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08.「…ありがとう。」


 必死の叫びだった。

 男が言ったことは違うという弁解。それには、自分を信じて欲しいという意味も込められていた。しかし、二人の冷たい視線が男からそのままリリアナに向かったのだ。彼女は兄たちが自分の事を軽蔑し

たのだと思ってしまっていた。


「嘘を吐くな!寂しいから慰めて欲しいと言ったのはそっちだろう!」


 睨みつけ、その後嫌な笑みを浮かべる男。その笑みがリリアナの心を震え上がらせた。


 泣きそうになる彼女を、悲しそうな表情で助けに来た男二人は見つめている。自分たちが信頼されていない気がして、悲しんでいた。しかし、今現在の問題はそこではない。この男が、王族であるリリアナを襲いかけ、さらにそれがリリアナが目論んだものだと主張した事だ。


「…この世に言い残す事はそれだけか。」

「待て、アラン。今日、ここでの殺しは不味い。ひとまず落ち着け。」


 二人はリリアナがそんな事が出来る娘ではないと分かっている。つまり、男の証言が嘘だと分かっているのだ。これは重罪に当たる。王族を襲い、罪をなすりつけるなど、未だ嘗て無い事だ。そして、彼女の騎士は怒りに震えていた。


 リリアナに罪を着せた事、そして、襲おうとした事。社交界の在り方は理解しているのだが、アラン

はそれでもこの事を許せなかった。まだ誰にも触れられた事のない麗しの姫君を、汚そうとしたのだから、彼女を一途に思う騎士が憤慨しても当たり前だろう。


 殺す一歩手前で止まったのは、褒めてあげたいところである。むしろ、それを一歩手前で止めたアルキナスを褒めるべきだ。


 一瞬空気が凍りつき、時間が止まったようにそこに居た誰もが感じた。それほどまでに、嫌な静けさが漂っている。遠くで聞こえる音楽だけが、時の流れを教えていた。


 アランの剣先はまだ男の喉元に向けられている。アルキナスはそれをいいことに尋問を始めた。しかし、目線は男には向けていない。足に力が入らない妹を心配し、手を差し出して立ち上がらせると、しっかりと支えるようにして手を肩に添えた。リリアナは、兄の優しい空気や体温を感じ、安心したようだ。アルキナスの触れている手に、フッと肩の力が抜けるのが分かった瞬間、兄もまた安心した。


「随分と酒を飲んだようだな。この犯行はお前の意思でした事か?」


 自分の意思でしたかどうかを問う事が、一番の問題になってくる。おそらく男は自分の非を認めれば殺されると思い、リリアナが誘ったと言ったのだ。自分に悪い方向には持っていこうとしないはず。しかし、次期国王であるアルキナスに嘘を吐くなど以ての外。それこそ万死に値する。


 男は先よりも焦り出し、その額からは尋常ではない汗を流している。事実が言えないところに、何かあるのかと思い、アランは詰め寄った。


「誰に指示された?既成事実を求める貴族の誰かか?」


 既成事実とは、そう言う行為をしたという事実の事。婚前の女性は純潔である事が当たり前の世の中。そうでないと分かった場合、結婚は望めない。それがたとえ襲われたということでも、純潔でなければその規範は守られるのだ。

 つまり、王族の姫君がそうであるとなった場合、いくら王族でもそれは反映される。その人物が密かに名乗り出て、彼女が罪の意識によりそういった関係だと認めてしまえば、既成事実が成立してしまうのだ。


 アランはそれを狙った貴族の誰かが、自分の息子をあてがったのではないかと考えたのであった。それはアルキナスも然り。だからこそ、相手を殺そうと言わんばかりに威圧的な彼を止めはしなかったのだ。


「ちっ、違う。親じゃあない。」


 さらに焦り出す男に、アランは迷うことなくもっと深く剣を突き付けた。それはあと数ミリで肌を傷つけるほどの近さ。男は一際怖れを成して、後ずさろうとするが、彼が片手でそれを阻止したために、そうする事は叶わなかった。


