第二十話 戦闘と勝敗
大森林の中を幾つもの影が走っている。一つの影は人のソレではあったが、その他の影は全て、その異形を晒していた。
人型の影は、その手に身の丈より遥かに大きな両手剣を携え、複数の、自らを囲い込む様に動く異形の集団と距離を測りながら、攻撃のタイミングを窺っている様であった。
「グウオオオオオォォォォォォォ!!!!!!」
一体の異形……神人族にバステュルと呼ばれる、両腕が蛇の尾の様になった、二足歩行をする一つ目の虎を思わせる魔人族が、虎であれば喉に当たるであろう部位の、その縦に裂けた口から雄叫びを上げる……と、ビリビリと大気が震え、それに伴った威圧感が人型の影にのしかかる。
「チィッ!!」
舌打ちをした人型の影は、その威圧を振り払うかの様に、周りへの牽制も兼ね、大剣で――どれ程の膂力が有ればそんな事が出来るのか――周りの樹木ごと横なぎに薙ぎ払う。だが、その威圧の重圧を払った代償か、手足の毛細血管が破れ、あちこちに赤い痣が浮かび上がった。
そして、その異常ともいえる重さであろう大剣の慣性によってか、よろめく様に体の位置がズレる……と、先程までその人型の影が居た場所に、全身に杭の刺さった様なシルエットの、両手で鷲掴みにされて居る人頭を思わせる小型の魔人族が降って来た。
つまりは、大剣によってよろけたのでは無く、上方からの襲撃を察知した為、その大剣の重量をによる慣性を利用して、それを避けたのだろう。
しかし、完全に避けるまでには至らなかった様で、人型の影の朱髪が幾本か切られ空を舞い、裂けた皮膚から鮮血が迸る。よく見れば、人型の影の傷は、それだけでは無く、体のあちらこちらを細かく負傷している様だった。
人型の影……ランブレント地方の人々……特に創生神を崇める教団の者達から勇者と呼ばれる少女は、薙ぎ払った大剣の、その運動ベクトルを即座に横軸から縦軸へと強引に変え、人頭の魔人族……エゲラを唐竹割に、真っ二つにした。
ズウンン……と、大剣が地面にめり込み、勇者の動きが一瞬止まる。
それを好機と見たバステュルが、その両腕を鞭の様にしならせ、勇者に叩き付ける……と、その周りに居た中型の複数のエゲラ、別のバステュルの個体、数体も、一斉に勇者に攻撃を仕掛けた。
「我求めるは風の道行、珠に込められし、その威を示せ!」
……が、呪文を呟いた勇者が大剣を手放し、ブーツに付いて居る宝玉が光り、魔方陣をその表面に輝かせると、その不自然な格好のまま、彼女の体は横っ飛びに飛び出す。そして、勇者がもう一つ呪文を唱えた。
「「我求めるは火炎の道行と深淵の理 世界の原理!!」」
《二重詠唱》……そう呼ばれる秘匿技術によって唱えられた呪文は、ダブった様に聞こえ、本来であれば詠唱に数秒を要するその呪文が即座に完成し効果を及ばした。
キュウゥゥゥ…………ボン!!!
そして起こったのは爆発、規模は小さく――それでも、普通の神人族であれば、十分な殺傷力は有るだろうが――バステュルにとってダメージはそれ程大きくは無い……が、しかしエゲラは薙ぎ倒され、一瞬、魔人族達は爆風によって目を眩ませる。
着地し、更に距離を取った勇者は、瞬時に腰袋から黒曜石の様な宝珠を取り出すと、それを魔人族が密集したその場所へ投げ込み、先程と同じ呪文を唱え、伏せた。
「「我求めるは火炎の道行と深淵の理 世界の原理!!」」
すると今度は、その宝珠の周りに魔方陣が展開し、先程の小爆発とは比べ物にならない程の大規模な爆発が起こる。
ド!ドドド! グオオオオオオォォォォォォンンン!!!!!!!
