11 手のひらで踊る
ホテルを出てメイヴィスの屋敷に着くと、すでに日付が変わろうという時刻だった。
王都から四半日かけて騎乗した後だ。身体はくたくたに疲れている。今すぐにベッドに飛び込みたかったが、屋敷に客として招いた以上、ミリアを放置するわけにはいかなかった。
彼女が問題なく過ごせるよう差配して、自身の着替えを済ませた頃には、ルーナはもう立ち上がることも難しくなっていた。
せめてヴィクトルとユリウスたちが戻って来るまでは、と思うのだが、長椅子に座っていると知らずのうちに目蓋が落ちてしまう。さすがに仮眠を取った方が良いかもしれない。そう思ってメイドを呼ぼうとしたところで、屋敷の玄関がやにわに騒がしくなった。
はっと目を開けて立ち上がる。するとメイドが慌てたふぜいでやってきて、ヴィクトルとユリウスが戻ったことを告げた。
彼らが無事だったことに安堵しながら、まだ騒がしい玄関に向かう。
本邸と違って手狭な玄関ホールには、騎士たちがひしめき合っていた。その中にヴィクトルの姿を見つけて、ルーナは彼の名を呼んで駆け寄った。
思いきり抱きつきたいのを我慢して、差し出された手をぎゅっと握る。おかえりなさい、と言って見上げたヴィクトルの顔は、疲労のそれではない色で曇っていた。
「……ヴィクトル、どうしたの。なにがあったの?」
「クリスタ嬢を確保できなかった。俺たちが駆けつけた時には、すでに彼女の家はもぬけの殻だったんだ」
「そんな……。まさか、もう王族の手が回っていたと言うの?」
ぞっとして言う。
考えていた最悪の事態に顔を青くすると、人だかりをかき分けるようにしてユリウスが近づいてくる。ユリウスは動揺するルーナに、落ち着くよう手で示して言った。
「それはないから心配するな。踏み込んだついでに家を調べさせてもらったが、荒らされた様子はなかった。むしろ長期間、家を空けて問題ないように始末してあったんだ。おそらくは危険を察して、どこかに逃げたんだろうよ」
「……クリスタさんのお住まいは、どの辺りでしたの?」
「領都から半刻駆けた先にある、街道沿いにある小さな村だ。母親の親戚を頼って、そこで暮らしていたらしい。苦労はしていただろうが、暮らしぶりは悪くはなさそうだったぞ」
ヴィクトルが後を続ける。
「修道院の被害者には、生活に困らないよう継続的な援助をしている。クリスタ嬢は追跡できなかった内のひとりだが、ミリア嬢を始めとした同輩が、支援金から彼女に仕送りをしていたそうだ」
言ってヴィクトルは騎士たちに視線を向けた。
「クリスタ嬢の足取りを追いたいところだが、まずは彼らを休ませなければならない。時間惜しさに無理をさせて、戦力を潰しては本末転倒だからな」
「そうしてくれると助かる。さすがに俺も疲れたからな。……やれやれ、年は取りたくないもんだ」
まるで疲れた様子もないのにそう言って、ユリウスは部下たちに指示を出していく。玄関から捌けていく彼らを見送ってから、ヴィクトルはルーナを優しく引き寄せた。
腕の中に閉じ込めるように抱きしめられて、触れる柔らかな体温にほっとする。
ジレの胸元に頬を擦り寄せていると、ヴィクトルが安堵と言うには熱の籠もった息を吐いた。
「こうしてきみを抱きしめたまま、ベッドになだれ込めたら良いのに、と心の底からそう思うよ。……きみが王都を発ったと知って、寿命が縮むかと思った。もうこれ以上は一時だって、きみを離したくない」
「わたくしは構わないけれど、お父さまに知られたら面倒なことになるのではないかしら」
「それは、困るな。……仕方がない。残念だが、婚約者として許される範囲で我慢しよう」
そう言って抱擁を解くと、ヴィクトルはルーナの頬に軽く口づけた。それだけでは物足りない、と思ったのはルーナだけではなかったようで、ヴィクトルは少し迷うような顔をしてから、今度は啄むような口づけを唇に落とした。
ふ、と小さく微笑ったヴィクトルが蕩けそうな声で言う。
「……ただいま、ルーナ。遅くまで待って疲れただろう? 後のことは俺に任せて、きみはゆっくり休んでくれ」
