1 プロローグ
気づくと俺は草原の上に寝ころんでいた。
暖かい太陽の光、心地よい風。ずっとこのまま横になっていたい気分であったが、ふと疑問が頭をよぎる。
…俺、何してたんだっけ…?
目を開けて上体を起こす。
そして自分が何をしていたのかを思い出す。
俺は高校から帰って、飯を食って、ゲームをした後寝た。
ここまでは思い出せるが、自身のベッドが草原に変わるまでの経緯を全く思い出せない。
さらに、ほかにも変わっているものがあった。
違和感を感じて目線を落とすと、着心地のいいパジャマはたった一枚のぼろきれに変わっているのに気付いた。
そして、視界に入ってくる長い金色の髪をすくい上げると、それが自身のものであることに気づく。
驚いて立ち上がると、目線も低くなったように感じる。
空想の世界の出来事がまさに自身の身に降りかかったのではないか…。
不安を圧倒するほどの大きな期待に胸が躍るが、自身の体を探ってみてその性別が変わっていないことを悟ると少し落ち込んだ。
落ち込んで冷静さが取り戻されると、こちらへやってくる一団の足音と話し声が耳に入るようになった。
彼らは俺と互いに視認できる距離まで近づいてきている。
そして先ほどまでの期待の余韻は恐怖に変わる。
槍を携え鎧を身にまとった男たちの列は長く続き、これから行われる行為への想像を掻き立てる。
それが今の自分に向けられたならば…。
空想の世界であれば、俺には特別な力が備わっていて、彼らを恐れる必要などないはずであるが、今のところそんな力は感じられないし、使い方も分からない。
考えていると、隊列を先導していた一騎がこちらに向かってきて、俺の目の前で止まった。
他とは一線を画す装飾は彼が名のある人物だということを感じさせる。
目の前の男は騎乗したまま俺の顔を見て驚いた表情を見せ、その口を開いた。
「私はリュクサンブール伯ジョフロワ、そなたの名は?」
彼の恰好からわかっていたが、名前も西洋風であった。
彼の目的がわからないのに、自身の名を名乗ってよいのだろうか…?
混乱して言葉を発せないでいると、次の質問が飛んでくる。
「自分の居住地は分かるかね?」
本当のことを答えて良いのだろうか、これも分からない。
こちらの返事がないことを受けて、目の前の男は何かに気づき、笑った後に言葉を発した。
しかし俺はその発音の羅列の意味が分からなかった。
だが、おそらくこちらが返答しないことから違う言語を使ったのであろうとは推測できた。推測できたと同時にとっさに言葉が出た。
「すみません。前の言葉でお願いします。」
すると相手はとても驚いた顔を見せる。
「君、共通語がわかるのかね?」
共通語…?ここでは日本語が共通語と呼ばれているのか?
「とりあえず馬車の中で話したいことがあるのだが、乗ってもらえないだろうか?見たところ何かあったようだが、我々が力になろう。」
他人から厚意の言葉を向けられて、恐怖心が薄れるとともに冷静さを取り戻した。
よく考えれば、もし彼らが俺を害するつもりなら有無を言わさず好きにすればいいはずである。
つまり、今のところ敵意はない…はずだ。
「わかりました。ありがとうございます。」
そう返事するとジョフロワと名乗った目の前の男は俺の小さな体を持ち上げ、騎乗した自身の前に座らせた。
そしてそのまま隊列に向けて引き返し始めたのだが、すれ違う隊列の誰もが俺の顔を見て驚きの表情を浮かべている。
そのことが気になりつつも、馬車の近くまで来ると彼は隊列に停止命令を出し、扉の前で馬車の中にいるであろう人物に話しかけた。
「紹介したい人がいるんだが、入るぞ。」
そう言って彼は馬車の中に入って、こちらに手招きをする。
馬車は観覧車の中のような向かい合う座席配置になっており、俺は彼の向いに座った。
美少女。
目の前の人物は誰もがそう口にするような人物であった。
中学生くらいの雰囲気で、金色の長い髪と青色の大きな目が特徴の整った顔立ち。