勇者は伏せて、耳を押さえ口を開けていたが、爆風が過ぎた瞬間にはブーツの能力を使って飛び出し、その爆心地近くに刺さっていた大剣を掴むと、まだフラフラと立って居る魔人族や、地に伏した者を次々に叩き切る。
爆発によってダメージを追って居た魔人族達はその凶悪な重量を持った白刃の元に、次々に切り伏せられ叩き潰されて行った。
「……まだ……残っているんだ……しぶといね……」
爆発によって、そこかしこに炎が渦巻く中、熱風を直接吸わない様にマフラーで口元を隠しながら、そこに居た魔人族の者達を殆ど切り倒した勇者は、まだヨロヨロと立ち上がって来たバステュルの、リーダー格であった一際大きな個体へ向き直ると、ズルズルと引き摺っていた大剣を大上段に構え、そのまま自然落下させる様に振り下ろした。
すでに満身創痍となっていたバステュルは、何とか逃げようとする……も、体が付いてこず、しかし最後のあがきだったのだろう、それでも脳天からでは無く左肩から足元までをバッサリと両断される。しばらくブルブルと震える様に痙攣していたバステュルは、やがて鮮血を吐き、膝から崩れ落ちる様に倒れると絶命をした。
「ふん! 無駄に足搔いてくれるもんだ……」
完全に絶命するまで警戒していた勇者は、そう言って大剣を引き寄せた……が、しかし、息は荒く、その顔は自らの血で濡れ、体のあちこちに裂傷と内出血による痣を作っていた。
「あーもう! 早く逃げなくちゃ……」
周りを見れば、なぎ倒された木や叩き切られた樹木、それと、爆発による火の手があちこちに上がっていて、そのままそこにいれば、彼女も森林火災に巻き込まれかねない状態に成っている。
先程までは戦闘による興奮状態で有った為、気にも留めなかった、おそらく挫いたのであろう右足を引き摺る様に、その場所を後にした勇者だったが、不意に立ち止まると空を見上げる……そこにあるのは白んだ楕円形の“魔神の目”。
「…………チッ」
勇者は忌々し気に舌打ちをし、それを一瞥した後、今度は脇目もふらずに暗い大森林の中を足を引き摺ったまま歩いて行ったのだった。
トリットは仰向けに大地に倒れ、澄みきった空を茫然と見上げていた。
体に衝撃は殆ど無く、身体のダメージ的には直ぐにでも立ち上がる事が出来るのだが、自分がいったい、何をされたのかが分からなかったからだ。
それについては周囲で見ている殆どの者も同じだった。傍から見た所では、魁人が走り寄り、そしてトリットを投げた……ただそれだけなのである。
その周りの者からすれば、なぜ、トリットは何の反応もせず投げられたのか? と言う事こそ分からなかったのだ。
「何が……」
トリットが呟くも、それに正確に答えられる者は、投げ飛ばした当人である魁人の他は居なかった……だが魁人は、その事について話す気は無いのか、倒れているトリットから1、2歩離れた所から、構えを取って、彼を黙って見降ろすだけだった。
ただ、その周囲の一部、ある程度以上の技量を持つ者達だけが、魁人の動きの奇妙さに気が付いて居た。自警団団長であるザナッハもその一人だった。
(何だ、あの動きは……何時、走り始めたんだ?)
