表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
18/43

第十七話 旅人と御令嬢

 御令嬢誘拐の事件からしばらく経って、魁人達は未だにホーリィの家に厄介になっていた。魁人の体を心配したホーリィが、彼を引き留めている……と言う事も有るが、魁人の治療に掛った費用をまだ彼女に返し終わっていない為でもあった。

 流石にエルニだけを働かせている……と言う現状は良くないと思った魁人が、ホーリィに「何か仕事は無いだろうか?」と訊ねた所、彼が働くことに関して、その場に居たシャゼム、エルニ、ホーリィの満場一致で却下された為、魁人は不承不承ホーリィの家で養生をしてる所だった。

 それでも、中央通り広場に有る井戸から水を汲んで運ぶ仕事は、動かないと、身体が鈍るから……と、言って、やらせてもらう事に成功した。

 これまでは、ホーリィの一人暮らしだった事もあり、3日に一度も汲み置きすれば良かったのだが、魁人達3人が増えた事もあり、毎日、汲みに行かなければならず、それについては申し訳無さそうな表情で「助かります」と、ホーリィは礼を言った。

 魁人は、むしろ自分達の方が世話に成っている事もあり、手伝う事が当然である……と思っていたのだが、お礼合戦に成る事を避ける為に「まぁ、気にしないで」……と、返しておいた。


「結構大変だな……」


 水瓶に水を汲み終わり、魁人は、そう呟いた。ホーリィの家に有る水瓶は、木製のバケツで5、6杯程度の容量ではあるが、彼女の家から井戸までの距離も有る為、その往復に、結構な時間を取られ、手間がかかったのだ。

 ただ、魁人であれば、バケツ2つ程度であれば苦も無く運べる為、その回数は減らそうと思えば減らせるのだが……如何せんホーリィの家に、水汲み用のバケツは1つしか無く、それは叶わなかった。


「手押し車……いや、一輪運搬車でもあれば、楽に成るのにな……」


 そう思った魁人だったが、そう言えば畑にしろ、街中にしろ、そう言った道具を見た事が無いな……と、思い付く。


(馬車の様な物や、荷車が有るんだから、在りそうな物なんだけどなぁ……)


 そう感じ、不思議に思う。しかし、文化や文明と言う物は面白い物で、不自然なほど高度に発達する物がある一方、不自然な程、発達しない物が有ったりする。

 地球の例で言えば、高度な天文学の有ったマヤ文明ではあるが、その反面、金属器や車輪等を使わない文化だったと言う。

 これは、同じ時代の文明に、既に金属器やコロ等があった事を考えると、あえて禁忌とした……と考える説もある……が、何にせよ、不自然な発展の仕方ではある。

 水を汲み終え、宛がわれている部屋へと戻る。部屋割りは、二階の二間の一室……かつてのホーリィの父親の部屋に魁人が、その隣、ホーリィの部屋にホーリィ本人とシャゼム、エルニが寝泊まりをしている。

 部屋割りについては、シャゼムとエルニが魁人と一緒が良いと主張したのだが、ホーリィの家主権限で、今の形となった。

 その為、決して広いとは言えないホーリィの部屋のベッドにホーリィと、まだ小さいエルニが寝て、シャゼムは床に毛皮と毛布を敷き眠っている。

 魁人は自分だけ一部屋を使わせて貰って居る事を心苦しく思ったのだが、やはり、未婚の男女が同衾する事は、この世界でも、あまり褒められた事では無いらしく、そこはホーリィに押し切られる形で魁人も承知をしたのだった。