「ありがとう、ヴィクトル。そうしてくれると、とても助かるわ。実を言うと、くたくたに疲れていて、立っているのもやっとなの」
そう打ち明けて、再びヴィクトルに身体を寄せる。抱擁するのではなく凭れかかると、ヴィクトルがそうするのが当然とばかりにルーナを抱え上げた。
素早く横抱きにされて、思わずヴィクトルの首にしがみつく。ルーナは驚きに睫毛を瞬かせ、普段よりも近い距離からヴィクトルの横顔を見つめ
た。振り返ったヴィクトルが、生真面目な調子で言う。
「できれば、そういうことは早く教えて欲しい。これ以上無理をして、もしきみに倒れられでもしたら、後悔してもしきれないからな」
抱えるルーナの重さを物ともせず、ヴィクトルは大股に歩いて階段を上がる。部屋の前で控えていたメイドが一瞬驚いた顔を見せたが、すぐに澄ました表情で頭を下げた。
なにも言わずに扉を開けてくれる。
ヴィクトルは躊躇う様子もなく部屋に入ると、壊れ物でもあつかうような手つきでルーナを寝台に下ろした。室内履きを丁寧に脱がしながら言う。
「すぐにメイドを呼ぶから、今日はもうベッドから一歩も出ないように。明日も無理はせず、ゆっくり身体を休ませてくれ。……ルーナ、返事は?」
「……心配しすぎだと思うけど、わかったわ。あなたの言うとおりにする。だからヴィクトルも、無理はしないでね」
「もちろんだ。……おやすみ、ルーナ」
身を屈めたヴィクトルが、優しく額に口づけを落としてくれる。
他愛のない挨拶なのに、胸の裡がふわふわと擽ったい。ルーナは微笑いながら、おやすみ、と返して、部屋を出ていくヴィクトルの背中を見送った。
翌朝ルーナが目を覚ますと、太陽はずいぶんと高い位置でさんさんと輝いていた。
どうやら、かなり寝過ごしてしまったようだ。
慌てて寝台から身を起こし、その拍子に痛んだ節々に、ルーナは小さく悲鳴を上げた。
オルストに来るまでに相当な無理をした自覚はあったが、思っていた以上に負担がかかっていたらしい。少し身じろぐだけでも、身体がぎしぎしと軋んで痛い。
ルーナは苦心しながら寝台の縁から足を下ろし、そこで折よくやって来たメイドに、ほっと安堵の目を向けた。
「おはよう。来て早々に悪いのだけれど、身支度を手伝ってもらえないかしら。身体のあちこちが痛くて、腕を上げるのですら難しいの」
「おはようございます、ルーナさま。もちろん、喜んでお手伝いさせていただきます。……ただ、大変申し上げにくいのですが……できる限り身支度を急いでいただきたいのです。実はこちらの屋敷に、旦那さまがいらしてございます」
「――お父さまが?」
思ってもみない人物の登場に、ルーナは思わず目を瞠る。唖然とするしかないルーナに、メイドが淡々とした口調で言った。
「今朝早くに到着されて、今はグラートさまと話し合いをなさっておいでです。ルーナさまの支度が整い次第、食堂にお連れするように、と」
父ジョナサンのことだから、理由もなしに顔を出すことはまず有り得ない。なにせ効率重視の人間である。
ルーナを昼食の席に呼び出すのも、なにがしかを話す必要があるからだろう。となれば待たせたら後が怖い。
ルーナは軋む身体を押して着替えを済ませ、できるだけ急いで食堂に向かった。
ルーナが部屋を出たことは、ヴィクトルとジョナサンに連絡が行ったのだろう。ルーナが食堂に足を踏み入れると、ふたりは既にテーブルに着いていた。紳士らしく席を立ったヴィクトルが、ルーナの手を取り、普段よりもゆっくりとした動作でエスコートしてくれる。
彼の手を借りながら席に付き、ルーナは疲れの滲む表情のヴィクトルを見上げて言った。
「ごめんなさい、ヴィクトル。ずいぶんと寝過ごしてしまったみたい。……ひとりでお父さまの相手をするのは、大変だったでしょう?」
「それは気にしないでくれ。ゆっくり休んで欲しい、と言ったのは俺だ。むしろ疲れも取れないうちに、呼び出すことになってすまなかった」
律儀に謝るヴィクトルに、にっこりと微笑みかける。それでようやく表情を緩めた彼は、身を屈めるとルーナの頬にそっと口づけた。
ルーナも口づけを返して、ふふ、と微笑み合う。婚約者らしい交流にふたりで和んでいると、ジョナサンがわざとらしい咳払いを響かせた。
