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穏やかに隠居したい元英雄、ふらっと立ち寄った邪教の儀式をBBQと勘違いして邪神を炭火で焼いてしまう

掲載日:2026/10/21

穏やかに隠居したい元英雄、ふらっと立ち寄った邪教の儀式をBBQと勘違いして邪神を炭火で焼いてしまう

 深山の夜を、禍々しい赤黒い光が染め上げていた。


 人里離れた古城の廃墟。その中庭では、漆黒のローブを纏った数百人の男女が、巨大な魔法陣を取り囲んでいた。


「深淵の主、虚無を喰らいし古き神、ヴル=グトスよ! 百の生贄と三年の祈祷を捧げ、今こそ現世に降臨したまえ!」


 大司祭の絶叫に応え、魔法陣から黒い炎が噴き上がる。


 大地が震え、空間が歪み、世界そのものが悲鳴を上げた。


「おお……ついに! 我らの悲願、世界の終焉が――!」


「こんばんはー」


 場違いな声がした。


「すいませーん。ここって飛び入り参加、大丈夫ですか?」


 全員が振り返った。


 そこには、ヨレヨレの麻シャツに色褪せたズボン、腰に包丁をぶら下げた男が立っていた。


 右手には鉄串。左手には茶色い液体の入った壺。


 男の名はレオン。


 かつて魔王軍を単身で壊滅させ、世界を救った伝説の英雄である。


 もっとも本人は、英雄という肩書きを心底嫌っていた。


 魔王討伐後も休暇なし。王族の晩餐会、貴族の縁談、騎士団の指導、果ては国王の孫の誕生日会まで駆り出されたのだ。


 とうとう限界を迎えた彼は、


『有給休暇を全消化します。探さないでください。永久に』


 という書き置きを残して山奥へ逃亡した。


 現在、隠居三ヶ月目。


 最大の悩みは、毎日の献立である。


「貴様、何者だ! ここが何の場所か分かっているのか!」


「え? バーベキュー会場ですよね?」


「違うわ!」


「いや、でも皆さんお揃いのポンチョ着てるし、真ん中に立派な火もあるし」


「これは邪神降臨の儀式だ!」


「へえ。最近の町内会って凝ってるんですねえ」


「町内会ではない!!」


 大司祭の血管が切れそうになった、そのとき。


 ズズズズズ……!


 魔法陣の中央から、巨大な何かがせり上がった。


 山ほどもある軟体の巨躯。無数の吸盤を備えた触手。直視すれば精神が崩壊する異形の眼球。


 原初の邪神、ヴル=グトス。


 その姿を見た邪教徒たちは、恐怖と歓喜に涙を流した。


「おおお! 我らが神よ!」


『矮小なる人間どもよ……我が前に平伏せ……』


 脳髄に直接響く声。


『我こそは万物を喰らう深淵の――』


「タコだ!」


『……は?』


 邪神の思念が止まった。


 レオンは目を輝かせていた。


「でっか! すげえ! こんな立派なタコ初めて見た! しかも足が太い! 絶対うまいやつじゃん!」


『……人間よ。貴様、我を何だと』


「いやあ、山暮らしって肉不足になるんですよ。三ヶ月も山菜と川魚ばっかりで。そろそろ歯応えのあるものが食べたくて」


『我は原初の恐怖! 星々が生まれる以前より――』


「刺身もいいけど、やっぱ炭火焼きかな」


『話を聞け!!』


 怒り狂った邪神が、巨木のような触手を振り下ろした。


 音速を超える一撃。


 山を砕き、城を消し飛ばす神罰。


 しかし。


 シュパッ。


「はい、四本いただき」


 ドドドドンッ!


