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家まで送る、と言ってくれたヤギさんの申し出を断り、わたしと妹は電車で帰宅する事にした。妹とは色々話しておかなければならない事がありすぎて、それは両親がいるあの家ではとても無理な内容だったからだ。
見合いの件をわたしには言わず、挙げ句ヤギさんとわたしが恋人同士だなどというとんでもない嘘を吐いてくれた事は、今さら訂正も撤回も出来ない。そもそも見合いというのは形式だけで、強引に縁談を進めようとしていたのは母だ。それを避けるためには、他に方法が思い浮かばなかったのも、まあ理解できる。
「ただね。その相手が、どうしてヤギさんだったわけ」
乗り換えの電車を待ちながら、妹に尋ねた。
「だって、お姉ちゃんの相手に仕立て上げられるような人って、他に心当たりがなかったんだよね」
それはそうだろう。社会人として勤めに出ているわたしと、大学に進学したばかりの妹とでは、共通の知り合いなどご近所の住人くらいなものだ。
「それにしたって」
もし彼氏が出来たからと言って、いちいち妹に報告するわけではない。もし今そんな人が他にいたら、とんでもなくもややこしい事態を巻き起こしかねなかったのだ。
「あ、それはね。なんとなく大丈夫かなって」
わたしの様子を見ていれば、彼氏がいるのかいないのかくらいは分かる、と妹が言い切った。
「なに、それ。何を根拠に」
「だってお姉ちゃん、すっごく分かりやすいし。顔に出るって言うか。片瀬さんと別れた時なんか、もうね」
半年ほど前に別れた元彼の名前を出され、思わず怯んだ。
「お姉ちゃん、あれから誰とも付き合っていないでしょ」
図星だった。
「お父さんとお母さんはあんなだし、兄貴はお姉ちゃんに興味がないから、全然気が付いていないみたいだけどね」
ああ、あの両親と兄ならそうだろうと納得する。
そして妹はさらに、わたしがヤギさんから聞かされていなかった事実を明かしていく。
「先生が引き受けてくれれば万歳、ってくらいに思っていたんだけど」
もしヤギさんに迷惑がられたり断られたりした場合には、結婚を切り出した途端に迷惑がられて別れた、とでもすればいいと思っていた。けれどヤギさんは快く引き受けてくれたばかりか、住む場所まで面倒を見ると言ってくれた。さらには兄たちとの同居のための部屋の改装まであまり日がなかった為、実際にヤギさんの家に行くついでにわたしに事情を説明してしまう事にした。などなど、聞いているうちに目眩を起こしてしまいそうな内容だった。
「矢木沢先生にお姉ちゃんの事を相談したのって、実は昨日や今日の事じゃないんだよ」
さすがに少しは気まずいのか、妹の視線が宙を向く。
「いつの事よ、それ」
「んー。卒業式のすぐ後。お別れパーティーの時」
つまり、わたしが五年ぶりにヤギさんに会った日のうちという事らしい。
「最初はね。お父さん達からのわたしへの執着が凄すぎてしんどいって、そういう事を聞いて貰っていたんだけどね」
わたしに対する関心の低さと反比例して、両親からの妹への干渉は凄まじいものがある。可愛がるのにも限度があると常日頃から感じるほどで、あそこまで行くと嫉妬や羨望も抱きようがないほどだ。もちろんそう思えるようになったのはずっと後の事で、何かにつけて心配して貰ったりかまって貰えたりする妹と比べ、気にもかけて貰えない自分自身をとても惨めに感じていた時期がかなり長かったのだが。
わたしが寂しくも空しい想いを抱えていた事とは比べる事は出来ないが、妹は妹で、寄せられる過多な愛情に息苦しいほどの閉塞感を感じていたのだろう。わたしに対する両親の態度に妹が苦言を呈しても聞き入れられなかったのと同様に、わたしが妹に対する干渉を諫言したところで、両親が耳を傾ける事などなかったのだから。
もっとも、互いの虚無感と閉塞感を理解していたからこそ、わたし達姉妹は互いを思いやれるようになったのかもしれない。
妹への執着とわたしへの無関心は、表裏一体だ。ヤギさんに妹自身の悩みを打ち明けているうちに、家庭内の現状からわたしの事情にまで話が発展したのも、恐らく自然な流れだったのだろう。聞いて貰えるだけでいいと思っていた妹の思惑から大きく外れ、わたしの事までをも何とかしてやりたいと思ってくれた事は、さすがに予想外だったらしい。
「だんだん、わたしの事よりお姉ちゃんの方が心配になっちゃったみたいでね」
妹が、苦笑いを浮かべた。
「まあ、わたしの場合、ずっと続いていたとは言っても、今すぐに悪化するってものでもなかったから」
それでも。今までわたしにしか言えなかった悩みを抱えている事が辛くなったからこそ、ヤギさんに相談しようと決めたのだろうに。わたしの状況が大きく変化し始めたために、比重が大きく傾いてしまったのだろうに。妹は誰に文句を言う事もなく、わたしの為にヤギさんと二人、密かに動いてくれていたのだ。
「それに、他にもちょっとばかり、予想外の事もあったんだよ」
その予想外に関しては、先生が言っていないのなら内緒だと、何度尋ねても笑ってはぐらかされてしまう。
「きっと近い内に、分かると思うよ」
きっと大丈夫。そう言って妹はわたしの手を取り、にっこりと極上の笑顔を浮かべた。




