていたが、『病気の予防だ』と言うと、何か思い当たる事が有ったのか、しきりに頷いて、魁人を手伝う様になった。
その他の着替えやタオル、スマホ等の電気機器、簡易コンロやテグス等を一通り手に取ると、この3日間で特に故障等をしていない事を確認する。
と、ふと空を見上げ、そこに浮かぶ、白んだ楕円形の天体に目を止める。
(魔神の目……ね……)
先日、シャゼムに聞いた伝承を思い出し目を細める。そんな風に言われれば、何と無く瞳に見えなくも無いかな?と思いながらも、魁人は首を振った。
確かに、この世界は魁人の居た地球とは随分違う環境ではあるが、それでも超常的な事象に出会った訳では無く、あくまで物理法則的に飛躍した現象などは、一番始めに経験した世界転移位の物であり、それの発端にした所で、地球に居た時点で起こった物である為、この世界で相対した不思議現象など、皆無なのである。
そう考えると、この世界も、純粋に物理法則によって動いている物であると思われ、天体が魔神の一部であると言う話は、眉唾物に感じられた。
(単純に、神話伝承って事なんだろうな)
そんな風に魁人は思った。恐らく、ブアディルと言う魔神の元となった人物……おそらくは魔人族の王であった人物の偉大さを表す箔付けの為に、語られているのだろう……そう考えたのだ。
ただ、そうなると、この世界も進化そのものが地球とは違っては居るが、何かしらのファンタジーな力が有る訳では無く、物理的な法則だけに支配された世界となる。
だとすれば、ここが異世界にしろ異星で有ったにしろ、帰還を考えるのであれば地球と同じ様な真っ当な方法を考えなければいけないと言う事に成る。
そもそも、あれだけ科学技術の発達した地球でさえ、異世界や生物の居る他天体へと行くのは困難な話である。
どちらも、理論上有り得る……と言う事は言われているが、観測すらされていないのだ。それを考えると、魁人は暗澹たる気分に成った。
(そうなると、俺自身が体験した転移現象が唯一の手掛かりになるのか……)
あの転移現象が純然とした自然現象であった場合、何かしらの条件が整えば起こる可能性はある。どれ程不思議に思える、有り得ない物だと思ったとしても、魁人は、ソレを一度体験しているのだ。つまりは起こり得る現象である……と言う事に成る。
もしかすれば、地球上では観測こそされないが、稀に起こっている現象なのかもしれない……つまり、今回の場合、その転移トンネルとでも言うべき現象に偶々、魁人が落ち込んでしまっただけなのだろう。
(重力波は次元を超えて広がって行くんだったか?)
重力は、そのエネルギー量に比べ観測できるエネルギーが少なく、その為、次元の壁を超えて影響を与えていると考えられている。
単体ではそのエネルギー量が足りなくても、異次元間同士での重力波の影響が有った場合、その重力波の波の合成が起こった場合……観測できない以上、そこでどの様な事が起こっているのかは誰にも分からないのである。
(でも、だとすると……)
もし転移トンネルの発生条件が、そう言った事であるなら、地球とこちらの世界で、同時に干渉する重力波の発生が必須となる。そもそも、重力波の発生自体が予測できないのだから、その干渉によって発生するであろう転移トンネルの発生の予測など…………
『アニキ?』
シャゼムの声に、魁人が顔を上げる。見れば、始祖鳥を思わせる、羽毛を纏った爬虫類の様な鳥であろう獲物を担いだシャゼムが、心配そうに魁人を見下ろしていた。
『ん? 何だ?』
『いや……何か、えらく険しい顔してたよ?大丈夫?』
そう言われ、魁人は自分が随分と深刻そうな面持ちで座り込んで居た事に気が付いた。シャゼムにして見れば、狩りから戻ると魁人が険しい顔をしたまま黙って俯いているのである……心配にもなるであろう。
『……いや、悪い、考え事をしていただけだ。何でもない』
『何でもないって……まぁ、アニキがそう言うなら……』
魁人の言葉に、今一、納得はしてい無さそうではあったが、取り敢えずと言った様子でシャゼムが頷く。その後、2人は鳥を捌き、それを焼いて食べた。
味付けは、魁人の持っていた醤油を少し垂らしただけであるが、魁人の知っている鳥より更に淡白で、癖が少なかった事もあり、それなりに美味しかった。
『町に着いたら、調味料とか調達しないとな……』
『……オレは、神人族の使っている通貨なんて持ってないよ? 調味料って高いんだろ?足 りるの?』
『……あー、そういう問題もあるのか……』
シャゼムにした所で、神人族と直接係わった事など殆ど無い。せいぜい村のテリトリーに侵入した相手を捕らえて、外に放逐するのに同行した経験が何回かある程度である。
それも、魔獣があの城壁都市を襲撃するまでの事であり、それ以降は全く見る事は無かった。それでも、その当時の都市の暮らしぶりは、何度か目にした事は有った為、多少の知識は有して居たのである。
(帰還だけじゃなく、生活の面でも、色々と前途多難だな……)
そう思い、魁人は小さく溜息を吐いた。
食事が終わった後、日暮れまでしばらく時間があった事もあり、魁人はシャゼムに武術の手解きをする事にした。基本となる型を幾つか実演し、その後、簡単な組み手をする。
『……シャゼムの攻撃は素直過ぎるんだよ……』
『…………』
