12:前触れのない異変
グローリーの部屋の花瓶に新しい薔薇を生けて、アルゼンタムはため息をついた。あのピクニック以来、グローリーは部屋に蒼薔薇を飾っている。理由を聞いてもはっきりと明確に言えないようだったが、それでも彼女が望むのなら、とアルゼンタムは定期的に花瓶の薔薇を変えていた。
「……また、5日くらいで様子を見るか」
かさり、と指先で触れた蒼薔薇が鳴る。色が褪せる頃には、鮮やかな蒼の薔薇に変える。グローリーがそれを望むからそうしているが、それでも追い詰めるようで心苦しい。
まだ完全に”蒼”に慣れた訳ではないようで、ときおり怯えるような顔も見せる。それでも以前に比べれば格段の進歩なのだし、もっと自身をいたわってもよいと思うのだが。
「どうして、こんなことするんだろう……?」
ぽつり、と零した言葉は紛れもない本音だ。アルゼンタムは何度も考えたが、よく分からなかった。何故変わろうとするのか、理解できない。
蒼を排除した部屋の中で、花瓶の薔薇は酷く浮いていた。
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滅多に鳴る事のないドアベルが鳴り、アルゼンタムは眉をひそめた。この場所を知っている人間は限られているし、来ることができる人もあまり居ない。今まで訪ねてきたのはスカイ家の関係者と『組織』の知り合いくらいなものだ。そしてドアベルを鳴らすような律儀さを『組織』の面々が持ち合わせているとは思えない。
先日訪ねてきたときは『心眼』が食事中のテーブルにアクションスター並みの動きで華麗に着地した。ついてきていた人も、それにノリノリで乗っかってポーズをとる。グローリーが喜んで拍手しなかったら、脆弱な腕力の全力で殴っていたところだ。
アルゼンタムはもう一度鳴らされたドアベルに、性急さを感じた。ますます訪問客は絞られる。
「一体、何の用だ……?」
アルゼンタムは軽く身なりを整え、玄関に向かった。幸い、グローリーは奥の書庫で読書中だ。グローリーのためにも、彼女とは顔を合わせずに済ませたい。
ドアを開けると案の定、バムルウが疲れた顔で立っていた。彼と会うのは何度目かになるが、大抵疲れた顔をしているのが哀愁をそそる。尤も、そそったところで慈悲も気遣いもないが。
「お久しぶりですね。ちょうど、一年ほどになるでしょうか」
「あぁ……そうだな。あの子は、どこに?」
バムルウはちらりと室内を見回して聞いた。その表情は強張っており、どこか焦りも感じられる。じり、と嫌な予感が腹の奥底で渦巻いた。
「……ここで話すのもなんですし、どうぞ中へ。大したもてなしは出来ませんが、お茶くらいならだせますから」
す、と身を引いて応接間へ導こうとするが、バムルウは気まずげに目を逸らすだけで動かなかった。お互いの立場のため和気藹々とまではいかないが、一応の礼儀を示そうと思ったのだが。どこかあわただしいような、困っているような。
スカイ家の人間が困るなら困れば良いと思うが、バムルウは少々事情が異なる。グローリーの敵ともいうべき立場にありながら、唯一直接的に関わることもあってか、妙に同情するような態度を見せるのだ。中間管理職の辛さといったところか。
アルゼンタムは煮え切らない様子のバムルウに、回りくどさを感じた。こういう場合は、いっそ単刀直入に聞くに限る。
「何の用ですか」
「……君に話すことじゃない」
「グローリーさんに関わることなら、俺にだって関わることです。一体、何をしに来たんですか」
バムルウはアルゼンタムの言葉にたじろぎ、迷うように視線をさまよわせた。言うか、言わないか、と迷っているのがよく分かる。つまり、隠している情報があるのだ。
「教えてください」
もう一押しすれば喋るだろう、とアルゼンタムは言葉を重ねた。が、きし、と微かな音と共に、今一番あってはならない声が聞こえた。
「アル、誰か来たの……っ、あ」
引きつるように途切れた声に、アルゼンタムは慌てて振り返った。ドアが開き、グローリーが顔を覗かせている。見る見るうちに顔色が悪くなり、持っていた本が床に広がった。
