6 ブリタニア
俺たちがニケ達と合流したのはフランデーニュ公国内の、ニケが乗ってきた馬車の置いてある地点であった。
ジョフロワを含めた少数の護衛たちと落ち延びてきたニケは確かに無事だったが、馬から降りてチェーザレの方へ怒りの形相で歩み寄るニケを見て、チェーザレの方が無事では済まなさそうだと思った。
「チェーザレ殿、あなたは我々の味方をしていただけるのではなかったのか!」
ニケの後ろのジョフロワが声を荒げるが、チェーザレは顔色一つ変えない。
「チェーザレ、答えて。」
対照にニケの声は落ち着いている。
顔は怒ってるのに。
「どこで何してたの。」
彼女の怒りは当然だ。
彼女に味方すると言っておきながら、俺たちはギーヌでの戦いが終わるまで彼女らのもとに戻るどころか、一切の連絡をしていなかったのだから。
チェーザレはどうせ戻ってもできることはないと言っていたし、実際そうなのかもしれないが、戻らない理由すら説明しないのでは不信感を抱かれるのは当然だろう。
「正直に言うと、やっぱりフランシア王国の味方をしようかなと、迷ってました。でもこいつが約束を守れ、陛下を王にするんだってうるさくて。まあやっぱり味方してあげようかなと。」
俺を指さしたチェーザレの言葉は一瞬意味不明に思われたが、悪役のふりをしているのだと察した。
チェーザレが悪役で、俺がニケの味方をするヒーロー役。
そんな手が通用するのかは不明だが、彼なりに俺とニケを二人にするための布石を打っているのだろう。
ニケの右手がチェーザレの頬めがけて飛んでいく。
「届かねえよ。」
チェーザレが左手でニケの右手首を掴む。
「俺にすら届かねえんだから、王冠なんて夢のまた夢だろ。目ぇ醒めたか。」
チェーザレが後ろに回した右手で、右斜め後ろにいる俺に手招きする。
俺に今ヒーロー役をしろと。
それはいいんだが、こんな言い方をしてチェーザレの方は大丈夫なのだろうか。
俺はチェーザレの方へと駆け寄る。
右ストレートをチェーザレの右頬に一発。
倒れたチェーザレに馬乗りになって、さらに右手を高く振り上げる。
「シーザ!!」
ニケが叫ぶ。
そしてうつむいて涙をこぼし始めた。
「うまくやれよ。」
チェーザレが小声でささやく。
本当に大丈夫なんだろうかこいつは。
だが、今は人の心配をしている場合ではないのだ、俺の方も上手くやらねば。
俺は立ち上がってニケの方に歩み寄り、肩に手をまわしていったんこの場から離れることを促した。
さて、どうしたものか。
あのあとうまく二人きりで馬車の中に入れたのはいいものの、ニケはまだ下を向いて泣いている。
そしてチェーザレが気になりすぎる。
一応まだニケは公爵でチェーザレも同じく公爵の子供だから、あんな風に喧嘩を売っても処罰されたりしないのだろうか。
…まずは、戦いのときに傍にいられなかったことを謝らなきゃな。
「陛下、戦闘に間に合わずすみません。」
ニケからの返答はなく、あいかわらずうつむいて嗚咽を漏らしたままだ。
「なんで、王になりたいんですか?」
決意して口を開く。
もうストレートに聞こうと決めた。
「別に、王にならなくてもいいじゃないですか。現に、フランシア王になれなくても、ブリタニアの王妃にはなれるんですから。」
「…シーザには、わからないかもしれないけど。」
ひとしきり泣いた後彼女がようやく意味のある音を発する。
「私には、王冠しかないの。」
そして続ける。
「ずっと王族の血が流れていないんじゃないかって、子供のころから陰で言われてきて。王冠の在り処を決める大会合でもみんな言ってたらしいわ。私は王にふさわしくない、王国を導く力がないって。」
大会合、現王シャルルIV世が王に推戴された貴族たちの会議のことか。
「でも大丈夫だった。確かに仲は悪かったかもしれないけど、お父様もお母さまも私には優しくしてくれたから。王国初めての女王になるんだってお父様はいつも言ってた。私に似た自慢の娘だってお母様も。熱病が流行って、お父様もお母様も天の国へ旅立たれたときは悲しかったけれど、私にはお父様とお母様が遺してくれた王冠があったから。だから私は王にならなきゃいけないの。そうじゃなきゃ私には…何も。」
ニケの声は途中から涙声になっていた。
