第二話 密林で遭遇したもの
密林の中を魁人は黙々と進んでいた。実際どの程度、目的地に近づいたのかは、この木々の茂る場所からは窺がい知る事は出来ない。
相当な距離がある事は分かって居たが、それでも目算で半日は掛からないであろうと魁人は踏んで居たのだが……もっとも、普通であれば……と言う話なのではあるが……
スマホを起動し時間を確認すると、歩き始めてから4時間ほど経っている。
密林の中は相変わらす腿まで丈のあるシダ類に似た草が生い茂り、木々から釣り下がる蔦が視界を遮っている為、遠くまで見通す事は出来ない。
当然の様に足下が平坦と言う事は無く、岩塊や倒木によって歩き辛い事この上も無かった。
「……予想以上に歩みが遅いな、まぁ、当たり前か……」
魁人は、今更の様に手付かずの原生林なのだと実感し、溜め息を吐いた。
しかし、その事を考慮して尚、やはり魁人の予想より到着は遅い。
先の戦闘で進行方向がズレた可能性が頭を掠め眉を顰め(一度戻って確認するか?)とも考えたのだが、歩んできた行程や、もう一度、彼らのテリトリーの中に入ってしまった場合の事を考えると、戻ってまで厄介事に首を突っ込む可能性が高い行為を行う事は躊躇われたのである。
「まぁ、最初っから、遭難して居る様な物だしな……」
そう呟いてみると、予想以上の自身の状況の悪さに溜息が漏れた……が、どの道、水は確保しなければならないと思い直し、川に辿り着く可能性のある前進を選択する事にした。
少なくとも、件の城壁は川向うであり、あの時見た感じで言えば、川は蛇行こそすれ、視界の端から端まで伸びていたのであるから、このまま進んでいけば、そのうち川には辿り着くだろう……そう考えたのだ。
第一に、左程、日暮れまでが遠く無く、戻っている途中で陽が落ちてしまえば、そこで夜を明かさなければならない。暗くなれば、今以上に真直ぐ歩く事は困難であるし、この密林に夜行性の生物がどれほど居るか分からない以上、うかつに動き回るのは危険であろう。
ここまでの道のりで他の生物に遭遇したのは、襲撃してきた仮面達以外には樹上で生活しているらしい前足、後ろ足共に、やけに間延びこそしている物の、アナグマに似た謎生物位しかいなかった。
全体的な毛の色は焦げ茶で、目の回り、口許から鼻先と前足が黒い毛で覆われ、特に目許は菱形に成っていて愛嬌が有る。
前足から見える3本の爪は長く鋭く見えるが、フック状に成っているのを見ると、木にしがみ付く事に特化しているのだろう。
前足に比べて後ろ足は指が長く、5本見える爪は短く、しかし、鋭く見えた。
それらは群れで生活しているらしく、10数匹が樹上の木の股の所にどっかりと腰を落ち着けると、鼻先を木の葉に突っ込んで、もしゃもしゃと木の葉を食べていた。
ある個体などは子連れで有り、母親は他の仲間と同じ様にのんびりと鼻先を木の葉の部分に突っ込んでもしゃもしゃと葉っぱを食べていたのであるが、全体的に、まだ淡い色の、その子供は母親の胸と思しき場所を必死にペロペロと舐めていて、その両者の様子に和み、つい、笑みが零れた。
木々が生い茂っている為、中型犬程度の大きさの生き物であるなら兎も角、大形の生物には、あまり適さない環境であろう事から、その程度の大きさでしかない生き物であれば、向こうから魁人の事を避けたのだろうと考えていた……実際、姿こそ見なかったが、そ気配が遠ざかって行く所には何度か遭遇をしていたから……と言う事もある。
魁人は熱中症の対策も兼ね、塩分を取る意味も含めて塩飴を口に放り込むと、次いで、ペットボトルの水を一口含んで、少しずつ飲み込んでゆく。気候のせいで、ただでさえ暑いのであるが、ここまで歩き通しであった事もあり、流石に喉も乾いていた。
「? …………」
一息ついた魁人が、不意に周囲を伺う。相変わらず木々は騒めき、ギャーギャーと謎の鳴き声が聞こえるが、それ以外、特に変わった所は無いように思えた。
「気のせい……か……?」
一瞬、仮面の現地人(?)が戻ってきたのかと思ったのだが、魁人が辺りの様子を伺うも、特に何かが動く様な気配も感じなかった為、気のせいだったのだろうと結論付け、先を急ぐ事にした。
多少気に成りはしたのだが、最低でも明るい内に川までは辿り着いておきたかった為、その事は頭の端に寄せて置く事にしたのである。
うっすらと陽光が陰り(これ以上進むのは、今日は無理かな?)と魁人が思ったあたりで、一本目のペットボトルが無くなる。