残念なのは今まで出会った誰よりもこちらを見て驚き、少し変顔になっていたことだ。
「おじ様、彼女は…」
「俺もさっきそこで出会ったばかりで、ついてきてもらったのさ。彼女、この服装だけど共通語話せるんだ。で、君は名前と居住地を言えないのかい?」
話を振られたが、質問に回答するより先に伝えなければならないことがある。
「あの…、私、男です。」
場が固まる。
「この顔で男!?」
眼前の美少女が裏声を上げる。
「あ、はい。さっき確認しました。」
「本当に男なのか?にわかには信じられん…。というか男だとどうなるんだ?」
「さっき確認したってどういうこと…」
目の前の二人から同時に話しかけられた。
「落ち着いてください。質問には答えますから、ひとつずつお願いします。」
「じゃあ、俺から。君は本当に男なの?」
どうやら本当に信じてもらえていないらしい。
「はい。そうです。自分の顔を見たことはありませんが、私はそんなに女に見えるんですか?」
「はい、鏡。」
美少女が手鏡を取り出して手渡ししてきた。
それを受け取った俺は初めて自分の顔を見る。
そこには眼前の人物の姿があった。
違いは着ているものくらいで、本当に瓜二つである。
まだ子供とはいえ、この顔で男は無理があると納得した。
「でしょ?」
「驚きました…。」
「じゃあ次の質問!」
こちらの驚きをよそに、矢継ぎ早に美少女が声を発した。
「あなたの名前は?」
「さっきからの様子を見てると彼女…、彼は自分の名前を言えないんじゃないの?」
質問に対してジョフロワが勝手に答える。
「え?そうなの?」
一連のやり取りで彼らに敵意がないことはくみ取れたが、依然として俺を馬車に乗せた目的は不明のままである。
普通に考えれば俺を助けてくれたのだろうが、今日は常識が通用しない日だ。
自身の名前を言ってもいいが、記憶喪失で通せるのであればそちらの方が都合がいいかもしれない。
「はい。ちょっと記憶喪失で…」
「何か覚えてることはないの?」
「はい。全く…」
「では俺から提案がある。」
急にジョフロワが口をはさむ。
「君、この子の身代わり役にならないか?」
「身代わり役?」
「この子の代わりに人前に立つ役だよ。実はこの子は体が弱くて人前にはあまり立てんのだ。だからその代わりをやるだけさ。」
「おじ様。」
美少女がジョフロワを睨みつける。
「ごめんなさい。ちゃんと説明します。私はフランシア王国女王、ニケ・ド・フランシアです。これから私たちは奪われた王冠を取り戻しに行くのですが、その際に政敵から命を狙われるかもしれません。だから、いざというときのためにあなたに私の身代わりとなっていただきたいと思います。」
身代わり…、そういうことか。
その話を聞いて、俺の心の中にあった恐怖が完全に目を覚ます。
しかし、その恐怖はそれでも別の感情に押さえつけられている。
俺の心の支配者は期待であった。
目の前にいる彼女が王国をかけて争おうとしていて、自分がその当事者になろうとしているということ。
日常を脱したこの世界に、俺の心は期待していた。
心拍数が上がる。
もし、俺がこの誘いを受けて、死の瞬間が訪れた時、きっと後悔するだろう。
だが、断っても後悔する。
誰かが言っていた。
人生はいつも通りの平穏が一番だと。
だが、人が真に心惹かれるのは平穏を破壊する英雄譚である。
昨日までは到底手が届かなかった道が、そこから見える景色が、今日の俺には開かれている。その道が悪魔の罠で、そこから見える景色が血に染まっているかもしれない。
乗るか反るか、様々な考えが頭をよぎるが、胸に手を当てると、俺自身が出した確かな答えがそこに存在していたことに気づく。
俺の口が、物語の始まりを告げた。
読んでいただきありがとうございます。
小説の執筆は初心者中の初心者ですので、読みにくい・わかりにくい部分があると思いますが、ご容赦ください。
ご質問やご要望があれば拝見させていただきますので、ぜひお気軽にご連絡ください。
・地名の元ネタ
フランシア王国(フランス王国)