「……ちょうど良い。探す手間が省けた」
アルゼンタムが止める間もなく、バムルウが一歩踏み出す。グローリーの身体が強張り、アルゼンタムはすぐに駆け寄ろうと足を踏み出した。が、
「”汝の器を司りし時よ凍れ 自由を奪う枷を与えん トゥステイ”」
バムルウの言葉が終わると同時に、ずしりと身体が重くなったかのような違和感がアルゼンタムを襲った。魔術だ、と判断したが、魔力をもたないアルゼンタムには何も出来ない。ただ、黙ってみていることしか。
アルゼンタムが動けないことを確認し、バムルウは再びグローリーに向き直った。そして、わずかに瞠目した。
「……これは」
「あっ……アルに、何をしたの……っ?」
グローリーが怯えて震えながら、まっすぐにバムルウを見ていたのだ。というよりも、敵意を持って睨んでいる。バムルウは予想外のことにたじろぎ、しかし一歩踏み出して答えた。
「……彼を傷つけたわけじゃない、少し身体の自由を奪っただけだ。数分もすれば解ける魔術だから、そう心配しなくてもいい」
「いま、すぐ、といてっ。ここから、で、出て行ってっ!」
スカートの布地を握り締めて、グローリーは震える声で叫んだ。一年前は話すどころか、顔を見ることもできなかった少女が、声を張り上げて糾弾する。バムルウは信じられないものを見たような顔でグローリーを見た。
「出て行くさ、すぐに。……だが、お前も一緒にだ」
「え……」
「本家の命令だ。グローリー・タブー・スカイの身柄を本家に移し、然るべきときの為に準備すること。お前はこれから、本家の屋敷で暮らすことになる」
バムルウの言葉に、グローリーの顔がすぅ、と恐怖に染まっていく。あ、う、と意味を持たない音が唇から零れ、収まっていた身体の震えが激しくなった。
「ひ、いや、嫌ぁ……っ」
「拒否権はない。これもスカイ家の為だ」
こつ、とまた一歩バムルウが近づき、グローリーはよろめくように後退した。その僅かな抵抗にバムルウは唇を引き結んだが、すぐに口を開いた。
「……”これは安らかなる碇 一度の闇に身を任せよ スリープ”」
「っ、あ……」
強張っていた身体の力が抜け、グローリーの身体がふらふらと揺れた。急に襲った眠気に混乱しながらも、バムルウから離れようと足を動かす。が、上手くいくはずもなくすぐに床に崩れ落ちる。
バムルウは嘆息し、グローリーを抱き上げた。そして呆然とするアルゼンタムを見やり、表情を悲しげに歪ませる。
「おれがここを出て行けば、すぐに動けるようになるだろう。すまない、手荒なことはしたくなかったんだ」
何かに喉を押さえられたような圧迫感がある。が、全く声を出せないほどではない。アルゼンタムはバムルウを睨みつけ、緩慢にしか動かない口を動かす。
「なん、で……っ」
「スカイ家の中の立場が変わった。もう、『闇夜空』は使えないから。……代わりが必要になったんだ」
「か、わり……っ?」
代用とするもの。スカイ家、立場。『闇夜空』、エルウ・ダーク・スカイ。
今のスカイ家には、子供が居ない。
「……っ、あ」
エルウに何かあれば、スカイ家の後継に代わるのはグローリーしか居ないのだ。たとえ髪が赤くとも、他に兄弟姉妹はいない。血筋を絶やさないという唯一の手段。
「……話しすぎたな。いや、もう君には関係のないことだ。君の雇用については、おって連絡する」
アルゼンタムの横をすり抜け、バムルウの足音が遠のく。来たときよりもやや緩慢な歩きは、グローリーを抱いているからか。アルゼンタムはその音に、既視感を感じた。否、昔どこかで聴いたイメージがある。遠のく足音、自分ではない誰かの重み。
「あ……」
身体が震え、存在しない過去の記憶が頭の中でうるさく喚く。覚えがない、首に冷たい金属の重み。
「ぁ、あ……いや、だ。いやだ、嫌だ、嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ置いていかないで独りにしないで良い子にするからお願いお願いしますどうしてなんで悪くないぼくはわるくない――――
――こんなの、まちがってる」
銀色の光がはじけ、世界が正しく歪められた。




