07.「違います!」
「姫さま、大丈夫ですか?」
「ええ。」
リリアナはそう返事をしながらも、ソファにぐったりと身体を預けた。
今は王の間での式典も終わり、国民への姿見せも無事に終了して、自室へと戻っている。今日一日ずっと緊張感が張り詰め、コルセットにドレス、ヒールと息苦しい思いをしているのだ。ほんの一時の休息を無事に自室で取れた事を嬉しく思うべきだろう。
しかし、今日はまだ終わらない。この後には夜会が開かれるのだ。自室に戻れたのも、単に衣装替えと言うだけだった。
「アラン、夜会に騎士は必要ありません。今日はもう下がっていいわ。」
「しかし…」
「貴族たちとの間にある信用問題にかかわるのよ。それでも、というのならばクロード家の一員として参加するべきね。騎士は夜会に参加できないもの。」
少し嫌味を言ったのは、自分の精神が疲弊しきっているからだ。
―――アランに当たっても仕様がないのに、私らしくもないわね。
そう思い、謝ろうとするが咄嗟に口を噤む。喧嘩するほど仲が良いわけではないと思って、思い留まったのだ。それではただの嫌な女になってしまうが、リリアナは今更どうでもよかった。
しばらくじっと視線を感じていたリリアナだったが、彼が何も言わずに礼をして出ていくと大きく嘆息する。ちょっとしたやりとりだったが、あまりに意識し過ぎてより疲れが増したのだった。
「あんな言い方をされては、アランさまがお気の毒ですわ。」
全てを傍観していたのか、衣裳部屋からドレスを運んできたアニーが言った。それを聞いてリリアナは頬を膨らます。どうやら拗ねたようだ。
「そんなお顔をされたって、本当のことなんですから。さ、リリアナさま、お着替えいたしましょう。」
するすると白の重いドレスを脱ぎ、コルセットも外す。リリアナはようやく生きた心地がしたのだった。
今まで簡素なワンピースを着ていたにすぎない少女にとって、ドレスと言うものが板に重たく、いかに不便なものか。王族に憧れる城下の女の子たちの話を聞いたことがあった彼女だったが、そうであるリリアナにとってはそっちの意見の方が不思議でならなかった。
縛り付けられた生活や勉強は窮屈でしかない。自分のためではなく、常に人のためを考えなければならない。それならば町娘として自分の好きな事を見つけ、自由な仕事に就き、気ままに生活した方がよっぽど人生が楽しいはずだと彼女は思っているのだった。
「夜会なんて出たことないわ。とりあえず父様と一曲踊ればいいのでしょう。」
運ばれてきたフルーツを一つ取り、口に運ぶ。今日の主役であるリリアナが緊張して何も食べられないことを配慮してのことだった。しかし、その配慮もすぐに役目を果たしてしまう。彼女はもうそれに手を伸ばすことはなかった。
「うーん、一度化粧を落としましょうか。」
再度化粧を施されると知ってリリアナは抵抗を見せるが、それは叶わなかった。アニーに洗面所へと追いやられ、肩を落とす。こうなったら抵抗は出来ない。リリアナは彼女の言葉に従って化粧を落として自室へと戻る。戻った時のアニーの満足げな顔に、また肩を落とした。
「さ、着替えましょう。」
「少しだけ待って。10分だけでいいの。独りにして頂戴。」
彼女は意思を持って言ったつもりだった。しかし、その言葉の語尾の弱さは彼女の心の疲弊を示している。アニーはそれに気づいて、10分したら戻ってくると述べて部屋を出て行った。
あらかじめ用意されていたホットミルクに口をつけると、リリアナはその香りにホッとする。それはマリアンヌには取られなかったカモミールの香り。本当に心癒されるものだったために、取られなくて良かったと心底安堵した。
心も身体も思った以上に疲労を感じている。こんなに大変な日々がこれから続くのかと思うと、リリアナは落胆せずには居られなかった。
******
「アラン?こんなところで何をしているんだ。」
アルキナスの自室がある階の開けた場所に、幼馴染みが居た。彼は酷く落ち込んでいる。何事かと思って声をかけたアルキナスだったが、すぐに後悔することになった。