しかし、その時、ようやっと魁人の待望の“音”が、聞こえて来た……すなわち“水音”である。魁人は目を見張ると、はやる気持ちを宥めつつ、歩みを進めた。
やや、生い茂る木々が増え、背の丈程の低木が視界を塞ぎ始める。おそらく、川縁が開けている事で陽の光が射し込む為、低中層の木が生え易くなっているのだろう。
「!!」
しかしそこから、それ程進んだ訳でも無い辺りで足元から大地の感覚がなくなり、魁人は浮遊感を感じて、背筋に寒気を覚えた。
刹那の視界で咄嗟に手を伸ばし、近くの低木の根元にに指をかけると反射的にそれを両手で掴む。
「あっぶね…………崖?」
低木に掴まりながら、宙吊りの状態でプラプラと揺れている足元を見ると、そこには確かに、川の流れのうねりが見えた。
咄嗟ではあったが、何とか落下せずに済んだ事に、魁人は安堵する。
流石に魁人も一日に何度も落下するのは御免だったからだ。原生林の中を歩き詰めであった事と目的地に中々着かない焦りと疲労の為、注意力が散漫と成っていた事に反省しつつも、蔦の絡まった低木を改めてしっかりと両手で掴み、宙吊りの状態から、腕力だけで崖の上へと体を引き上げる。
荒くなっていた呼吸を調え、改めて崖下を覗き込むと、水で削られたのか、茶色い地肌を晒す様に崖になっていて、魁人の居る位置から2m程下に水面が確認できた。
「水……は、確保出来る……か……」
むしろ、どうやって渡るか? と言う方が問題かも知れない……魁人はそう思った。
見たところ、川幅は狭い所で20m、広い所では50m程もあり、川自体は泥こそ含んでいる物の、それほど濁っては居ない。
しかし、流れはやや急であり、服を着込んだまま対岸まで泳いで行くのは困難に思えた。
もっとも、それでなくとも何が居るか分からない川に、無防備に飛び込むのは躊躇われた……と言う事もあったのだが……
何処か、川縁まで降りられないかと思い、周囲を確認してみたが、木々に視界を遮られ見通す事が出来ない。
その上、いよいよ日が傾き、周囲が暗く成ってきた為、魁人は一先ず野営をする為に、付近を探索する事にしたのだが……
「……」
先程と同じ様な気配を感じ、気取られ無い様に僅かに身構える。
しかし、やはりそれ以上の動きを見せなかった為、警戒をしつつも、探索を再開した。
本来であれば、一方を気にしなくて良い様に、何かを背にしたい所であったが、見渡せる範囲に大きな木も堀の様な場所も見当たらなかった為、崖に程近い低木の生い茂る薮の一部を踏み固め、その周りの低木同士を組んでシェルターを作り、その上から草を載せて、中にも敷き詰める。
一応、草の塊にしか見えない様にはしたのであるが……気休めにしか成らないであろう事は確かだった。
それでも、余程、好奇心の強い生き物でも無い限り、わざわざ謎物体に寄って来る事等無いであろう……そう考えると、一応、ザイルをシェルターを中心に渦を巻く様に張り巡らし、簡易的な警報装置を設置した上で、夕食の準備を始める。
と、言っても、携帯コンロを使う訳でも無い為、それ程何かしら準備をする……と言う訳では無いのであるが……
通常、獣の類いは火を敬遠すると思われているが、この様な密林においてはその限りでは無く、そもそも“火”と言う物を理解していない生き物にとっては、それすらも好奇心の対象と成りうる。
好奇心の旺盛な小動物までなら構わないのであるが、それを狙った夜行性の肉食獣までも引き寄せてしまうと厄介極まりない。
魁人は、ジャングルに住む民族の狩人に聞いた話から、その事が分かっていた為、シェルターの中で幾つかの缶詰を食べるに止まった。
もっとも、それにした所で、匂いに釣られる動物が居ないとは限らなかったのではあるが、魁人としては、出来るだけリスクは背負いたくは無かったのである。
装備を外し服を脱ぐ。汗だくに成っていた為、不快感は有ったが、それもタオルで拭くに止め、何が起きても良い様に上着だけ着直すと、一応、虫除けを設置し、そのまま横になった。
とは言っても、疲れてはいる物の、暗くなって、それ程時間が経っている訳でも無い為、早々寝付ける物でも無く、フッと地球での事を思い出していた。
「……皆、心配しているんだろうな……」
登山での滑落後、この世界に飛ばされたと思われるのだが、だとすれば(一緒に山を登っていたサークルの仲間は今頃どうして居るだろうか?)そう、思わずには居られなかった。
行方不明者を出して居るのだ、もう、下山をしているか? それとも、自分達で捜索をしているであろうか?
