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リンゴ

親友の里帆りほに彼氏ができたらしい。


いつものように里帆の部屋で2人で過ごしていた休日。里帆から「彼氏ができた」と報告された時、漫画を読んでいた私はベットに寝転んでいた身体を起こした。


「え、まじ?誰?」


「隣のクラスの…ええと、耳貸して」


ベットの横に置いてある座椅子に座る里帆は、こちらに屈んで声をひそめる。私も仕方なく、少しだけ身体を動かして耳を寄せた。


「…ああ、あいつね」


クラスも違うため話したことはないが、顔と名前は一致する。しかしわざわざヒソヒソ声で話すことだろうか。と思わず口に出しそうになった言葉をすんでのところで止めた。まるで赤いリンゴのように赤くなる里帆がいたからだ。


「まあ、いいんじゃない?それよりこの漫画の続き、ないの?」


あえて私は話を逸らした。自分がどんなに赤くなっていたのか気づいてないであろう親友は、本棚から単行本を取り出す。


「そう言うと思って、新刊買ってきたよ。…もう、そんなにハマったなら自分で買えばいいのに」


「おお~、ありがとう。いやあ、里帆の方が早く本を手に入れてるし…それにここで読む方が落ち着くんだよね」


嘘ではない。里帆の部屋はとにかく本に囲まれている。図鑑や大衆向け小説や哲学本まで…ジャンル問わず本棚に敷き詰められたこの空間は、一朝一夕で出来上がるものではない。


小学生の頃、里帆の家に初めて遊びに訪れこの部屋に案内された時、驚いたのを今でも覚えている。毎日のようにドッチボールに明け暮れ、子供向け本でさえまともに読んだことのない。そんな私が積み上げられた本に英字や習ったことのない漢字が並んでいるのを見た時、内気で静かな友人が自分よりも大人だということを知った。


当時よりも本は増え、壁を覆うまでに積み上げられている。古紙かインクの匂いか、本の匂いが強く漂うこの空間がなぜか私には心地よく感じた。


「ふーん。まあ、本も人に読んでもらった方が喜ぶからいいけど」


里帆の返事に私は思わず吹き出す。彼女の口からたまに出てくる不思議な言葉がどうしてもツボに入ってしまう。くすくすと笑う私が理解できないとでもいいたげに里帆はきょとんと首を傾げる。その仕草もなんだかおかしくて私は思わず出た涙を軽く拭った。





「ねえ、里帆ちゃんが隣のクラスのあの人と付き合ってるって本当?」


学校の昼休み、あまり話したことのないクラスメイトが何故か私の机まで来たかと思うと、第一声が里帆の話。ここに当人の里帆はいないが。なぜ私に聞くのだろう。


「さあ…」


わざわざお昼ご飯を食べるのを中断してまで聞く話じゃなかったなと半ば後悔しながら、また箸を進める。目の前のクラスメイトは気にもせずに話を続けた。


「里帆ちゃんがさっきあの人と一緒に歩いてるところを友達が見たんだよね」


「偶然じゃない?」


母が作ってくれた甘い卵焼きは1番最後に取っておく。まずは1番苦手なトマトからいただこう。


「でも2人が話してた空気感がさ…なんていうかもう初々しい恋人!って感じなの!絶対付き合ってるよ」


「はは。そうかなあ」


トマトの酸味、食感、見た目、全てが苦手だ。一口噛もうものならあっという間に口の中を独特な酸味が支配する。舌触りも悪い。味も見た目も主張が強すぎる。みんなよく平気そうに食べれるな。


「悔しいけど…お似合いだったなあ。いいなあ、青春って感じ、羨ましいよ…って、ねえ、ちゃんと聞いてる?」


「聞いてる聞いてる」


全てを洗い流したくて、自販機で買ったお茶を飲む。しつこいくらい存在感のある異物は跡形もなく消えた。なんて爽快感なんだろう。


「あーあ、もう少しで夏休みだし、私も彼氏欲しいなあ。ねえ、彼氏はいないの?」


「私?いないよ」


「なあんだ、残念。まあでもそうだよね。恋愛とか興味なさそう」


本当にいつまで居座る気なのだろうか。窓際にある私の席の前は、昼休みになるといつも里帆が座っていたところだ。机を動かすことはせずに、身体だけ窓側に向けてお弁当を持つ里帆。早々にお弁当を食べ終え、そのまま持参した本をチャイムがなるまで読んでいた。数日前まで当たり前だった光景だ。