…反応しないのだ。普段なら完璧な態度で接してくるはずのアランが、王族たるアルキナスの言葉にピクリとも身体を動かさない。 これは重大な事でもあったのか。果たして、話を聞いてやるべきなのだろうか。それとも、放っておいて欲しいのだろうか。
アルキナスにとっては実に悩ましいことではあったのだが、ここにいては注目が集まってしまう。半ば強引に背中を押して、自分の執務室へと押し込んだ。
定位置に腰掛けさせ、恒例となっている不味いお茶を入れる。いつもは必ず一口飲んでまずい、というはずなのに、手をつけようともせず、形の綺麗な瞳と整った眉を歪ませて何やら悩んでいるようだった。
「アラン、何を悩んでいるのか話してくれたら楽なんだが。」
全く状況が読めないこの状況では、理解することも助言することも出来ない。しかし、訊いた言葉が右から左へと流れているのか、やっぱりアランは反応しなかった。
そして、しばらくしたその時。
「…騎士は夜会にはお供出来ない。リリアナさまは参加しようと思うのであれば、クロード家の人間として参加するべきだとおっしゃられて。本当に、その通りだと思った。」
―――なるほどな。
すぐにアルキナスは理解する。つまり、アランは心の内で葛藤しているのだ。
リリアナの傍にいたい。しかし、それは一騎士としては許されることではない。それに加え、自分の矜持もある。自分の意志で騎士となったために、今さら貴族の息子として参加など出来ないのだろう。
―――リリーのもの言いもそうだが、アランの思考も大概まどろっこしいな。
アルキナスは心の中だけでそう零し、なおさら厳しい顔つきの彼に憐れむような視線を向けた。
兄として、友人として二人のそれぞれの気持ちは理解している。お互いがどう思っているのかも傍目では明らかなのに、どうにもならない二人がじれったいと思っていた。
それに、アランがどうしても夜会にまで付き添いたいという気持ちがアルキナスには分かっている。 今日のリリアナは麗しい。綺麗なドレスに身を包み、普段施さない化粧をしている。いつもと違う大人びた妹に、彼は一瞬赤の他人の女性を見るようにドキリとしてしまったのだ。
アルキナスは今日一日で大分見慣れて普通になっているようだが、アランとしては気が気じゃないだろう。さらに、今日の主役はリリアナだ。代々国内だけで繁栄するこの国の特徴から、貴族たちが王族に取り入ろうとしてすり寄ってくるのが目に見えている。それだけならまだしも、今日のリリアナは美しいのだ。その美貌に引き寄せられて、いらぬ虫がくっつくかもしれない。
兄としてでさえ気が気でないのに、それが自分の好意を寄せている相手だったらどうなのだろうか。しかも、自分の階級を無視して騎士になったアランが、いくら美青年だと言っても好奇の目に曝されるのは決定事項となるはずだ。
足の引き摺り合いが好きな貴族たちにとって、アランは格好の餌となってしまう。心配事だらけの夜会。それへの参加は悩むべき一件だろう。彼はそう思っていたのに。
「リリーに近寄ってくる輩に、俺は黙っていられなさそうだ。貴族たちとの信頼関係に関わるからと護衛を断られたのに、じっとしていなかったら何と思われてしまうのか…」
何だその心配は、とアルキナスは脱力してしまった。しかし。本人はいたって真面目だ。
「夜会に参加しないのではないのか?」
「いや、心配だから参加するよ。」
そこは何の問題も無かったらしい。自分の矜持よりも、リリアナの心配が彼にとっては優先事項なのだ。
自分が二の次になっている彼をアルキナスは呆れたように見つめる。しかし、心配で目の前がいっぱいなアランは、それにさえ気づかなかった。
******
会場に沢山の人が溢れている。それこそ国から厳選された名立たる人物が集められ、この国の第二王女の成人を盛大に祝っていた。
さらに言及すると、このように大勢の有名人たちが一挙に集まることはほとんどない。これは本来催される夜会の五倍以上の規模に当たっており、それこそ沢山の人と知り合いになるために挙って皆集まっているのだ。
それに加え、もしかいたら王族と親類になれるかもしれないという淡い期待を抱き、今日の主役に取り入ろうと誰もが画策している。このような場であったとしても、政治の舞台は政治の舞台なのだ。