「いや、それはないか……」
登山リーダーの本内はベテランのアルピニストでもある。だとすれば、2次遭難の危険性を考慮して、無駄に捜索の手は広げないだろう。
そう言う意味では安心は出来た。
脳裏に、滑落する寸前に助けた筈の後輩、咲流の、その時のキョトンとした顔が思い出される。
魁人が覚えて居るのは、彼女の足元が崩れた瞬間、手を引き、その反動で位置が入れ代わった所までであり、その後は自身が真後ろに転がる様にして落ちて行った為に、あまりハッキリとは確認出来なかった。
(無事なら良いんだけどな……)
そうは思いはしても、今の魁人に、それを確認する術等無い。しかし、助かったなら助かったで、今度は魁人の事で悲しむのだろうな……と、そんな事を考えて居る内に、うつらうつらとして瞼を閉じたのだった。
目を閉じて、どれくらい経った頃であろうか? ふと気配を感じ、目を覚ます。
「…………警報装置が役に経たなかったな……まぁ、あまり得意な方じゃ無いけどさ……」
シェルター周りに張り巡らせた、熊避けの鈴を取り付けたザイル……警報装置が鳴らなかった事もあり、魁人は一人呟く。
シェルターの外から、こちらを伺う様に、息を潜めている気配が1つ……殺気の様な物は纏って居ない事から、今すぐ自分に害を成そうと言う訳では無いと魁人は判断し、相手の出方を伺いながら、相手との距離を測る。
例え、魁人の警報設置技術が未熟であったとしても、野生動物が、まったく接触もせずにシェルター付近まで近付く事は不可能であろう。
だとすれば、この草壁を隔てた向こうに居る相手は、それなりに……少なくとも警報装置を回避するだけの知能を有して居る者であり、まったくの野生の生き物と言う事など有り得ない。
(だとすると……)
魁人の脳裏に該当しそうな相手の姿が浮かぶ……が、しかし、確証が有る訳では無い為、思い込みを捨てる為に頭を振る。
しかし、相手が魁人の考えている通りの者であるとすれば、野生動物以上に厄介な相手に成りえそうで魁人は思わず眉根を寄せた。
相手が入り口と成っている部分から、内部を覗き込もうとした瞬間、魁人は低木の重なりが集中している……シェルターの急所とも言うべき部分を蹴り抜いた。
互いに組み合わされていた為にドーム状に成っていた低木は、その自らの弾性で元の状態に戻ろうと跳ね上がり、被せてあった草葉を爆発したかの様にバラ撒く。
魁人は、それを目眩まし代りにすると、入口付近に居たソレの後に回り込み、チキンウイングフェイスロックをかけたのである。
「……! ……お前……」
くぐもった呻き声を発した相手を確認する。そこには半ば予想していた相手……角付きの鉄仮面が、ジタバタともがいていたのだった。
(さて、どうしたものかな……)
後ろ手に縛って拘束した角付きの仮面、それを見下ろしながら、魁人はソレの扱いについて悩んでいた。
その仮面の紋様と体格から、弓矢の射手で有る事は分かって居るのだか、例え殺気が感じられなくとも、一度は見逃した相手に、再び襲撃を受けたとなれば、そのまま無罪放免と言う訳には行かないであろう。
今日、感じていた気配が、射手の仮面であるなら監視か何かであろうが、例え襲うつもりが無くとも、まとわり付いて来られる事は、厄介以外何事でも無い。
しかも、事情を話し、自分が向こうと敵対する所か関わる気も無いと説明しようにも、そもそも言葉が通じないのである。
「予想はしていたとは言え、厄介だな……」
思わず魁人の口から溜め息が漏れる。
魁人が、そんな風に悩んでいる間、縛られて居る射手の仮面の方は、勿論、ただ黙って座って居る訳ではなく、ずっと魁人に向かって言葉を発し続けて居た。
「Oure adruthu……」
しかしそれは、捕らえられた事で、憤懣をわめき散らして居る……と言うより、自分に対し何かを懇願している……と言う様に、魁人には感じられた。
その事が余計、魁人の困惑を助長して居るのではあるが……