ここまで言い終わると、彼女の声はまた意味を持たなくなった。
彼女の境遇に思いを馳せる。
この年で両親を亡くし、本来得られるはずだった王冠は彼女のもとから離れていってしまった。
両親と地位、それらが彼女の心を支えてくれていたのだろう。
片方が欠ければもう片方が。
両方が失われた今、彼女はまだ取り戻すことができる地位を必死に追いかけている。
では、それを取り戻すことが彼女の幸せなのだろうか。
チェーザレは俺を通して彼女を傀儡の王にするつもりだ。
それでは彼女が王冠を手に入れる意味がない。
これは…多分だけど、ニケは自身の存在を誰かに肯定してほしいんだと思う。
もしそうならニケの心を真に満たせるものは、フランシアの王冠ではない。
今、ニケの力になりたいという思いと、チェーザレの計画を実行すべきだという考えが、俺の中に同居している。
どう考えても、後者を優先すべきだ。
俺は自身のために他者を犠牲にする覚悟はしたはずだ。
それに、女王になれるのだから、ニケもそれで満足していいはずだ。
そして、前者を選ぶということは、彼女のために俺がチェーザレを裏切るということだ。
俺はここで選ぶべき正しい答えを知っていて、それを実行するだけでいいのに。
頭の中にいくら理由を並べても、自分の選択に納得できないのはなぜなのだろうか。
目の前の彼女を見る。
下を向いて泣いている。
俺がなぜ、ここまで心を動かされるのか。
俺自身にも分からない。
説明ができない。
彼女の境遇が不憫で、それを憐れむ慈悲の心か。
彼女が容姿端麗で、恋心が芽生えたか。
なんにせよ、こんな道理に合わないことを考えている時点で、俺の答えは決まっているのだ。
そして、俺がここまで馬鹿なら、さらに馬鹿なことを考えればいい。
ニケもチェーザレも裏切らない、第3の道を。
「ニケ。」
王族である彼女の名を呼ぶ。チェーザレの大胆さが移ったのかもしれない。
きっとそうだ。
そうに違いない。
「この先何があっても、俺はニケの味方だ。約束する。」
数秒の沈黙ののち、返答。
「味方ならもうすでにたくさんいるわ。それでも今の私じゃ手に入れられないの。あなたが味方してくれたところで、手に入れられないでしょ。」
「フランシアの王冠じゃねえ。」
ニケが顔を上げ、涙を含んだ瞳で俺の顔を見る。
「その王冠じゃない。お前の人生を肯定してくれるのは。それをかぶってもお前は認めてもらえない。」
「…なにわかったような口きいてるのよ。」
彼女の声のトーンが上がる。
「今は誰も私が王だと認めないかもしれないけど、いずれ認めさせるわ。」
推測が確信に変わる。
「王冠を奪うには、外国の力を借りなきゃいけない。大王が体現した、最強のフランシア王国を思い描く貴族たちは、外国勢力に支えられたニケ女王の誕生を祝うことはない。もしその頭を王冠で飾ることができたとしても、誰かの傀儡に過ぎない。」
「…じゃあ、どうしろって!」
俺は座っていた椅子から立って手の震えを止める。
そして右手の手のひらをニケの小さな肩、その少し上の壁に押し当てる。
涙ぐんだ彼女の顔に、俺の顔を近づける。
「俺がお前を王にふさわしいと証明する。フランシアじゃない、お前の本当の居場所を創る。だから俺を信じてついて来い。」
ニケは呆気にとられた顔をしてこちらを見る。
涙の後が彼女の頬に残っている。
今までにない長さの静寂。
「それ、チェーザレに言えって言われたの?」
「…最後のは俺が決めた。」
「フランシアも、ブリタニアも捨ててあなたについて行けって?何もない、貴族でさえすらないあなたに?」
「必要なものはこれから手に入れる。後悔はさせない。」
再びの長い静寂。そしてニケが笑いながら言う。
「はあ、馬鹿みたい。あなたも、王にならなきゃって思い込んでた私も。」
「…だから、俺がお前を王にすると」
ニケが俺の言葉を遮る。
「今は王冠より欲しいものを見つけたから、もういい。別に私はあなたに王にしてもらわなくたっていい。」
それに対して意地になって返す。
「約束だ。」
そう、約束だ、2人の。
「お前を王にふさわしいと証明するのは約束だ。俺とお前との。」
「じゃあ、楽しみにしてる。」
ニケはまた笑って言った。
その顔に涙は無い。