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2-4

「こっちだ」

 腕を捕まれたまま連れて行かれたのは、家の中でも一番奥まった場所にある部屋。純和風建築とはいえ新しいだけあって使い勝手がいいように工夫されているらしく、木製のドアが設えられている。

「わあ」

 部屋の中は壁も床も天井までもが板張りなのだが、微妙な木目の出方に、プリントパネルなどではなく天然木なのだと気が付いた。そこだけ見れば、ログハウスのようだ。広さは十畳、いやそれ以上あろうか。誰も使っていないのか、センターラグが敷かれている以外、室内には何も置かれていなかった。風に揺れるレースのカーテン越しに、手入れの行き届いた庭が見えている。

「南南西向きで昼からの日当たりがいいんだが、夏は日没近くまで日が当たって暑いかもしれない」

 ヤギさんがカーテンを開けると、庭の緑が目に飛び込んできた。日を受けた若葉が、眩しいくらいに輝いている。

「え。でも、明るくていいお部屋じゃないですか。夏が暑いって事は、裏を返せば冬は暖かいって事だし」

 少なくとも、北西向きのわたしの部屋とは比較にならないくらい、日照条件に恵まれているのは確かだ。

「なるほど、いい考え方だな。気に入った」

 ヤギさんに言ったつもりだったのに、思いがけずお父さんが返事をくれた。

「ポジティブシンキングは、麻妃の長所だな」

 言葉と同時に、大きな手が頭をぽんぽんと撫でる。今のはもしかして、ヤギさんの手だろうか。

 子供の頃からわたしは、親からも頭を撫でられた記憶がほとんど無い。慣れない感触に、けれど嫌悪感は感じなかった。むしろどういう反応をすればいいのか分からず、表情と体の動きがぎこちなくなってしまう。

「祖父さんのカラオケ部屋だったんだが、防音設備は完璧だし他の部屋からは独立しているし、お勧めの物件だぞ」

「は? 物件って、何の話ですか」

 ヤギさんの言葉の意味を飲み込み損ねたわたしはきっと、きょとんとしていたのだろう。三者三様の楽しげな視線を向けられ、思わず怯んだ。

「この部屋に住まないかと、言っているんだが」

 ヤギさんは、いつから不動産屋を始めたのだろうか。

「え。えええええーっ」

 そして予想外の展開に思わず大声を上げてしまったのは、決してわたしのせいじゃない、と思いたい。




「家具は持ち込んで貰ってもかまわないが、もし納戸の中に気に入った物があったら、使って貰えれば」

 ヤギさんのお父さんは笑顔でそう言うと、そろそろコーヒーが入る頃だからと、先にお座敷に戻って行った。

 残されたわたしは、妹とヤギさんの顔を交互に見る。

「どういう事なのか、教えて貰いたいんですが」

 じっとりと睨み付けると、妹が可愛く肩を竦め、ヤギさんは苦笑いを浮かべながら明後日の方向を向いてしまった。

「だって、お父さんもお母さんも、ひどいんだもん」

 そう言って、妹が頬をぷっと膨らませる。

 わたしが両親から結婚云々を言われ始めてすぐの頃、妹が猛然と抗議した事があった。妹には甘い両親だがこの件に関してはそれをものともせず、兄夫婦との同居を叶えるためにわたしを追い出す算段に精を出している。それも単なる一人暮らしではなく、結婚という二文字を常に念頭に置いているのだから勘弁して欲しい。

「兄貴なんて、お姉ちゃんの事を追い出すために、さっさと工務店に見積もり依頼なんか出しちゃうし」

 たいして反抗もせずに、それでも結婚だけは無理だと一人暮らしを模索し始めたわたしに、それは歯痒い思いをしたらしい。わたしとは違い望んだ事の多くが叶えられていた妹にとって、わたしの態度は理解不能の域に達していたとも言っている。

 煮え切らないわたしに業を煮やし、聞く耳を持たない両親と兄を説得する事が不可能だと悟った妹は、一計を講じる事にした。とは言えまだ十八歳で親から小遣いを貰うばかりの脛かじり。何をするにも先立つものが必要な世の中で、妹が出来る事など高が知れていた。

「だから、相談に乗って貰おうと思って」

 つい先日まで担任だったヤギさんに、こっそりと連絡を取ったのだそうだ。

「お別れパーティーで、先生と携帯の番号とアドレスを交換しておいて正解だったよ。あ、もちろんクラスのみんなには内緒でね」

 しかし驚いた事に、先に連絡先を教えるように言い出したのはヤギさんだったらしい。妹はびっくりしながらも、わたしと共通の相談相手になって貰える可能性が高い事を考え、快く応じたという事だった。

「経緯は何となく分かったわ。でも、わたしに何も言わないで勝手に話を進めるなんて」

 無意識に、語気が荒くなる。

「だってお姉ちゃん、お父さんとお母さんに隠し事、できないじゃん」

 そう指摘され、ぐっと言葉に詰まった。妹が言うとおりなのだ。どんな時もどんな事も、他人の前ならば平静を装う事が出来る自身がある。なのに、家族の前では自分を鎧う事が出来ない。だから子供の頃は、我慢しきれなくなった時に押し入れに逃げ込んでいたのだ。長じて後は、逃げ場所が自分の部屋に変わったけれど。

