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バゼット・バークローリーの夢幻紀行

とある旅の道すがら

作者: 和仁

 見上げた空の、眩しいほどの青さに目を眇める。

 久々にこの目に拝んだ太陽が、いつにもまして燦然と輝いているように見えた。

「やっぱり、晴れの日は気持ちいいな~」

 つい独り言までこぼれる始末。

 ここのところずっと雨が続き、じめじめと肌にまとわりつくような重苦しさに嫌気がさしていたところだ。

 しがない旅ガラスである彼にとって、道中の雨は不運。服も靴もぐしょぐしょになって気持ち悪いことこの上ない。時として降り注ぐ雨に心躍らされることもあるけれど、やはり晴れているのが一番気持ちがいい。

 宿の窓から外を覗かせて彼は満足げにうなずいた。

 彼は背が高く、ほっそりした体に着古して擦り切れたシャツとズボン。年は十七、八頃だろうか。濃い紺色の瞳を太陽のように輝かせた彼は、いつもの青年らしい落ち着いた精悍な顔つきとは、また違った表情を見せていた。

 手入れの行き届いていない、寝癖交じりのくしゃくしゃなダークブラウンの髪。だらしないというよりは外見を気取らない、少年らしい気安さがにじみ出ていた。

「ああ、バゼット君。おはよう」

 バゼットが覗く窓の下から、彼を呼ぶ声がした。

「あ、おはようございます。クラインさん」

 クライン夫人は洗濯物を干している最中らしく、一時その手を休め、こちらを見上げて手を振っていた。バゼットもつられて彼女に手を振り返す。

 クライン夫人はこの素朴で気持ちのいい安宿の女将らしく、柔和で豪快な、恰幅のいい壮年の女性だった。彼女のファーストネームはエルシーといったが、バゼットは年上の女性の名前を気安く呼ぶような無作法はしない。それに既婚者である彼女には、クライン夫人という呼称の方がふさわしい。

「洗濯物ですか? 精が出ますね」

「ここのところ雨が続いたからね。こういう天気のいい日に、たまりにたまった洗濯物を一気に片付けちまうのさ」

 彼女はカラカラと笑いながら、いつもの倍の量はあるだろう洗濯物を、バシンと豪快に広げて天日に干していた。

「本当に今日は良く晴れそうだ」

「まったく、今までの雨が嘘みたいだよ」

「あ、俺も後で水場を借りていいですか? この機会に、たまった旅の汚れをこのきれいさっぱり洗い流そうかなー、なんて」

 バゼットはだめもとでクライン夫人に申し出る。

 旅をしている以上、服を洗う機会なんてほとんどあるわけがなく、汚れ物はたまる一方だ。旅の途中でも暇を見つけては洗濯したりしているが、ほとんどの場合は着たきりすずめ。替えの衣服だって大量にあるわけじゃないから、一週間、長いときは一ヶ月近く着の身着のままだってこともざらじゃない。

 だからこそ彼は、人里に立ち寄るたびに極力衣服を洗濯することにしていた。

「ああ、かまわないよ。今までの旅でいろいろ汚れ物もたまっているだろう。水場は好きに使うといい。ロープを用意しておいてあげるから、そこに干しておきな。今日中には乾くだろうよ」

 夫人は心よく了承してくれた。

「ありがとうございます」

「ちょいと待ちな」

 早速仕事を済ませてしまおうと、洗濯物をまとめ始めたバゼットに声がかかる。一体何事かと、一度は引込めた頭を窓から出した。

「なんですか?」

「仕事が早いのは美徳だけど、朝食は済ませたのかい?」

「え? いえ、まだですけど」

 と言った途端、 空腹を訴えるようにくぅ~とお腹が鳴った。

「なんだい。だったら先に朝食をすませてきな。一階でアイーダが用意しているはずだから」

「はい」

 クライン夫人に笑われ顔を真っ赤にしたバゼットが小さな声で返事をした後、思い出したように「ありがとうございます」と笑顔で付け加えた。




 一階に下りると、クライン夫人が言ったとおりアイーダが朝食の切り盛りをしていた。

 アイーダというのはクライン夫人の一人娘だ。年はバゼットよりは若干下で、十六、七というところだろうか。彼女に父親はなく、母親と二人で宿を切り盛りしているせいか、母親同様、気さくでさばさばした性格の気立てのいい女性だ。

「あ、おはよう。よく眠れた?」

 バゼットの存在に気がつくと、アイーダはにこやかに声をかけてきた。年が近いせいか、彼女は会ったときから気安くバゼットに話しかけてきた。おかげで、バゼットも彼女に対しては同年代の友人に接するような態度で接している。