幾度となく魁人に地面に転がされたシャゼムは、仰向けで大の字に成って荒い息を吐いていた。シャゼムは攻撃の時に、その威力を高めようとしてか力が入っている為、その攻撃をしようとしている場所が分かり易く、また、その起こりも読みやすい事もあり、攻撃を受け流し、転ばす事は容易であった。
魁人の習っていた武術……古武術の一派ではあるのだが、戦場での多対一を想定している、その性質上、相手を無力化する為に、まず対象を地面に叩き付け、転がす術が発達していた。
現代であれば、それ程の重装備で戦場に立つことも多くは無いが、彼の学んだ流派が成立した時代は、所謂、戦国時代であり、鎧甲冑を着けての戦いが基本であった。
その為、相手を打倒し、転ばせ、その上で首を取る……と言う流れが基本的な動作となるのであるが、その上で重量のある鎧を着こんだ相手を大地に打ち転ばす投げ技の類は有効だったのである。
もっとも、後の人々によって、その都度、改良が加えられた事もあり、打撃、蹴り技も有りはするのだが、どの技にしろ、基本は相手を効率良く動作不能にし、大地に転ばすと言う事が基本となっている。
その為、シャゼムもその洗礼を受け、何度も地面へと叩き付けられたのであった。
『……やっぱり、凄いね……アニキは……』
呼吸を整えながら呟いたシャゼムの言葉に、魁人は曖昧な笑みと困ったような表情で応える。
『俺が……と言うより、技術体系を構築した先人が凄いんだと思うんだけどな……』
当たり前の事ではあるが、魁人の持つ格闘技術に、魁人の作った技は存在しない。全ては数百年前から研鑽された技術であり、それを後世に残す為の育成技術が優れている……と言うだけの事である。
確かに、その中には新しい技を技術体系の中に組み込んだ先人もいるだろう。しかしそう言った人物は所謂、傑物であり、天才なのだと魁人は思っている。そして、そう言った一握りの天才の中に自分が入れないであろう事も、重々承知していた。
しかし、シャゼムの持っている格闘の技は我流で有り、そもそも、一族の中で、そう言った技術の継承をする……と言う事自体が、されて居なかった。
それについては、ある意味当たり前で有り、強さと言う物が個人のステータスになる以上、他者にそのコツを教える真似など、自分の首を絞める様な物なのである。
それ故に、例え、見よう見真似で技を盗む者が居たとしても、技術として継承する……等と言う事はされて居なかったのだった。
流石にシャゼムには数百年と言う時間の概念は理解できない。それでも、それを継承し続けると言う事が途方も無い重みが有る事は理解できた。
だからこそ、綿々と技術の継承を行い、それを正しく受け継いでいるであろう魁人に対し、シャゼムは尊敬の念を持ったのである。
(アニキの技には、親の親の親の、そのまた親の……そんな長い時間が積み重なっている……何だろう、言葉に上手く出来ないけど……とにかく、凄い!!)
何か満足そうに大地に寝転がるシャゼムを見て、魁人は『可笑しな奴だな……』と、苦笑し立ち上がらせる。
『ほら、もう日も暮れてきた、お前はもう休め、今晩は、俺が先に見張りをやっておくから。』
『え? 良いよ! オレはアニキの弟子なんだから、アニキが先に休んでくれよ!!』
おそらく、痛みが有るのだろう。肩を押さえつつ立ち上がったシャゼムに魁人は眉根を寄せながら、言った。
『馬鹿を言うな、体を万全にするのも大切な事だろう? 痛みを気にしてたら集中力も出せないし、いざと言う時の戦力にもならない』
『でも……』
『いいから休め、これでも、お前の事は、結構頼りにしてるんだ』
そう言われ、シャゼムは不承不承シェルターの方に赴くと『交代の時になったら、ちゃんと起こしてくれよ?』と、魁人に言って中に入って行った。
魁人はそれに対し、特に返事もせず手をパタパタと振って、とっとと眠るように促した。
焚火を消し、魁人が空を見上げながら野鳥の鳴き声等に耳を傾けていると、その内その中にシャゼムの寝息が混じってきた。
(やっぱり、相当疲れた様だな)
本格的な稽古をつけた訳ではないとは言え、何十回と大地に叩き付けられたのだ。そのダメージと疲労の大きさは想像に難くなかった。
シャゼムが何故、自身の故郷すら顧みない程に自分を慕っているのかを魁人は理解できなかったが、それでも付いて来ると言うのであれば、時間の許す限りで向き合おうと心に決めた。
『……それに、時間は随分有りそうだしな……』
実際、帰還に関する目途は一切たっていないのが現状であり、下手をすると魁人が寿命が有るうちに、その方法を確立することは困難かもしれなかった。だが……
『諦めるつもりはないけどな……』
そう呟く。渇望するほどの望みでは無い。しかし、今の魁人には他に目標とする物も無かった。未知の世界に対する冒険心も無い訳ではないが、それよりも今は、残して来た物に対する気がかりの方が大きい。
地球での魁人は、登山中の行方不明者……と言う事に成っているのであろう。だとすれば、それ程時間がたたない内に、死亡したとされるかもしれない。
(しかし、そうでないかもしれない……)
悲しむ両親の顔が脳裏を過る。チクリと、魁人の胸の内に何かが刺さった様な気がして思わず登山服の胸元を掴む。
せめて、今、生きていると、心配しないでくれと伝えられたら……そう思い、魁人は奥歯を噛み締めた。