「もっとも、お母さんもお父さんもお姉ちゃんの顔色なんて気にもしない人達だから、気が付かないかもしれないけどね」

 そういう人達でなければ、妹とわたしとの扱いに差がありすぎる事にもとっくに気が付いているはずだ。

「兄貴も馬鹿だから問題はないけど、お義姉さんだけは別だからね」

 そう。あの兄を選んでくれた女性は、その繊細そうな外見からは想像できないほど大らかで懐が大きい。妹ばかりではなくわたしの事も気にかけてくれている。けれど今回の件に関しては、生まれて来る子供の世話を任せる事になる両親の側に付かざるを得ないのだ。

 肝心のわたしを交える事無く妹とヤギさん二人で相談をしていた理由は、まあ分かった。仕方がないと思わなくもない。

「でも、それでどうしてヤギさんの家でお世話になる事になるのよ」

「だってお姉ちゃん、結婚相手を探す気はなさそうだし。それにこの辺りで条件に合う空き物件がないって、言ってたじゃん」

 ワンルームではあんまりだから1LDKか2DKの部屋を探していたのだが、折角だからと勤務先に近い場所を希望すると、途端に該当物件が激減する。元々一戸建てや分譲マンションが集中している地域という事もあり、特に若い人の一人暮らしで、安くてきれいな物件はほとんど空きが無くなる。

 ファミリー向けタイプの間取りのものならある程度は選べるようだが、それでは広すぎるし何よりも家賃が高すぎるのだ。同じ理由で、比較的件数が豊富なハイツの類も除外。文化住宅になると、あの両親と兄が納得をするはずがない。

 時期も悪かった。四月の新生活が始まったばかりのこの時期は、特に物件の回転が鈍化する時期なのだ。今からだと、早くても秋の人事移動シーズンまでほどんど動きがないのだとか。それは不動産屋巡りをしているわたしも、十分理解している。

「それはそう、だけど」

 ちなみにわたしの勤務先は、自宅からの通勤時間が電車・バス込みで約一時間。このヤギさんのお宅からはバスで二十分といった距離にある。確かに魅力的ではある。だが気楽な一人暮らしとは異なり、居候となると色々気を遣わなければならず、想像しただけで胃が痛くなりそうだ。

「ちなみに、食費・光熱費はタダ。で、なんと、家賃もタダでもいいって」

 自分の事のように、喜々として妹が言った。

「いや、それはまずいでしょう。お世話になるのなら、ちゃんと出す物は出させて貰わないと」

 一応自立した社会人として、そこまで人様に甘えるわけにはいかない。

「いや、その条件はうちの親から言い出した事だから、気にするな」

 それまで黙ってわたしたちの会話を聞いていたヤギさんが、久しぶりに口を挟んだ。

「そういうわけにはいきません」

「しかしお前から金は受け取れないぞ」

「じゃあ、ここでお世話になるわけにもいきません」

「意地を張るのもいいけどさあ。お姉ちゃん、他にあてがあるの?」

 ヤギさんとの攻防も、妹の言葉で途切れた。実に痛い所を突いてくれるものだ。

「だから、今探して」

「でももう一ヶ月だよ。これだけ探しても見付かってないのに」

「明日見付かるかもしれないでしょう」

「見付かる確率の方が遙かに低いよね」

「探してみなくちゃ分からないわ」

「もたもたしていたら改装が始まっちゃうじゃん」

「ぐ。そ、その気になれば」

「今まではその気になってなかったってこと」

「そうじゃないわ。ちゃんと一生懸命」

「それだけ一生懸命探しても見付かっていないんでしょ。意地になるのは勝手だけど、いい加減に現実を見なよ」

「意地になってなんか」

「なってるでしょ。勝手に追い出そうとしているお父さん達に対しても、わたしに対しても」

 がつん、と頭を殴られたような気がした。

「な、なに」

 どくどくと、心臓が早く大きく脈を打つ。

「自覚がないわけじゃないんでしょ。うちの環境で育てば、仕方がないもんね。わたしのせいでもあるし。お姉ちゃんの立場、分かっているのに何もしなかったから。都合良く、甘えていただけだから」

 苦い笑みを浮かべる妹の顔が、やけに遠く感じられた。決して責められているわけではないのに居たたまれない気持ちになるのは、なぜだろう。

「だからね。なんだっけ、発想の転換? 追い出されるんじゃなくて、あんな家、出て行ってやるんだってくらいに思わなくちゃ」

 何とも妹らしい言い分に、思わず小さく吹き出した。

「何、それ。無茶苦茶」

「少しくらい無茶したっていいんだよ。今までが大人しすぎたんだから」

 大人しすぎたと言われるほどではなかったと思うのだが、それでも両親に対しては何を望んでも無駄だと思っていたから、そう見られても仕方がないのかもしれない。

「逃げちゃダメ。諦めたら終わりだよ」

 真っ直ぐに向けられる目に、言い返す言葉が思い浮かばない。浮かばないものの、とりあえず言わなければならない事を口にする。

「で、だから、それがどうしてヤギさんの家でお世話になるって事に繋がるのよ」

 今度は、妹が言葉を無くして黙り込んだ。

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