「ちょ……団長……ありゃ、何者なんです?」
若干、快楽主義者で軽薄ではあるが、副団長……カルドもまた、一種の天才ではある。その為、彼にも魁人の奇妙さが良く理解できた。
つまり、この達人と言って良い者達の目からしても、誰一人、魁人がトリットに近付くまで動き出していた事に気が付かなかったのである。
「……誘拐事件の協力者で……旅人だと言っていたが……」
「いや、旅人って……しかし、アイツは一体何をやったんだ?」
ザナッハの答えにカルドは眉根を寄せる……が、おそらく、それ以上の事は聞いていないのだと理解し、目の前の光景の対する心境を呟く。
「……おそらく《無拍子》……と言う“技”だろう……」
「ムビョウシ?」
独り言のつもりの言葉に答えを返され、気拙い気分に成りながら、カルドが、その聞きなれない言語の技名を繰り返した。ザナッハが魁人から調書を取った際に直接聞いた“技”の名前……彼はそれを“反応する事の出来ない技”だと言っていた。
ザナッハは、今更ながらに魁人が「15年の月日を費やした」と言っていた事が真実だろうと思い直す。
おそらく、初見で使われればザナッハと言えど躱す事は出来ない。知っていたとしても対処できるかどうか……そもそも、“反応が出来ない”のだから。
「勝てますか?」
「…………」
「団長なら彼に……」と、言外に含めた、その質問に、ザナッハは黙したまま答えなかった。パッと思い付ける対処法はいくつかある。そもそも相手は無手なのだ。
例え、何時動いたのか分からないとしても、距離を取って長剣で手数を増やせば……対応は出来るだろう……しかし、魁人の持つ“技”が、あれだけとは限らない。
少なくとも、ザナッハは魁人のもう一つの技……《鎧通し》の事も聞いている。“人一人を通過させてダメージを与える”と言うそれは、聞いている限りでは一対一の戦いではそれ程役に立たない様に聞こえるが……
(……何をワシは考えている?)
武人としての血が騒いでいると言うのであろうか? と、ザナッハは自嘲する。魁人はあくまで先の事件の協力者であり、客分に過ぎない。
あの事件現場で彼を見た時、ザナッハは相当に魁人が強いであろう事は分かった。
実際に、たった一発で相手を無力化した時、どうにかその技を教えて……いや、少なくとも見せて貰えないかと思ったのも事実だった。
だが、彼と戦う等とは考えてはいけない事ではある……ザナッハは彼を気にかけているであろう幾人かのことを考え、私人としても公人としても、問題が有るだろう事が理解できるからだ。
私人としてはホーリィが悲しむ様な事はしたくない無いと言うこと、公人としては、マインゼン家や、ヤクシアーノ家に睨まれる事が拙い為だ。
「おっ、トリットの奴が起きましたな」
「なに?」
カルドの声で思考の海から浮かび上がり、ザナッハが修練場中央に目を遣ると、そこでは屈辱に顔を歪ませて立ち上がったトリットが、再び魁人の正面で構えを取っているところだった。
(やめさせた方が良いか?)
今更ながらにザナッハの脳裏に、そんな考えが浮かぶ。魁人の技量は、ザナッハの考えていたソレよりも遥かに高い物だった。
トリットとの実力差はかなり有り、下手をすると彼が潰れてしまう可能性が頭を過ったからだ。これがもし、それと見て分かるほどに年齢差が有るのであれば、ある意味トリットの方も納得したのかもしれない。
しかし、実年齢は兎も角、見た目、自分と同程度にしか見えない魁人と、隔絶した実力差が有る等と言う事をトリットが認める事は彼にとって受け入れ難いことの筈だ。
ザナッハもその事が分かる為、これ以上、試合を続ける事はトリットにとって害になるかもしれ無い……そう感じたのだ。
「団長……」
口を出そうとしたザナッハの肩をカルドが掴み首を振った。
「これ以上は……益も無いだろう?」
「いや、トリットは理解しなければいけません」
カルドがそう言うと、ザナッハは眉根を寄せた。トリットは、その生来の正義感と生真面目さによって努力を怠らなかった事もあり、同期の団員達の中で、その強さは頭一つ抜きん出てはいる。
