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黒河。1

「何で図書館は朝の八時くらいから開いてくれないんでしょうか、早く続きが読みたくて仕方が無いのに」

普段なんだかおっとりしているひよこちゃんが珍しくぷんすかと怒っていた。

小さな肩掛けのかばんと大きなトートを持って朝の七時きっかりに俺の家にやってきていて、そのときにはすでにぷんすかしていた。

園田さんのソーセージが出来上がったから一緒に朝ごはんでもいかがですか、と昨日メールを送ったら、すぐさま、行きます、と返事が来た。

本当に返事が早くてびっくりしたのを覚えている。この子スマートフォンを片時も手放さない現代っ子じゃないかと。

それにしても、朝ごはんを食べるためにどうやって家を抜け出すんだろう、朝から出かけるなんて不自然じゃないかなって思ったけれど

「お母さんには友達と朝ごはんを食べてから図書館に入り浸るって説明してますよ」

と、ひよこちゃんは説明してくれた。

これのすごいところは、まったく嘘をついていないところだ。

嘘があるとすれば、俺が友達では無いことだと思う。

いや、実際俺はもうひよこちゃんを共犯者だなんて見ていなくて、すごく仲の良い子だと思っている。

そして家にやってきた彼女はとてもとても憤慨していた。

「図書館に行くんだったら今借りている本を読みきっちゃおうと思ったんです。そしたらこのシリーズ全部読みたくなったんです。でも10時からしか開かないじゃないですか、図書館。もう激怒ですよ激怒!」

ひよこちゃんが読んでいるのはイギリスの児童書。

俺が小学生くらいのときに大流行し、映画化するわアトラクションが出来るわ大騒ぎだった。

遅ばせながらその本にひよこちゃんはどっぷりはまってしまったらしい。

今度その本に出てきたごはんを食べさせてあげよう、と決心して俺は食堂のセッティングを始める。

皮がはじけるほどに肉厚で香ばしいソーセージ、スクランブルエッグ。

野菜と豆をたっぷりと入れたスープに、カリカリの薄いトースト。

新鮮なオレンジの皮をむいてくし切りにしたものをテーブルの真ん中に。

スープは昨日のうちに作っておいたから野菜はとろとろになっていた。

煮込みすぎたくらいの野菜が好きだし、ひよこちゃんは「味がしみているからこっちのほうが好き」だと言ってくれる。

スープに入っている肉団子は今朝入れたから硬くなってはいないはず。(これも勿論園田さんだ)

