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 桜子がアウラと入れ替わってから、二つ目の季節に入った、ある日のこと。


「陛下!!」


 聞き覚えのある太い声が響いた。

 書類とにらめっこしていた桜子のもとに侍従がやってきて来客を伝え、返答する前に扉が開かれる。

 制止する女官長や侍従長達を押しのけ、見覚えあるが懐かしくはない面々が、女王の執務室にどかどか踏み込んできた。


「無礼であろう、ドゥーカ公爵、マルケーゼ侯爵。妾はまだ入室を許可しておらぬ」


 半年も経てば、さすがにこの言葉遣いにも慣れる。


「それどころではございませぬ!!」


 ドゥーカ公爵は一喝した。呼吸が荒いところを見ると、馬車を降りてから走ってきたのかもしれない。年齢が年齢だし体格も体格だし、公爵とその仲間にはきつかったのかもしれない。


「おかしなことじゃ。王の許しを得ずに、王の私室に入れる者がおるとは。そちらのほうが、よほど重大に思えるがのう。妾が庭園の一般公開を提案した時、警備上の安全を説いて反対した宰相の言葉とも思えぬ」


「陛下! ふざけている場合では…………!」


「妾も真面目に話しておる。まあ、良い。せっかく大臣がそろったのじゃ。場所を移動しよう。そろそろ会議の時間じゃ」


「陛下! 我々は…………!」


「他の者がそろってから話をしよう。そのほうが無駄がない。妾は移動するが、そなたらはどうする? 喉が渇いているようなら、水を飲む程度の余裕は与えるが?」


 いきり立つ公爵とそのとりまきに、桜子はあくまで平然と、かつ冷ややかに告げる。アウラの硬質な雰囲気の美貌はこういう表情の時、いっそう引き立つ。

 気圧されたのか、それとも単純に喉の渇きや呼吸が苦しかったのか。ドゥーカ公爵達も少し冷静になる。


「…………水をいただきましょう。なにぶん、急な話に動転しておりましてな」


「リュゼ。なんぞ、冷えた飲み物を公爵達に」


「かしこまりました」


 女王陛下は侍女に飲み物の用意を命じる。

 ちょうど隅にひかえていた栗色の髪の若い侍女が、恭しく一礼して執務室を出て行った。


「では、妾は先に会議室へ移動する。そなたらも他の者達を待たせぬよう。あまり時間がかかるようであれば、先にはじめておるぞ」


『さっさとこの部屋から出て行け』という意味である。

 男達の歯ぎしりの音が聞こえた気がしたが、桜子は無視して部屋を出た。

 一時間後。

 ようやく会議室に大臣全員がそろう。

 喉を潤したドゥーカ公爵達が姿を現したのだ。一時間かかったのは「ここまで来たら、慌てることはない」と、ゆったり菓子をつまんでいたからだ。

 すでに着席していた同僚達から「今頃来たの?」「あ、どうも」という視線を向けられ、てっきり「待ちかねた!」と、すがられる反応を予想していた公爵達は肩透かしをくらう。


「ちょうど、最後の確認に入るところじゃ。聞いていくがいい」


 女王陛下のお言葉に、ドゥーカ公爵は「エヘン」と、わざとらしい咳払いで応じた。


「恐れながら、陛下。私共が伺候しているとご存じでありながら、我々の出席を待たずに会議をはじめてしまわれるとは。あまりに冷淡、あまりに無謀な行為です。この宰相めは、失望を禁じ得ませぬ」


「何故じゃ。来なければ先にはじめていると、申したであろう。知っていて来なかったのだから、会議に参加する気はなかったのであろう?」


「それは誤解というものですぞ、陛下。私共は常に、いついかなる時でも、この国の行く末を憂いております。会議に出席せぬなど、ありえるでしょうか」


「では、何故さっさと来なかったのじゃ。聞けば飲み物だけでなく、菓子までつまんでいたそうではないか」


「それは…………」


 ドゥーカ公爵がさすがに詰まる。

 桜子はその顔を冷ややかに見た。


(自分達のほうが偉いんだから、いそぐ必要はない、待たせておけ、という牽制でしょ。やりたければ、やればいいわ。こっちはそれで支障ないんだから)


