穏やかに隠居したい元英雄、ふらっと立ち寄った邪教の儀式をBBQと勘違いして邪神を炭火で焼いてしまう
穏やかに隠居したい元英雄、ふらっと立ち寄った邪教の儀式をBBQと勘違いして邪神を炭火で焼いてしまう
深山の夜を、禍々しい赤黒い光が染め上げていた。
人里離れた古城の廃墟。その中庭では、漆黒のローブを纏った数百人の男女が、巨大な魔法陣を取り囲んでいた。
「深淵の主、虚無を喰らいし古き神、ヴル=グトスよ! 百の生贄と三年の祈祷を捧げ、今こそ現世に降臨したまえ!」
大司祭の絶叫に応え、魔法陣から黒い炎が噴き上がる。
大地が震え、空間が歪み、世界そのものが悲鳴を上げた。
「おお……ついに! 我らの悲願、世界の終焉が――!」
「こんばんはー」
場違いな声がした。
「すいませーん。ここって飛び入り参加、大丈夫ですか?」
全員が振り返った。
そこには、ヨレヨレの麻シャツに色褪せたズボン、腰に包丁をぶら下げた男が立っていた。
右手には鉄串。左手には茶色い液体の入った壺。
男の名はレオン。
かつて魔王軍を単身で壊滅させ、世界を救った伝説の英雄である。
もっとも本人は、英雄という肩書きを心底嫌っていた。
魔王討伐後も休暇なし。王族の晩餐会、貴族の縁談、騎士団の指導、果ては国王の孫の誕生日会まで駆り出されたのだ。
とうとう限界を迎えた彼は、
『有給休暇を全消化します。探さないでください。永久に』
という書き置きを残して山奥へ逃亡した。
現在、隠居三ヶ月目。
最大の悩みは、毎日の献立である。
「貴様、何者だ! ここが何の場所か分かっているのか!」
「え? バーベキュー会場ですよね?」
「違うわ!」
「いや、でも皆さんお揃いのポンチョ着てるし、真ん中に立派な火もあるし」
「これは邪神降臨の儀式だ!」
「へえ。最近の町内会って凝ってるんですねえ」
「町内会ではない!!」
大司祭の血管が切れそうになった、そのとき。
ズズズズズ……!
魔法陣の中央から、巨大な何かがせり上がった。
山ほどもある軟体の巨躯。無数の吸盤を備えた触手。直視すれば精神が崩壊する異形の眼球。
原初の邪神、ヴル=グトス。
その姿を見た邪教徒たちは、恐怖と歓喜に涙を流した。
「おおお! 我らが神よ!」
『矮小なる人間どもよ……我が前に平伏せ……』
脳髄に直接響く声。
『我こそは万物を喰らう深淵の――』
「タコだ!」
『……は?』
邪神の思念が止まった。
レオンは目を輝かせていた。
「でっか! すげえ! こんな立派なタコ初めて見た! しかも足が太い! 絶対うまいやつじゃん!」
『……人間よ。貴様、我を何だと』
「いやあ、山暮らしって肉不足になるんですよ。三ヶ月も山菜と川魚ばっかりで。そろそろ歯応えのあるものが食べたくて」
『我は原初の恐怖! 星々が生まれる以前より――』
「刺身もいいけど、やっぱ炭火焼きかな」
『話を聞け!!』
怒り狂った邪神が、巨木のような触手を振り下ろした。
音速を超える一撃。
山を砕き、城を消し飛ばす神罰。
しかし。
シュパッ。
「はい、四本いただき」
ドドドドンッ!
巨大な触手が四本、綺麗な輪切りになって地面へ落ちた。
『…………ぎ?』
邪神が間抜けな声を漏らす。
レオンの手には一本の出刃包丁。
かつて魔王の不滅の鎧を断ち割った聖剣バルムンクを、隠居の際に鍛冶屋へ持ち込み、魚を捌きやすい形に研ぎ直したものである。
鍛冶屋は三日間泣いた。
「さて、火は……おっ、いい感じじゃないですか」
レオンは魔法陣を覗き込んだ。
そこには万物を焼き尽くす地獄の業火が燃えていた。
「遠赤外線がすごそうだな。これ、炭は何使ってるんです?」
「じ、地獄の永劫業火だ……」
「へえ、高級品だ」
「高級品!?」
レオンは邪神拘束用の結界をひょいと持ち上げた。
「網もあるじゃん。準備いいなあ」
「それは神を縛る禁忌の封印術式だぞ!?」
「へえ、焦げ付きにくそう」
ジュウウウウウッ!
巨大な触手が業火の上で焼かれ始めた。
レオンは小壺の蓋を開ける。
醤油、蜂蜜、ニンニク、リンゴ果汁、そして秘伝の香草。
英雄時代、死線をくぐり抜けながら研究を重ねた究極の焼肉ダレである。
その開発に費やした情熱は、魔王討伐計画の三倍だった。
「よーし、タレをたっぷり……」
ジュワアアアアッ!
香ばしい煙が夜空へ立ち上った。
『ぎゃああああああ!!』
邪神が絶叫した。
『我が肉体が! 我が不滅の肉体が! 醤油臭くなっているううう!!』
「おっ、いい匂い。そこの人、塩あります?」
「ぎ、儀式用の水銀なら……」
「ダメですよ、そんなの食べたら。健康に悪い」
邪教徒たちは思った。
邪神を焼いている人間が健康を語るな、と。
しかし誰も口には出せなかった。
「よし、焼けた!」
レオンは串に刺した触手を豪快に頬張った。
「んんんんっ!!」
目を見開く。
「うっま!! 何これ! プリップリ! 噛むほど旨味が出てくる! しかも後味がほんのり甘い! タレとの相性、最高じゃないか!」
『や、やめろ……』
邪神が震えていた。
数千年の封印を経て、ようやく現世に降臨した絶対的捕食者。
その存在が今、生まれて初めて理解したのだ。
食われる側の恐怖を。
「お前も食う?」
レオンが串を差し出した。
『ヒィッ!?』
邪神は悲鳴を上げ、残った触手を必死に動かして次元の裂け目へ逃げ込んだ。
『覚えておれ人間! いつか必ず――いや、二度と来ぬ! さらばだ!!』
ズボボボボッ!