しかし、修練に励んで来た時間が違うのだから実力が劣っていても仕方ないと考えているのか、年長者との組稽古で負けたとしても仕方ないとする傾向が有り、更に努力を重ねようとせず、最近は漫然と修練に取り組むことが多くなっていた。
だからだろう、カルドは、トリットの更なる飛躍を期待し、魁人の存在をカンフル剤にしようと考えて居るらしかった。
それは、魁人の技量が高い為、トリットとの試合において、両者が怪我をする事など無いだろうと感じたのも一因だろう。
だが、ザナッハとしては、生真面目だからこそ、同年代――実はそれなりに年齢差はあるのだが――に隔絶した実力差を見せつけられてしまった時、トリットが潰れてしまわないか? と言う懸念があった。
「男なんて、叩かれて這い上がって、一人前だと思うんですがね……」
苦い顔をするザナッハに対し、カルドはそう言った。正直な所、ザナッハは(天才肌のお前が言って良い事じゃないだろうが)……と思ったのだが、しかし、それを口にする事は無かった。
二人がそんな会話をしている間にも、魁人達の方もその攻防が進展を見せていた。
先手を取られ、無様に投げ飛ばされたトリットは、同じ事の二の舞には成るまいと、今度は先手を打って切り掛かる。
だが魁人は、振りかぶっての正面打ちに対し、半歩進みながら、右手で、その剣の側面を叩き、剣の軌道をずらすと、そのまま左掌底でトリットの胸元を叩き、若干、後ろに体重が乗ってしまった所で、軸足を引っ掛けて後ろに転がした。
またしても同じように天を仰ぐ事に成ったトリットだったが、今度はすぐに気をとり直し、即座に立ち上がると、魁人との間合いを取る。
魁人はそれを見つめたまま、しかし、その場から動く事なく、構えを取り直した。最初と違い、自身の理解の及ぶ攻防だったが故に、トリットには逆に、彼我の力量の差が理解出来てしまっていた。
(クソ! 流石、15年の研鑽ってのは伊達じゃ無いって事か……)
そう考えながら、何とか隙を伺うトリット。魁人の方は、“待ち”に徹する様で、向かって来る様子は無い。
(クソ! らちが明かない!!)
いつまでも見合って居た所で決着はつかない。トリットは先程とは違い、大振りでは無く、手数で削る事にすると、細かく牽制する様に突きを繰り出す。
魁人はそれを型稽古で見せた円を描く様な足運びで、するすると躱し、突きを引く瞬間に合わせて懐に飛び込み、トリットの右腕を取ると、足を引っ掛けて後ろに転がした。
「クッ!」
転がされはしたがダメージは無い。トリットは、すぐさま起き上がると、同じ様に構え直す。魁人の方はと言えば、やはり先程と同じ様に少し離れて構えを取っている。
トリットは“引き際”を合わせられた突きを止め、やはり大振りにならない様に頭頂、側頭、右方向、左方向と、次々責め立てる……が、その攻撃は悉く、いなされ、流され、躱される。
(当てられない!! 何だコイツの動きは!!)
全く当たらない攻撃、しかし、本当に驚嘆に価するのは、刃引きしてあるとは言え、真剣を前にして、全く動揺を見せない魁人の精神の強さだろう。
一頻り思い付く限りの攻撃を続け、やがて息の切れて来たトリットは、一旦距離を取ると、荒く成った呼吸を整える。と、魁人の呼吸が全く乱れていない事に気が付く。
(化け物かよ……!!)
そう思ったが、それでも、何とか攻撃を当てようと、隙を伺う……が、先程までの攻防のせいもあり、魁人に攻撃の当たるイメージが全く浮かばなかった。
ジリジリと時間だけが過ぎ、トリットは業を煮やし、一か八かの攻撃を仕掛ける。
しかし、そんな破れかぶれの攻撃が魁人に当たる筈もなく、その大振りの上段からの攻撃は、一歩踏み込んだ魁人に、腕を受け止められ、そのまま右側に捻り転がされる。
トリットはそのまま勢い良く立ち上がると、少し離れた所で構えをとっている魁人に対峙する。
(クソ! だけど、アイツの攻撃のダメージは……無……い?)
先程から、攻撃を食らっているにも拘わらず、今、トリットに、ダメージらしいダメージは無い。
(……どう言う事だ?! ……まさか……)
――何故――
疑問が浮かぶも、彼我の力量差を考えれば、嫌でも正解は頭に浮かぶ。そもそもトリットは、魁人が一撃で人を昏倒させている所を目撃しているのだ。
(オレが怪我をしない様に手加減をしているのか?)