その席に今はよく知らないクラスメイトが座っている。ご飯の時間だと言うのに下世話な話をしながら。


「というか、本当に里帆ちゃんに彼氏がいること知らなかったの?2人はいっつも一緒にいるのに?」


「まあね」


順々におかずを口に運ぶ。トマト以外は好きなラインナップのはずなのに里帆とお弁当を食べた時よりもなんだか味気がないように感じた。


「ええー、まあ2人ってなんか合わなさそうだからそんなもんかあ」


高校に入ってからだ。世間でいう文学少女な彼女と、正反対の私が一緒にいることを、不思議がる人が出てきたのは。昔からの交友を知らないのだからそういった疑問が出てくるのもおかしいことではない。しかしそれを当人にわざわざ言う品性のなさは同年代としては理解し難い。彼女は全く悪気がないらしいのもなかなか恐ろしいことだ。


私は何も答えずに、卵焼きに手を伸ばした。


待ち望んだ大好物の甘い卵焼き。物足りない私のお腹をきっと卵焼きは満たしてくれるだろう。


キーンコーンカーンコーン


「…え?」


卵焼きに触れる直前に、終了の合図がなった。


「あ、チャイムだ」


目の前の席に座ってたクラスメイトがそそくさと自分の席に戻る。


気づかなかった。周りはすでにご飯を食べ終えていた。お弁当を広げていたのは私だけだ。


いつもならもう食べ終えてるはずなのに。あの女が話しかけてきたせいだ。私は惜しみつつも、心の中で甘い卵焼きに別れを告げ、お弁当の箱を閉じた。


そう、いつもなら。

いつもならご飯を食べ終えて、窓の外を眺めながらゆっくりと過ごす時間はあったのだ。里帆が本を静かにめくる音がやけに鮮明に聞こえて、不思議と教室の雑音が遠くなるあの時間。もしかして、明日からはあの不愉快なクラスメイトが代わりに席に来るのだろうか。


だとしたら最悪だ。次に里帆と話す時、お昼だけは今までどおり一緒に食べないかと提案してみよう。






放課後、いつものように2人で歩く帰り道。初夏ということもあり、まだ日は明るい。運動部の活気ある声を背中に、私たちはのんびりと景色を眺めながら歩いた。


「ごめんね、お昼は向こうで食べることになると思う…」


里帆があまりにも申し訳なさそうに話すので、私は「そっか、ならしょうがない」と了承することにした。ダメなものは仕方ない。


「そんなに酷かったの?クラスメイトの…えっと」


「名前は覚えてない。酷いなんてもんじゃないよ。お弁当食べてるのにずっと一方的に喋ってるし…本当にうるさかったんだから」


今思い出しても、ムカムカする。わざとらしく口を尖らせ不満をもらすと里帆は困ったように微笑んだ。


「ふふ、なんだかんだ言って向こうも仲良くなりたいんじゃないのかな。その子、明日からも来るかもよ?」


「うわあ、やめてよ。私は静かにご飯が食べたいの」


他人事だからそんな楽観的なことを言えるのだ。同じ目に合えば里帆のことだ、1番に私に助けを求めるに決まってる。昔から困った事があったら私に頼ってきた。


「まあそれはおいといて、里帆。あんたに彼氏ができたって何人か知ってるみたいよ。自分からは言ってないんでしょう?大丈夫なの?」


今回だってそうだ。周りに噂をされるのを彼女は嫌ってる。しかも恋愛ごと。1番彼女が苦手な分野だろう。悩むならいつものように助けてやろうと、私はそのつもりで話をした。


「え。そうなの…?他の人には言ってないのに…」


「昼休みに歩いてるところ見たんだって。クラスメイトが話してた。里帆、色々言われるの嫌でしょう?私から注意しとこうか?」


驚いた様子の里帆は少しだけ頬を染めた。


「…そっか。ありがとう。確かに揶揄われるのは好きじゃないけど…まず彼に相談してみるね」


初夏の暑さで汗ばんだ制服が肌に吸い付いて鬱陶しい。今すぐシャワーを浴びたらこの不快感も洗い流せるだろうか。


「……そう。分かった」


里帆がそう決めたのなら私からは、これ以上余計な心配も何か言う必要もない。途端に話す事がなくなった私は誤魔化すようにまだ明るい空に浮かぶ入道雲を見つめることに集中した。


薄く青い空にもくもくと浮かぶ大きな雲。この暑い時期にしか見る事ができない不思議な雲だ。里帆から借りた小説にもよく出てきたから知っているが、今日は一段と大きくまるで絵のように綺麗に空を彩ってる。彼女の興味を惹きそうな話題だ。私は振り返り、声をかけようとした。


「……」


しかし私は声をかける事ができなかった。里帆が足を止め、私とは真反対の方向を向いていたからだ。視線を辿ってみると、その先には校庭のグラウンド場。


汗を流し、部活に取り組む生徒たちが声を出す、なんてことのない部活風景。彼女は部活の様子を静かに眺めている。夕陽が出てるわけでもないのに、彼女の頬はまるでリンゴのように赤く染まっていた。


里帆の彼氏が運動部であることを、この時私は初めて知った。


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