「ヴィクトル、さっさと席につけ。話を進めたい」
手で払う動作をするジョナサンに、ヴィクトルが微苦笑を浮かべる。
肩を窄ませた彼が席にいて、するとすぐに昼食が給仕され始めた。並べられる皿を眺めながら、ルーナは首を傾げて言った。
「ローレンスさんは、いらっしゃらないの?」
ジョナサンが小さく息を吐く。
「家族団欒の席だからな。彼女には遠慮してもらった。――というのは建前で、ここから話すことは他人には知られたくない。機密と言うほどには重くはないが、あまり広まって面白いものではないからな」
それと、と淡々とした調子で続ける。
「ユリウスは別で動いてもらっている。ああ、スヴァルト公爵だが、ついでがあったからこちらで首根っこを押さえておいた。しばらくは大人しくしているだろう」
「そのことよりも、わたくしの代わりに馬車に乗った方たちはどうなりましたか?」
ずっと気がかりだったそれに答えたのは、ヴィクトルだった。
「そちらは無事に片付いた、とウィット氏から報告を受けている。半個小隊での襲撃だったが、練度も低ければ士気もない連中だったそうだ。あっさりに返り討ちにして、すでに王都の警邏隊に引き渡してある」
「……なぜ、オルストではなく王都なの? もし王族がその気になったら、簡単に揉み消してしまえるのに」
「落ち目の王弟を庇うほど、王族は愚かではないさ。それにもみ消しの警戒をするなら、王族よりもオルストの方だ。現伯爵の婚約者が、どう動くか分からないからな」
「オルスト伯爵は、婚約者のことをどうするのかしら……」
「俺は切り捨てるべきだと思うが、伯爵がどうするかは不明だな。俺やメイヴィス男爵の後ろ盾があるとは言え、直系ではない彼は立場的に弱いところがある。それを補うための婚約だったんだ。解消すれば、間違いなく親族連中が騒ぎ出すだろう」
ジョナサンがふん、と鼻で笑う。
「これを好機と捉えられるかどうかが、オルスト伯爵の分水嶺だな。愚かな連中を抑え込むぐらいはやって欲しいものだが。――それはともかく、今はクリスタ嬢について話がしたい」
「もしかして、お父さまも協力してくださるの?」
「当然だろう。これはメイヴィスに売られた喧嘩だ。全力で買わせてもらわねばならん」
珍しく強い調子の声で告げて、ジョナサンは手にしていたフォークを翻した。サラダに乗った、小蕪の酢漬けをざくりと刺して言う。
「喧嘩で重要なのは、相手の弱味を突くことだ。よってクリスタ嬢の身は、既に私が手を回して確保してある。彼女が今いるのは、スヴァルト公爵には手出しできない場所だ。安全は保証する」
これには愕然とするしかなかった。
そんな馬鹿な、と喚き立てたいのを堪えて、ルーナは深く長く溜め息を吐いた。額に手を当てて、低い声で問う。
「……お父さまが、クリスタさんの情報を手にしたのは、いったいいつのことですの?」
「ルフレールの修道院に、手を入れた時だ。どれだけ隠そうとも、記録を浚えば見えてくるものは多いからな。……もっとも、クリスタ嬢が産んだ子は誰の種か、は敢えて見逃したことではあるが」
「知ってしまえば、隠す必要が出てしまいますものね。……それは分かりますけれど、だからと言ってわたくしたちに黙っていたのはいかがかと思います。前もって教えてくださっていれば、ヴィクトルが奔走する必要などなかったではありませんか」
「切り札というものは、使うべきときに使うからこそ効力を発揮する。それを事前に明かしては意味がなかろう。それにヴィクトルも薄々気づいていたからこそ、クリスタ嬢に行き着いたのだろう。そして自分が気づいたのなら、他の誰かも気づいていると考えるべきだ。違うか?」
文句のつけようのない正論である。が、だからこそ腹立たしい。
ルーナはジョナサンに恨みがましげな視線を向け、それからヴィクトルに問いかけた。
「……この話、ヴィクトルはいつ聞いたの?」
「つい先ほどだ。ここ数日は必死になって駆け回っていただけに、知らされたときの徒労感は凄まじかったな……。同席していたウィット氏も、頭を掻きむしっていた」
