8 ブリタニア
約1週間後、俺とチェーザレはブリタニアの首都ルンデンへと到着した。
依然としてフランシア王国との戦争は継続していたが、フランドルの領主たちが全くフランシア王国へと離反せず、それらの城が王国軍の攻撃をはじき返してフランデーニュ制圧はほとんど進んでいない。
しかし、いつまでも国境諸城が包囲されていれば、いずれは陥落する。
それを防ぐための救援軍を求めに俺たちはブリタニアへとやってきていた。
フランデーニュ公国の首都ブリューラは、少し内陸の都市でありながらも、海から都市へと接続されている都市の象徴ともいえる運河によって、貿易港としての役割を担っている。同じくルンデンも少し内陸の都市であるが、その市中を貫流するブリタニア最大の大河、テムゼル川によって海と接続され、海港機能を有する都市であった。
そして両市に共通する特徴がもう一つ。
都市同盟に加盟していることである。
都市同盟とは、西はブリタニア王国の首都ルンデンや、フランシア王国内のノルマーニュ公国の首都ロイアンから、東はルーシの地のヌーヴァグラードまで、この大陸の北方において東西をつなげる海の巨大交易路に位置する都市たちが加盟する組織であり、共通語が使えない各国の商人たちの通訳、航路での護衛、通貨の両替など、大陸北方における商業の発展に大きく貢献していた。
都市同盟に所属している商人たちはその紋章が入っている服を着ているので、彼らの存在は非常にわかりやすい。
ルンデンの港に着くと、一人の女がこちらへと駆け寄ってきた。
「やっと見つけた。久しぶり。」
彼女はチェーザレにそう話しかけた。
「護衛の一人も付けなくて大丈夫なのか?」
「この町でメドフォード家に危害を加える馬鹿はいないわよ。」
彼女はそう言うとチェーザレの横に並んでいる俺の方を見た。
「えっと、そっちの子がシーザ君?」
彼女が困惑した声色でそう言った。
思われていることは予想がつく。
「こいつはジェシカ。メドフォード家…って言ってもお前には分かんないだろうが、まあルンデンで一番の金持ちの娘だ。」
そう言ってチェーザレは俺にジェシカを紹介した。
「ちょっと、何その感じの悪い言い方。ウチは仕事で必要な分だけ金をため込んでるだけで、芸術後援に慈善活動、国への寄付もちゃんとやってるわよ。それに、あんたたちの戦費のいくらかもメドフォード商会から出てるんだから。」
「はいはい。で、俺の横にいるのがシーザ。俺は今日からブリタニア王との打ち合わせで忙しいからな。ルンデンには一か月もいないと思うが、その間こいつの面倒を見てやってくれ。貴族じゃないから敬語は使わなくていい。」
そう言って俺はジェシカに紹介された。
「シーザ君、初めまして。短い間だけどよろしくね。ルンデンはいいところだから、ぜひ楽しんでいってね。」
「まあ、俺についてきてもお前にできることは特にないから、楽しんで来い。」
そう言うとチェーザレはルンデン城の方へと去っていった。
「あいつ、いつもああいう言い方をするのよね。」
ジェシカの言葉に俺がうなずく。
「分かるよね!あいつ大学時代すっごいモテたんだけどさ、にべもなく振りまくるから逆に学校中の女の子の目の敵にされてさぁ!」
「マジですかその話。」
「聞きたい?この話の続き?」
ジェシカの言葉に俺が再びうなずく。
「じゃあ、とりあえずルンデンの大通りへ行こっか。夜ご飯食べながらその話してあげるわ。」
「ジェシカさん、俺あんまりお金持ってないんで、高級店とかはちょっと…。」
その反応を見て、ジェシカは俺の肩を叩いて笑って言った。
「シーザ君、話聞いてた?ウチはルンデン最大の豪商なの。支払いは全部任せなさい!ってことで、いざルンデンの大通りへ!」
季節は夏。
夜7時を過ぎたことで太陽は地平の底へと隠れようとしていた。
しかし、ルンデンの大通りではこれからが本番とでも言うかのように、数多の明かりが夜を消し去っている。
そのルンデンの大通りへやってきた俺たちはさらに1人の女と合流した。
「シーザ君、紹介するわ。私の友達のマーガレットよ。」
「初めまして。マーガレット・オブ・ランセスターです。」
「シーザです。よろしくお願いします。」
明かに自分よりも身分の高そうなマーガレットにお辞儀をされて、困惑しながらも挨拶を済ませた。
「彼はあのチェーザレの従者で、いま預かってるからぜひ3人でお話しましょ。」
「ってことはあいつ今ルンデンに来てるの?」
「そう。なんかフランデーニュ女公の下で働いてるらしいのよ。」
「じゃあ将来はフランシア王国、そして連合を組むブリタニア王国の重役になるかもってことね。あいつならなってそうだわ。」
会話しながらいかにも高そうな店の中に入ると、奥の席へと通される。
