第十四話 変化した世界
久しぶりに投稿できました。
体を壊さないペースでやって行きますので、長い目で見ていただけると有難いと思います。
「その後、わたしの家で、お医者さんに見て貰ったんです」
そう言って、ホーリィは話を締めくくった。
魁人は話を聞き、改めて三人に頭を下げる。
「色々、骨を折って貰ったみたいで……有難うございます!」
『シャゼムとエルニも有難うな……』
「いえ! そんな! 救って貰ったのは、私の方もですし……」
『アニキの為だもん! 当たり前だろう?』
「お兄ちゃんが無事で……良かったです……」
三人の話を聞き、微笑みながらも、魁人はフと考える。
(なら、この色が見える現象は、頭を打った後遺症って事なのか?)
そうなのである。未だに魁人の目には様々な色が流れ、発され、現れては消えている様子が見えているのだ。自身の現状から考えれば戦闘による後遺症……と考えるのが適切だった。
一瞬、共感覚……と言う言葉が魁人の脳裏を過る。簡単に言えば、音や匂いが色彩として感じられる……と言った物である。
ただ、魁人の目に映る色彩は、必ずしも音や匂いと連動している様には感じられなかった。(ならば別の物なのだろうか?)そうは思いはしてもしっくりとくる説明が思い浮かばないのも確かなのである。
(この事は、相談した方が良いのか?)
魁人が、そんな事を考えていると、エルニが心配そうに彼の顔を覗き込む。どうやら、いきなり黙り込んだ魁人に不安になったらしい。
「お兄ちゃん?」
「あー、うん……何だ……」
気が付けば、シャゼムやホーリィも、気遣わしげに魁人の事を見ていた。魁人は苦笑すると、今、自分に起こっている現象を説明する事にした。
「それは……平気なんでしょうか?」
話を聞いたホーリィはそう口にした。見れば、シャゼムやエルニも同じ様な心境であるらしく、心配そうな表情で魁人の事を似ている。
話しては見たものの、魁人としても三人を不安がらせるつもりなど無かった為「似たような症例にも心当りは有るから」と言って、少し様子を見てみるのだと皆を説得した。
三人も、魁人がそう言うなら……と、不承不承ではあるが、頷いたのだった。
「それより、色々立て替えて貰ってしまったみたいで……ちゃんと、何としても返すから……」
そう言って、魁人が立ち上がろうとする。が、傍らに居た三人がそれを押し止める。
「まだ、無茶です……しばらくは安静にしていてください!」
『アニキ、休める時にちゃんと休むのも、体の為だよ?』
「……ここに居てください……」
魁人は頭をかきながら「しかし……」と口にする……と、ホーリィが微笑みながら意味有り気にエルニの方を見る。
「もし、お金のことを心配しているのなら大丈夫ですよ?」
「?」
「あたし、頑張りますから!!」
そう言って、胸の前でこぶしを握り締めるエルニの姿に、魁人は首を傾げた。
「ん? どう言う……」
「エルニちゃん、私と一緒に食堂でお手伝いをしてくれているんですよ?」
「え……」
魁人の眉間に、知らず皺が寄る。エルニの心遣いは有り難い……が、しかし、ヴォルーグが狙っているのが、この少女である以上、おおっぴらに彼女が、この城塞都市で動き回る事は、あまり好ましい事では無い様に魁人には思えた。
思わず魁人は、シャゼムの方を見るが、そもそも彼女にエルニを止める義理は無く、かと言って、シャゼムが街中で働く……と言う事も、問題があるのだ。
(……そもそもシャゼムは事情なんて知らなかったか……)
あの時、その場に居なかったシャゼムにソレを望むのは筋違いであると魁人は気付く。
幸いエルニが、存在するハズの無い、雌ヴォルーグであり、彼等が“王女”と呼ぶ存在である事は、今、魁人しか知らない。
ヴォルーグは、魁人の体から匂ったエルニの残り香から、彼女の存在を悟ったらしい。だとすれば、あまりエルニが他者と関わる様な行動は悪手ではないか? 魁人は、そう思わなくも無い。
しかし、ヴォルーグ達が、果たしてどれ程の精度でエルニの匂いを感知出来るのかは、正直、分からない部分でもある。
だが、魁人がエルニと関わって居ると知られたのは、何日間も彼女と、四六時中一緒に居た事、エルニが魁人に頭を擦り付ける癖が有る事も大きいと思われた。
エルニ本人か、魁人の様に四六時中一緒……と言う訳でも無ければ、多少の残り香程度であれば、問題ないのでは無いか? そうも思う。現に魁人本人は、エルニの残り香について言及されたが、シャゼムの方には、そう言った指摘は無かった様だった。
第一、何の咎も無いエルニが、理不尽に怯える様な生き方をしなければ成らないと言う事に対し、魁人は、憤りも感じていた。
(多少なら……)そう思ってしまうのは、すでに関わってしまっている事に対する、彼の希望的観測に過ぎない事は分かっている……が、魁人はそう思わずには居られなかった。
「あの……ダメだったですか?」
おずおずと上目使いで、そう聞いてくるエルニに、魁人は優しげに微笑むと、頭を撫でながら「駄目じゃ無いよ」と、そう言った。
エルニは魁人に、そう言われ、嬉しそうに笑顔を見せる。と、魁人は彼女が、今まで異形の存在に囲まれ生きて来ていた事を思い出す。
(自分に近しい姿の者の中に居るから、安心している……って事か?)