 部屋へと入った魁人は、早速、柔軟をし、身体中の筋を伸ばす。

 養生しなければならない身の上とは言え、あまり体を動かさないで居ても、体調が整え辛くなると説明し、ストレッチと最低限の筋トレ、それと形稽古は行う様にしていた。

 何だかんだと、この世界に来てから戦闘をこなす事が多い為、あまり技が鈍ってしまう事を良しとする事が出来なかった……と言う魁人の本音もある。

 その、最低限の鍛錬と並行して、魁人は自分の見えている“色”についての考察と、ゴポープ・ヴォルーグとの戦いで感じた、“気”の運用の練習を行っている。

 “気”の運用に関しては手探り状態ではあるものの、元々、武術には運用に関する幾つかの伝承もある上、現代日本には奇書やオカルトの類ではあるが、それらの事が載っていたりする書物が有り、魁人も多少はそれらに目を通した事が有った為、それを参考にして試行錯誤をしているのだが……

 やはり……と言うか、“色”についての考察は、流石に魁人も前例にも類似にも心当たりがない事も有って、かなり難航している。

 それでも、“色”にしろ“気”にしろ、今後、この世界を探索するにあたって有用な力である事は確かであり、その術を磨く事は無駄では無いと、魁人は感じていた。

 先日、この世界の住人と、戦闘になった際、魁人が思った事は「全体的に練度が足りなくないか?」と言う物だった。

 それが、戦闘を専門に行っている者では無い事が理由にしても、一々の技の練り込み方や、技同士のコンビネーション、部隊運用で言えば個々の連携等が甘く、本来であれば有利であるはずの数の多さを生かし切れていないと思えたのだ。

 それについては、ヴォルーグについても同様の事が言えたのだが、ただ、ヴォルーグに関しては、個々の戦闘力で優れるが故の物だと魁人は思っていた。

 だが、それ程、個体として戦闘力の高くない神人族の、部隊としての練度の低さに魁人は思わず眉を顰めたくなった。

 実際に、最初に戦闘になったゴポープ族……シャゼム達の連携の方がまだ取れていたと魁人には感じられたのだ。

 それについては、シャゼム達の集落が、過去ヴォルーグの襲撃に遭い、酷い被害を受けた事で、“より強い個体に対応する術”を研究したからだと、魁人は彼女本人から聞いていた。

 だとすれば、個々の戦闘力で劣る神人族がそう言った集団戦闘の術を持たないのは、それ程、上位の強者との戦いを経験していない為、それと、圧倒的な数の多さ故であると、魁人は思ったのだった。

 何はともあれ、その辺の連携やら戦術やらの事は神人族内での話であり、魁人に直接関係する事柄ではなく、言わば部外者である魁人が口を挟む問題でもない為、それについては放置する事にした。

 むしろ、今問題にすべきは、魁人自身の戦闘力の引き上げである。この世界に来てから二度のヴォルーグとの戦闘を経て魁人が感じたのは、その異形に対する嫌悪感もさることながら、その個体としての強さに対する恐ろしさであった。

 魁人が、アベルト達と戦闘になった時、その身体の筋力、速度、耐久力に関して、普通の地球人と左程違いが無い様に感じた。

 だからこそ普通に打撃が通る事も有り、その制圧に関して(あまり策を練らなくても良かったかな?)と思ってしまったくらいなのだ。

 確かに、多少の遅延工作や、保険をかける事は必要だったとしても、一対一を演出したり自警団を待つ必要は無く、間違いなく魁人による速攻制圧で片は付いた様に思えたのだ。

 しかし、ヴォルーグに関してはそうは行かなかっただろう。恐らく普通の打撃では殆どダメージが入らず、その膂力に関しては、神人族のソレを遥かに凌駕している。

 その事は、ヴォルーグの攻撃――ラッキーパンチではあったが――を受け、咄嗟に打撃のベクトル方向へ跳ぶ事でダメージを受け流したにも拘らず、一発で意識を持って行かれそうになった魁人が、身をもって分かっていた。

 しかもそれは、ヴォルーグとしては、小柄な種類の個体の攻撃でなのだ。これが、通常サイズの相手だったとしたら、間違いなく、その一撃で終わっていただろう。

 耐久力に関してもそうである。通常の打撃では大したダメージにならないと思ったからこそ、関節を狙い、自重で潰れる様に投げ、内臓にダメージが入る様に急所を狙い続ける事で、何とか倒すことが出来たのだった。