「シーザ君、ジェシカとは仲良くなっておいた方がいいわよ。こういう時全額払ってくれるし、男爵家の長男との縁談も上がってて、将来は貴族の仲間入りするから。」
「それ、上級貴族の嫌味?」
聞くところによると貴族にも階層があり、伯爵以上が上級で男爵以下が下級らしい。
マーガレットはランセスター伯爵家の娘である。
「上流貴族のウチがメドフォード家ばりにお金持ってたらよかったんだけどね。マジで大学の時にいい男捕まえておくべきだったわ。」
この2人が友達同士だとわかる話の弾み方だ。
「シーザ君ごめんね。2人だけで話しちゃって。」
俺が横で何も話せないでいることに気づいたジェシカが苦笑いして言った。
「私たち2人はチェーザレに振られた仲間だから、気が合うのよね。」
マーガレットがジェシカの言葉に合わせた。
「あいつの性格でそんなモテたんですね…。」
俺の言葉に2人は目を丸くする。
「あいつって…。自分の従者にそんな呼ばれ方するの初めて聞いたわ。」
ジェシカが笑いをこらえながら言う。
「シーザ君、あいつのことが嫌になったらいつでもランセスター家にいらっしゃい。」
マーガレットも笑いながら言った。
「ウチに来た方がいいわよ。ランセスターの倍額出して雇うわ。私こんなかわいい弟欲しかったんだよね。」
「そう、さっきから思ってたけどシーザ君マジ天使。最初女の子かと思ったわ。」
いつもの下りにため息が出そうになる。ここで、注文していないのに飲み物が運ばれてきた。
「お酒がダメだったら言ってね。」
運ばれてきた透明の飲み物は酒らしい。ダメも何も、飲んだことが無いから分からない。
「乾杯!」
そう言って3人で酒を飲み干したが、甘さのおかげでかなり美味しく感じた。
「でさ、気になってたんだけど。」
そう言ってマーガレットが口を開いた。
「チェーザレってなんでフランデーニュ女公に仕えてるわけ?あいつの実家のロンバルディーとなんか関係あるの?」
チェーザレの父、グリエルモ・デ・パヴィーは帝国領ロンバルディー公国の領主である。
「さあ?私もこっちに来る前に手紙のなかで質問したんだけどね。あいつの答えは想像つくでしょ。」
そう言ってジェシカが俺の顔を見る。うん、はぐらかしたんだろうなと想像がついた。
「シーザ君、なんか知らない?」
マーガレットから質問された。
俺はその質問に答えられるが、首を横に振った。
「知らないか~。」
会話の途中で次々と美味しそうな料理が運ばれてくる。
「そういえばシーザ君とチェーザレの関係も謎よね。どういう経緯で従者になったの?」
話すと長くなるが、俺はこっちの質問には答えた。
もちろん都合の悪い部分を伏せて。
「フランデーニュ女公ってこんな可愛いんだ。」
「勝手に人の従者を連れ去るのは引くわ。」
そんな反応をもらいながら、俺は経緯を説明し終えた。
「へえ。じゃあ私たちにはその王の資格とやらがないってわけね。だから私たちは振られて、シーザ君はあるから連れまわされてると。」
「あいつの考えてることは昔からよく分かんないから、考えるだけ無駄よ。」
マーガレットの言葉にジェシカが返した。
「そうね。私たちが振られた理由もそういう感じだったし。」
「そうそう、話が合わないって、お前がおかしいんだっつーの。」
確かに、チェーザレと話が合う人間は少なそうだ。
「シーザ君聞いてよ。」
そう言ってジェシカがこっちを見て話しかけてきた。そしてマーガレットを指さす。
「マーガレットさ、チェーザレとの初デートで宝石店に行って宝石の1つや2つ買ってもらおうとしたんだけどさ、宝石の価値について延々と質問されて、結局買ってもらえずにそのまま別れたのよ。」
鮮明に想像できた。
「はあ?テスト勉強があるからって理由でデートすら断られ、お前より学問の方が大事って言われたあんたよりはましだと思うけどね。」
俺が料理を食べながら聞いている間、2人は酒ばかりを飲んで学生時代の話に花を咲かせていた。
そのおかげか2人ともかなり饒舌だ。
「それで、戦争の方はどうなってるのよ。あんたのところのフランシア支店とか、ヤバいんじゃないの。」
ひとしきり学生時代の話をした後、マーガレットが話題を変えた。
「お父様に話聞いたんだけど、意外と大丈夫みたいよ。確かにフランシア支店は取引が滞ってる状態なんだけど、同盟のおかげでフランデーニュ公領では商売繁盛してるみたい。」
そう言ってジェシカはこちらを見て笑った。
「ふぅん。そうなんだ。メドフォードの時代はまだまだ終わりそうにないのね。」
「終わったらもう奢れなくなるわよ。」
「じゃあまだ続いてほしいかも。」
「で、戦争の趨勢は?ウチのお父さんは正直厳しいって言ってたわよ。けどその割には王宮の空気が刺々しくないから、陛下には何か奥の手があるんじゃないかって。」
・地名の元ネタ
ルンデン(ロンドン)
ヌーヴァグラード(ノヴゴロド)