実際、種族としては別の存在では有るが、しかしエルニの容姿について言えば、異世界人である魁人より余程、神人族のソレに近い。
例え本来の種族だったとしても、著しく姿の違う者達に囲まれて生きて行く……と、言うのは、見た目による自己肯定が出来ない分、不安の募る生活だったのだろう……魁人は、そう思った。
「……あまり……無理はするなよ?」
魁人は、そう言ってエルニの頭を撫でる。エルニは気持ち良さそうにめを細め、はにかんだ。
そんな二人の様子を微笑まし気に眺めていたホーリィが気が付いた様に口を開く。
「あ、あの、瞳の事何ですが、気になる様でしたら、術師の方に診て貰ってはどうでしょう?」
「術師?」
「は、はい! 原因の分からない不調等は、割りと診てもらうんです!」
「……医者では無く?」
「怪我とか病気ならともかく、それ以外は術師の方か教会に行くのが普通だと思うんですが……?」
「成る程」……と魁人が呟く。その様子にホーリィが首を傾げた。
「えっと、何か?」
「ああ、いや、俺の居た国だと、医療が発達していてね、人の不調の一切は医者の仕事だったから……」
「え? 術師や教会の仕事は?」
「……魂の救済……かな?」
「……深い……です? ……ね?」
良く分かって居ないようなホーリィの様子に、魁人は苦笑する。確かに、魔法と言う手段が有り、それが実際に有効な世界において、魁人の居た世界の宗教感は理解し辛い物かもしれなかった。
『……何の話をしてるんだよ……』
それまで黙っていたシャゼムだったが、皆が愉しげに話をしている中で、一人だけ放置されていると言う状況に我慢ができなく成ったらしく、頬を膨らませながら、そう言った。
『ああ……いや、俺の目の事でな、もし気になるなら術師に診て貰った方が良いかなってな……』
『うん? ああ、そう言えば、オレの村にも枯れ葉のばっちゃんが居たなぁ……』
(こっちの世界だと、術師は一般的なのかな? ……いや、でもレイダさんは、あまり神術は見ないとか言って無かったか?)