「取り敢えず、意志の疎通が出来なければ、どうにも成らないか……」
魁人は、そう呟くと、射手の仮面の言葉をじっと聞く。暫く聞いて居ると、耳に馴染んできたのか、幾つかの同じ単語を聞き取れる様に成って来たので、おもむろに、バックパックの中から、懐中電灯を取り出し、点灯させる。
「Aurua?!」
射手の仮面のその言葉を聞いた魁人は、続いてスマホを取り出し、電源を入れると、アラームを鳴らす。
「Hu?! aurua?」
それを聞き、おそらく「Aurua」と言う単語が「何だ?」と言う言葉に相当すると判断し、取り敢えず懐中電灯とスマホを指差して名前を説明すると、逆に、射手の仮面を指差しながら「Aurua?」と聞いて見た。
始めこそ、キョトンとしていた射手の仮面だったが、自分が訊ねられて居るのだと気が付くと、暫く考えてから「Syrzem」と答える。
「シャゼム……ね……」
それが固有名詞なのだろうと当たりを付けて、更に色々と質問を続けた。流石にシャゼムの方も、魁人が自分達の言葉を学ぼうとしているのだと気が付いた時には、一瞬、唖然とした表情を浮かべたが、やはり、お互いの言葉が通じない事に不自由を感じていたのだろう、直ぐに積極的に答え始めた。
魁人の学習能力の高さもあるであろうが、お互いに積極的に話し合った成果もあり、日が白み始める頃には、カタコトではあるが、意志の疎通を果す事が出来る様に成っていた。
「文法的には、英語に近いか……」
アクビを噛み殺して魁人が呟く。
『ナニ? もんだい?』
『イヤ、なんデモナイ』
シャゼムの言葉に、魁人は、そう答えた。流石に、ここまで話をしていた段階で、シャゼムの方に敵意が無い事が明らかに成った事もあり、拘束はといていた。
当初、魁人は、シャゼムは自分の事を監視するか、捕縛に来たのだと思って居たのであるが、話を聞いてみれば、どうやら魁人に“弟子入り”したくて追って来たのだと言う。
しかし、言葉が通じないと言う事が分かっていた為、どう切り出したら良いのか迷って居る内に、魁人が野営を始めてしまい、その戦闘技術に比べてあまりにも杜撰な野営警戒に(せめて見張りでも務めて、敵意が無い事を分かってもらおうと、した所で拿捕されてしまったと言う事らしい。
『あにきタノム、おれニたたかイかたヲおしエテクレ!』
そのシャゼムの言葉に嘘は無いだろう……そう思える程に真摯な気迫を感じるのだが……
(どうしたものかな……)
魁人は腕を組み、シャゼムを見下ろす形で困った様に唸り声を漏らす。シャゼムに付いて来て貰えるのであれば、この世界の常識を知らない魁人にとって、助かるのは確かであるが、それでも魁人には迷いがあった。
そもそも魁人は異邦人であり、目的としては地球に帰る事を優先したいと思っている。
であるなら、確実にシャゼムを鍛える事の出来ない自分が弟子を取る……と言うのは、余りにも不誠実では無いか? そう、思ったからである。
『……ソモソモ、なぜ、でしニナリタインダ?』
『あにきガつよイカラダ!』
満面の笑みで……尤も、目元は仮面で隠れているのだが……シャゼムがそう言う。
そんなシャゼムに、魁人は困惑の色を隠す事が出来なかった。
そもそも、シャゼムは、その所属する部族において上位の戦士であった。
あの時、魁人を襲ってきた3人……“弓矢の射手”“速き刃”“剛力”が部族のトップ3であり、魁人に会うまで負け無しでだったのである。
それ故の自信も自負も有ったのであるが……魁人と相対し、3対1で敗北した事で、その自信は木っ端微塵に打ち砕かれたのであった。それに……
(アニキ程、器のデカイ男には、合った事が無い……)
そう、感じていた。そもそも、敵対した相手を無傷で捕獲し、その上、敵意が無いとは言え、襲撃をして来た相手をあっさり赦し、今もこうして拘束を解いた上、シャゼムの話をちゃんと聞いている。
(アニキには、強者特有の“驕り”が無いんだ!)
