深夜の公園にいつもいる
深夜の公園でいつも立っている女性
その公園を初めて見たとき、俺は「ずいぶん中途半端な場所だな」と思った。
駅から歩いて十五分ほど。住宅街と古い商店街の境目にある、小さな区立公園。ブランコが二つ、鉄棒が一本、砂場はあるが柵の一部がへこんでいて、隅には雑草が伸びている。昼間に通れば、よくある寂れた公園にしか見えない。けれど夜になると、そこだけ妙に暗かった。
街灯は一応ある。だが一本しかない上に、電球が古いのか、白い光が絶えず薄く明滅していた。おまけに公園のすぐ脇を走る道は車通りが少なく、深夜ともなると人の気配がぱったり消える。犬の散歩をしている人間さえいない。
俺がその道を使うようになったのは、帰宅の近道だったからだ。
会社を辞めてから三か月、俺はコンビニの深夜シフトで食いつないでいた。夜十時から朝六時まで働き、アパートへ戻るのはだいたい午前六時半前後。逆に、出勤するときは午後九時すぎに家を出る。昼夜逆転した生活のせいで、気づけば俺の一日は大半が夜の空気でできていた。
だから、その公園の異変に最初に気づいたのも俺だったのかもしれない。
最初は、ただの見間違いだと思った。
九月の終わり、まだ湿気の残る夜だった。コンビニへ向かう途中、いつものように公園の脇を通ったとき、街灯の下に女が立っていた。
白っぽい服を着ている。ワンピースなのかコートなのか、遠目にはわからない。ただ、細くて背が高く、髪が長かった。ベンチの横、ちょうど街灯の真下に、ぴたりと足を揃えて立っている。
夜の公園に女が一人でいること自体は珍しくない。誰かを待っているのかもしれないし、家出かもしれない。酔って休んでいるのかもしれない。そう考えれば、それで終わる話だった。
だが妙だったのは、その女がまったく動かなかったことだ。
スマホをいじるでもなく、辺りを見回すでもなく、ベンチに腰掛けるわけでもない。ただ真正面を向いて、街灯の下に立っている。
俺は一瞬だけ歩く速度を落としたが、関わりたくなくてそのまま通り過ぎた。
振り返りはしなかった。
振り返ったら、こっちを見ている気がしたからだ。
それだけのことだった。
なのに次の日も、その次の日も、女はそこにいた。
まるで昨日から一歩も動いていないみたいに、同じ場所に、同じ向きで、同じ姿勢のまま立っていた。
俺は三日目でさすがに気味が悪くなり、店の休憩中にその話をした。
「深夜の公園に、毎日同じ女が立ってるんですよ」
休憩室でカップ麺をすすっていた大学生のバイト、片桐が顔を上げた。
「え、なにそれ怖。どこの公園ですか」
「店から駅の反対側にちょっと行ったとこ。小さい公園」
「ああ、三和公園?」
「名前知らないけど、たぶんそれ」
片桐は「うわ」と嫌そうな顔をした。
「先輩、それ見ちゃったんすか」
「見ちゃったって何だよ」
「いや、地味に有名ですよ。夜中に立ってる女の人」
俺は笑った。
「なんだ、ただの噂か」
「でも、ちょっと変なんですよ。その話って何年も前からあるらしくて」
「何年も?」
「うちの地元の友達も知ってました。中学の頃、肝試しで見に行ったやつがいて。深夜二時くらいに行ったら、ほんとにいたって」
「同じ女が?」
「そう。白い服で、街灯の下に立ってる。近づいても動かないんだけど、顔を見ようとすると街灯が消えるって」
いかにも若いやつが好きそうな怪談だった。俺は適当に「へえ」と返して麺をすすったが、片桐は真顔のままだった。
「ただ、変なのはそこじゃなくて」
「まだあるのかよ」
「見た人の話が、みんな微妙に違うんです」
「違う?」
「立ってる場所は同じなのに、服が違うとか、年齢が違うとか。若い女だったって言う人もいれば、おばさんだったって言う人もいる。髪が長かったって人もいれば、肩くらいだったって人もいる。でも全員、『ずっと立ってる』『動かない』って言うんです」
「見間違いじゃないのか」
「俺もそう思ってたんですけど……」
片桐は箸を止めて、小声になった。
「その公園、前に人が死んでるんですよ」
休憩室の冷蔵庫がぶうんと低く唸っていた。
「十年くらい前かな。夜に女性が行方不明になって、数日後に公園のトイレで見つかったって。自殺か事件かよくわかんなかったらしいですけど」