そんな風に魁人は思い、ホーリィに訊ねる。
「……術師って言うのは、一般的なんですかね?」
「え? 確かに、あまり頻繁にお世話に成る相手では無いですね……それなりに費用も掛かりますから……それでも教会の喜捨よりは……ね……確かに神様の奇跡と神術のそれを比べるなんて、してはいけない事なんでしょうけど……」
言い辛そうにホーリィがそう言う。それなりの高額の費用が掛かる為、術師にしても教会にしても、それ程、気軽に利用……とは行かないらしい。
だとすれば、ホーリィは余程、魁人を心配している……と言う事なのだろう。最終的に魁人自身がホーリィに払って貰った分を返すつもりで居るとは言え、結局は、それまでの間はホーリィに立て替えて貰うしかないのだから……
魁人が現金の持ち合わせが無い事は、ホーリィも承知している事である。にも関わらず、こうして術師にかかる事を進めて来る……と、言う事は、少なくとも、その分の立て替えをするつもりが有るからだろう。
ホーリィ本人が「あまり裕福では無い」……と、申告していた事を考えると、ここまでしてくれる……と言うだけでも、随分借りを作ってしまったかも知れない……と、魁人は思った。
「まぁ、暫くは様子を見ますよ」
少し考えた後、魁人は結局、そう言った。
その魁人の言葉を聞き「そうですか……」と、やや残念そうに言ったホーリィだったが、思い出した様に、次の話を始める。
「あ、それと、この町付近にドルグズが出たって事は、自警団の方にも連絡しておきましたから……」
「安心してくださいね」と言わんばかりの笑顔で、ホーリィが告げた。マナジスタから半日の場所に、魔人族の……それも敵対的な行動をする種族が出たのだから、それを報告するのは当たり前だろう。
しかし、それを呼び込んだ元凶と思しき人物を腕に絡み付かせている魁人としては、何か複雑な感情が湧き上がって、何とも言えない気持ちになる。
(大局を見れば、犠牲に成る者が少ない方が良いんだろうけどな……)
だがそれでも、最初に出会った時の怯えていた彼女の事を思いだし、魁人はエルニをドルグズ……ヴォルーグ達に引き渡すと言う選択をする気には成れなかったし、魁人の感触としては、真っ当に鍛えている者であれば、そうそうヴォルーグに後れを取るとは思えなかった……と言う事もある。
と、そのホーリィの言葉を聞き、同時に1つの懸念事項が浮かぶ。
『なぁ、シャゼム』
『何だよ、アニキ』
『この都市の外部警備が強化されそうなんだが、スウェルトとバダルムは大丈夫かな?』
『オレは帰れとは言ったんだ……その上で残ってるなら、自分達で何とかすると思うよ?』
『……そうか……』
仮にも同族の事だと言うにも関わらず、随分とドライな反応のシャゼムに、魁人は内心(それで良いのか?)と首を傾げる。しかしその辺りの距離感については、第三者が口を挟む様な事でも無い為、この対応は、彼女が同族の仲間二人の実力を信頼しているからこその物なのかも知れない……と、そう納得しておいた。
それ故に、それ以上、魁人の出来る事と言えば、スウェルト達二人の無事を祈っておく事だけだった。
ともあれ、マナジスタの自警団がヴォルーグの事を気にかける……と言うのであれば、魁人としても、申し訳無い反面、有り難かった。
(そうなると問題は、向こうが、どれ程、エルニに固執するかか……)
仮にもエルニは、“王女”と呼ばれる、存在するハズの無い雌型のヴォルーグである。しかし現状、その群れの中での彼女の役割等は不明であり、明確にどれ程必要とされているのかが分からない。
しかし、2度に渡って追跡があり……その上、2度目に至っては、諜報、暗殺特化と思しきグループで有った事を考えると、エルニの重要度は高いと考えられるのだが……
(大事に育てられて居た事は確かだけど、育ての親を殺している事を考えると、まともな扱いに成るかどうかには疑問が残るか……)
ふと、エルニの事を身内の様に考え、彼女の身に不幸な事が降り掛からない様にと案じている自分に、魁人は苦笑する。
元々、偶々関わっただけの娘であり、最初は、この城塞都市に届けて終わりにするつもりだったのに係わらず……だ。
(シャゼムには謝らなくちゃな……)
溜め息を吐きつつ、魁人はそんな風に思う。そもそもエルニを同行させる事に、シャゼムは最初から否定的だった。
それにも係わらず、今まで彼女を町に預けて居なかったのは、偏に魁人が、エルニが不自由な目に遭わない様にと思ったからであり、関わった相手が不幸に成る事を厭う、日本人的な……ある意味で偽善的な感情からでしかない。
しかし今、最終的には、この世界に置いて行くしか無いとは言え、最低限、普通の暮らしが行ってゆけるであろう所までは、関わりたいと魁人は思っている。
だがそれは、シャゼムとの約束を破る事ではあるのだ。
『……なぁ、シャゼム……』
突然、自分に声を掛けられ、シャゼムは眉根を寄せながらも『何?』と、魁人に返事を返す。
『……暫くエルニを同行させようと思う』
『…………』
魁人の予想通り、シャゼムは眉間に皺をよせ、不機嫌そうな表情をつくる。
魁人は(やはりそうだよな……)と思ったが、それでも前言を撤回するつもりなど無く、シャゼムの目を見つめる。
と、シャゼムは何か言いたそうに口をモゴモゴと動かしていたが、自身の左手に視線を移す……と、目を瞑り、やがて……
『……アニキがそう決めたなら……』
いまいち、納得などして居なさそうではあったが、コクリと頷きながら、シャゼムはそう言った。
『悪いな……』
そんなシャゼムに魁人が謝罪の声を掛けると、シャゼムは、やや頬を赤らめながら、プイッと、横を向く。
魁人は、そんなシャゼムの様子に苦笑しつつ、次いでエルニに視線を向けた。エルニは先程までの二人の会話から、自分が何を言われるのか予想したらしく、神妙な顔付きでゴクリと喉を鳴らした。
『エルニ、俺達と来るか?』
『………………!! はい!!!!』
そして彼女は、満面の笑顔で、そう、答えたのだった。
近くで、あまり騒がしくしていると怪我にも障るだろう……と言う事で、女性陣3人は、部屋を出て行く。
その時、借りたお金を返したら、早目にこの町から離れると言う事をホーリィに告げると、彼女は寂しげに「そうですか……」と言ったのが、魁人の印象に残った。
魁人は、自身の手を握ったり開いたりしながら、先程までの皆が居た時の光景を思い出し、思案をする。
(オーラ? ってヤツなのか?)