 シャゼムから見れば、まるで当然の様に倒して見せていたように思えたのだろうが、魁人としても、かなり必死であり、ギリギリで勝利を掴み取ったに過ぎなかった。

 考えてもみて欲しい。一発でも食らえば即ゲームオーバーと言う状況で、懐に入り込み、その上、全ての攻撃をピンポイントで急所に入れなければ成らないのだ。それが、どれ程、難易度が高く、精神をすり減らすものなのか……

 今の、ヴォルーグとは、ほぼ確実に敵対しなければならない状況で、今後の探索を続けて行く為には、魁人本人の戦闘能力の向上は急務だった。

 特に、あの朦朧とした意識の中で掴みかけた“気”の運用は、武道の面から見ても有用であり、ある意味、今後、必須……と言って良い物だった。




 足を肩幅に開き力を抜く。鼻から息を吸い、口から細く長く吐きながら、その呼吸に合わせる様に腹部の……丹田(臍下3寸くらいの部位)と呼ばれる場所に大地から“気”を吸い上げる様にイメージをする。

 その、丹田に溜めた“気”を体の中心線の経絡にそって命門、水月、秘中、廉泉、烏兎、天道へと引き上げ、その各所から体全体へと巡らせる。

 その時に、自身の体に巡っている“気”を感じ取り、あたかも動脈、静脈を通る血液の流れの様に身体の中を循環し、体の内部が活性化するイメージを想像する。

 魁人はこの時、“気”を光の奔流の様なイメージとし、体の各所の経絡はその流れを受けて風車が回転し、勢いを増していると言う意識で活性化している……と言うイメージを創っていた。

 最初こそ、丹田に溜める……と言うイメージの為に、身体全体に巡らせるまでの時間にタイムロスを作っていたが、それも、少しずつではあるが、早くなっていっている。

 魁人は、自身の身体を活性化させると言うイメージで行っている為か、この鍛錬を行った後は、何かすっきりとした気持ちになった。

 だが、あの戦闘で行った様に、自身の内気に同調、連動させ、外気を操る……と言った境地にまではなかなか至らなかった。


「何と無く、“気”そのものは感じられるようになって来たんだけどな……」


 呼吸を整えながら、魁人がそんな事を口にする。感覚的な物ではあるが、目には見えていない“そう言ったモノ”を漠然と感じ取れるようになって居るのは確かだった。

 気配とも温度とも、勿論、気流とも違う“何か”……感覚的な物でしかないが、それを巡らせる事により、確かな“温み”を感じる事が出来る。だが……


「まぁ、まだ鍛錬が足りないって事か……」


 ただ、流れ、循環していることを確かめられる……と言った事しか出来ず、一所に留め、それを活用する……と言う、軟気功や硬気功と言われる様な、それらを武術に組み込める所までは、未だに行かなかった。

 実際の所、魁人の学んだ武術に、具体的な気功法を使った鍛錬と言った物は無い。単純に、気を腹部に溜める、全身に巡らせる……と言った様な行動の口伝が有るだけで有り、どちらかと言えば「腹部に溜める」>「重心を下に落とす」、「全身に巡らせる」>「リラクッスし、神経を行き渡らせる」と言った言葉の比喩で有り、その意味合いとしては、“そう言った部分に気を遣う”……と言う事を意識させる為の説明の仕方……と言った物であり、具体的な現象としての“気”の運用を説明した物では無かった。

 しかしそれでも、“気”が“有る”……と言った前提での鍛錬の基本が有る事を考えれば、もしかすれば失伝した鍛錬法の類ではあるかもしれないと魁人は考えていた。


(その口伝が存在した当時の人は、具体的な物として、“気”を感じていた可能性があるって事だよな? 近代になって、そう言った物がオカルト的な眉唾話と成った事で、形骸化し、失伝したって事なんだろうか?)