「ゆ、ゆゆ…許してくれぇっ…おお、俺は、たのっ…頼まれただけなんだよぉっっ!」


 怯えた相手でも、一流の騎士であるアランは容赦がない。そうでなくても、リリアナを傷ものにしようとしたのだ。それだけで、彼にとっては目の前にいる男に死刑判決を下すほどの必要があった。


 剣先が小さく掠り、男の肌に針で刺したような傷が出来る。そこからほんの少しだけ血が流れ、アランのあまりの形相にアルキナスが漸く止めに入った。

 リリアナはそこに立ち竦み、見守るだけだ。一番の被害者である彼女こそが、その場の雰囲気に呑まれて怯えていた。


「…それは誰だ。」


 アランの手を今一度抑え、冷静に聞く。しかし、そうであっても、被害者の兄は内心穏やかではいられなかった。


 親ではない者から手を差し向けられたこの男は、よく見れば公爵家の一人息子。頼まれる相手など、数が限られてしまうほどの身分だ。アルキナスはひとつの可能性を思い浮かべ、それを否定する。しかし、どう考えてみてもその答えが有力で、彼は完全に否定できない可能性に嫌な予感を感じていた。


「ひ、め…」


 小さな呟きがアランとアルキナスの耳に入る。男たちは、それだけで全てを悟った。


 姫とは、第一王女の事。年甲斐も無くそう呼ばれるのを好む彼女は、周りの男たちにそう呼ばせていた。さらに言える事は、彼女は婚姻を結んでいないにも関わらず純潔ではない。逆ハーレムを作り、豪遊していた。

 また、芸術家を間男のように集め、費用を負担する代わりに自分の気まぐれな遊びにつき合わせたり、男女の関係を結ばせたりしていた。


 彼女の周りには兎に角男が多い。それが彼女の意思だろうと、相手の意思だろうと相当な数の男が彼女に関わっていた。


 この公爵家の一人息子もそのうちの一人。マリアンヌを女神だと言い、まるでこの世に存在しない、儚いものであると信じて疑わずに扱っていた。恍惚とした表情で只管マリアンヌを呼んでいると言う事は、彼女に指示されたのだろう。アルキナスはそれを確かめるためにさらに詰め寄る。すると、すぐに肯定が返ってきた。


 男たちは顔を顰める。その瞳には、容赦など浮かんでいなかった。


 アランは腕を捻り上げると、その男を立ち上がらせる。そして、近くに居た会場警備の騎士に、その男を牢に入れるようにと申しつけた。王族に手を出したのだから、貴族に手を出せないことなど関係ない。警備騎士は近くにアルキナスが居ることを確認すると、胸に右手を置き、ポーズを取った。それは返事。了解したと言う意味だ。


 連れて行かれる男を、三人は目で追っている。完全に視界から消えさると、リリアナが吐いたため息の大きさが目立った。


「俺は父上に報告をしてくる。アラン、リリーを任せた。」


 厳しい表情で述べると、足早に去っていく。その姿に、アランはようやく彼が冷静ではなかった事に気づかされた。


「リリアナさま、歩けますか?」


 立ちつくしている彼女にそう声を掛けたのには、大きな理由がある。それは、リリアナがそこに固まっていたからだ。立ってはいるが、動こうとしない。それがアランには動けないように見えた。足が言う事を聞いてくれなさそうだ。


 アランは一言謝ってから、名目通りお姫様を抱っこした。横抱きに。

 持ち上げられたリリアナは、崩れた身体のバランスを取るために、彼の首に手を回す。それが彼女にとっては恥ずかしい事のように思えて、顔を真っ赤にさせずには居られなかった。


 城で働くたくさんの人に目撃をされている。その恥ずかしい事実に、リリアナは顔を隠すように俯いた。それが周りには、彼の首に縋っているように見えることなどには気付かないで。


 久しぶりに仲が良い二人の様子に、前々から城に勤めている者たちはほくそ笑み、一流の騎士を狙う貴族の子女である見習い侍女たちは、唇を噛んで羨望の眼差しを白の姫君に向けていた。