 実際、差し支えはなかった。

 ドゥーカ公爵達の突然の伺候を聞いて驚く者はいたが、それでも会議は予定通りに進んだ。

 桜子はあえて公爵の意図に気づかないふりをして質問を重ね、牽制し返すと、公爵の返事を待たずに話題を変える。


「とりあえず、体調が回復したようでなによりじゃ、ドゥーカ公爵、マルケーゼ侯爵、コンテ伯爵、グラーフ伯爵。だが無理は禁物。体調が優れぬなら即、申すがよい。退出を許す」


「これは、これは…………ありがたい仰せですが、お気遣いは無用です」


 ドゥーカ公爵の目つきが剣呑な、抜け目ないものに変化する。遅まきながら「気合を入れるべきだ」と、ようやく悟りはじめたのだ。

 公爵達はいったん着席し、もう一度咳払いすると、わざとらしいほど恭しく口を開いた。


「陛下。私どもは失望しております。宰相の任、陛下の摂政の任に就いて十年。よもや、このような悲劇に見舞われるとは。嘆きのあまり、この胸が張り裂けんばかりでございます」


「舞台の台詞のようじゃな。そなた、宰相より役者のほうが向いておるのではないか?」


 冷ややかな女王陛下の言葉に、ドゥーカ公爵も射殺すような視線で応じる。


「陛下。私はなにも、お遊びでこのようなこと申しておるのではございませんぞ。ロヴィーサ王宮に危機ありと聞きつけ、駆けつけたのでございます」


「その割に、会議には遅刻したのう。もったいぶらずに、さっさと申すがよい」


「……………っ。では、申し上げます。陛下。情けなくも、ロヴィーサの王にあるまじき愚行に手を染めようとなさられている、と聞き及びました。事実でしょうか」


「さて。なんのことじゃ?」


「平民に! 爵位を与える、と聞きました!!」


 公爵の声が大きくなった。とりまきの侯爵や伯爵達もいっせいに桜子をにらむ。


「貴族とは、このロヴィーサの中でも、選ばれし存在! 貴族位こそは、国の礎! 我々貴族こそが、ロヴィーサを支えているのです!! 爵位はその証であり、我らの正統性を示すもの。その爵位を安易に、そこらの平民に下賜するとは! 愚行も愚行、ロヴィーサ史上に永劫残る汚点となりましょう! どうぞ、愚かな行為はおやめください!!」


「そなた、やはり役者のほうが向いておるのではないか?」


 ドゥーカ公爵の熱弁は、女王陛下の胸には針ほども刺さらなかった。


「陛下!!」


「名の知れた名門貴族も、初代は下級の騎士や地主や平民であったりする例は珍しくない。それが名をあげ功を立て、その時代の王に引き立てられて家名を得るのじゃ。今回も同じこと。国の功労者に対して、報酬を与えるだけのことじゃ」


「功労者ですと!? たかが平民ごときが!?」


「功労者であろう。彼らや彼らの父がおらねば、かのクラージュ王陛下は戦をつづけられず、ロヴィーサはとうに破綻しておったのだから」


「銀行家に! 金貸し風情に叙爵すると、お聞きしましたぞ!?」


「そのとおり。間違いなく、彼らもロヴィーサの礎の一つじゃ」


「なんと…………」


 ドゥーカ公爵は数秒、絶句した。本気で驚愕した様子だ。彼のお仲間達も同様に目と口を丸くしている。あまりにそろいすぎて逆にわざとらしく、桜子も他の大臣達も(この演技、やめてくれないかな)と、うんざりしたほどだ。

 だがドゥーカ公爵達の驚愕は本物だった。本気で驚愕していた。

 まさか世間知らずの小娘とはいえ、卑しい金貸し風情を本気で貴族に加えるとは。そこまでものを知らぬ愚か者だったとは。

 これは目を離したのは間違いだったかもしれぬ。

 そう、ドゥーカ公爵は確信したのだが。


「あまりの悲劇に、言葉もございません。陛下。深窓にお育ちになられた故、いたしかたないといえばそれまでですが、よもや、ここまで道理をわきまえぬ御方とは」


「妾が道理をわきまえぬとすれば、それはそなたの失態であろうなぁ。なにせ、そなたは妾の摂政で、妾の教育についてはすべてをにぎっていたのだから」


「…………っ!」


 嘆かわしげに首をふる公爵の言葉を、女王陛下は冷淡にさえぎった。まさに『美しき冷酷な女王』の面目躍如の笑みである。にらみつけてきた狸親父に、桜子は淡々と説明する。


「話はすでに決着した。叙爵する者達の名は、これから公示される。彼らはその財を持って、クラージュ王陛下の御代を支えた。その功績を讃えてのことじゃ」


(有り体にいえば、お金を貸しただけだけど)


