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 近くに来いと言うのだろう、ヤギさんが手招きをする。どうしたものかと躊躇しているわたしの事など気にもしないのかそれとも業を煮やしたのか、妹が力任せに手を引っ張った。蹈鞴を踏みながらも、意志に反して教卓のすぐそばに引きずり出されてしまう。

「先生って、お姉ちゃんの担任だったんでしょ。どんな感じの高校生だった?」

 家族なのだから当然あの頃のわたしを知っているはずの妹が、生徒に乞われて一緒に写真に写っているヤギさんに尋ねた。わたしが高校二年生の頃と言えば、妹はまだ小学校六年生。妹にとって五歳も離れたわたしの存在は、決して同じ位置では比べられないものだったらしい。

「常磐は、ここみたいに可愛い制服じゃなかったのよ」

 スカートを短くしても、デザインの関係でミニではバランスが悪い。せいぜい膝上丈くらいまでしか上げる事が出来ず、そのため学校単位で服装の乱れが少なかったように思う。

 因みに高校時代のわたしは、規定通りの制服を身に着けてチタンフレームの眼鏡をかけ、真っ直ぐの黒髪を染めもせずに肩口で切り揃えていた。肌が弱く、化粧なんてすれば数日後には肌荒れと吹き出物で顔が埋め尽くされてしまう。だから薄化粧もしないで薬用リップを塗るだけという、至ってシンプル至って地味な外見だった。

 今現在も肌の弱さには変わりがなく、極力薄化粧で済ませている。

「溝内よりずっと地味だったが、陽気で良く笑う、ごく普通の高校生だったな」

 特に目立つ容姿でもなければ特出した特技があったわけでもない。ごくごく存在感の薄い生徒だった事だろう。かといって真面目一辺倒だったかと言えばそうでもなく、授業中に私語を交わして何度も注意されたり、仲のいい友人達と馬鹿話で盛り上がったりもした。それでも担任をしていなければ、ヤギさんの記憶に残っていたかどうかも怪しいくらいの存在だったはずだ。

「ただ、俺の担当だった数学が壊滅的な成績だった。なあ、溝内。ってややこしいな、麻妃でいいか」

 突然下の名前で呼ばれ、どきりと心臓が跳ねた。自慢じゃないが、親兄弟と親戚以外の男の人から名前を呼ばれた事なんて、小学生以来の事だ。

 高校二年生から三年生にかけての定期テストでは、いつも赤点すれすれ。小テストに至っては、基準点を満たす事が出来ずに補習を受けさせられた事が一度や二度ではなかった。しかし一応姉の立場というものがあるのだから、それを今妹達の前で暴露しなくてもいいじゃないか。思わず年甲斐もなく拗ねそうになる。

「わたしにも悠妃っていう名前があるんだけど」

 だから同じように下の名前で呼べと言いたいらしいが、今日までとはいえ現役の担任と生徒の間でそれはちょっと難しいだろう。五年前既にヤギさんの生徒ではなくなっているわたしでさえ、本当にいいのだろうかと思うくらいなのに。

「お前の事はこの二年間ずっと溝内で呼んでいたから、切り替えがややこしくて面倒なんだよ」

「えー。なんか、納得できないー」

 悠妃の抗議にも、ヤギさんは涼しい顔をしている。同じ名字の生徒がクラス内に二人以上いるなどといった特殊な事情ならばともかく、一人を下の名前で呼んでしまえばそれが特別扱いだと捉えられ、ややこしい事態になりかねない。追加のように説明するヤギさんの言葉に、それでも妹は不満そうに唇を尖らせている。ヤギさんのこういった方面に真面目な所が、わたしが知っている頃と変わってないようで安心した。

 それにしても。妹はずっと、ヤギさんに対してタメ口をきいている。他の子達も同様だから、今時の高校生はみんなこんな感じなのだろうか。わたし達の頃は、男子生徒の多くはタメ口だったが、女子生徒のほとんどが一応の親しみを込めて中途半端ながらも敬語を使っていた。わたし自身未だそうなのだから、どうしても違和感を拭いきれないのだが。