「……それ、本当か?」
「さあ。でもうちの母親も知ってました」
その話を聞いたせいで、その夜の帰り道はいつも以上に気が重かった。
午前六時すぎ。東の空が少し白み始め、夜と朝の境目が曖昧になる時間だ。人間の気配はまだ薄い。新聞配達のバイクが遠くで走る音だけが、ときどき静けさを破る。
公園の横を通る。
女はいなかった。
朝だから当然かもしれないが、それでもほっとした。
噂を聞いたあとだったから、街灯の下に白いものが見えたらどうしようかと思っていたのだ。
だが、その次の出勤時にはまたいた。
午後九時半。街灯の下。白っぽい服。まっすぐ前を向いている。昨日も一昨日もいたのだから、今さら騒ぐようなことではないはずなのに、なぜかその日は、いつもより近くに感じた。
公園の入口から街灯までの距離なんてせいぜい十メートルもない。なのに、今までの俺はそこを「視界の端」で処理していただけだった。今日は違った。見たくないと思うほど目が向いてしまう。
女は立っている。
顔は影になって見えない。
ただ、輪郭だけがやけに鮮明だった。
風がない。
木の葉も揺れていない。
なのに、女の髪だけがわずかに揺れた。
俺は反射的に足を止めた。
その瞬間だった。
ギィ……と、ブランコが鳴った。
誰も乗っていないはずのブランコが、ほんの少しだけ動いていた。
公園の中には女しかいない。少なくとも、そう見えた。
なのにブランコは、誰かがさっきまで座っていたみたいに、ゆっくりと前後している。街灯の光が鎖に反射して、きらきら光った。
俺は急に喉が渇き、そのまま足早に公園を通り過ぎた。
背中がむず痒かった。
見られている、というより、待たれている気がした。
それから数日、俺はなるべく公園を見ないようにした。
遠回りも考えたが、たかが幽霊話のために毎日十分も余計に歩くのも癪だった。それに、見ないふりをしていれば向こうも何もしてこない。実際、何か被害があるわけでもない。そう自分に言い聞かせた。
だが一週間ほど経ったある夜、異変は別の形で始まった。
コンビニのバックヤードで、納品された段ボールを整理していたときだ。スマホが震えた。画面を見ると、知らない番号からの着信が一件。こんな時間に営業電話とも思えない。気味が悪くて切ろうとしたが、なぜか出てしまった。
「……もしもし」
返事はなかった。
雑音もない。
ただ、しん、と静まり返った無音が耳に張り付く。
「もしもし?」
そのとき、かすかに、砂を擦るような音がした。
シャ……シャ……。
誰かが靴底で地面を擦っているみたいな、乾いた音。
「誰ですか」
返事はない。
シャ……シャ……。
規則的に続くその音を聞いた瞬間、俺はなぜか、公園の砂場を思い浮かべた。
背中が冷たくなった。
電話はすぐ切れた。
非通知でもなく、きちんと番号が表示されていたのに、かけ直すと「現在使われておりません」のアナウンスが流れた。
嫌な感じがした。
けれどもっと嫌だったのは、帰り道、公園の街灯の下に立つ女の足元が、いつもより少しだけ砂で汚れているように見えたことだ。
翌日、俺は店長に相談した。
「気にしすぎじゃないか」と笑われると思っていた。だが五十代の店長は、話を聞くなり表情を曇らせた。
「あの公園か……」
「知ってるんですか」
「昔、この辺に住んでたからな」
店長はレジの精算をしながら、ぽつりと言った。
「女が出るって噂は、俺が若い頃からあったよ。ただ、元の話はいろいろある」
「いろいろ?」
「子どもを探してる母親だとか、自分を殺した男を待ってる女だとか、恋人を待ち続けてるとか。まあ土地の怪談なんてそんなもんだ」
「じゃあ、やっぱり作り話なんですかね」
「作り話でも、本当でも、近づかんほうがいい」
店長はそこで手を止め、俺を見た。
「そういうのは、見てるうちに向こうもお前を見るようになる」
冗談っぽく言ったわけではなかった。
俺はその真顔が妙に心に引っかかり、その日の帰り、とうとう遠回りをした。
公園を避け、一本向こうの広い道を歩く。車の音、人の姿、コンビニの灯り。たったそれだけで随分気が楽になった。自分は何をびびっていたんだろうとさえ思えた。