しかし、それだけでないことも確かである。稀に見る力を所有する白の姫君。従来ならば、影が薄い、存在感がない、町娘の様だ、と言われている彼女の今日の評判は、いつものものとはかなり違うものだ。
麗しい。魅力的。そう囁かれ、皆が一目見ようと期待していた。それが、ある特定の人物の心を乱しているとも知らずに。
会場には音楽が響いている。だが、多く集まった人々の話し声に素晴らしい演奏はかき消されていた。しかし、一瞬でそれが消え、残った音楽が会場中を覆う。それは先の話題にも上がっていた白の姫君が現れたからであった。
式典の時とは違う、淡い桃色のふんわりとしたドレスを身に付けた彼女は、白いドレスの時とは違い、綺麗な女性から一変して愛らしい女性になっている。そして、ここでも皆を惹きつけて止まなかった。
彼女は会場の中心にいる父の元へ行くと、綺麗に一礼をする。それに答えるように返礼がされると、音楽が途切れ別のものへと変わった。
それはダンスが始まる合図。それと共に、ダンスパーティーが始まる合図でもあった。
主役がまずは一曲を踊り、自曲から参加者はダンスに加わる。誰もが一曲踊ることが必須であり、それ以外には会話をするもよし、料理を堪能するもよし。自分たちの好きなようにしていいことになっていた。
一曲を終えたリリアナはすぐに壁に寄り添う。もう何もしたくないという心を表した行動だったが、如何せん今日の主役だ。皆が放っておかないのは無理も無い。次々にされるダンスの誘い。それを曖昧な笑顔で断り続けた。
―――お願いだから、放っておいて。
リリアナ自身としてはそのような態度をしているつもりだったが、それはどうも上手く伝わってはくれないようだ。次々と誘いは続き、落ち着く間もない。それでも何とか断り続けていたリリアナに、極上の笑みを浮かべる女性がひとり近づいて来ていた。
「貴女、失礼よ。」
真っ向勝負と言わんばかりに喧嘩を吹っかけてきたのは、彼女の腹違いの姉だった。その表情には笑顔が貼り付けられていて、周りから見れば麗しい姉妹のひとときに見えるだろう。しかし、リリアナの表情はマリアンヌが来た時点でさらに曇ったものとなっていた。
「必須の一曲は父さまと終えたからいいけれど、全ての誘いを断るなんて、貴女の分際でえり好みかしら。とても傲慢で高慢ね。」
彼女に言えた事ではない。しかし、今現在の彼女は嫉妬に狂っていた。その胸中は穏やかではない。
今までされていた多くの誘いが、いつもよりも少ない。そして、人が蟻のように群がって行くその先には、暗い笑顔を浮かべた妹が居るではないか。
何故、どうして。その疑問がマリアンヌの脳裏から離れない。
―――何故あんな子を誘うの。
―――どうしてわたくしを差し置いてあんな見栄えもわたくしに劣るようなこの元へ行くの。
嫉妬に狂った女は怖い。何を仕出かすか分かったものじゃないだろう。しかし、彼の妹君は知る由も無い。いつものように曖昧な笑顔を浮かべて、ごめんなさいと一言だけ言った。
会話が途切れ、空気が不穏なものになりそうな時。周りの多くが高貴な二人が揃っているために声をかけられない中、何の躊躇も無しに声をかける者が居た。これまた高貴な御方。王位継承者であるアルキナスであった。
「リリー、さっきから誘いを全て断っているようだね。」
柔和な笑みを浮かべる兄にもリリアナは一言謝る。その言葉に対してアルキナスは、責めている訳ではないと弁解したが、リリアナにとってはそれと大して変わらないものだった。
それまで姉にそのことで諌められていたのだ。適時な話題だったために、たとえ兄にその気がなかったとしても、妹には説教のように感じられた。
「違うよ。俺が言いたいのは、万が一気が重くて他の男の誘いを断っているのだとしても、兄の誘いまでは断らないだろう、ってことさ。」
実は、アルキナスは声をかける様子をうかがっていた。つまり、マリアンヌとの会話に聞き耳を立てていたのだ。それは案の定表情とは異なる、刺々しい会話。それを聞き兼ねた彼は見計らったのだった。
「…ええ、喜んでお受けいたします、お兄さま。」
やはりどこか陰のある笑みだったが、綺麗に礼をして兄のその手に手を重ねる。嬉しそうな顔をする兄に、リリアナは心がほんのり温かくなった。