「おはよう、アイーダ。おかげさまでグッスリと」

「それはよかったわ。あ、そこに座って」

 バゼットはアイーダに促されて席に着いた。

 まだ陽が昇ったばかりだと言うのに、既に幾人かの客の姿がちらほら見える。宿泊客ではなさそうだから、朝からの入店客なのだろう。宿泊客のためだけに朝食を用意するよりは割がいいのだろうが、朝からご苦労なことだ。

「今朝はふわっふわのスクランブルエッグに焼きたてのバターパン。それから昨日の残りのシチューよ」

「わぁ~」

 目の前にテキパキと並べられて、そそり立つ食欲に心が踊る。

「いただきます!」

 焼きたてのパンはふわふわで柔らかく、半熟のエッグもとろみが効いててなかなかいける。昨日の残りとはいえ、一晩寝かせたシチューは濃厚さが増して、昨日食べた時よりも深みの増した味がまたおいしい。

「ねえ、今日はどこに行くの?」

 いつの間にかアイーダば目の前の椅子に座ってこちらを見つめていた。

「うーん。どうしようかなぁ」

 バゼットはどぎまぎしながら曖昧に答える。

「せっかく天気が晴れたんだし、街のいろんな名所でも巡るってきたらいいんじゃない?」

「そうだね。ずっと雨続きだったから宿にこもりがちだったし、気軽に散歩するっていう感じでもなかったしね。ちょっと散歩がてら、その辺ぶらつくのもいいかもしれないな」

 ここのところずっと雨続きだったせいか、バゼットはこの街に滞在して既に数日は過ぎていた。その間、彼はこの街の教会や美術館などの観光地をいくつかを観てまわったりしていたが、もっぱらこの店にくる連中とのゲームや会話をして楽むことが多かった。ここの居心地がいいのもあるが、雨の日に外に出ることの億劫さから、外出を控えていたせいだ。

 宿屋を営んでいる店ならば、大抵は一階部分を食堂として解放し、二階が泊り客のための部屋となっていることが多い。この店もその例に漏れることなくそういった類の店で、昼夜問わず大勢の客で賑わいを見せていた。大抵はこの街の住民や常連客たちばかりが集まってきたが、中にはバゼットのような旅人もやってくるため集まる情報、会話の種類はさまざまだ。

 地元の住民が直に語る街の暮らしぶり。同じ旅人同士、周辺地域の情報交換など、飛び交う会話はなかなかに面白く、雨続きだからといって飽きることはなかった。

「ふふふ。そうね」

 アイーダは軽くにっこり微笑んだ後、少し不満げにため息をついた。

「あーあ。案内してあげられたらいいんだけど、店の仕事があるから」

 ごめんね、とアイーダは残念そうに肩をすくめた。

 こんな店を切り盛りしていたら。休む暇もないだろう。女だけで切り盛りしているこの店は意外と周囲の評判が高く、小さいながらにいつも客が溢れんばかりに訪れた。主に男性客が。

「気持ちだけで十分だよ」

 昼間には幾人かのお手伝いさんが来るとはいえ、一番忙しい時間帯の切り盛りを任されているのだ、無理を言って彼女を連れ出すのははばかれた。

「ごちそうさま。どれもとてもおいしかったよ」

「ふふ。それはよかったわ」

 お皿の上の料理をきれいに平らげたバゼットは、朝食に添えられた絞りたての牛乳を飲んで一服する。

「さて、と。あたしもそろそろ準備を始めなくちゃ」

 そうこうしているうちにクライン婦人が洗濯から戻ってくるのを見て、アイーダがよいしょと席を立った。

「じゃあ俺も、ちょっと一仕事してから出かけてくるかな」

「一仕事? 一体何をするの?」

「ちょっとね」

 驚いて目を見張るアイーダに、手で洗濯物を干すジェスチャーをしながらにやりと笑ってみせる。

「紐は外に用意しといたからね」

 というクライン夫人の声を聞きながら、バゼットはあてがわれた自室に戻っていった。



「んん――っ。やれやれ。こんなところかな」

伸びをしながらバゼットは立ち上がった。

 洗い終わるのにやたら時間が掛かってしまったが、バゼットは洗濯物が天日に干され、風になびく姿に達成感を感じていた。

「あ、終わったの?」

 窓から顔をのぞかせたアイーダが、頃合いを見計らって声をかけてきた。

「うん、これで全部。さすがにずっと座りっぱなしで腰が痛いよ」

「あはは」

 バゼットが疲れた様子で笑いながら腰を叩くと、アイーダもつられて笑った。

「ねえ、これから散歩に出かけるんでしょ? だったら、アセンデルの散歩道がお勧めよ」

「アセンデルの散歩道?」

「ん~、アセンデルって知らない? 結構有名な文豪家なんだけど」

「もちろん知ってるよ」

 というか、知らないはずがなかった。彼の書いた作品はいろんな国の言葉に訳されて、誰だって小さい頃に一度は読んだこと。あるいは読んでもらったことがあるだろう。それくらい有名な作家だ。