神話の怪物は、排水口に吸い込まれるタコのように消え去った。
「あーあ。逃げちゃった」
レオンは残念そうに串を舐めた。
「干物にしたかったのに」
静寂。
数百人の邪教徒が、呆然と立ち尽くしていた。
彼らが三年かけて召喚した神が。
世界を滅ぼすはずの絶対者が。
焼かれた。
食われた。
しかも、おかわりを警戒して逃げた。
大司祭の脳裏に、恐るべき結論が浮かんだ。
(まさか……この御方は……!)
邪神を食らう存在。
原初の恐怖すら恐れる存在。
終焉のさらに先に君臨する、真の絶対者。
(我らは……邪神よりも上位の神を召喚してしまったのか!!)
大司祭はその場に五体投地した。
「偉大なる暴食の神よ!!」
「へ?」
「我らは貴方様に永遠の忠誠を誓います!」
「えっ、何?」
「万物を咀嚼し、終焉を喰らう至高の御方! どうか我らを眷属の末席に!」
「いや、あの、タレならまだありますけど」
「おおお! 神の血を下賜してくださると!!」
「醤油ですけど!?」
「醤油! なんと深遠なる神の真名!」
「調味料の名前だよ!?」
教徒たちは一斉に平伏した。
「「「偉大なる咀嚼神に栄光あれ!!」」」
レオンは困った。
せっかく静かな山暮らしを始めたのに、変な人たちに懐かれてしまった。
「いやあ、俺は静かに暮らしたいだけなんですけどね。美味しい肉が食べられれば、それで」
大司祭が顔を上げた。
「美味なる肉……承知いたしました!」
「え?」
「世界中の珍味を集め、我が主に捧げます!」
「いや、普通の牛肉とか豚肉でいいですよ?」
「牛の角を持つ魔界の暴君! 豚の頭を持つ七大魔王! 必ずや首を献上いたします!」
「普通の家畜でいいんだけど!?」
しかし教徒たちはすでに走り出していた。
こうして、世界最悪の邪教組織は生まれ変わった。
その名も『原初の晩餐教団』。
教義は三つ。
一、主の食事を妨げるべからず。
二、主の食材を絶やすべからず。
三、食材は十分に加熱すべし。
なお、三番目については教団内で神学論争が発生し、レア派とウェルダン派が分裂しかけた。
レオンが「好みでいいんじゃない?」と言ったことで和解した。
これが後世に語り継がれる『焼き加減の大和解』である。
それから三ヶ月。
王都では緊急首脳会議が開かれていた。
「報告します! 邪教組織が大陸全土へ勢力を拡大しています!」
「なんだと!? 奴らは何を企んでいる!」
「各地の凶悪魔獣を狩り尽くし、盗賊団を壊滅させ、違法な牧場を次々と摘発しています!」
「……治安が良くなっていないか?」
「はい! さらに食肉の流通網を整備し、飢饉に苦しむ村々へ保存食を配布しています!」
「善政ではないか!?」
「しかし、すべては一人の男の胃袋を満たすため! その男こそ、邪神を食らい、魔王を従え、世界を影から支配する絶対的黒幕――!」
会議室に緊張が走った。
「その名は……『暴食の魔王レオン』!!」
「レオン!?」
国王が椅子から転げ落ちた。
「待て! レオンとは、あの元英雄レオンか!?」
「ご存じなのですか!?」
「知っているも何も、三ヶ月前に有給休暇の申請書を置いて失踪した我が国の英雄だ!!」
「な、なんと!?」
国王は頭を抱えた。
「休暇を与えなかったばかりに……とうとう世界の裏社会を掌握してしまったのか……!」
重苦しい沈黙。
やがて宰相が震える声で尋ねた。
「陛下……いかがいたしましょう」
国王は長い沈黙の末、決断した。
「……有給を承認しろ」
「は?」
「三ヶ月分、いや一年分だ! 絶対に呼び戻すな! ついでに最高級の牛肉を送れ!」
「は、ははっ!」
「頼むから……もう働かせるな……!」
一方、その頃。
深山の小屋では、レオンが七輪を囲んでいた。
「いやあ、最近は肉がいっぱい届くなあ。田舎のご近所付き合いって温かいねえ」
ジュウウウッ。
脂の乗った豚バラが、網の上で香ばしく焼ける。
「うん、最高。やっぱり平和が一番だな」
世界最強の元英雄は、幸せそうに肉を頬張った。
その足元には、教団から届いた新しい木箱が置かれている。
箱には金文字で、こう記されていた。
『魔界七大魔王・第一席 牛頭王ミノグランデの霜降り肩ロース』
「おっ、次は牛肉か。気が利くなあ」
レオンは満足げに微笑んだ。
なお、魔界では現在、残る六大魔王が緊急会議を開いている。
議題はただ一つ。
『人間界の暴食神に美味しく食べられないためには、どうすればよいか』
全会一致で決定した対策は、徹底的なダイエットだった。
魔界に、かつてない健康ブームが訪れようとしていた。