「まあ、ユリウス小父さままで……。ヴィクトル、気の毒な小父さまには後で、わたくしからお礼とお詫びを送っておくわね」
そうしてやれ、と他人ごとのようにジョナサンが言う。しらっとした雰囲気になったのを気にも留めず、ジョナサンは後を続けた。
「話の本題はこれからだ。クリスタ嬢を確保して、それで終わりではないことは分かっているだろう? スヴァルト公爵の息の根を止め――いや、これ以上余計な真似ができないよう、徹底的に釘を刺す必要がある。そのために、おまえたちにはある人物と会ってもらいたい」
「ある人物、とはどなたですの?」
「会えば分かる。場所は王都だ。よって、この後すぐに出発する。街道を使えば、馬車でも夕刻には着くだろう」
オルストに着いたばかりで、また王都に戻るとは強行軍にもほどがある。聞くだけでうんざりするが、ルーナたちに拒否権がないことは明らかだった。
とは言え、騎馬で来た往路を思えば、馬車に乗れるだけまだましかもしれない。そう半ば無理矢理に自分に言い聞かせて、ルーナはこの後に備えるべく空腹を満たしにかかった。
昼食後の茶を味わう間もなく、ルーナは旅装に着替えるとすぐに馬車に乗り込んだ。
少数の護衛と伴に、街道を進む。
ジョナサンは馬車の中にも仕事を持ち込んでいて、暇を持て余すルーナたちが手伝わされるのは、当然の流れだった。法務関連の書類に目を通していたルーナは、ある筈のないものを見つけて睫毛を瞬かせた。
「これは……スヴァルト公爵領の財務記録? ……お父さま、なぜこんなものがここに混ざっておりますの?」
「ん? ――ああ、そこにあったか。スヴァルト公爵の首根っこ抑えるために用意したものだが、見てのとおりなかなかに愉快だぞ。彼個人の紋章が示すように、スヴァルト領には優れた牧がいくつもある。つまり公爵領は黙っていても金が入ってくる土地だ。だというのに、それでは補いきれないほどの支出がある。さすがはスヴァルト公爵、王族の威光でカレッジに入っただけのことはあるというものだな」
「お父さま、さすがにお口が過ぎましてよ。ですが……本当に酷いですね。これでは領民たちも、さぞ苦労していることでしょう」
ルーナの横から、財務記録を眺めていたヴィクトルが、訝る声で言った。
「ちょっと待ってくれ。ここの収益額はおかしくないか? スヴァルトの主な産業は馬と牧畜、それと不動産だ。馬の需要が高まる戦時下ならいざしらず、今の時世にこの額は有り得ない」
「でも売買の件数と金額は妥当だわ。それに収益を誤魔化すにしても、過剰に申告するのはおかしいでしょう? 儲けた分だけ税を納めなければならないのだから、それでは意味がないどろこか、損をすることになるもの」
ふん、とジョナサンが皮肉げな笑いを漏らした。
「税務の監査役も、まず間違いないそう考えるだろう。だからこそ今まで見過ごされてきた訳だが……。そしてこの金の流れを追っていくと、いくつか奇妙な点がある。最悪なのは、そのどれもこれもが外国絡みという点だ」
「まあ。それだけで厄介ごとの気配がいたしますわ」
「気配どころか大当たりだ。よって、これ以上の深入りを禁ずる。下手に手を出せば、面倒に巻き込まれるだけだからな」
どうやら王弟リクハルドは、叩いた分だけ埃の出る御仁であるらしい。
厄介な、と思ったのはルーナだけではなかったようで、ヴィクトルが深く溜め息を吐いた。
「それが俺の血縁上の父親か。……うんざりするな」
「髪と瞳の色味以外は、似たところがひとつもないものね。むしろ正反対、と言って良いのではないかしら。ヴィクトルは優秀で仕事もできるし、心根も真面目で優しいわ。容姿だって素敵だし、それになによりわたくしを大事にしてくれる。わたくしにとって、それが一番重要なのよ。父親が誰かなんて、どうでも良いことだわ」
「だが、あれのせいできみに要らぬ苦労をかけている。……やはり、もう少し殴っておくべきだったか」
ヴィクトルが暗い顔で言う正面で、ジョナサンがしみじみと頷く。
「おまえがそれを望むなら、改めてその機会を設けてやっても構わんぞ。今からお会いする方も、喜んで協力してくれるだろうからな」