だが、その安心はアパートの前で消えた。
二階建ての古いアパート。自分の部屋は一階の角。外廊下の突き当たりだ。階段を下り、角を曲がった瞬間、部屋の前に女が立っていた。
白い服。
長い髪。
うつむいたまま、ドアのすぐ前に立っている。
俺は息を飲んだ。
声も出なかった。
ほんの一秒か二秒、時間が止まった気がした。
だが次の瞬間、廊下の照明がちかっと点滅し、そこには何もいなくなっていた。
ドアの前には、コンビニのチラシが一枚落ちているだけだった。
俺は震える手で鍵を開け、部屋に飛び込み、チェーンをかけた。カーテンを閉め、風呂にも入らず布団をかぶった。眠れるはずもなかった。
朝になってから恐る恐るドアを開けたが、外には誰もいなかった。
ただ、ドアの前のコンクリートに、砂が細く線を引くように落ちていた。
その日から、俺は明らかにおかしくなった。
公園を避けても意味がない。なら、あれは公園にいるのではなく、俺についてきているのか。いや、最初から公園にいたものと、アパートに来たものが同じだと決まったわけじゃない。そう考えようとするが、無理だった。
夜になると、玄関の向こうに気配を感じるようになった。
実際に物音がするわけではない。ただ、いる、とわかる。ドア一枚隔てた向こうに、誰かが立っている。じっと、何時間でも立っている。
そんな気配だ。
ある晩、とうとう耐えきれず、のぞき穴を見た。
何も映っていなかった。
廊下の薄暗い壁しか見えない。
それでも気配は消えない。
俺は衝動的にドアを開けた。
誰もいない。
だが、すぐ足元の床に、細く長い髪の毛が一本落ちていた。
黒く、濡れたような髪だった。
友人に相談しようとも思ったが、うまく説明できる気がしなかった。深夜の公園で立っている女を見たら、家まで来るようになった。そんな話、まともに受け取る人間はいないだろう。
結局、俺は一人で確かめることにした。
どうせこのまま逃げても終わらないなら、あれが何なのか見たほうがいい。
そう思った時点で、すでにまともな判断じゃなかったのかもしれない。
休みの日の深夜一時。俺はスマホのライトと、小さな塩の袋をポケットに入れ、公園へ向かった。ネットで見た怪談対策を真に受けた自分が馬鹿らしかったが、手ぶらよりはましだと思いたかった。
夜の住宅街は静まり返っていた。
公園は遠くからでもわかった。街灯がいつものように弱々しく点いている。その下に、女がいる。
白い服。細い体。俯いたままの首。
俺は公園の入口で立ち止まった。
逃げたい気持ちが喉元までせり上がる。だが、ここで帰ったらまた同じだ。俺は一歩、中へ入った。
砂利がじゃり、と鳴る。
女は動かない。
二歩、三歩。
近づくにつれ、服の質感が見えてくる。白ではない。ひどく色の抜けた、薄い灰色だ。ワンピースに見えたそれは、ところどころ泥で汚れていた。
あと五メートル。
そこで、気づいた。
女は地面に立っているのではなかった。
つま先だけが地面についていて、かかとが少し浮いていた。
まるで、見えない段差の上に立っているみたいに。
いや、違う。
吊られている。
その考えが浮かんだ瞬間、俺は凍りついた。
街灯の柱から上を見上げる勇気はなかった。見たら終わる気がした。
女の首が、ぎ、っとゆっくり持ち上がった。
顔が見える。
だが暗くてはっきりしない。
なのに、口だけが見えた。
唇が乾いてひび割れ、少し開いている。
「……ねえ」
声は、すぐ目の前ではなく、耳の奥から聞こえた。
「なんで」
女の口はほとんど動いていない。
「なんで、いつも、通りすぎるの」
俺は後ずさった。
「わたし、ずっと、待ってたのに」
「……知らない、知らないです、俺は」
「見えてるのに」
女の首が傾く。
「見えてる人は、来るのに」
その瞬間、ブランコが二つとも揺れ始めた。きい、きい、と軋む音が夜気を裂く。砂場のほうからは、ざっ、ざっ、と誰かが足を擦る音。トイレの中で水が流れる音までした。
俺はその場でへたり込みそうになった。
女が一歩、前に出る。
かかとが地面につかないまま、すうっと滑るように。
「こっちを見て」
顔の輪郭が近づく。
「ちゃんと見て」