 巨大な触手が四本、綺麗な輪切りになって地面へ落ちた。


『…………ぎ?』


 邪神が間抜けな声を漏らす。


 レオンの手には一本の出刃包丁。


 かつて魔王の不滅の鎧を断ち割った聖剣バルムンクを、隠居の際に鍛冶屋へ持ち込み、魚を捌きやすい形に研ぎ直したものである。


 鍛冶屋は三日間泣いた。


「さて、火は……おっ、いい感じじゃないですか」


 レオンは魔法陣を覗き込んだ。


 そこには万物を焼き尽くす地獄の業火が燃えていた。


「遠赤外線がすごそうだな。これ、炭は何使ってるんです?」


「じ、地獄の永劫業火だ……」


「へえ、高級品だ」


「高級品!?」


 レオンは邪神拘束用の結界をひょいと持ち上げた。


「網もあるじゃん。準備いいなあ」


「それは神を縛る禁忌の封印術式だぞ!?」


「へえ、焦げ付きにくそう」


 ジュウウウウウッ!


 巨大な触手が業火の上で焼かれ始めた。


 レオンは小壺の蓋を開ける。


 醤油、蜂蜜、ニンニク、リンゴ果汁、そして秘伝の香草。


 英雄時代、死線をくぐり抜けながら研究を重ねた究極の焼肉ダレである。


 その開発に費やした情熱は、魔王討伐計画の三倍だった。


「よーし、タレをたっぷり……」


 ジュワアアアアッ!


 香ばしい煙が夜空へ立ち上った。


『ぎゃああああああ!!』


 邪神が絶叫した。


『我が肉体が! 我が不滅の肉体が! 醤油臭くなっているううう!!』


「おっ、いい匂い。そこの人、塩あります?」


「ぎ、儀式用の水銀なら……」


「ダメですよ、そんなの食べたら。健康に悪い」


 邪教徒たちは思った。


 邪神を焼いている人間が健康を語るな、と。


 しかし誰も口には出せなかった。


「よし、焼けた!」


 レオンは串に刺した触手を豪快に頬張った。


「んんんんっ!!」


 目を見開く。


「うっま!! 何これ! プリップリ! 噛むほど旨味が出てくる! しかも後味がほんのり甘い! タレとの相性、最高じゃないか!」


『や、やめろ……』


 邪神が震えていた。


 数千年の封印を経て、ようやく現世に降臨した絶対的捕食者。


 その存在が今、生まれて初めて理解したのだ。


 食われる側の恐怖を。


「お前も食う?」


 レオンが串を差し出した。


『ヒィッ!?』


 邪神は悲鳴を上げ、残った触手を必死に動かして次元の裂け目へ逃げ込んだ。


『覚えておれ人間! いつか必ず――いや、二度と来ぬ! さらばだ!!』


 ズボボボボッ!


 神話の怪物は、排水口に吸い込まれるタコのように消え去った。


「あーあ。逃げちゃった」


 レオンは残念そうに串を舐めた。


「干物にしたかったのに」


 静寂。


 数百人の邪教徒が、呆然と立ち尽くしていた。


 彼らが三年かけて召喚した神が。


 世界を滅ぼすはずの絶対者が。


 焼かれた。


 食われた。


 しかも、おかわりを警戒して逃げた。


 大司祭の脳裏に、恐るべき結論が浮かんだ。


(まさか……この御方は……!)


 邪神を食らう存在。


 原初の恐怖すら恐れる存在。


 終焉のさらに先に君臨する、真の絶対者。


(我らは……邪神よりも上位の神を召喚してしまったのか!!)