 実際に、未だ残っている口伝部分の鍛錬で、今の魁人の“気”の運用の取っ掛かり程度には成っている事を考えれば、その可能性を否定できない……それと同時に、その失伝してしまった部分の口伝を思えば、勿体無い……と言う思いが湧いて来る事は、仕方ない所だろう。

 こうして、鍛錬を始めて、魁人は気が付いたのだが、“気”と言う物は、かなりイメージに左右されてしまうらしく、少しでも「無理かな?」と思ってしまうと、全く使えなくなる。

 その事を考えると、時代が近代化された時に胡散臭い眉唾話の類であるとされた“気”の運用が、現在、失伝しまっている事は当たり前なのかもしれない……魁人はそう思った。

 事実、魁人にした所で、実際に経験し、それによってヴォルーグを倒す事が出来たからこそ、“気”と言う物を信じ、感じる事が出来るようになったのであり、地球に居た頃は、同じ鍛錬をしていた時、今と同様の成果を受ける事は無かったのだ。


「手で触れただけで相手が倒れるとか……向こうの常識ではオカルト以外の何物でも無いよな……」


 そう言って、魁人は苦笑する。結局、具体的な運用方法は、あの時の……ヴォルーグとの戦闘時の……魁人の記憶を基にして、その使用法を手探りで探っていかなければならず、その歩みは遅々として進まないのではある……が、それでも、その効果の大きさを知っている身としては、それを放置するなど、魁人には出来ないのである。

 それでも魁人としては、最終的なゴールが見えている為、現在の行動が労徒に終わると言う事が無いと分かって居る分、気分的には楽ではあった。







 ヤクシアーノ子爵家では、今着々とエリシュトールの帰宅の準備が進められていた。その中で、そのエリシュトール本人は、憮然とした表情で宛がわれているベッドの縁に座り、自分の衣裳を衣装ケースへと詰めるメイをただ黙して見ているだけだった。


「……御嬢様、そう不機嫌そうな、お顔をなさらないで下さいな……」

「…………」


 自分の言葉にプイっと顔をそむけるエリシュトールに、メイは眉根を寄せて溜息を吐く。しかし、メイとしても、このエリシュトールの心情は理解できなくはなかった。

 確かに、緊急避難的な理由でマナジスタに来たのは確かである。その騒動が収まったのだから、ミズナブールに戻るのは当たり前であろう。

 しかし、この旅は、エリシュトールにとって初めての遠出であり、また、今後は何時、同様の機会が有るかなど分からないのだ。

 結局、あの誘拐事件の後、リクリシトは、さらに警戒し、エリシュトールの自由に行動できる場所は殆ど無くなっていた。

 それこそ、市井を見て回るなど夢のまた夢……と、言って良い状態だったのだ。つい先日、今回の選挙にまつわる全ての事が終息した……と言う連絡を受け、リクリシトは一も二も無く帰宅を決めた。

 彼の立場からすれば当然の選択ではあるが、結局、ヤクシアーノ子爵邸で過ごすしか無かったエリシュトールからしてみると、折角、安全になったのだから、少しは観光にをしてみたいと思うのは仕方のない事ではある。

 ただ、リクリシトの弁によれば、シュミタールが失脚した今だからこそ、逆恨みによる報復を考え、防備を完全にしなければならないのだと言う。

 それにはやはり、マナジスタに居るより、ミズナブールに戻った方が色々と遣り易いと彼は言ったのである。

 その事自体はメイにも理解できる。しかし、これまでの事を考えると、ミズナブールに戻ったエリシュトールには、今まで以上に自由が無くなる事が考えられた。

 で、あるならば、最後の機会……と、言って良い今、多少の自由を与えても構わないのではないか? メイはそうも思ったのだ。


(そんな風に考えてしまうと、あのメイドさんも非難出来ないかしら……)


 そうメイは思った。ある程度、事情があったとは言え、確かに、このマナジスタに来てからのエリシュトールは、ヤクシアーノ子爵家に軟禁状態であり、芝居見物にすら出る事が無かった。

