新章 第1話『継承者①:図書館で出会った少女』
澪の外伝編に続く新章へ
その日、雨が降っていた。
静かな午後、薄曇りの空。
春野澪が勤務する図書館の閲覧室には、まだ幼さの残る少女が一人、そっと入ってきた。
彼女は澪の机に視線も寄せず、まるで迷い込んだ猫のように書棚の影を歩き、
やがて一冊の文庫本にそっと指先を伸ばした。
──『王都ルヴィエール物語』
背伸びするように取り出したその本を、大切そうに胸に抱きしめた瞬間。
少女の表情が、一瞬ふっと和らいだのを、澪は見逃さなかった。
「……いらっしゃい」
澪が声をかけると、少女は小さく頷いてからぺこりと頭を下げ、貸出カウンターへと向かった。
「この本、借りてもいいですか」
まっすぐに差し出された声は、わずかに緊張を帯びていた。
──その瞳に、かつての“自分”を見たような気がした。
◆
それからというもの、少女は毎週図書館に通ってくるようになった。
彼女の名前は「柚月」、中学一年生。
初めはあまり話さなかったが、読み終えた本の感想をぽつぽつと話すようになり、
ある日、澪にこんな質問を投げかけた。
「この“ミオ”って、本当にいた人なんですか?」
「……どうして、そう思ったの?」
「だって、誰かのことをこんなに“好き”って思って書いた物語、ウソに思えなくて……」
澪は、その言葉に心がふるえた。
この少女は、物語の“真実”に触れようとしている。
そのことが、ただ嬉しかった。
「ねぇ……記録って、誰でも残していいの? こんな普通の中学生でも」
「もちろんよ。記録は“偉い人”のものじゃない。
たった一行でも、自分の言葉で綴れば、それは“あなたの物語”になるの」
柚月は、少し照れたようにうなずいた。
◆
それから数ヶ月。
柚月は“自分のノート”を持って図書館に通うようになった。
最初は学校の愚痴や、友達との些細な出来事。
けれど少しずつ、空想の人物、異世界の舞台、自分だけの“ルヴィエール”が綴られていった。
澪はそれを読むことはなかった。
でも、柚月が机に向かってペンを走らせる姿を見るたびに、心のどこかがあたたかくなった。
ある日、澪は柚月にそっと一冊の小さなノートを手渡した。
──表紙には、銀色の文字でこう書かれていた。
《記録者ノート・継承用》
「……これは?」
「私が使っていたノートと同じものよ。
あなたに、託してもいいかな。“記録”の続きを」
柚月は、ぎゅっとそのノートを抱きしめた。
「……はい。私、書いてみます。私の世界の“記録”を」
その瞬間、澪は確かに感じた。
自分の綴ってきた記録が、今、たしかに“次の誰か”に手渡されたのだと。
風が吹いた。
図書館の窓の向こう。雨はやんで、光が差し込んでいた。
◆
夜。
澪は机の上に、封のされた自作の初版本を一冊だけ残した。
ページの見返しに、手書きでこう添えた。
“綴ってくれて、ありがとう。
君が記録を継いでくれたから、私はもう大丈夫”
そのページを閉じ、灯りを落とす。
“記録を渡した者”としての澪の物語は、ひとまず終わりを告げた。
けれど、新たな“継承者たち”の物語は、これから始まっていく。
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