俺は反射的にスマホのライトを向けた。
白い光が女を照らす。
顔があらわになった。
若い女だった。二十代後半か三十手前くらい。頬は痩け、首には濃い痣が輪のように残っている。だが何よりおぞましかったのは、その目だった。
両目が、閉じられていた。
閉じたままなのに、見られているとわかった。
瞼の裏から、強い視線が突き刺さるようだった。
「見つけて」
女が言った。
「まだ、あそこにいるの」
「あそこって、どこだ」
「した」
唇が裂けそうなほどゆっくり開く。
「まだ、したにいる」
直後、公園の街灯が落ちた。
闇が降りる。
俺は悲鳴も上げずに立ち上がり、入口まで全力で走った。背後で何かが砂を引きずる音がする。ブランコの鎖が暴れる音。誰かが低く笑うような、すすり泣くような声。振り返らなかった。振り返れなかった。
通りに飛び出し、コンビニの明るい看板が見えるところまで来て、ようやく足が止まった。
胸が痛いほど脈打っていた。
その日から、俺は公園を避けるだけでは済まなくなった。
眠るたびに夢を見る。
暗い公園。街灯の下の女。閉じた瞼。首の痣。
そして夢の最後には、必ず地面が割れる。女の足元の土が崩れ、黒い穴が口を開ける。穴の底から、何本もの手が伸びてくる。泥まみれの手。爪が剥がれ、皮膚が裂けた手。女の足首を掴み、引きずり下ろそうとする。
女は落ちない。
代わりに俺を見る。
見つけて。
目が覚めると、口の中に砂の味がした。
もう放ってはおけないと思った。
俺は休みの日の昼間、公園へ行った。明るい時間に見ると、そこはますます普通の公園だった。子どもが二人、母親に連れられて砂場で遊んでいる。ベンチには老人が座って新聞を読んでいた。あの異様な街灯も、日中はただの古びた照明にしか見えない。
俺は近所のクリーニング屋で年配の店主に話を聞いてみた。
「この公園、昔何かあったりしませんか」
店主は最初こそ不審そうだったが、「ああ」と目を細めた。
「だいぶ前に、工事があったねえ」
「工事?」
「遊具を新しくしたとき。何十年も前だけど。なんか埋まってたとかで一回騒ぎになったのよ」
「埋まってた?」
「犬か猫の骨だったって話だけどね。まあ噂よ」
それだけでは足りなかった。
区役所の図書コーナーで古い新聞の縮刷版を漁り、地域の事件記事を探した。数時間後、ようやく小さな記事を見つけた。
――住宅街の公園改修工事中、旧式便槽跡から白骨化した遺体の一部を発見。身元不明の若い女性とみられる。
日付は十四年前だった。
記事は短く、捜査中とあるだけで、その後の続報は見つからなかった。だが俺の背筋はぞっとした。便槽跡。つまり今の公園トイレの下。いや、改修工事前なら配置は違ったかもしれない。とにかく、地面の下にいたのだ。
あの女は言った。
まだ、下にいる。
では、街灯の下に立っている女は誰なのか。
見つけてほしいと言う女と、下にいる何かは同じなのか、別なのか。
考え始めると頭が痛くなった。
それでも、その夜、俺はまた公園へ向かった。
馬鹿だと思う。正直、自分でもそう思う。けれど、あの記事を見つけてしまった以上、知らないふりのほうがよほど怖かった。
公園には誰もいなかった。
街灯だけが点いている。
女の姿はない。
俺は息を詰めたまま、公園の中央へ進んだ。ベンチ、ブランコ、砂場。どこにもいない。代わりに、公園の隅にある古い倉庫の裏手が妙に気になった。雑草が生い茂り、昼でも薄暗い場所だ。
足を踏み入れると、地面が少し柔らかかった。
俺はスマホのライトで照らした。
土が、不自然に盛り上がっている。
小さな塚のように。
その前に、女が立っていた。
音もなく、いつの間にか。
俺は叫びそうになったが、声が出なかった。
女は街灯の下で見たときと同じ姿だった。ただ一つ違うのは、今度ははっきりと俺を向いていたことだ。瞼は閉じたまま。それでも見られている。
「ここ」
女が言った。
「ここに、まだある」
「何が」
「わたしじゃないもの」
意味がわからない。
俺が動けずにいると、女はすっと後ろへ下がり、盛り上がった土を指した。
「ここ、あけて」
「無理だろ……そんなの」
「はやく」
女の声が初めて強くなった。
「起きる前に」