******



 一方のアルキナスは、大股で会場内を闊歩していた。それは稀に見るほどの不機嫌さであり、空気を読んでか、誰も彼に話しかけない。それが良かったのか、彼はすぐに目的の人物を見つけ、その肩を叩いた。


「おや、愛しの息子ではないか!今日こそハグを!」


 手を広げて伸ばしてくる人物に、アルキナスはいらっとした。それどころではない、と。

 しかし、賢王と呼ばれながらもこの男、なかなかに空気が読めない。無論、息子の機嫌が良くないことは察していたが、いつものマイペースさでそれを諸共しなかった。流石王と言うべきか、かなりの強者である。


 アルキナスは不機嫌さを隠しもせず、舌打ちをしてからその腕をたたき落とした。そうされることで、父親である賢王はいつもの通りに泣き真似を始める。傍観者たちは、何ともいない空気に、近寄る事さえ止めていた。


「父上、遊んでる時間はない。話があるから来てくれ。」


 そう言ってバルコニーへと連れ出す。元来恋人たちの居場所であるそこには先客がいたが、王族二人の空気に押され、一瞬でその場を立ち去った。


「さて、何の話かな。」


 ニコニコしてくる王の顔を睨みつけ、アルキナスは言った。


「リリーが襲われた。」


 その言葉に、刹那、王の顔から表情が消えた。そこには、いつものお茶らけた彼の表情はない。至極真面目で、そして恐ろしい表情があり、凍てつくような空気を醸し出している。漸く話を聞く体制になった父親にホッとし、彼は先を話した。


「男は今牢に容れさせた。公爵家の一人息子だ。奴は泥酔したふりを装い、心優しいリリーを引き寄せた。そして、リリーが近づいてきたのをいいこと、一晩の相手にしようとしたらしい。」


 ここでマリアンヌの事を言わなかったのは、どうせ後ほど分かる事だと判断したからだ。


「…よく殺さなかったな。」


 低く、唸るような声。余りの威圧感に、いつも呆れているアルキナスでさえ、一瞬言葉を掛けられなかった。


「…俺はむしろ止めた側だ。アランが殺りそうになるのを止めるのに精一杯だった。」


 それを聞くと、賢王はニヤッと笑い踵を返す。息子に何処に行くのかを尋ねられれば、抑揚のない声で牢屋だと返した。


「リリーは部屋に戻った。主役が居ないに加え、国王がいなければ困るだろう。なるべく早く戻って来て下さい。」


 急に敬語を使ったのは、先まで父に話していたという意識から、国王に話しているという意識に変えたからだ。


「おや、お前は行かぬのか。」

「俺はやる事がある。」


 アルキナスはそう言うや否や、会場へと戻った。

 喧騒は相変わらず続いており、未だにこの舞踏会が盛況な状態だと示している。先よりも声が大きくなったところを見ると、皆ほどよいくらいに酒が回ってきたのだろう。彼はそんな会場内を隈なく見つめ、或る場所を特定した。


 男が群がり、逆ハーレムが出来上がっているそこに居る人物に、彼は用がある。やはり、その集団の中心に、彼女は居た。


 ちやほやされ、頬を赤くしている。機嫌の良さは、その浮かべている笑みからよく読み取れた。


 アルキナスは表情を硬くしたまま、その人だかりに近寄る。自分が今から起こそうとする行動で、彼女の機嫌を損ねる事は分かっている。しかし、問いただすのは人前でなければならない。彼は彼女が人前では外面を外す事が出来ないと分かっているのだ。一方的に言い包めるのが目的ならば、それが最善策だ。


