01:目を逸らす平和
粉を量り、材料をかき混ぜ、オーブンを暖める。アルゼンタムは朝早くからキッチンにこもってお菓子を作っていた。
一月ほど前、異能力が発覚したが日常に変化はない。時間を巻き戻す能力など日常で使いようがない上に、アルゼンタムはいまだにその力を把握できていなかった。自分の意志で使うことが出来ない力なので、持っているという自覚すら薄れる。
何事もなく日々は過ぎ、恐れていたバムルウの訪問もなくすっかり平和な日常に戻っていた。そして、つい昨日『心眼』から連絡があったのだ。
エルウ・ダーク・スカイの張った結界が揺らいだ。確かめたところ危険はなさそうだし、会いたいなら会いに行っておいで、と。
アルゼンタムが消した時間で、バムルウはエルウの身に何か起きたのだと示唆していた。『心眼』も危険だとして許可せず、『組織』に任せておけの一点張り。かといってアルゼンタムに何か出来ることもなく日々を消費していたのだが。
その、許可が出た。
「って、言ってもなぁ……」
アルゼンタムは生地を作りながら唇を引き結んだ。多少だが心配はしている、だがどこまで踏み込んで良いものだろうか。アルゼンタムはこの世界について深く知っているとはいえず、エルウの立場もよく分かっていない部分がある。何があったのか聞く権利はないだろうし、聞いたところで何か応えられると思えない。
「俺に出来ることなんて、高が知れてるし」
いろいろ考えた末に、お菓子を作って持っていくことにしたのだ。別に、ちゃんと食べているか心配だとか、甘いもので少しは元気付けられるだろうかとか、好きなお菓子を思い出して選んだとか、そんなことはない、はずだ。
かしゃん、とシンクに片付けた料理器具が音を鳴らす。滑らかな銀色のそれらを一瞥し、アルゼンタムはため息とともに呟いた。
「……全く、貴女が元気ないと、グローリーさんが悲しむんですからね」
だから、これはきっと仕事のうちだ。
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手馴れた転移を終え、アルゼンタムは手荷物を確認し辺りを見回した。どうやら無事、結界の内側へ転移したらしい。
『組織』の情報を信用していないわけではないが、アルゼンタムには魔術の素養がないためどうにも不安になる。何か罠が仕掛けられていた場合には『組織』のフォローが入るので大丈夫だとは言われていた。
だが、罠がある可能性があることについて言及し忘れたのが悔やまれる。一体、一ヶ月前に何があったというのか。
アルゼンタムは周囲を警戒しながら、記憶の中にある通りの道を歩き始めた。何度か来たことがあるので屋敷への道も覚えている。歩いて五分ほどで着く距離だ。貴族の屋敷では門から家屋まで馬車で移動しなければならないほど広い前庭もあるので、この程度の距離は短いといえる。
手入れが成されていないからか、やや荒れた庭をアルゼンタムは歩いた。歩いて、いたはずだった。
「…………っ!?」
がくん、と前に踏み出した足がおぼつかなく宙に投げ出される。目を落とし、地面がえぐれ深い穴が顕になるのが見えた。咄嗟に手荷物をかばい、全身をしたたかに打って転がり落ちる。一瞬の浮遊感と、痛み。
呆然と丸く切り取られた青空を見上げ、アルゼンタムは呟いた。
「な、なんで落とし穴が……」
魔術的な罠に関しては『組織』のフォローが入るので、安心しきっていたところにこれだ。まさか純粋に物理的な罠が仕掛けられているとは思わなかった。お嬢様の発想を舐めていた。
と、ばたばたと慌ただしい足音が聞こえてきた。こんな情けない恰好を見られるのは嫌だが、誰かに助けてもらわなければとても抜け出せそうにない穴だ。走り方からしてあのお嬢様ではないだろう、ならば使用人でも雇ったのだろうか。なんでも良いから助けて欲しい。
アルゼンタムはため息をつき、頭上を見上げた。逆光で分かりにくいが、誰かが穴を覗き込んだのが見える。片手でひさしを作って目を凝らし、アルゼンタムはその見覚えのある姿に目を丸くした。穴の外と中で同時に声が上がる。
「あ、アルゼンタム!?」
「え、なんでクラウディがここに?」
銀の髪と金の瞳の青年、シグレ・クラウディとの、一年ぶりの、なんとも間抜けな対面を果たすことになった。
シグレの手により助け出され、アルゼンタムはやや薄汚れた恰好のままエルウに再会した。欲を言えば着替えたいところだが、他人の家でそこまで求めるものではないだろう。
アルゼンタムの情けない姿を見た瞬間エルウは噴き出した。薄汚れた服や乱れた髪形については自覚しているので怒るほどでもない。だがシグレまで微妙な表情になっていたのは何故だろう。
シグレの淹れた紅茶を味わい、アルゼンタムの持ってきた手荷物――奇跡的に崩れていなかったベリーのタルトを切り分けたものに目を落とす。エルウの好みに合うように甘く砂糖漬けにしたベリーを入れたのだが。
「……甘さは控えるべきだったか」
「何を言ってますの?」
「自覚なしか」
漂う空気が、甘かった。
エルウが席に着かず紅茶を淹れるシグレに視線をやっては頬を染め、シグレも顔を赤くして眼差しをいっそう柔らかくした。アルゼンタムが客としてきていることを忘れているのか、見せ付けているのか。どちらにしろ、普段から甘ったるいやりとりが行われていることは想像に難くなかった。
手紙をやりとりする仲からいつの間に進展したのだろう。彼らの関係を祝福したくはあるが、一人で悶々とエルウを心配したのが馬鹿らしくなってくる。アルゼンタムはため息をついてティーカップを置き、二人へ視線をやって口を開いた。
「全く、そういう関係になったんだったら言ってくださいよ。グローリーさんも二人が恋人になったって聞いたら喜んだでしょうに」
「え……」
「な……」
アルゼンタムの言葉にエルウとシグレの動きが止まった。みるみるうちに顔が羞恥で赤く染まりあがり、堰を切ったように口を開いた。
「なな何を言ってますの!? ワタクシとシグレ君が、その、こ、恋人!?」
「僕とエルウ様じゃつりあうわけないじゃないか! ここ恋人とかっ、そんなことあるわけないだろ!?」
「わー、息ぴったり……」
面白い反応だった。思わず棒読みで言って、浮かび上がってくる笑みをかみ殺す。
お互いにこんなに想いあっているくせに、うだうだと理由をつけて恋人関係にはならない。主人と従者だなんて関係にはとうてい見えないというのに。何があったのか詳しくは聞かないが、この屋敷には今エルウとシグレしかいないようだ。二人きりで過ごしていて、何もないとは言わせない。
付き合うまでも時間の問題か、と内心で独りごち、アルゼンタムはティーカップに口付けた。平然と紅茶を楽しむアルゼンタムに、エルウの顔が羞恥で歪む。きっと睨み付けて赤い顔のまま仕返しのように言う。
「あ、アナタこそ、グローリーちゃんとはどういう仲ですの? たいそう仲が良いのじゃなくて?」
「そりゃ、仲は良いですよ。グローリーさんは妹みたいな感覚ですし、大切です」
「く……っ」
頬を染めることもなくさらりと流す。アルゼンタムの余裕の態度に、エルウが悔しそうに唇を引き結んだ。その子どもじみた様子にアルゼンタムは苦笑し、切り崩したタルトを口に運んで考える。
他人の恋愛事情をからかう経験など初めてだが、これは面白い。