今も魁人の目に見えている“色”についてである。先程まで見ていた感じだと、それらの“色”は、薄く淡い物があちこちに漂っているのだが、生き物からも放出されている様に見えたからだ。
ただし、それは一方的に放出しているだけでは無く、時折、身体にまとわり付いて来たソレをそのまま吸収しているかの様に見える事が度々有ったのである。
それ故に魁人は、ソレ等の色をオーラかと思ったのだが……しかし、そうであると断定できるだけの判断材料は無く、先に感じた“気”のソレともまた少し違っている様に感じられた。
そもそも、吸収している……と言う時点で、魁人の想像しているオーラのソレとも違っているのである。
ただ、観察している限り、人から発せられる物に関して言えば、おそらく感情に影響を受けている様に見えた。
先程の皆と会話をしていた時、彼女達の感情の動きに合わせて……であろう、その色は確かに変化していたのである。
(……今の所、実害は無いけど……)
自身にまとわり付いている“色”を眺めながら魁人は考える。実害が無いとは言え、得体の知れない状態……と言うのは、あまり気持ちの良い物ではない。
しかし、原因の確定も現象の説明も儘ならない今、それこそ術師にでも頼らなければ、はっきりとした事など何も分からないだろう。
だが、現状を鑑みるに、実害の無い今現在、相応に高額に成るらしい術師や教会を頼るのは、後回しにするしか無かった。
魁人は溜め息を吐くと、立ち上がり身体の調子を見る。各所の関節をゆっくりと動かし、筋を伸ばすようにストレッチを行と、先程は聞かなかったが、随分と長い間目覚めていなかったらしく、体のあちこちの筋が固まっていて、キシキシと音を立てる。
打撲特有の鈍い痛みが、体のあちらこちらからしはするが、それでも動きを妨げるほどでは無く、修行開始当時のボロボロにされて居た頃の事を魁人は思い出した。
「あの時は、筋肉痛と打撲で、熱まで出してたっけか……」
身体に致命的な痛みがない事を確認しながら軽く跳ね、構えをとると左右のパンチを繰り出し、蹴りを放つ。一通りの技の動きをした後、呼吸を整え、自身に問題が……格闘時に支障が無い事を確認し、魁人は満足そうに頷いた。
自身の身体に問題が無いと成れば、エルニだけに働かせておく訳にも行かないだろう。未だ、向こう……地球では大学生であり、あちこちの道場に入り浸っていた魁人は、アルバイトの様な事の経験は無い。しかし、世界の様々な国をフラフラと旅をして回って居た時に、現地で日銭を稼ぐために様々な仕事の手伝いをした事は有る為、そう言った感じの物で、何か金銭を稼ぐための手段が無いか、ホーリーに訊ねようと魁人は決めた。
(でも、また、彼女に頼る事に成るなぁ……)
そんな風に思い、複雑な心境で魁人は苦笑する。確かに、彼女から護衛の仕事を受けたのは確かであり、襲って来たヴォルーグを倒したのは魁人達ではある。
しかし、元を正せば、ヴォルーグが襲って来たのは魁人が居た為でもある。確かに、ヴォルーグは女を攫い子供を作らせる種族であり、魁人の存在が無かったとしても、ホーリィは襲われた可能性は高い。
だが、そもそもの元凶と成る物を知っている魁人としては、その後のホーリィから受けた恩を含めて、一方的な借りを作ってしまっている様に感じていた。
何はともあれ、三人に止められている以上、今日、このまま仕事を探しに行く……と言う訳にも行かない為、魁人は大きく深呼吸をして意識を切り替え様と、窓に向かった。
「? 何だあれ……」