思わずヴィクトルと顔を見合わせてしまう。
会えば分かる、と言われて口を噤んでいたが、さすがに気になっておずおずと問いかけた。
「……あの、お父さま。そろそろ、どなたにお会いするのか、教えてくださってもよろしいのではありません?」
「よろしいもなにも、外を見れば予想がつくだろう」
「外?」
言ってルーナは、馬車の外に視線を向ける。
夕暮れに染まったな街並みは見覚えのあるもので、どうやら気づかぬうちに、馬車は既に王都に入っていたらしい。馬車が進む先には、木々の深い人工林と、先だって王族主催の舞踏会が開かれたコルス宮がある。
中心部から外れた場所にある離宮とは言え、王家の所有物だ。使用できる人物は限られている。
まさか、と思って振り返ると、ジョナサンがどうということのほどでもない、というふうに頷いてみせた。
「おまえたちの着替えは、あちらで用意してくださるそうだ。屋敷に戻れば時間が無駄になるからな。効率的でありがたい」
「ま、待ってくださいませ。これから王族に会うというのに、旅の汚れも落とさず着替えもしないどころか、それを用意していただいているのですか……?」
「問題ない。王族と言っても、すでに降嫁なさっている。称号は残っているが、名ばかりの王族だからあまり畏まらないでくれ、と当人も仰せだ」
だからと言って、それで、はい分かりました、だなんて頷けるはずがない。
頭がくらくらする。
王弟でさえルーナの手に余ると言うのに、これ以上は対処できそうになかった。
助けを求めて隣のヴィクトルを見ると、彼も額に手を当てて低く唸っていた。
一番親しい相手が、似た感性の持ち主であるということが、これほど心強いものだとは思ってもみなかった。ヴィクトルの手を取り狼狽を分かち合っていたが、その一方で馬車はその歩みを止めることなく進んで行く。
豪奢な門扉をくぐり長いアプローチを進み、玄関ポーチの手前でルーナたちは馬車を降りた。
玄関前には侍従らしき人物が控えていて、彼はジョナサンとひと言ふた言を交わした後、使用人たちにてきぱきと指示を出してルーナたちを案内させた。
ルーナが通されたのは貴賓用の客間で、メイドたちの手を借り湯を使い、王族と面会しても問題ないドレスを身に着けた。
サイズのぴたりと合った靴に内心で慄きながら、使用人の案内で部屋を出る。通されたのは格式高い応接室で、すでにヴィクトルとジョナサンがソファに腰掛けていた。
借り物のジュストコールを身に着けたヴィクトルが、素早く立ち上がってルーナの手を引いてくれる。見上げる彼は前髪を撫で付けていて、秀でた額と整った顔立ちが露わになっている。相変わらずの素敵さに微笑むと、ヴィクトルもまた機嫌良さげに眦を下げた。
「きみはなにを着ても綺麗だが、そのドレスも良くする似合っている。俺が選んだものではないのは気に食わないが、さすがは王族のメイドたちだな。趣味が良い」
「あなたも素敵よ、ヴィクトル。前髪を上げているから、精悍で凛々しく見えるわ。……とても格好良いけれど、できればわたくしの隣以外ではしないでね。あなたに見惚れるお嬢さんが、今より増えてしまいそうだもの」
「そういうきみこそ、そのドレスはここだけにしておいてくれ。……背中が開きすぎている」
まるで厳格な父親のような口振りである。
当の父親であるジョナサンは、我関せずというふうにカップを傾けている。テーブルの上には茶の他に、軽食や菓子が用意されていた。
しばしご歓談を、と使用人が勧めてくれて、ルーナたちはありがたく空腹を満たしにかかった。
香りの良いお茶で和んでいると、扉の向こうがにわかに騒がしくなる。それに反応をするより先に、勢いよく扉が開いた。
現れたのはジョナサンと同世代の女性で、仕立ての良い藤色のドレスが良く似合っている。明るい茶の髪を美しく結い上げ、焦げ茶の瞳を輝かせてルーナを見て言った。
「まあ、驚いた。メイヴィス男爵夫人がいらしたのかと思ったわ。……そう、あなたがルーナね。わたくしは現国王が一子、ランドール侯爵家のセラフィナよ。会えて嬉しいわ」
次でラストです