ソーセージもうまく焼けた。きっと噛めばパリッと小気味良い音がなるだろう。

すべての皿を並べてひよこちゃんの真正面に座れば、彼女はもう料理しか見ていない。

じゃあ、いただきます。

そう言えばひよこちゃんはきちんと手を合わせて

「いただきます」

と言う。

ひよこちゃんの料理の食べ方はまずスープを飲むことから始まる。

おなかに食べ物を食べる準備をさせてあげるため、と言っていたのだけれど、なんだか良く分かる。

スープを飲むと空腹が落ち着いて理性を取り戻す。

理性を取り戻すことで、味覚は研ぎ澄まされる。

理性の無い空腹の状態だと、ともかく満腹にしなくてはいけないので味は鈍感になってしまう。

けれどスープやサラダを食べることで身体は空腹から開放され、味を楽しむ余裕が出来る。

俺はだから、ひよこちゃんに出会ってからより研ぎ澄まされた感覚で食事を楽しむことが出来るようになった。

ひよこちゃんは肉団子以外の具材を食べつくすと一呼吸置いた。

そして肉団子をすくい上げぱくりとほおばる。

何か言葉を発するかと思ったけれど、そんなことはせずに飲み込んだ。

ただ、表情は素晴らしく輝いていた。

スープを平らげたところでナイフとフォークを手にする。いよいよソーセージだ。

フォークを指せばパンッ、と皮が弾け、肉汁があふれる。

ひよこちゃんは小さく感嘆の声を上げ、ナイフで切り取り口に運んだ。

「…素敵」

小さくそう呟いて、更に食事を続ける。

食事の最後に今日の料理の感想をひよこちゃんは教えてくれる。

それはとても美しい言葉の数々で、俺が言葉に出来ないと思っている感情及び感動を的確に語ってくれる。

だから俺はもう紡ぐ言葉が無くなってしまって、短く感想を述べるに留まってしまう。

いつかひよこちゃんがとても不安げに

「総一さんはあまり感動していないみたいですけれど、食べ慣れてしまうとそうなるんですか?」

と聞いてきたことがあった。

それはとんでもない間違いで、ひよこちゃんを孤独な気持ちにさせてしまったことをたいそう心苦しく思ったものだ。

そうではなく、自分の語彙では表現できない感動をひよこちゃんが言ってくれるから自分は多くを語らなくていいのだ、と説明した。

ああおいしかった、それだけじゃあまったく足りないのに、ああおいしかった、しか言えないもどかしさをひよこちゃんが解消してくれるのだ。

だから、俺は全く食べなれていないし感動していないわけでもなく、それを表に出す方法が無いだけだと言ったらひよこちゃんはとても納得した。

「じゃあ私が総一さんの分まで感動を伝えます」

と意気込んでくれたのだった。

さて、今日のひよこちゃんはというと、オレンジを食べながら本当に幸せそうだった。

「スープの肉団子はとても食べやすかったですね、こしょうがたくさん入っていて。とてもやわらかかったし口の中でほぐれてしまうんだもの、びっくりして言葉が出てきませんでした」

ああだから何も言わなかったのか、いつもなら小さく何か言うのがひよこちゃんだ。

「あと私、あんなおいしいソーセージは初めてでした。おいしいソーセージって皮までおいしいんですね。フォークで刺そうとしたらちょっとはね返してきて、それでも刺し続けたらぱんって弾けて。こぼれた肉汁がもったいなかったなあ」

オレンジで口の中をさっぱりさせながらひよこちゃんは語りつくす。

俺はそれを一通り聞き、そのすべてを肯定して食器を片付ける。

ひよこちゃんはリビングに移動し俺は洗い物。

きっとひよこちゃんはおなかが落ち着くまでリビングで本を読むに違いない。

十時前になったらここを出て市立の図書館に行く。

お昼ごろになったらもう一度ここに来て、お昼ご飯。

それからまたひたすら本を読んで、夕方には帰るのだろう。

ひよこちゃんが来たからと言って賑やかにはならないけれど、誰かがいるとやっぱり家はちょっと明るくなる。

俺はひよこちゃんがいるのが嬉しくて、ついつい機嫌がよくなってしまう。

ひとりはやっぱり寂しいのだ。

食器を洗い終え、紅茶を入れてリビングへ向かう。

紅茶はアップルティーにしてみた、りんごをご近所から貰ったのだ。

案の定、ひよこちゃんはリビングで本を読んでいた。

俺が紅茶を置くと、ひよこちゃんはぱっと顔を上げ、そして憤慨した、といわんばかりに唇を尖らせ

「やっぱり図書館はもっと早い時間に開くべきだわ。続きが気になります」

と言って本を閉じた。

ひよこちゃんは長いすに座っていて、足元に本の入ったバッグを置いていた。

さまざまなハードカバーの本が10冊ぎちぎちに入っているのでとても重いが、彼女はそれを軽々運ぶ。

後でこのバッグにはあの児童書がぎちぎちに詰まって帰ってくるんだろう。

まあまあ、と言いながら砂糖つぼを置いてひよこちゃんの頭を撫でる。

お兄さんぶってみたくなったのだが、そのとたん、ひよこちゃんが目を丸くして俺を見上げた。

瞬間に走った衝動は、食欲にも似ている何かで。

気付いたときにはもう、何もかもが手遅れで。

大きく丸い目、半分ほど開いた唇、ゆるくウェーブした髪。

頭に載せた手は、そのまま後頭部を掴んでいた。無意識に。

衝動のままに動いても何も問題は無いと、本能は勝手に判断した。

コレはすべて同意の上での行動でなければならない。

けれど俺は何も言わなかった。

ひよこちゃんは絶対に拒否なんて出来る筈がないのだ、聞く必要も無い。

何せ俺達は。

すべての後で残ったのはただただ小気味良いまでの疲労だった。

ひよこちゃんはなんだかぽかんとしていて、事実を受け入れるのにひどく戸惑っているみたいだった。

「…意外と感情的なんですね」

と、ひよこちゃんは呟き、俺はそれを肯定するしかなかった。

この五分後、丹羽からのメールで俺達はひどく慌てる羽目になるのだが。

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