04.「ごめんなさい」
マリアンヌが父も元へ騎士の打診へと行った日の午後のことだった。
ちょうど同じ頃。久々に兄アルキナスが愛妹の部屋を訪れた。それは公の人となる妹への心配と、最近勉強が進んでいないという噂の真相を確かめるためであった。
嬉々として訪れた兄とは違い、部屋の主は悲しそうな笑顔を浮かべている。いつもなら、とびきりの笑顔を浮かべてくれるはずなのに、とアルキナスは妹と同じ色の髪を揺らし、首を捻る。そして、心配げに緑色の瞳をリリアナに向けていた。
「アニー、何があった。」
まず最初に彼女付きの侍女に聞く。多くを語らないリリアナが正直に話さないと分かっているからこその行動だった。そして、それは正しい。今回もその侍女は一部始終を目撃していたのだから。
「ここ数日、マリアンヌ様がリリアナさまの部屋を訪れておいでです。」
その一言で全てが分かったらしい。苦笑を浮かべている。そしてまた訊ねることには、今度は何を取られたのか、とのことだった。
リリアナのことならすべてお見通しのアルキナスにとって、あの姉にあたる人は鬼門でしかなかった。
全てを包み込むような優しい雰囲気を持つアルキナスは、兄弟を大切に思っている。中でも自分と血のつながりが濃いリリアナは特別だ。
他の下二人の王女を蔑ろにしている訳ではないが、押しに弱い第二王女を一番心配しているのだった。そして、そんな可愛い妹に辛く中る第一王女は良い存在とは言えない。しかし、その驕った性格から何を言っても聞かないのだ。アルキナスはもう関与しないことに決めていた。
「最初はリリアナさまのお好きな紅茶でした。」
それならばたいしたことではないだろう。しかし、アルキナスに引っ掛かるのは連日の訪問。そして、リリアナの暗い顔。取られたものがそれだけではないことを悟った。
「次は、お披露目に備えて新調したドレスを。」
ここでリリアナの表情もアルキナスの表情も歪んだ。
「そして、これはお取りにはなりませんでしたが、この部屋の香りを。さらに…」
続けようとしたアニーの言葉を、リリアナが遮る。それは、順番通りにいけば次に出てくるものは彼女にとって大切なものだったから。
「ごめんなさい。」
急に口を挟んだリリアナは、とても辛そうな表情をしている。今にも泣きそうだ。アルキナスは立ち上がって、リリアナの隣へと座り頭を自分の胸へと優しく抱え込んだ。
「リリー、どうして急に謝るんだ。」
優しい口調、そして、今となっては唯一呼んでくれるその自分の愛称を聞き、リリアナは涙をこぼしていた。アルキナスはひたすら頭を撫でて、落ち着かせようとしている。しばらくすると、リリアナからもう一度謝罪の言葉が紡がれた。
「お兄様とアランにもらったパールのネックレス、姉さまに取られてしまったの。私、嫌と言おうとしたのに、できなくて…」
やれやれ、とアルキナスは嘆息する。
そのパールのネックレスとは、アルキナスとアランがリリアナが10才になった時にプレゼントしたもの。この6年間、ほぼ毎日つけて大切にしてくれていたものだった。
その時の様子が伺えるようだとアルキナスは思った。その時の状況を想像することなど、容易いことなのだ。特に、あの女の性格を知っていれば。
アルキナスはマリアンヌのことを姉とは呼ばない。それは国王になる自分が兄弟に見せつける威厳のためだった。だからと言って名前を呼ばないのは妹たちに対する日ごろの態度によるものだが。
―――どうやって取り返そうか。
そう思案していると、アニーが再び口を開いた。
「申し訳ありませんが、まだ取られたものの全てを申しておりません。」
「なんだ。」
「マリアンヌ様は、姫さまにアランさまをくれと申されました。」
空気が凍った。いつも穏やかなはずの兄の変化にリリアナは驚く。自分を驚いたように見上げてくるリリアナを、アルキナスは苦笑したように頭を撫でる。表面では笑顔だが、実際の心は違った。
―――あの人は、また酷いわがままを言ったな。
「数日前に謁見の手続きをして、今日お目通りが可能になりました。マリアンヌさまは今日、陛下にアランさまを自分の騎士にするようにお願いに行ったそうです。」
―――…やりすぎだ。
表面上の笑顔ですら外れてしまった。
アルキナスはなぜマリアンヌが酷いことをリリアナにするのか分かっている。それは、妬みだ。王妃の子であり、この国にとって重要な治癒魔法が使える。これこそがすべての始まりだった。
始まってからと言うものの、一回りほど違うリリアナにマリアンヌはたくさんのことを吹き込んできた。それが幼いころからの積み重なりにより、リリアナの心を蝕んでいる事は分かったが、それまで大した被害はなかったために放っておいたのだ。
しかし、もうそうはいかない。
アランは己の意志でリリアナの護衛に付いているのだ。たくさんの心を隠して。それを邪魔するだけでなく、水面下で囁かれている第一王女の間男に加えられるのかと思うと、黙っている訳にはいかなかった。
アランとは、親友なのだ。いくら身分が違えども、幼いころから共に在り、時間や想いを共有してきた。大人たちの策略など関係なく、二人が仲良くなるまでに時間はかからなかったのだ。そんな二人を引きさこうとは。アルキナスの中に沸々と湧いてきた怒りはその心を浸透し、一つのことを決心した。