 話をすれば、エリシュトールが市井の生活等に興味を惹かれていた事は、直ぐ分かるだろう、結果的には大事になってしまったとは言え、エリシュトールの現状に同情し、手引きをしてしまったメイドの気持ちも、メイには分かる気がした。

 結局、かのメイドは、ヤクシアーノ子爵家を首になった。しかし、それだけで済んだ……と言う事は、仕出かしてしまった事を考えれば、十分、温情の有る沙汰だとは思う。

 そもそも、外部にエリシュトールの行動を洩らしたのは、彼女の恋人であり、その彼女は、まさか彼が、そんな事を仕出かす等とは思っても見なかった事だろう。

 その彼も、賭博によって嵌められたらしいのだが……その“彼”に付いては、おそらくヤクシアーノ子爵家を通じて、何かしらの制裁が有ったと思われる……のだが……流石にそこまでは、こちらとしても知ったこっちゃない……メイは、そう思った。


「…………」


 無言のエリシュトールが憮然と自分を見つめる視線に気が付き、メイは苦笑交じりに彼女を見る。何も言わなくとも、今、エリシュトールの考えている事は分かる……と言うか、ここ数日彼女が要求している事については、メイ自身、何度も本人から聞かされている事の為、嫌でも分かってしまうのだ。

 曰く……


「レウルトさんにお礼をしたいのです!!」


 と言う事らしいのだが……その心としては、彼の所に遊びに行って、彼から遠い異国の旅の話を聞きたい……と言う本音がかなり見え隠れしていた。

 レウルト……魁人とエリシュトールが話をした時間は、それ程長くはない。彼女が捕らわれていた時、格子窓越しに多少話をしただけである。

 だが、その短い時間であったとしても、魁人の語った遠方の土地……地球の国々の、その市井の、そこに暮らす人々の話は、エリシュトールの心の琴線にダイレクトで響いたのであった。

 もっとも、エリシュトールが魁人の事について話す内容は、自分を助けてくれた恩人……と言う事を強調する為、その見え隠れしている本音を差し引いたとしても、まるで白馬に乗った王子についての惚気を聞いている様にメイには感じられたのではあるが……

 それでなくとも、魁人と言う存在は、確かにエリシュトールの……そして、その実、マインゼン公爵家としても恩人である為、彼女の言い分は理解できるものでは有った。

 しかし、そんな事をリクリシトが許す訳も無く、結局、今まで、お礼に伺う所か、お礼の為にヤクシアーノ子爵家に招く事すら出来ていなかった。

 一応、リクリシトは「礼は言った」……とは語っていたが、リクリシトの今までの言動を考えれば、本当に“礼を言った”と言う程度で有り、お礼の品を送る……等と言った事をしているようには思えなかったのである。


「……ねぇ、メイ……」

「ダメですよ? 御嬢様」

「う……」


 メイの駄目出しに、上目遣いで頬を膨らますエリシュトール。そんな幼子の様な御嬢様に、メイは嘆息する。


「……お礼状を出す位であれば、ヤクシアーノ様にお願いできるでしょう……」


 その言葉を聞き、エリシュトールの表情がぱぁっと明るくなる。メイは嘆息しつつ、廊下へと出ると、ヤクシアーノ家のメイドを呼び止め、レターセットを持って来て貰った。


「それで、どの様な文にしますか?」

「あ! えーと、少し待ってもらえるかしら?」

「良いですよ? 御嬢様……」


 先程までの不機嫌さが嘘の様に、嬉々として手紙の内容を考えるエリシュトールを横目に見ながら、メイはクスリと笑い、旅の支度を再開する。

 メイは、エリシュトールの傍付きと言う立場ではあるが、文字の読み書きや、簡単な計算ができる。彼女は元々商家の次女であり、親がアイゼンマールに対し恩があった事も有り、マインゼン家へと奉公に出されたのだった。