 政治的体面的にはそういう言い方をするのだ。


「私は反対です。お考え直しください。でなくば、陛下の御名は暗愚の王としてロヴィーサ史上に永劫残るでしょう。すぐに撤回を」


 言って、ドゥーカ公爵はそばにいる役人に撤回の作業を申し付ける。「自分が命じているのだから、逆らうはずがない」と信じきった様子で。


「撤回はせぬ。すでに話は決着したと申したろう。叙爵は決定事項じゃ」


「陛下!!」


「おかげで国庫の借金の三分の一が片付いたのじゃ。充分な成果であろう」


「な…………!?」


ドゥーカ公爵達は耳を疑った。


「借金が…………片付いた!?」


「三分の一ほどじゃがな。それでも減らないよりはマシじゃ。証文をすべて見直して貸主全員と交渉し、一部は棒引き。残るものも、利子を下げさせることには成功した。これで次からの返済は、かなり楽になる」


 ドゥーカ公爵の前に、財務大臣が何枚もの書状を並べた。すべて借金の完済や利子の軽減を約束する内容ばかりである。さらには来年の返済計画書。


「な…………そんな、まさか…………」


 書状をめくっていく公爵の手がふるえる。とりまき達も「信じられない」と、その表情が語っている。

 だが事実だった。桜子は財務大臣の協力のもと、返済がつづいている借金も滞っているものも、すべての証文を確認して、貸主一人一人と交渉していったのだ。

 彼らは時に資産を持つ貴族であり、豪商であり、銀行家であり、金貸し達だった。


(大変だった…………)


 桜子は表情には出さないよう気をつけながら、この二、三ヶ月間をふりかえる。


(最近の貸主は当然、棒引きなんて承知しないし。利子の値下げも嫌がったから、狙い目は古い貸主達のほう。なにしろ、利子の返済だけで、元金を上回っていたんだから)


 借金というのは、元金を片付けなければ意味も効果もない。元金を片付けない限り、永久に利子を生み出しつづけて、支払いに追われるものなのだ。


(確認した時は目を疑ったわよ。古い借金なんて、返済した利子の合計が元金を上回っているものすら、複数あったんだから。なのに、元金はろくに減っていなくて!!)


 とはいえ、これは好機だった。

 桜子は財務大臣と共に、貸主達にこれまでの返済を証明する伝票を積みあげ、合計額を提示した。そして、これ以上の返済を拒絶――――借金の棒引きを交渉したのだ。

 貸主達は最初、抵抗した。貸した本来の額はとうに戻ってきていても、入ってくる金があるなら維持したい、というのが人間の心理である。

 さらに契約条件自体は法律にのっとった正当なものであり、彼らが責められるのも筋が違う。

 そこで『叙爵』を持ちだしたのだ。

 借金の棒引きを承知するなら、貴族の身分を下賜する。

 爵位を持たない一番下の騎士位で、一代限りの身分だ。領地も与えられないし、貴族年金も形だけ。貴族としては下の下の位である。

 それでも女王陛下が口にした途端、貸主達は色めき立った。

 最下位であれ貴族を名乗り、名字にその証である『ラ』を加えて『卿』と呼ばれる身分になるのとならないのとでは、天地の差があるのだ。

 特に平民の金貸し達は歓喜し、先を争うように棒引きを承知した。

 おかげで巨額の借金のうち、三分の一が片付く結果となった。

 残りの借金についても、貴族の貸主だと叙爵は通じなかったし、たいして返済されていない近年の借金については交渉が決裂したが、そこそこ古いものに関しては利子の減額を呑ませることで成立した。

 このあたりは財務大臣の手腕と実績によるところが大きい。

 彼が長年の返済の伝票をすべてきちんと保管し、国庫が大赤字を抱えながらも、どうにか細々と返済をひねり出して、貸主達からの信頼を積みあげてきたおかげである。


(本当に、財務大臣には頭があがらない。こんな宰相に政治を牛耳られながらも、ちゃんと己の役目を果たしつづけて…………今回の真の功労者は彼でしょう)


 財務大臣には、昇給と男爵から子爵への昇格が内定していた。

 それはさておき、ドゥーカ公爵である。

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