「…マリアンヌ。」

「まぁ、相変わらずふてぶてしい弟ね。姉を呼び捨てにしないようにと、再三申して居るでしょう。」


 酒が回っているらしい。ずっと小さな笑い声を上げている。この上機嫌は、リリアナをやりこめたと思っているからだろうか。アルキナスは忌々しいと思い、舌打ちをした。


 ―――これでは話にならないな。

 そう思い、彼は彼女をバルコニーへと連れ出した。


「…何よ。」


 急変した態度に、アルキナスは睨みをきかせて威圧する。マリアンヌは少しだけ怯んだ表情を見せた。


「貴女の僕の一人が、牢に入っている。」


 低く零れた声に、マリアンヌは狼狽えた。目は右往左往し、頬から赤みが消え失せている。しかし、一瞬で持ち直し、いつもながらの奇麗な笑顔を浮かべた。


 そして、言うことには―――。


「何のことかしら。」

「とぼけるつもりか。だが、男は吐いた。今頃父上と会っているだろう。」

「お父さまと?!」


 叫び声に近かった。顔は完全に青褪めている。この態度で、アルキナスはマリアンヌがあの事を無意識に認めたのだと理解した。


 しかし、これを頑なに拒み続ける。態度は明らかにそれを証明しているのに、言葉では拒否をし続けた。そんな態度に呆れ、アルキナスは辟易する。確実に彼女がリリアナに仕掛けたと言うのに、それを認めないことがどうしても彼の神経を刺激した。


「リリーが傷ついているのは事実だ。」

「あの子が勝手に被害者ぶっているだけでしょう。わたくしには何の関係も無いわ。あの子が襲われようが、男を誘おうがわたくしの知ったところではないですもの。」

「…俺が、いつリリアナが襲われたと言った?」


 一層低くなった声に、マリアンヌは身体が一瞬反応してしまうのを誤魔化せない。顔はひきつり、先よりも目を右往左往させ、困惑しているのが丸見えだ。


「俺は貴女の僕が牢に居ると言うことと、リリーが怯えている事を伝えただけだ。話を明確に伝えた訳ではない。貴女は今、自分の非を認めた。」

「こ、言葉の綾よ。それに、リリアナと捕まった男と言うことから、連想できるのも当たり前でしょう!」


 かなり厳しい言い訳に、アルキナスは冷たい笑みを浮かべる。それからにべも無く言い放つ事には――。


「貴女からの言質は取れた。俺は俺の判断で事を進める。ちなみに、父上に貴女の事は言っていない。自己判断で申し出をするか罪を拒否し続けるかは考えればいい。」


 冷たい表情に在る目の奥が、きらりと不敵に煌めいた。そのあまりにも非情な表情に、マリアンヌは自分より年下だと言うのに、目の前に居る男に戦く。それが自分の弟だと言う事に気付いたのは、アルキナスが去ってしばらくした頃だった。



******



 アランは迷わず部屋の中まで進んだ。扉の前に居た騎士たちは驚きで固まったままで、中に居たアニーは二人の事よりも、リリアナに何かがあったのかと声を荒げる。恥かしがるリリアナを横目に、アランは気にすることなくソファに彼女を下ろした。


「少々お疲れになったようです。今日はもうお休みになると言う事なので、アニーは用意をお願いします。それから、今晩は警護を強化するために私が一晩扉の前に控えます。リリアナさまは何かあれば、必ず私に申してください。」


 リリアナは目を合わせる事はなかった。しかし、返事はした。小さくコクンと一度だけ首肯したのだ。それを確認すると、アランはそこから立ち去った。


「リリアナさま、顔を洗って来て下さい。お疲れのようですから、風呂は朝に致しましょう。お召し物の用意が済むまでにお戻りくださいね。」


 リリアナはそれにも首肯だけすると、ふらふらと歩いて行った。それを心配そうに見ながらも、アランに言葉を遮られてからと言うものの、何も訊ねようとしないアニーは、さすが優秀な侍女だ。それでも何も言ってもらえないことに嘆息すると、慣れたように夜着の準備を始めた。









 夜は深まり、先までの騒がしさが嘘のように静けさが漂う。灯されていた部屋の明かりも消えて、城全体が寝静まっていた。起きているのは城の警護を任された騎士のみ。廊下に灯されている薄暗い明りだけが、一応は警戒心を如実に表していた。


