05
宿屋の店主は、そのふくよかな体を震わせながら言葉を続けた。
シベリアン·ウルフの群れが町の柵を破って侵入してきた。
町を守っていた衛兵が対処に向かっているが、数が多すぎてこのままではこの宿屋周辺までやってくる。
その前に避難するようにと、自前の髭を触りながら言う。
「町の教会が避難場所になっているから、とりあえずそこへ行きましょう! さあ早く! 今すぐに!」
ワルワラは、避難場所には自分が案内すると言った店主に礼を返すと、彼を押しのけて部屋を出ていく。
するとメイの傍にいた二ヴァがベットから飛び降り、ピョンピョン小さく跳ねると、ワルワラの肩まで跳躍した。
宿屋の店主は一体何をするつもりなのだと言葉を失っていると、ワルワラは背を向けながら口を開いた。
「店主さん。そこにいるメイのことをお願いね」
「あんたはどうするんだよ、お客さん!?」
「そんなの決まってるでしょ」
ワルワラは腰に収めていた鞘へと手を伸ばし、鍔のない片刃の彎刀――シャーシュカの柄を握った。
そして剣を抜き、店主に向かって言葉を続ける。
「町の人たちを助けるのよ。こう見えてもワタシ、結構強いんだから」
顔だけ振り返り、ワルワラはそう言いながらウインクしてみせた。
彼女が白人女性というのもあって、ずいぶんと様になっていた。
二ヴァが大きく鳴くと、ワルワラは走り去っていく。
店主は今頃になって我に返り、その場で右往左往していた。
「なんて無茶なことを! いくら強くったってモンスターの数が多すぎたら勝ち目なんてないって!」
そんな店主を見ていたメイがベットから体を起こすと、店主はとりあえず自分たちだけでも教会へ行こうと声をかけた。
ワルワラの気持ちは嬉し何かしてあげたいが、自分はただの宿屋やっているだけの男。
手は貸せないまでも、せめて彼女に頼まれたメイだけでも必ず避難場所へと連れて行くと。
だが、彼女は――。
「ねえ、宿屋のおじさん。ここに何か武器はないの?」
――宿屋を出たワルワラは、シベリアン·ウルフの群れを探す。
外では多くの老若男女が避難場所に向かって駆けていた。
幸いなことに、ここらにはまだモンスターが現れていないようだ。
ともかく急がないと。
ワルワラは焦っていた。
彼女は、ピューティアによって捕らえられた人間たちの中でも最古参に入る。
そのため、このVRMMORPGの世界ラスト·ワールドで最長である三年も過ごしていた。
ラスト·ワールドに来たばかりの者からすると、NPCは人とは思えない。
それも当然だ。
彼ら彼女らは、プログラム通り動くキャラクターという認識が一般的なのだ。
ワルワラも最初はそうだった。
だが今ではこの世界に住むNPCが、自分たちと変わらないことを知っている。
同じように悩み、悲しみ、怒り、考えて成長できることを見ている。
自分たちにとってこの世界での死が現実での死であるように。
それはNPCにとっても同じなのだと、ラスト·ワールドでの暮らしの中で、ワルワラは思うようになった。
彼女の人柄もあったのだろう。
ならば、せめて自分のできる範囲でいいから人助けをしたい。
ワルワラは、ゲームクリアをしてこの世界から脱出しようと考えていないわけではなかったが、今では人のために戦うことが重要になっていた。
遠くから複数の男の悲鳴が聞こえる。
ワルワラがモンスターと戦っている衛兵たちの声だと思っていると、彼女の肩にいた二ヴァはその短い手でポンポンと叩いてきた。
「わかってるわよ、二ヴァ。無茶はしないって。ワタシだってまだ死にたくないしね」
プラチナブロンドの髪とフード付きのマントを揺らし、ワルワラは声のするほうへと走った。
二ヴァは振り落とされないように、彼女の肩にしっかりと掴まっている。
すぐに戦闘の光景が見えてきた。
三匹のシベリアン·ウルフが、じりじりと衛兵二人を追い詰めている。
シャーシュカを握ったワルワラは、迷わずその場へと飛び込んでいく。
「なんとか間に合ったみたいね。あなたたち! そのケガじゃもう戦えないでしょ! ここはワタシに任せて避難してッ!」
衛兵のケガは浅かったが。
すでに戦意を喪失しているように見えたワルワラは、彼らに逃げるように言った。
彼女はよく知っている。
戦う気持ちのない者が戦場にいたら、真っ先に死ぬことを。
ワルワラの言葉に、衛兵たちは悔しそうに顔を歪めたが、すまないと言ってその場から去っていった。
去り際に、衛兵らが彼女に教えてくれたことがある。
他の場所でもシベリアン·ウルフが暴れているが、そちらには町の外から現れた槍使いの男が押さえてくれていると。
話を聞いたワルワラが世の中捨てたものではないと笑うと、彼女は三匹のモンスターに剣を突きつける。
「なら、さっさと片付けて応援にいくわよ!」