その瞬間、土の中で何かが動いた。
もこ、と表面が脈打つ。
俺は息を呑み、後ずさった。だが地面はもう一度盛り上がり、今度ははっきりと下から押し上げる手の形になった。指が五本、泥の膜越しに浮かぶ。
俺は反射的に近くの錆びたスコップを掴んでいた。公園の掃除用具が倉庫脇に立てかけてあったのだ。土を掘る。柔らかい。いや、柔らかすぎる。まるで最近埋め戻したみたいに。
数回掘っただけで、腐った臭いが上がってきた。
喉がひきつる。
さらに掘ると、ビニール袋の端が見えた。黒く汚れた、大きな袋。
その瞬間、背後で女が叫んだ。
「ちがう、下!」
俺は夢中で袋をどけた。その下に、もう一層土がある。掘る。掘る。爪が割れ、手が泥まみれになる。やがてスコップの先が、硬いものに当たった。
骨だ。
白い、細い骨。
人間の腕だった。
同時に、黒いビニール袋の口が内側から膨らんだ。
びくっ、と動く。
俺は凍りついた。
袋の中から、何かがもがいている。
あり得ない。だって今掘り出したばかりだ。何年埋まっていたのかわからないものが、動くはずがない。
けれど確かに動いていた。
袋の内側から、ぐり、と顔の形が浮き出る。鼻、口、目。ぬめった輪郭。ずる、ずる、と擦れる音。
女の声が耳元で囁いた。
「それが、ずっと立ってたの」
袋の口が裂けた。
中から出てきたのは、女だった。
いや、女の形をした何かだった。
髪は泥で固まり、顔の皮膚は半分剥がれ、目は空洞で、口だけが異様に赤い。白い服を着ている。俺が毎晩見ていた、街灯の下の女だ。
そいつは四つん這いのまま這い出してきて、首だけをあり得ない角度で持ち上げた。
「みつけた」
そう言って、笑った。
俺は尻もちをついたまま後退した。すると、背後にいたはずのもう一人の女――瞼を閉じた女が、俺の肩を押した。
「にげて」
初めて、その声に感情があった。
「わたしを見たから、あれも見えた。もう離れない。だから――」
そこで言葉は途切れた。
四つん這いの女が、一気に跳ねたのだ。
俺ではなく、後ろの女に向かって。
二つの影がぶつかり合った。いや、そんな生易しいものじゃない。片方は人の形をしていたが、もう片方は最初から人ではなかった。四肢が伸び、髪が縄みたいに絡みつき、泥と肉の臭いが広がる。
俺は逃げた。
情けないほど無我夢中で走った。
公園の出口までたどり着いたとき、後ろから女の声が聞こえた。
「ふりむかないで」
だから、振り向かなかった。
それ以来、俺はあの公園に近づいていない。
数日後、公園の一部が立入禁止になった。地中から古い遺骨が見つかったらしい。ニュースにはならない程度の、小さな記事だけが地方欄に載った。十四年前の未解決失踪事件との関連を調べている、と書かれていた。
そしてもう一つ、警察が不審物として回収した黒いビニール袋の中からは、動物の骨や古い衣類の切れ端が出てきただけで、人の遺体は確認されなかったという。
俺はその記事を読んで、吐いた。
あの夜、俺は何を掘り出したのか。
何が公園に立っていたのか。
わからない。
ただ、一つだけ変わったことがある。
毎晩見ていた夢を、見なくなった。
玄関の向こうの気配も消えた。
だから、終わったのだと思いたい。
そう思って、俺は仕事も辞め、少し離れた町へ引っ越した。
新しい部屋は二階で、窓の外には小さな月極駐車場が見える。公園なんて近くにない。夜でも人通りがある。あの街とはもう何の関係もない。
昨日までは、そう思えていた。
引っ越して二週間目の夜、コンビニから帰ってきた俺は、部屋のカーテンを閉めようとして、何気なく外を見た。
駐車場の端の外灯の下に、女が立っていた。
白っぽい服。
細い体。
俯いた首。
遠い。なのにはっきり見える。
俺は息を止めた。
目を擦って、もう一度見た。
まだいる。
立っている。
前と同じように、ぴたりと静止して。
違うのは一つだけだった。
今度の女は、街灯の下に立ちながら、こちらを向いていた。
そしてゆっくり、閉じた瞼のまま、口を開いた。
窓ガラス越しなのに、声が聞こえた。
「こんどは、ちゃんと見つけて」
その瞬間、玄関のほうで、じゃり、と砂のこぼれる音がした。
ホラー好きでごめんピ☆