 リリアナは、ベッドに体重を預けるだけで、目をきつく閉じたり開いたりを繰り返している。眠れない様子だ。何かを諦めたように嘆息して立ち上がると、寝室を後にして、居間へと移動した。


 ソファに座りこむ。そして、今度は立ったり座ったりを繰り返して、苦しげな表情でうろうろしはじめる。その悩ましげな表情は、何かが決心できない様子を細やかに表していた。

 と、急に立ち上がって、外へと続くドアまで進んで行ったが、何もすることなく、戻ってまたソファへと腰掛ける。そして、大きく嘆息した。


 ―――意気地がなくて、嫌になるわ。

 彼女はたった一言を伝えたいだけなのだ。だが、それが難しい。


 ある日を境に、リリアナも、そして相手もお互いに一線を引いた関係性を作って来たのだ。今さら素直に物を伝えるのが恥ずかしいと思うリリアナの考えは、強ち間違ってはいない。


 ―――お、女は度胸よ!

 それでも何と気合を入れて立ち上がり、つかつかとドアまで歩いて行く。ノブに手を掛けたが、それを止め、リリアナはそこに座り込んだ。

 ゆっくりとノックをして、声を掛ける。その声は震えていた。


「…アラン、そこに居る?」

「はい、どうかなさいましたか。眠れないのですか?」


 返ってきた声で、本当にアランが自分の部屋の外に居るのだと分かったリリアナは、さらに緊張した。ノックした方の手が震えている。その手を反対の手で包み込み、落ち着くようにきつく抱える。そして、深呼吸をしてから、両手を扉に付けて、ゆっくりと口を開いた。


「今日は、その…」

「あの事は、どうかお気になさらず。アルキナスさまや陛下が事を進めておいでです。姫はどうか安心してお眠りください。」


 自分の言いたかった事は言えていない。それでも、明確に話に触れないでおいてくれた事は、リリアナにとっては嬉しいことだった。


「それもあるけど、そうじゃなくて…」


 自分が訳の分からないことを言っているのは分かっていた。だが、それでもリリアナは感謝の気持ちを伝えたいと思っているのだ。しばらくしても上手く言葉が出ない。口ごもってしまう。それはいつも口をまともに聞かないせいではあるが、それ以上に素直になる難しさからだった。


「どうなさったのです。何か御不便でも?所要でしたら、アニーを連れて参りますが…」


 訳が分からないと言った様子で、困惑した声色だ。それを読み取ったリリアナは、アランの鈍さに少しだけ怒りを覚えた。


 女としては、そこはかとなく読み取って欲しいものだ。しかし、鈍いのかアランはそれを理解できていない。このままでは、この会話は平行線だ。何時まで経っても終着点が見つからないだろう。


 リリアナが答える間もなく、間髪いれずにまたどうしたのかを問うてくる彼に、彼女はとうとう痺れを切らした。少しは待って欲しいのに、それさえもしてくれない鈍さに頭に来たのだ。


「今日は助かったって言いたかっただけ!」

「騎士として当然の事をしたまでです。」


 彼女は予想通りの答えに辟易する。何処までもアランはアランだ。型を抜け出すことなく、そこに納まろうとする。


 だけど。リリアナの心に残る事もあった。

 いつもなら全てに応じるはずの彼が、彼の意思を持ってリリアナを部屋へと運んだ。部屋までたどり着くまでの道筋で、何度も大丈夫だから下ろすようにとリリアナが言っても聞かなかった。頑として彼の意思を貫いたのである。そのほんの少しの変化が、彼女には嬉しい出来事だった。



 確かに騎士としては当然の行動だったのだろう。それでもリリアナは言いたかった。たった一言だけのお礼を。


「…ありがとう。」


 そう言うとさっと立ち上がる。恥かしさが込み上げてきて、どうにも落ち着かないようだ。


「おっ、おやすみなさい!」


 言い逃げて、今度こそ寝るために布団へと潜り込む。だが、さっきよりもよほど目が冴えてしまったのは、胸の鼓動が治まらないからだった。



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