言って見れば、それだけの事ではあるが、しかし今まで、シャゼムはそう言った相手に会った事が無かった為、その事に気が付いた時、シャゼムは、有り体に言えば、魁人の行動に感動したのである。
シャゼムの暮らす集落は総勢でも200名に足りない程度の、隠れ里の様な小さな村である。その中でシャゼムの様な戦士は50名程が居る。
狩りと戦を司り、村を守護する“戦士”の地位は高い。その筆頭となれば村長と同等の地位を得る事になる。
村内の秩序を司るのは、勿論村長の仕事ではあるのだが、それでも実力的に戦士筆頭を抑えきる事は困難である。
そして先代戦士筆頭は、傲慢を絵に描いた様な男であった。
村の生産系の者達を纏め、智に秀でた村長の言葉こそ、渋々聞く事が有りはするのだが、ソレ以外はやりたい放題だったのである。
村の娘を侍らせ、獲物や富を優先的に配分させて、その上、気に入らない事に対しては暴力に訴えた。
しかし、彼の強さは本物であり、それに憧れを抱く若者も少なくは無かった。
事実、そう言った取り巻き連中が存在していたのも確かである。
しかし、シャゼムはそう言った行いに眉を潜める方の者であった。それは、母親と妹が強引に、彼と、その取り巻きに連れて行かれ、愛娼同然の扱いをされた事も原因ではあった。
それ故にシャゼムは腕を磨き、先代戦士筆頭を打ち倒したのである。もっとも、その頃には、母も妹もそれぞれの相手の子を身籠ってはいた、しかし、だからと言ってその子供にまで恨みを持つ事はさすがに無かった為、新たな家族として受け入れたのだが……
シャゼムに敗れ、その時の怪我の為に狩りもまま成らなくなった先代は引退を余儀なくされ、村にはシャゼムを筆頭とした新たな戦士組織が作られる事に成った……が、やはり、それまで先代の下で美味い汁を吸って来た者にとって、シャゼムの台頭は受け入れがたい物であった。
それは、自身が旨味を啜れなくなると言った物も含まれるが、シャゼムが強者の特権をチラつかせる事を良しとしなかった為に、それまで力で押さえつけていた者達の批判が、その身に降りかかって来た為でもある。
しかし、そう言った者達の殆どが、先代に取り入っただけの実力の低い物だった事もあり、表立ってシャゼム達に批判をする様な事は出来なかった。
村の戦士たちのトップとなったシャゼムであったが、元々、力ずくでと言うスタンスが嫌いであった事もあるが、それでも増長し、自らの力を誇示しなかったのは、スウェルトとバダルム、二人の存在も大きかった。
そもそも、シャゼムが先代と戦って勝つ事が出来た大きな理由は、その対決……決闘が素手での物であり、最初に相手の足を奪う事が成功したからに過ぎない。
もし、開始と同時に奇襲気味に先代の右膝を砕く事が出来ていなかったら、シャゼムの勝利は無かったであろう。
それこそャゼムは、決闘の為の徒手空拳の技術と、狩りの為の弓矢の技術こそ高めてはいたが、それ以外は全くと言って高くは無い。
それこそ、スピードやナイフ術はスウェルトに全く敵わなかったし、力で言えばバダルムに遠く及ばない。だからこそシャゼムは増長する事無く、筆頭戦士として、長老とも仲良くやっていたのである。
そうして居る内に、シャゼムの後輩は育ち、シャゼム自身も狩りに、外敵の排除にと充実した時間を過ごしていた。
そして、この日、シャゼムは魁人と出会った。自身と同格であるスウェルトとバダルムを一蹴し、自慢であった組打ち術で遙かに先を行く強者であり、自身の理想でもある傲慢さを持たない器を兼ね備えた人物……魁人は言わば、シャゼムの理想を体現したような人物であったのだ。
自身と比肩する後輩も育ち、同格の戦士であるスウェルトとバダルムが村の守護者として居る今、シャゼムには魁人の教えを乞う事に躊躇など無かったのである。
しかし、そんな事情など知らない魁人にとっては、シャゼムは押しかけ弟子に過ぎず、低頭して教えを請われたとしても、自身の事情を優先したいが為に、中々、受け入れがたい物であった。
『おれハ、こきょうヘノきかんほうほうヲさがシテイルさいちゅうナンダヨ……ダカラ、オまえニおしエヲさずケテイルひまハなインダ……』
結局、魁人は正直にそう話した。シャゼムは決して話の通じない相手ではない事もあり、教えを受けたいだけであるなら、正直に話しさえすれば分かってくれると思ったからである。
しかし、それに対し、シャゼムの返答は予想の斜め上の物であった。
『ナラおれもいっしょニさがス! ソシテあにきのこきょうデおしエテモラウ!!』
「はあぁぁ?」
思わず魁人の口から、そんな間の抜けた声が漏れてしまったのも、無理からぬ事であろう。シャゼムは魁人の故郷……地球にまで来ようと言っているのだから。
しかし、それもある意味当たり前である。普通に考えれば、目の前の人物が、異星人や異世界人である等と誰が思うのか?