が、それもつかの間。その後ろに控えていた人物が目に入ったマリアンヌによって、一時的な安堵さえも奪われる。何せ彼女のお気に入りが、居るはずもない此処に居るのだ。
「アラン!なぜ貴方がここに?」
「…私は、クロード家の者ですので。」
控え目にそう言っているのは、先に参加するなと言われたのにここに居るからだ。なるべく気にして欲しくなかったのだろうが、そうもいかなくなってしまったことへの気後れだった。
アランは痛い視線が突き刺さるのを覚悟していたが、それさえもない。遠くからの視線は嫌なほどアランに降り注がれていたが、近くに居る主からは何も感じられなかった。
こんな時でさえ、空気を読むことが出来ないマリアンヌ。アランに近づき手両手を取る。そして、目をキラキラさせて言うことには。
「貴方はわたくしを誘わないのかしら?」
目の前に美女が居るのよ、と目が言っている。それに対してアランは身を後退させながら、その手を下ろさせた。アルキナスに視線を送るが、面白そうにしているだけで何もしようとはしていない。
アルキナスは、アランの動きを見ているのだ。
「申し訳ございませんが、私にはそう言った教養は御座いません。騎士になるために、軍に入った身ですので、そう言ったことに知識は皆無なのです。このような場で醜態をさらすわけにも、マリアンヌ様にそのような思いをさせる訳にも行きません。どうぞ、貴女様に似合う素敵な男性の誘いを受けてやってください。」
断られた。その事実が信じ難く、マリアンヌは目の前が真っ暗になったように感じている。
―――このわたくしの誘いを断ったと言うの?
黒い感情が心を埋め尽くしていく。そして更に闇が濃くなったのは、目の前の男性が視線を巡らしているのが自分ではないと分かった時だった。
アランは表情は一切変えず、しかし目だけは心配だと言わんばかりに主であるリリアナを見ていたのだ。またリリアナに取られたことを悔しく思い、彼女は唇を噛み締める。それを見ていたのは、アルキナスだけだった。
彼は何事もなかったかのように妹の手を取って、移動してダンスを始める。アランの視線を感じながら、アルキナスはこれからのことを不安に思っていた。
アランの言っていたことは正しいし、いくら貴族の息子であっても一介の騎士である。しかし、正論を正論としてとらえられないのがマリアンヌだ。己の意見が通らなかったことに憤慨しているだろうと思う彼の心配を余所に、アランの視線はリリアナを捕らえて止んでいなかった。
******
ふう、とため息が零れた。遠くで人の煌めく声が聞こえる。余りの華やかな席に、主役であるリリアナは疾うに逃げだしてきていた。
今はバルコニーに居る。誘いは留まる事を知らず、嫌がっているのが分かっているだろうに後を絶たなかった。それが嫌になったのだ。父に目線で意思を伝え、首肯を貰って非難した。
昼間とは違う冷えた空気が、会場内での火照りを癒してくれる。熱気に包まれた会場から避難できたことを嬉しく思い、リリアナは手すりに寄りかかってもう一度深く嘆息した。
これがこれから毎日続くのだろうか。…そう言った疑問が彼女の頭を埋め尽くし、至極残念に思った。
もともと自由がない彼女にとって、王族としての生活は窮屈で仕方ないものだ。それがこれから公務や社交界などと言ったもので忙しくなり、本当の意味で自由がなくなってしまう。
大人になると言うのはそう言うことなのだ。義務と責任が課せられる。子供のように我が儘ばかり言っていられない。
そう思ったら煌びやかな明かりが鬱陶しくなり、リリアナは外へと目を向けた。
夜闇が広がっている。眼下に広がる城下町には、ちらほらと明かりが灯り、さして騒がしくも無く静かな様子だった。
彼女にとってはそう言った街の生活に憧れを強く持っている。ドレスを纏い、堅苦しい態度や口調で家族と接しなければならない。リリアナはそれをある意味不幸だと思っていた。
不意に背の低い木の葉が揺れる音がした。王宮内には動物は入り込めないはず。ならば、人か。
―――もしかして、夜盗か何かかしら。