「もう、いいよ。じゃあ、今度は矢木沢先生の話。先生はどんな先生だったの?」

 それ以上強請っても無駄だと判断したのか、今度はわたしに疑問を振ってきた。

 引き続き生徒達と写真を撮っているヤギさんを視界の端に捉えながら、私は六年前のヤギさんの様子を説明する。

「ええー。それって、ビジュアル的にきついよ」

 という女子生徒の悲鳴に近い声に、うんうんと頷く。

「今と全然違うじゃん」

 その意見には、わたしも賛成だ。

「てか、先生に憧れている子が知ったら、きっとショックだろうねえ」

 なんだかとんでもない事を聞いた気がするが、みんなそれぞれ好き勝手に感想を述べ合っている。こうなると分かっていれば、当時の写真の一枚も持ってくれば良かったかもしれない。想像力で補う事ができかねているらしい子を見て、そう思った。

「え。ヤギさ、矢木沢先生に憧れている子がいるの? 勇気があるというか、すっごいチャレンジャー、って、いたっ」

「失礼な奴だな」

 ヤギさんに、頭を叩かれてしまった。慌てて顔を見たけれど、もちろん本気で怒っているわけではないらしく、苦笑を浮かべている。

「三十三って、みんなから見れば立派なオヤジじゃない」

 今の高校三年生との差は実に十五歳もあるのに、恋愛の対象として見る事ができるものなのだろうか。

「自分の事を棚に上げるんじゃない。二十三も、高校生から見れば十分オバサンだろうが」

 確かにわたしが高校生だった時には、二十歳を超えたらオジサンオバサンだなんて言っていた気がする。但しこの場合のオジサンオバサンというのは、自分たちよりも大人だと認めているという意味だ。学生という気楽な立場から見る大人への憧れを、照れ隠しでそんな表現に変えていたのだから。

 だから二十三歳と三十三歳双方に対するオジサンオバサンという表現の意味合いには、かなりの差がある。それを本当のオジサンであるヤギさんに面と向かって言うのも気の毒に思え、黙っているのだが。

「わたしだったら、兄貴よりも年上はあり得ないけどね」

 妹と兄とは、私を挟んで八歳の差がある。既に結婚しているばかりか、もうすぐ子供も生まれようかという兄を見ている妹の気持ちも、良く分かる気がした。

「大人のオトコに憧れたいお年頃なんだよね、きっと」

 妹は物知り顔で言いながら、自分の言葉に頷いている。

「毎年バレンタイン辺りから年度末にかけて、先生にコクる奴が急増するんだよな」

 と言う男子生徒もいれば、

「特に卒業式後って、教師と生徒じゃなくなるっていうのを口実にするよね」

と周囲に同意を求める女子生徒もいる。

 高校生という多感な時期。家族以外の身近な異性と言えば、同じ学校の生徒か教師くらいしかいない。手っ取り早く恋愛の対象を見付けようとすると、この二者の中からと言う事になるのも致し方ないのかもしれない。もちろん小中学校時代の同級生などもいるだろうが、高校で別れてしまえば、ごく近所に住んでいるわけでもない限り縁遠くなってしまいがちだ。

 男よりも女の方が精神年齢は上だと良く聞くが、同年代の異性を頼りなく感じてしまう人もいるだろう。個人の好みの問題だが、それが物足りなく感じれば、自ずと残される選択肢は一つしかないわけで。だから、教師に対して憧れや恋愛感情を抱く事は理解できるし、わたしの周りにもそういった女子生徒はいた。高校時代の男性教師の中には実際に、教え子だった女性と結婚している人もいたほどだ。

 ただはっきりと言い切れる事だが、わたしが知っている限り、常磐高校時代のヤギさんをそういった対象として見ていただろう女子生徒は、一人もいなかったのではないだろうか。

 もっとも、当時のヤギさんは

「先生、恋人って言うか、彼女はいるんですかー」

とお決まりのように生徒達から聞かれても、

「妹を嫁に出すまではいらん」

と断言してしまうほどのシスコンだった。その潔いまでのシスコンぶりに、クラス一同が呆れを通り越して感動すらしたものだ。

 そのヤギさんに憧れる女子高生がいて、さらには告白までするなんて。当時のヤギさんからはとても想像できないなと、思わず笑ってしまった。

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