「ごめん、リリー。俺、もう行く。また日を改めて来るよ。あと、アランを少し借りていく。」
アルキナスは不安そうな妹の頭を撫で、そこを後にする。帰り際に扉の前に立っていたアランを引き連れ、従えるような形である場所へと向かった。
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「父上。」
部屋に入って早々の呼び名で、そこにいた男は破顔した。
アルキナスに父と呼ばれたその人は、第47代国王だ。普段なら謁見の手続きをして手順を踏まなければ会えないような相手。それに対して迷惑を顧みずにやってきたのは、アルキナスが公の立場を取っ払って、家族として会いにやって来たからだった。
「アランも久しいな。」
息子にハグを求め一蹴された国王は、今度は昔馴染みの息子へと求める。それもやんわりと断られたせいで凹む父の姿を、アルキナスは呆れた顔で見ていた。
これでは話が進まない。そう言う意味を込めて睨みつけてやると、大人しくなって椅子へと着いた。
これで史上最大の賢王と称されているのが信じられないところだが、政治に対する才があるのは確かなので、認めざるを得ない。子煩悩でなければ尊敬に値するのに、とアルキナスは少し残念に思った。
ソファにドカッと座り、アランにも座るように促す。それを断るアランにアルキナスは言った。
「俺は今、陛下ではなく父に会いに来ている。アランには俺の幼馴染としてここに座って欲しい。」
そう言われてしまえば、断ることができないと思ったのは見事的中した。
やれやれと言わんばかりにゆっくり座る姿を横目で眺める。いつの間にか笑顔が消えている表情を見て、アルキナスもやれやれと思っていた。
「アランの美男子ぶりは噂に違わんな。あのマリアンヌですら気にいるとは、大したものだ。」
「父上、そのことでお話に参りました。」
さっきまでの表情は消え、ぐっと厳しいものになる。無意識ではあったのだが、アルキナスの変化に他の二人の表情も厳しいものとなっていた。
「父上は俺とアランと約束をしたはず。それを違える事はないでしょうね。」
威圧的。その一言に尽きるアルキナスの態度。もちろん分かった上で彼もその態度を取っていた。
「もちろん、忘れてなどおらん。男と男の約束だ。それに、そろそろあの娘の行動も目に余ってきたしな。」
あの娘、つまりマリアンヌである。
この国では他国のものと婚姻を結ぶことは少ない。だからといって、どの貴族にも手を余らせてしまうマリアンヌには婚約者もおらず、完全な嫁き遅れだった。この娘が早く結婚してリリアナから離れてくれることを誰もが望んでいるのに、それさえも叶わないのだ。
そして、王族としては長女から順に嫁に行くことが望ましい。マリアンヌが結婚しなければ、二人を引き離す手立てはないのだ。
「我が儘を今回は聞けないと言った時の、あの父をも殺そうと言わんばかりの目。余は悲しい…」
シクシクとしている父にため息を吐き、その判断に一応礼を言ってそこを後にした。さめざめと泣く父は放置して。
次は自分の執務室へとアランを導き、人払いをして座らせる。美男子と言われるその表情は、無表情でそれが際立っていた。
アランが笑えるのはリリアナの前だけだ。それが本物であろうと偽物であろうと。それが分かっているアルキナスは、気にすることなく自らの手で淹れたお茶で彼をもてなした。
「…不味いな。」
「悪いな。俺はリリーのように美味くは淹れられない。我慢してくれ。」
男二人で静かにお茶を飲む。和やかとは言えない彼らのお茶会は、いつだってリリアナのことだった。
「今回は、あの人が悪いことをしたな。しかし、俺の忠告を聞かなかったお前が悪い。」
忠告、それはマリアンヌに会ってはいけない、というものだ。
アランの美男子ぶりはクロード家で一番。兄たちをも凌いでしまうその人気は、見目の麗しさと剣の強さ故。噂を耳にしているであろうマリアンヌがアランを気に入ってしまうという予想は、妹と幼馴染を心配するアルキナスによって忠告と言う形で表れていたのだ。
「すまない。リリアナさまのお披露目で忙しくしていて、忘れていた。」
確かに、今はリリーにとって大切な時なのだ。それを邪魔するためにお茶を飲みに行くあの女が悪い。
アルキナスは不味いお茶をもう一杯注ぎ入れ、嘆息した。
「お前、何かあっただろう。」
「そっちこそ。」
地位を取っ払った二人に隠し事など存在しない。そして、すぐに何かあったことが分かるほど、二人は長く一緒にいるのだ。
まずは自分から、とアルキナスはさっきのことを話す。その時のアランの表情は辛そうになっていた。
「リリーが涙を見せたよ。俺たちがプレゼントしたネックレスをあの女に盗られた、と。」
それまでだって、慣れないことに気が沈んでいたのだろう。それに拍車をかけたマリアンヌの訪問と我が儘の数々。涙を促す最後の駒だったのだろう。それに加え、アランの言った事実に、アルキナスはリリアナが涙した理由に確信を持ったのだった。
「リリアナさまがマリアンヌ様の一件から俺に対して急に冷たくなった。自業自得なのだが、その冷たさに辛さを感じて、思わず“リリー”と呼んでしまった。その後大声で泣いていたから、してはいけないことをしてしまったと後悔した。」
あの頃に戻りたいと、この時のアルキナス、リリアナ、アランの誰もがそう思っていた―――