 大司祭はその場に五体投地した。


「偉大なる暴食の神よ!!」


「へ?」


「我らは貴方様に永遠の忠誠を誓います!」


「えっ、何?」


「万物を咀嚼し、終焉を喰らう至高の御方! どうか我らを眷属の末席に!」


「いや、あの、タレならまだありますけど」


「おおお! 神の血を下賜してくださると!!」


「醤油ですけど!?」


「醤油! なんと深遠なる神の真名!」


「調味料の名前だよ!?」


 教徒たちは一斉に平伏した。


「「「偉大なる咀嚼神に栄光あれ!!」」」


 レオンは困った。


 せっかく静かな山暮らしを始めたのに、変な人たちに懐かれてしまった。


「いやあ、俺は静かに暮らしたいだけなんですけどね。美味しい肉が食べられれば、それで」


 大司祭が顔を上げた。


「美味なる肉……承知いたしました!」


「え?」


「世界中の珍味を集め、我が主に捧げます!」


「いや、普通の牛肉とか豚肉でいいですよ?」


「牛の角を持つ魔界の暴君! 豚の頭を持つ七大魔王! 必ずや首を献上いたします!」


「普通の家畜でいいんだけど!?」


 しかし教徒たちはすでに走り出していた。


 こうして、世界最悪の邪教組織は生まれ変わった。


 その名も『原初の晩餐教団』。


 教義は三つ。


 一、主の食事を妨げるべからず。


 二、主の食材を絶やすべからず。


 三、食材は十分に加熱すべし。


 なお、三番目については教団内で神学論争が発生し、レア派とウェルダン派が分裂しかけた。


 レオンが「好みでいいんじゃない?」と言ったことで和解した。


 これが後世に語り継がれる『焼き加減の大和解』である。


 それから三ヶ月。


 王都では緊急首脳会議が開かれていた。


「報告します! 邪教組織が大陸全土へ勢力を拡大しています!」


「なんだと!? 奴らは何を企んでいる!」


「各地の凶悪魔獣を狩り尽くし、盗賊団を壊滅させ、違法な牧場を次々と摘発しています!」


「……治安が良くなっていないか?」


「はい! さらに食肉の流通網を整備し、飢饉に苦しむ村々へ保存食を配布しています!」


「善政ではないか!?」


「しかし、すべては一人の男の胃袋を満たすため! その男こそ、邪神を食らい、魔王を従え、世界を影から支配する絶対的黒幕――!」


 会議室に緊張が走った。


「その名は……『暴食の魔王レオン』!!」


「レオン!?」


 国王が椅子から転げ落ちた。


「待て! レオンとは、あの元英雄レオンか!?」


「ご存じなのですか!?」


「知っているも何も、三ヶ月前に有給休暇の申請書を置いて失踪した我が国の英雄だ!!」


「な、なんと!?」


 国王は頭を抱えた。


「休暇を与えなかったばかりに……とうとう世界の裏社会を掌握してしまったのか……!」


 重苦しい沈黙。


 やがて宰相が震える声で尋ねた。


「陛下……いかがいたしましょう」


 国王は長い沈黙の末、決断した。


「……有給を承認しろ」


「は?」


「三ヶ月分、いや一年分だ! 絶対に呼び戻すな! ついでに最高級の牛肉を送れ!」


「は、ははっ!」


「頼むから……もう働かせるな……!」


 一方、その頃。


 深山の小屋では、レオンが七輪を囲んでいた。


「いやあ、最近は肉がいっぱい届くなあ。田舎のご近所付き合いって温かいねえ」


 ジュウウウッ。


 脂の乗った豚バラが、網の上で香ばしく焼ける。


「うん、最高。やっぱり平和が一番だな」


 世界最強の元英雄は、幸せそうに肉を頬張った。


 その足元には、教団から届いた新しい木箱が置かれている。


 箱には金文字で、こう記されていた。


『魔界七大魔王・第一席 牛頭王ミノグランデの霜降り肩ロース』


「おっ、次は牛肉か。気が利くなあ」


 レオンは満足げに微笑んだ。


 なお、魔界では現在、残る六大魔王が緊急会議を開いている。


 議題はただ一つ。


 『人間界の暴食神に美味しく食べられないためには、どうすればよいか』


 全会一致で決定した対策は、徹底的なダイエットだった。


 魔界に、かつてない健康ブームが訪れようとしていた。



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