 マインゼン家に入った彼女は、年も近い――と言ってもメイの方が6才程年上なのだが――エリシュトールの傍付きへと取り立てられ今に至るのだが、彼女等にとって幸いな事に、二人の趣味も近かった事も有り、まるで仲の良い姉妹の様な関係を築く事が出来たのである。


「メイ! 良いかしら?」

「はい、よろしいですよ? 御嬢様」


 それから然程も経たない内に、エリシュトールは手紙の内容を考え、メイは、それを忠実に書き上げる。


「えっと、長閑な日差し強まるこの時期、レウルト様、貴方はいかがお過ごしでしょうか?」

「………………」

「わたくしは、あれから、貴方を思い出さない日は無く…………」

「…………………………」


 が、まるで恋文の様にも感じられるその内容に、彼女は微妙な気分に成った……のだが、その事をエリシュトールに指摘する事が躊躇われ、メイは、そのまま言われた通りに書き上げる事にした。


「……ミズナブールにお越しの際は、ぜひ、当家にお立ち寄り頂ける様、心からお待ち申し上げます……この様な感じでどうかしら?」

「………………………………………………………宜しいのでは無いでしょうか?」


 メイは苦笑しながら、書き上げたそれを閉じ、便箋の封をする……しかし、エリシュトールは思案顔で首を傾げた。


「? どうなさったのですか? 御嬢様」

「……この場合、ちゃんと封蝋に印璽をした方が正しいのかしら? どう思います? メイ」

「…………そこまでする必要は無いかと…………」


 エリシュトールの言葉に、メイは苦笑しながら、そう告げた。正式な書状と言う訳でも無く、ましてや貴族同士のやり取りと言う訳でも無いのだから、そこまでする必要など無い。

 にも係わらず、エリシュトールが、そんな事を言い出したのは、やはり、“ちゃんとしたお礼状”と言う物に拘ったからであり、魁人に対しネガティブな感情を持たれたくない……嫌われたくない……と、思っているからだろう。


(随分、御嬢様は、そのレウルトと言う方をお気に入りなさった様ね……)


 リクリシト様が不機嫌に成る訳だわ……そんな風に思いながら、メイは支度を中断し手紙を受け取ると、それをヤクシアーノ子爵家のメイドに渡す為、廊下に出て行く。

 廊下に出て、メイは軽く嘆息した。リクリシトがエリシュトールに対し、ただの忠義以上の想いを寄せている事は、メイにも見てとれたからだ。

 しかし、仮にもエリシュトールの恩人と言って良い相手である魁人に対しての対応は、余りにおざなりに感じられる物だった。

 何せ、正式な礼を送る所か、相手の素性や名前すらマトモに聞いて居ないのである。彼の言い分では、相手は貴族であるお嬢様に奉仕する事が当たり前の平民であり、その場で口頭による礼を述べたのだから、それで十分……と言う事らしいのだが……


(お嬢様に悪い虫を付けたく無い……と言うだけでしょうけど……)


 男の嫉妬に「何だかなぁ」と言う気分になり、眉間を押さえつつも、メイは、どうすれは手紙が届くかを考える。

 相手について分かって居る事と言えば「レウルト」と言う名前と、旅人と言う事だけではあるが、それでも、自警団で調書を取ったと言うのなら、そちらから伝手を辿れば相手に行きつくはずではある。

 メイはその事も含めてメイドに言付ける事にすると、メイドの詰め所へと足を運んだ。そこで待機していたメイドの一人に、賃金と一緒に手紙を渡すと、メイドは恭しく頭を下げ、その手紙を持って、出入りの下男へと持って行く。


「返事が届くとまでは思わないけど、せめてちゃんと向こうへ届けば良いのだけど……」


 そんなメイドの後姿を見ながら、そう呟いたメイだったが、ここで、相手が旅人で有り、この町にはもう居ない可能性が有る事と、果たして相手が文字の読み書きができるのか? と言う事に思い至り(失敗した)と言う思いと共に、頭を抱えたくなったのだった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