部屋は二階にあったらしく、窓の外には、良く晴れ上がった空と、まるで迷路の様に道が伸びる街並みが見える。しかし、その景色には、相変わらず様々な“色”が移り込んでいた。その色が、今は人の感情によって色彩を変える物だと分かって居る魁人は、それぞれが人の感情なんだと思うと、何やら不思議な気持ちになった。
その中に、一際、魁人の視線を誘う物が有った。深く濃い紺……先程ホーリィが見せた落胆と同系色の“色”……つまりはそこに、ひどく落ち込んだ人間が居る……と言う事である。
軽く周囲を伺ってみるが、多少の気落ち……と言って良い程度の“色”を見る事は出来る。しかし、魁人の見付けてしまった程の暗い“色”は、他には無かった。
(相当に落ち込んでいるって事なのか? しかし……)
そうは思いはしても、流石に判断材料が少なすぎた。今の、この現象にした所で、今日、目覚めた時に何故か起こって居た事でしか無く、魁人自身、何が原因かも、どう言う現象であるかも分かってはいないのだ。
“色”の変化にした所で、この短時間に起こった事からの推察でしかなく、間違っている可能性も高いだろう。
(だけど、合って居たら?)
確かに普段であっても、目の前に、あからさまに落ち込んでいる者が居れば、気にかける位はする。しかし、現状姿すら見えない相手であり、その見知らぬ相手が落ち込んでいる……と言う事が分かるだけなのである。事実、魁人とは全く関係ないにも係わらず、何故か今は、それが気になった。
(人は絶望で死ぬ事もある……)
もしかすると、感情が目視できる事で、魁人の精神が感情と言う物に対し、やや過敏になって居るのかもしれない。
もしくは、未知の世界に放り出されている自分自身が希望を持てていると言う事が、実は薄氷を踏むような事態でしかない事であり、何時、絶望に身を委ねてしまうかもしれないと言う事に対し、無意識に反応をし、その事に対してナーバスに成っているが故かもしれないが……
特に今は、九死に一生を得た所であり、自身の命の危うさを思い知った事も関係しているのかもしれない。
ともあれ、今、魁人は酷く落ち込んでいるであろう、その感情の持ち主の事が、酷く気になったのだ。
「……レウルトさん? まだ、起き上がっちゃ駄目ですよ!」
魁人が廊下に出て階段を降りると、10畳程の広さの部屋に成っていて、そこには大きめの作業台が置かれている。
その作業台には、まな板やら薬研やら、乳鉢やらアルコールランプやら……他にも魁人が見た事もない様な器具が置かれていて、あたかも実験中の理科室の様相を呈していた。
壁を見れば、3、4段程の木製の棚が取り付けられていて、そこには素焼きの瓶が所狭しと並んでいる。天井付近には、幾本もの紐が張ってあり、そこには、おそらく薬草であろう葉が陰干しされていた。
こうして、神人族の生活している世界を見ると、つくづく人間に近しい生活体形を持っているものだと感心してしまった。身体の構造特徴が同じであれば、その使用する道具も似通た物に成るのは当たり前ではあるが、それでも、そこには驚きが混じる。
その、作業部屋のテーブルでは、ホーリィが、今、正に薬草を煎じて居る途中であり、2階から降りてきた魁人を見て、その行動を咎めたのであった。
「あー、ベウルさん……いや、一寸、外の空気が吸いたくなって……」
頭を掻きながら、魁人は、そう言った。しかし、流石にその言い訳が通る事は無かった。
「ダメですよ! どれだけ、わたしがし…………皆が心配したと思っているんですか!!」
腰に手を当てて怒っているんですよ……と言うポーズをしながら、ホーリィが言う。魁人は「はぁ、すみません」と言いながら、そのまま階段を下りるが、ホーリィはそんな魁人の前に立ち塞がって外に行かせないようにする。
(さてどうするかな?)