そう思いながらも、危険など省みずに茂みに近づいて行く。それは、今夜の警備の厳しさや、人の多さから安心していたから。それほど危ないものではないだろうと踏み、近づいたのだった。
「…まぁ!大丈夫ですか?!」
リリアナは駆け寄った。そこにいたのは、正装をした男。おそらくは今夜のパーティーのゲストの一人だろう。その人が倒れている。
リリアナは血相を変えてマナー違反だろうが、一階にあるバルコニーに居たために手すりを飛び越え、近づいて行った。ぐったりとしているその人は、どうやら病気ではないらしい。酷い酒気が漂ってきて、どうやら酒の所為で倒れたのだと彼女には理解できた。
それでも、放っておくわけにはいかない。酒が原因で様々な死がもたらされることもある。しかし、倒れているのは成人男性。体格はややほっそりとしているが、非力のリリアナには到底運ぶことが出来ない重さだ。
「今すぐに人を呼んでまいります。それまでここで動かないようにしていてください。」
男性を揺すり、反応を待つ。が、全く動かない男性に不安になる。口元に耳をやると、どうやら呼吸はしているらしい。
心配ではあるが、運べない自分よりも誰かを呼んできた方がいいだろう。
そう思って離れようとした時、急に腕を引かれたリリアナは、偏った体重を支えることが出来ずに男性の上へと倒れ込んだ。
すぐに退こうとするが、それはどうしても叶わない。そのうち、何かの所為で自分が動けないことを知ったリリアナは、それが倒れているはずの人の腕だと気付いた。
「はっ、離してください!」
「何で?別にかまわないだろう。一夜の恋を楽しもうじゃないか。」
夜会において、ほんの一時の恋を楽しむ男女は少なくはない。年若い男だけではなく、男性は幅広い年代がそうして、女性は若い人は珍しく、未亡人などがそうすることが多かった。しかし、これはどう言ったことか。酔った男はまだ年若いリリアナに手を出そうというのだ。
身体を反転させられ、下敷きになる彼女。それを余所に、これで手を出しやすくなったと言わんばかりに嫌な笑みを男は浮かべた。
酒気がすぐ傍から漂ってくることから、どれほど近いか分かる。リリアナは必死に抵抗した。
「離してっ、離しなさい!」
「恥ずかしがらなくてもいいんだ。」
―――恥かしがってるわけじゃないのよ!
必死に抵抗しようとも、上手くできない。声を出そうと息を吸えば、口を手でふさがれてしまった。
どうしたらいいのか分からない彼女は混乱している。兎に角、じたばた暴れてみても、解放してくれないらしかった。
何度も叫ぶ。だが、声は響いてくれない。何度も暴れてみる。だが、抑えつけられている腕は緩まなかった。
叫び、暴れる。そうしても、どうにもなってくれない展開に、リリアナは諦めそうになる。男の顔がどんどん近寄って来た、その時。
「…その、汚い手を離せ。」
どすの利いた低い声が聞こえた。
目を閉じて必死に顔を避けようとしていたリリアナは、強張らせた表情のまま目をそっと開ける。そこに見えた光景で、自分が助かったのだと安堵した。
そこには、アランとアルキナスが居たのだ。アランの方は剣を男の首元に突き付けている。男は顔も身体も強張らせていた。どうやら自力ではどけそうにもないらしい。そう判断したアルキナスは、手でアランの剣を持つ拳を抑え、男の身体をリリアナの上から蹴り退かした。
男は、笑ったような怖がっている様な、訳の分からない表情を浮かべている。しかしながら、目の前に居る人物が誰かは分かっているようで、座ったまま後ずさって、逃げようとしていた。
もう一度剣が突き付けられると、先のように身体を固くして動かなくなる。アランはそのまま声を硬くして、そして睨みつけながら言った。
「…この御方は、シュトラエネーゼ王国第二王女のリリアナさまだ。今日の主賓であるこの方が分からず、手を出そうとするとは。…お前、死ぬ覚悟はできているだろうな。」
鋭い視線を受け、男は情けなくヒッと声を漏らした。
「ち、ちち違うんだ。お、俺が、誘われたんだよ!」
何をどう思ったのか、必死に自分の弁解を始める男に、二人は冷たい視線を向けている。そして、一度だけリリアナを見つめた。
その瞬間、彼女の表情は固まる。そして、言った。
「違います!」