そうでなければ魁人がわざわざ、殴らず投げ技を使っている理由など無いだろう。そして、もし魁人が、何かの気まぐれで、手加減を止めたら……本気の攻撃を受けた時、自分は……その事に気が付き、トリットに屈辱より先に、驚愕と恐怖の感情が湧く……そして、自分を見つめる魁人の目を見て、ビクリと肩を震わせた。
(何だよその目は……)
感情の見えない、冷たい、そして、心の底まで見透かされるかの様な目差し。そこに映るのは、諦感の混じった、何処か怯えた様な情けない自分の顔。
(年季が違う……仕方ないじゃないか……15年だぞ?)
次第にトリットの頭は諦めの思考に支配されて行く。
――お前はそれで良いのか?――
(!?)
目の前の魁人に、そう問われた様な気がして、トリットは唇を噛んだ。しかし、そのまま視線を外すと、構えていた剣を下ろす。
「……もう良いのか?」
「…………ああ」
訝し気に訊ねた魁人の言葉に、視線を外したままトリットは、そう答えた。そのトリットの様子を見て、カルドが舌打ちをする。
「アイツ……」
「……今は良いだろう? トリットも少し落ち着く時間が有った方が良い」
「そうは言いますがね……」
更に言い募ろうとするカルドに、ザナッハは首を振る。カルドは溜息を吐きながら、面白く無さそうに踵を返した。
「興が削がれましたよ……おい! 今日はこのまま解散だ!!」
カルドは自分の部下にそう言うと、不満がありありと分かる様子で、修練場を後にする。ザナッハは、その後姿を見て、大きく息を吐いた。
ザナッハにした所で、カルドの言い分も不満も理解できる。カルドが今、腹を立てたのは、トリットに期待しているからであり、このまま壁を突破してもらいたいと思っているからだ。
ただ、ザナッハも、そこまでは同意ができる。しかし、その起爆剤代わりにしようとした相手が悪かった。もし、その相手に成っているのが魁人でなかったなら、ザナッハも、トリットに発破をかけたかもしれない。
しかし魁人は、今のトリットにとって“鬼門”とでも言うべき相手であり、彼をけしかける事はリスクの方が大きかった。
同年代に見える、隔絶した力量差を持った相手と言うのは、壁としても目標としても好ましい……しかし、選りにもよって、魁人は、トリットが淡い恋心を抱いている、ホーリィの思い人かも知れないのだ。
今の所、トリットはその事に気が付いて居ないが、もし現状で、その事が知られてしまえば、トリットがどのような行動に出るのか、ザナッハには予測がつかなかった。
奮起して目標とするならば良い。しかし、下手に逆恨みの様な事になってしまった場合、取り返しがつかないだろう。
幸い……と言うか、今の所、唯一、行幸と言える事が有るとするなら、魁人の方には、ホーリィに対して何ら特別な感情を持っている様には見うけられない……と言う事だろうか? そう思い、ザナッハが溜息を吐く。
(まぁ、嬢ちゃんの心情を思えば喜んで良いって訳でもねえんだがよ……)
取り敢えず、ザナッハはこのままトリットが魁人に対し、苦手意識を持ったままにならない様、フォローをする為、修練場中央の二人の方に向かって歩き出した。
構えを解き、眉根を寄せ目を細めている魁人と、俯いたまま動かないトリット。ザナッハは、トリットを一瞥した後、取り敢えず魁人へと声を掛ける。
「何と言うか、この間に続き、トリットが申し訳なかったな……」
「あー、いえ、俺は別に……」
頭を掻きながら、小声で謝るザナッハに対し、魁人は手を横に振りながら、そう言った。魁人にした所で、トリットがホーリィに対し、淡い恋心を抱いている事は重々承知している。