魁人はそう思いながら、周囲を観察すると、少し疑問が出て来た。
「……シャゼムとエルニは?」
「え? ああ、はい……」
そう訊ねる。下に降りて来て見ると、その作業部屋からは、扉の無い入口を挟んでカウンターが見え、どうやらそちら側は、薬を売る店舗であるらしい。
当然、2階には人の気配は無かった為、そうであば他の皆は1階に居るのだろうと思っていた魁人だったが、実際に下階に来てみれば、ホーリィ以外の人間は居ない。魁人の疑問も当然だろう。
そんな魁人の質問に、ホーリィは朗らかに答える。
「エルニちゃんとシャゼムさんは、お店ですよ?」
「お店? ……って、食堂だったっけ……?」
「ええ、そこです!」
「…………シャゼムは外に出ても大丈夫なのか?」
「……えっと、お化粧とフードを被っていれば、何とか……流石に働くとなると、言葉が……」
ホーリィの言葉に、魁人は「あー」と、声を漏らす。しかし、だとすれば何故外に出たのか? と言う疑問が湧く。
と、ホーリィが訝しげな魁人の顔を見て説明を始めた。
「エルニちゃんの付き添い……と言いますか、護衛と言いますか……」
ホーリィの話によると、流石にエルニが働くとなると、保護者が必要だろうと言う事で、ホーリィかシャゼムが付いている事にしたと言う。
町には慣れて居ないであろうシャゼムではあるが、物覚えは良く、すでにこの辺りの道順や周囲の状況は把握しているらしい。
そう言われると、確かに魁人が技を教えて居る時も、飲み込みは早かった様に思った。
現在は、魁人の看病も有る為、シャゼムかホーリィが家に残る様にして、一人は必ずエルニに付く様にしたらしい。
昼まではホーリィが自身のバイトのついでにエルニを見ていた為、今はシャゼムが彼女に付いているとの事だった。
(……まぁ、問題が無いのなら良いか……)
魁人は、そう思った。だとすれば、現状、ホーリィだけをどうにか出来れば、魁人は外に出られる……と、言う事になる。
ただ、「深い悲しみの“色”が見える」と言って説得などした場合だと、危険かもしれない……と言う理由で出しては貰えない可能性が高く、上手く外に出られる許可が貰えたとしても、付いて来られてしまうだろう。
正直、魁人一人だけであれば、逃げるにしても、どうにでもなる。土地勘こそ無いものの、危機回避能力に付いては、そこそこ魁人には自信が有った。
もっとも前回の件では、自身の危機の回避より、周りの人達の脅威を無くす事を優先した為に、自身が瀕死の状態になってしまうと言う事に成ってしまったのだが……
「……分かりました、大人しく寝ています」
「そうして下さい」
そう言うと、魁人は頭を掻きながら、二階へと上がって行った。ホーリィは、大人しく引き下がった魁人を見て、ほっと胸を撫で下ろすと、再び、内臓の腫れなどを抑える薬効のある薬湯を作り始めたのだった。
トントンとホーリィが階段を上がって行く。その手に持ったお盆の上には、薬湯の入ったカップと、卵と果実酒での入った麦粥があった。
(早く良くなってもらわないと……)
軽く笑みを浮かべながら、ホーリィは、そんな事を考える。
(「傷が治ったら、なるべく早めに町を出ようと思ってます」)
(…………)
先程、魁人に言われた言葉を思い出し、ふと表情が暗くなる。ホーリィにとっても命の恩人とも言える相手である。早く治って欲しい……と言う気持ちに嘘など無い……無いのだが……
ホーリィは頭をブンブンと振ると、気持ちを切り替える。
(怪我をしている人の前で、暗い顔をしていてはいけませんよね!)
そうして笑顔を作ると、ホーリィは、魁人の寝ている部屋のドアをノックした。
コンコンコン……
「…………」
コンコンコン……
「………………」
コンコンコン
「………………………」
「眠っていらっしゃるのでしょうか?」
先程、魁人が下に降りて来てから、左程経ったわけでは無いが、だが、やはり、体は疲れていた……と言う事であろう……ホーリィは、そう納得した。
もし眠っているのであれば、少し様子を見ておこうと思い、ホーリィはそっとドアを開ける。
「…………………………え?」
当然、眠って居るであろうそのベッドに、魁人は居なかった。窓は開け放たれ、心地よい風が室内へと入って来る。
その部屋の中で、ホーリィは何が起きているのか分からず、呆然と空になったベッドを眺めるしかできなかった。




