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二人揃って家に帰ると、どこで何をしていたんだと両親から詰め寄られた。何も告げずに二人で出かけていた事が気に入らなかったらしい。わたしはとっくに成人しているのだし、妹ももう大学生だ。日が沈む前のこの時間の外出をとやかく言われるのも、どうかと思う。
「連絡の一つも入れないで、心配させて」
母のその口ぶりは明らかにわたしを責めている。わたしが妹を連れ出したのだとでも思っているのだろう。
「わたし、もう大学生だし。そんなに心配しなくても、一人で出かける事くらい出来るよ」
「一人じゃないだろう、麻妃が一緒だったのに」
つまり父は、妹一人で出かけるよりも、わたしとの方が危険だとでも言いたいのか。もっともこんな事は我が家では日常茶飯事で、今さら怒る気も起きないのだが。
「そんな言い方ってないでしょう。お姉ちゃんにもわたしにも、すっごく失礼だし」
妹は父を睨み付け、明らかに機嫌を損ねた声で言った。わたしや友人と一緒の時とは、言葉遣いが違っている。
「まあ。心配しているのに、何なの、その言い方は。麻妃ね。麻妃から悪い影響を受けたのね」
わたしはウィルスか病原菌だとでも言うのか。
「わたしはいつもこうでしょう。お母さん達が気に入らない事を全部お姉ちゃんのせいにするのは、いい加減やめてよ」
空気がささくれ立ってくる。母と妹二人の時ならば、ここまで険悪にはならない。わたしがここにいるだけで、両親には面白くないのだ。そしてそんな両親に、妹は苛立ちを隠せないでいる。
「矢木沢先生のお宅に、お邪魔していたのよ」
スリッパに足を入れながら、わたしは感情のこもらない声で母に言った。
「惣壱さんと会う約束をしていたのだけれど、悠妃も彼の教え子でしょう。彼の住まいを見てみたいと言うものだから」
打ち合わせていた嘘を、すらすらと並べ立てる。いつもならば決して吐く事が出来ない嘘だが、妹が味方だという事がこれほど心強いとは思いもしなかった。
「あら。麻妃あなた、矢木沢先生とお付き合いしていたの」
妹から聞いて知っていたはずなのに、白々しくも驚いた風を装っている母。それには妹も呆れたように、小さく鼻で笑っている。
「ええ。ほんの最近の事だから、話すのも気が引けていたの。黙っていてごめんなさい」
作り笑いを浮かべてそう言えば、傍目にも分かるくらい母の機嫌が上向いて行く。わたしに対する興味など無いくせに、何でも知っておかなければ気が済まないのだ、この人は。
「近い内に、うちにお呼びしなさいよ。早い方がいいわ。明日なんてどうかしら。ねえ、お父さん」
同意を求められた父が、縦に首を振る。どうせ母の意見に反対する気などないのだ。
「それはあまりに急だわ。惣壱さんにも都合はあるでしょうし。一応連絡をしてみるけれど、期待はしないでね」
勝手に盛り上がる母に呆れながらも、とりあえずヤギさんには報告しておかなければと、密かに思った。
ヤギさんとの事を報告した事に気を良くした両親は、当初わたしに対して抱いていたはずの怒りをすっかり忘れていた。それはそうだろう。ヤギさんという恋人がいるのなら、わたしを家から追い出す事が容易になったとでも思っているのだろうから。
着替えるからと二階の私室に向かうわたし達を、両親が引き留める事はなかった。二人で何やら話しながら、リビングに引き上げていく。大方、可及的速やかにわたしを嫁に出す方法を、相談し始めるつもりなのだろう。本人であるわたしが不在の場所で。
「お姉ちゃん」
部屋に入ろうとしていたわたしを、妹が呼び止めた。部屋のドアを半開きにし、手招きをしている。
「上手に嘘、言えたね」
呼ばれるままに部屋に入ったわたしに、妹が耳打ちしてきた。
「人間って、切羽詰まるとどんな事でも出来るみたいね」
くすりと笑いながら、わたしも小声で返す。
「本当に、先生に連絡するの」
「まあね。何かあったら必ず連絡するようにって言われたから」
もちろん、口裏を合わせるためだ。
「そ、っか。先生によろしくね」
そう言った妹の笑顔が寂しそうで、そして儚げで。わたしの胸の裡をぎゅっと締め付けた。
この家を出て行けば、あの両親から解放される。それは、わたしだけに限った事ではない。だからこそ、結婚を口実に兄が家を出たのだ。せっかく逃げ出したはずなのに自分の意志でここに戻るなんて、正直、兄と兄嫁の気が知れない。わたしなら。この家を出る事が出来るのならば、戻るどころか近付く事さえしたくない。そしてそれは、目の前にいる妹も同じはずだ。
「なんとか、できればいいのに」
心の中の呟きが、ぽろりと零れ出た。
「え。なに、お姉ちゃん」
驚いた様に、妹が聞き返す。前後を端折ってこれだけ聞けば、訳が分からなくて当然だ。
「何でも、ない」
何とか、出来ないものだろうか。何とか、したい。わたしの為に水面下で動いてくれていた妹に、報いてあげられる方法は、何があるのだろう。
妹の部屋から自室に移動しながら、わたしは一人思考を巡らせていた。
その後ヤギさんに連絡を取ったところ、さすがに翌日は無理だと言われた。それはそうだろうと思いながら都合がいい日を尋ねると、それでも翌週末には予定を空けておくと言ってくれた。
その間一週間、毎日のように両親からヤギさんとの事を聞かれた。その両親から話を聞いた兄までもが兄嫁を伴って顔を出し、母から頼まれたのであろう、情報を引き出そうと懸命だ。
妹以外の家族がわたしにこれほど興味を示したのは、妹が生まれて以来の事だと言える。妹が「鬱陶しい」と感じる気持ちをほんの少しだけ理解したわたしは、零れかけた溜息を何度も飲み込んだ。
「付き合い始めたばかりで、恥ずかしいから」
というもっともらしい理由を口実に、わたしは両親と兄夫婦からの尋問を躱している。
唯一、一ヶ月半の間に結婚を意識するに至った経緯に関しては、ヤギさんと予め打ち合わせていたとおり、
「惣壱さんの年齢が年齢だったから、最初から頭にあったんだけど」
と答えておくに留めた。どうせ一から説明したところで、あの人達の頭にはその半分も残らないのだ。興味がある部分だけ聞き出せば、あとはどうでもいい。それが彼らの常だった。
それにヤギさんからも、
「細かい話は、一人では絶対にするな」
と言われている。わたし一人では、たとえ妹の援護があったところで両親に太刀打ちできないと読まれているようだ。残念ながらそれは、あながち間違った認識とは言えない。さすがは元担任、わたしの事を良く理解してくれている、と思っておく事にする。
そしてわたしは相変わらず、両親と兄からの追及をのらりくらりと躱し続けているのだった。