「彼は旅好きで有名だけど、晩年自分の生まれ故郷に戻って来て、毎朝散歩をするのが日課だったそうよ」

「へえ。それ、どこにあるの?」

 アイーダはクスリと笑って言葉を濁した。

「んーたぶん、言わなくてもわかるわよ」

 アイーダの無言の笑顔に送り出されてきたバゼットだったが、散歩道と言うのも特に標識があるわけでもなく、結局は目的もなくふらふらと街の中をさまようことになった。

 軽快にステップを踏みながら足音を鳴らすと、赤レンガを敷き詰めた小道が一緒になってカタカタと音を立てて笑う。それが面白くて、バゼットは何度も何度も足を踏み鳴らして歩いた。

 まるで軽いダンスをしているような愉快な動きに、傍で見ていた子供たちが面白がって彼の真似をしてついてくる。どうせそのうち飽きるだろう、と彼はステップしながら気にも止めることなく先を行く。

 しばらく行くと、バゼットは二人組みの女性とすれ違った。仲良く談笑していた彼女たちは、こちらに気づくと私も、といわんばかりに一行に加わった。

「こいつは一体何の余興だい?」

 彼らの様子を傍から見ていた男が、先頭にいるバゼットに話しかけてきた。

 すれ違うたびに誰かがついてくるものだから、そのときにはハーメルンのバイオリン弾きさながら、ちょっとした行列になっていたので男が驚くのも当然だ。

「さぁ? 今日は祭りでもあるのかな?」

 バゼットはとぼけて笑う。

「いやいや、今日が祭りだなんて聞いたことがない」

「だったらなおさら俺には分からないよ。ただ、レンガの鳴る音が面白くて足を踏み鳴らしていただけなんだから」

 そう言いながら彼自身も驚いていた。ちょっとした遊び心ではじめたことが、まさかこんな行列にまで発展するとは考えもしなかった。

「足を踏み鳴らしていただけだって・・・・・・」

 男はあきれていたが、バゼットが旅人だと気づくとなるほどと言って説明をはじめた。

「ここはアセンデルの散歩道呼ばれてる。名の知れた文豪家だった彼はちょっと変わり者で、毎日毎日、妙なステップを踏み歩いては周囲を驚かせたんだ」

「へえ」

「特に広場へと続くこの道が彼のお気に入りでな、はじめは彼のことを変人扱いしていたやつらもいつしか同じように散歩の列に加わるようになったんだと」

 一行が中央に噴水のある広場に到着すると、お祭りはここまでとばかりに人々はは散り散り去って行った。

「アセンデルの散歩道って?」

 広場に続く道はほかにもたくさんあるはずなのに、なぜこの道なんだろうか。通りのレンガはみな赤く、どれも同じで違いなんて分からない。

 そんな疑問にも、男はすぐに答えてくれた。

「ほら、あんたが今踏んでるレンガを見てみろよ。そこに答えがある」

「あ、これは・・・・・・」

 バゼットが足元に視線を落すと、今踏んでいるレンガのひとつに小さな靴跡の模様がくっきりと刻まれていた。彼は驚いて、今まで通ってきた道のレンガに視線を走らせる。

 するとその足跡は、この広場に続くように右、左、右、左と規則正しく続いているのが見えた。ここに来るまで、まったく気づかなかったのが不思議なくらいだ。

「な、わかっただろ?」

 これならアイーダがすぐわかる、といったのもうなずける。

 バゼットが宿に帰ってこのことをアイーダに話したところ、普通気づくでしょ? といって店中から大笑いされた。

 この事件により旅人バゼットは街の知るところとなり、ちょっとした有名人になったのは言うまでもない。

 彼が後で気づいたこのなのだが、その足跡は途中で店に立ち寄ったり何もないところで立ち止まったりと、今は亡きアセンデルを思わせる、なかなかユニークな散歩道だとわかった。

 それにしてもあの行列は一体なんだったのだろうか。

 人々が言うところによれば、長く続いた雨のせいで鬱屈していた人々の心が、久々の天気により解放されてあのような行列を作り出したということらしい。理由はどうあれこの不思議な体験は、晩年まで宝石のようにバゼットの心に残った。

話に出てきた街はとある国をモチーフにしているんですが、それがどこの国か分かりましたでしょうか?

実はデンマークが街のモチーフとなっていたりします。話に出てくる文豪も、実在した有名な童話作家さんをイメージしています。

この物語は、三つの単語をキーワードに、そこから思いついたことを小説にした短編小説の一作目。

以前書いたものを加筆修正したもので、何分最初に考えたのがかなり前なので何をキーワードにしたかは忘れてしまいましたが、思い描いた情景を小説にするというのが面白くて、思いついてから一気に書き上げた思い出の作品です。

このバゼット君の話は他にも2、3作くらいあって、加筆修正して投稿できたらなと思ってます。


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