『イヤ、ソレハ……』
『だめナノカ?』
実際問題として、異星や異世界と言って、シャゼムが納得するのか? と言う問題も有るが、そもそも、そう言った概念を理解出来るのか? と言った問題も有る。
『イヤ、おれハちがウせかいカラきタンダが……』
『! あにきモ魔人族ナノカ? テッキリ神人族カトおもッテタノニ!』
『……ナニ?』
初めて聞く単語に魁人が眉を潜める。それに……
(アニキも?)
シャゼムの言葉をそのまま信じるのであれば、シャゼムの一族は魔人族と言う種族であり、尚且つ、異世界から来た……と言う事であるらしい。しかしシャゼムの一族の姿を見る限り、魁人の居た世界とは別の世界である事は確実であろう。
(だとすれば、何らかの異世界間移動の手立てが有るのかも知れない!)
魁人は、そう考えたのである。
兎に角、そう言う事であるのなら、詳しくこの世界の事を知らなければ、自身が帰還を果す手懸かりも掴めない為、シャゼムに魔人族と神人族に付いての話を聞く事にした。
『くわシクはなセ』
『エ? ア、ウン……』
シャゼムが魁人の剣幕に戸惑いながらも語ったところによれば、そもそも、この世界を作ったのは神人族の祖先とされる“ポルメレイ”であるらしいのだが、しかし、この神は創生にして破壊を司っていたらしく、幾たびもの破滅と再生を繰り返していたのだと言う。
だが、この破壊と言うのも、完全に世界を消滅させる……と言った物ではなく、その時生きていた生物の8割を壊滅させ、再び文明を築かせると言う、無駄に生き残った者たちが苦労する様な物であったらしい。
しかし、異世界……伝承によれば魔神界から来た魔神“ブアディル”は、そのポルメレイの行いを良しとせず、その破壊を止めさせたのだそうだ。
だが、そこは自身で作った世界の事である、その事を不満に思ったポルメレイとブアディルは戦争となったらしい。
この戦争の時、ブアディルが自身の世界であった魔神界から連れて来た彼の眷属が魔人族であり、シャゼムの一族は、その一派であるそうなのだった。
(様は、家庭内暴力を見かねて、お隣さんが怒鳴り込んで来た……って所か? ……確かに元の世界の者からすれば、大きなお世話って事に成るんだろうけど……ブアディルの気持ちも分からなくは無いなぁ……)
『ソレデ、ソノたたカイデ、オたがイニからだガばらばらニナッテシマッテ、いまマデさいせいシツヅケテいルンダ』
『……いまモ?』
『ウン』
そう言うと、シャゼムは天を指さす。
「?」
『アノそらニあル、ぶあでぃるノ“め”ガ、ソノしょうこサ!!』
「!!??」
それを聞き、魁人の背筋がゾワリと寒気を覚える。あの、丘の上で見た楕円形の天体、あれが魔神の目であると言うのなら、魔神とはいったいどう言う存在なのか?
(いや、天体の理由付けに神話を持ち出すなんて良くある話だ、たぶん、この逸話もそう言った物なんだろう……)
そう思う事で、魁人は納得する事にした。しかし、だとするなら、魔人族を連れて来たのは魔神と言う事になり、それは、異世界転移は神の力を借りなければ行えない……と言う事になる。
しかし、魁人は、シャゼムの語った物が歴史的な背景を持った物ではなく、神話の類で有ろうと結論付けた。神人族と魔人族の戦争の様な物はあったのであろう。恐らく、魔人族は侵略者側だったのではないであろうか? それが、神話と言う形で残っただけで、魔神界等と言った物は、単純に他の土地……外洋を超えて今の大陸に来た……といった様な物で、空想の産物なのだろう……そう考えたのだ。
(だとすれば、やはり、異世界を転移出来る方法なんて物はこの世界には無いって事か……)
そう考え、魁人は暗澹たる気分になった。