魁人は現在、そのホーリィの家に厄介になっており、ホーリィ自身とも割と気安い関係を築けている――少なくとも魁人はそう思っている――その魁人にトリットが嫉妬をするのは、ある意味、当たり前であり、その嫉妬心から来る敵愾心は、ある種、微笑ましい部類である事は魁人にも理解できていた……だからと言って鬱陶しくない訳では無いが……
だからこそ魁人には、トリットの行動に何ら思う所は無かった。逆に、少しやりすぎたかな? と、思わなくはなかった位だ。
トリットの剣術の動きは素直で、フェイント等を織り交ぜる……と言った事は一切なく、ただただ、速く速く、前の攻撃よりも速い攻撃を……そんな風に剣を振っていると言うのが見て取れた。
魁人は……いや、魁人の修めた武術は、体の行動における予備動作と言う物を徹底的に理解させ、それを排除する。
その上で威力の伝達、増幅を行い、最終的な破壊力の増加を促させるのだが……そもそも、その、予備動作の排除こそ《無拍子》の第一段階でもあった。その過程で頭に叩き込まれた、予備動作における知識を持つ魁人にとって、トリットの攻撃は“分かり易過ぎた”のである。
どれ程トリットが素早く動こうとしたところで、その攻撃のタイミング、攻撃の来る場所が分かってしまえば、それを防ぐ事は、そう難しくは無い。
魁人としても、そうそう相手に怪我をさせたり昏倒させる様な事はしたくは無かった為、シャゼム達との組手稽古の時と同様に、ひたすら投げ、転がす事に終始したのである。
そもそも、トリットが、型稽古程度では、魁人の実力など分からない……と言った為に、今のような状況になったと言う意識があった事もあり、魁人としてはトリットが納得するまで付き合うつもりでいたのだ。
しかし、もう十分だと言うトリットの言葉には、納得した……と言う色は見えなかった。だからこそ、魁人は困惑したのだ。
「……俺は良いですけど、むしろ、彼は大丈夫なんですか?」
その為、つい、そう聞いてしまう。ザナッハは、その質問に苦笑し、チラリとトリットを見遣ると、口を開いた。
「……やっと、見えなかった壁が見える様になったってとこだ……後は自分次第……ってぇ言いたいこったが、まぁ、フォローはしとくさ……」
「…………何か、俺の方こそ済みません……」
「いや、ワシの言葉では素直に聞いちゃ貰えなかったからな……いい機会だった……てぇ事だ……」
眉根を寄せ、苦笑しながらザナッハが言う。そして少し嘆息した後、魁人に言った。
「まぁ、気にするな! そんじゃ、約束通り、紹介状を書いてやっから、団長室まで来てもらえるか?」
その言葉に、魁人は頷く。ザナッハも、その魁人の様子に笑みを返すと修練場の出口へと顔を向ける……と、トリットに向かって口を開いた。
「トリット、お前も後で団長室まで来いや……な?」
「………………はい……」
若干、不貞腐れた様なトリットの態度に、ザナッハは溜息を吐くと、そのまま魁人を伴って修練場から出て行った。
後に残されたトリットに、彼と仲の良い団員達が近寄り、「まぁ、しょうがないよ」「流石に15年とか言ってたしな」「お前はよくやったと思うよ」等と、慰めの言葉を掛け、トリットも「ああ……」などと曖昧に返事をする。
しかし、そこに居る誰より、トリット本人が分かって居た。あの勝負で本当に負けたのは、魁人本人に対してでは無く、魁人を恐怖した自分の心に対してだと言う事に。
それ故に、周りからの見当違いな慰めが鬱陶しくなったトリットは、「すまんが……」とだけ言って、修練場を後にした。
修練場詰め所の端に有る長椅子にドカリと座ったトリットは、自身の情けなさに、両手で顔を覆い蹲る様に俯いた。
一頻り懊悩し、溜息を吐いた後、トリットは……
(……団長室……行かなくちゃな……)
そう思い出し、疲弊したかの様に動きの鈍い身体を漫然と動かし、団長室に向かったのだった。




