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翌日から、桜子は現代日本でいうところの『財務省』に寸暇を惜しんで通い、紙の記録と片端から格闘した。そして現在のロヴィーサが抱える財政上の問題を、徹底的に洗い出す。
そうして導き出された結論は。
「アウラのせいじゃないじゃないの!!」
だった。
「ロヴィーサの大赤字は、借金が原因! それも、作ったのはアウラじゃない! 前の前の、さらに前の国王じゃないの!! 全然アウラのせいじゃない!!」
思わず桜子は、記録をひろげた机を両手で叩いてしまう。
横で女王陛下の閲覧を見守っていた片眼鏡の財務大臣が、嘆息と共に目を閉じた。
そう、ロヴィーサ国民に課せられた重税。
その大きな原因は、巨額の借金の返済。
しかし、その借金を作ったのはアウラではない。
三代も前のロヴィーサ国王だった。
「おかしいと思ったのよ! 贅沢が重税の原因というわりには、ドレスやアクセサリーの代金はそこまでの額じゃないし…………!」
用途にもよるが、アウラのドレスは日本円にして一着一千万円から三千万円というところ。それを年百着くらい新調するのだから、二十億円前後にはなる。が、国家予算はさらに二桁は多い。「アウラ女王の贅沢が国庫を傾けている」というには、あまりにささやかな出費だった。
「亡きクラージュ王陛下は、武芸に長けた御方でした。それゆえ、お若い頃から豊かな領土を求めて、隣国ブリガンテに幾度も侵攻されたのですが…………」
「せめて勝って、領土の一つも手に入れてくれれば、補填のしようもあったのに…………」
負けたほうが多かったのだ。
「しかも逆にロヴィーサの領土の一部を失ったり、高額の賠償金を支払ったりしているし」
がっくりとうなだれた若き女王に、大臣は無言で同情の念を示す。
「このクラージュ王が戦費による赤字の穴埋めに借金をくりかえして、返済による大赤字が現在までつづいているのよ。ロヴィーサの国庫が傾いている原因は、明らかにこれ。借金の返済のために借金している状況だわ。なんでアウラの責任に…………」
「民は、国庫の詳細など知りようもございませんので――――」
財務大臣が慰めの言葉をかけてくれた。
ちなみに今回の調査でもっとも活躍したのは、彼だ。
一介の下級貴族でありながら、クラージュ王に抜擢されて財務大臣の任に就いたというオーロ男爵は、大恩ある王の逝去後も実直かつ丁寧で正確な行き届いた仕事をつづけており、数十年にわたって記録を遡ったにも関わらず、桜子の知りたい数値をすぐに見せてくれた。
桜子は気合を入れなおす。
落ち込んでいる暇はない。なんといっても二年後には処刑が待っているのだ。
「この赤字をなんとかしないと。それも、課税以外の方法で」
桜子は大臣に命じて、借金の詳細の調査に着手する。
その矢先だった。
宰相であるドゥーカ公爵はじめ、数名の大臣がいっせいに会議を長期欠席する。
若き女王がいつもどおり会議用のドレスで会議室に入ると、長いテーブルの左右に並ぶ椅子がいくつも空いていた。
「重篤な体調不良により、しばらく休養をいただきたい、との旨にございます」
侍従長が重々しくもいたたまれなさそうに、大臣達からの手紙を読みあげる。
「そうか」
桜子は素っ気なく応じて、自分の席に座った。
(今度はサボりか)
アウラの美しい顔は平静を保ちながらも、内心の桜子は毒づく。
(今までいいように操っていた女王陛下が、言うことを聞かなくなったんで、実力行使に出たな? 「誰が国政を支えているか、実際にその目で確かめろ」ってわけね)
特に最近は、庭園の一般公開とレシピの件が成功して、少額だが収入が入るようになった。
わずかとはいえ、結果を出したことで宰相達は危機感を抱いたのだろう。「このまま女王が自信をつけて、言いなりにならなくなったら」と。
(アウラが増長する前に自分達がいなくなって、ロヴィーサの真の支配者は誰か、思い知らせようってわけか。こっちが音をあげて「戻って来て」と頭をさげるのを待っているんでしょうけど、そうはいかない。腹案はもうある。あいつらがいないほうが好都合よ)
「では、はじめよ」
女王陛下は淡々と命じる。
出席した大臣達の報告を聞きながら、桜子は身の内に闘志の炎が燃えあがるのを感じた。
(アウラが生き残るには、国政をどうにかする必要がある。そして国政をどうにかするには、実権をとり戻す必要がある。狸親父達から、実権をとり戻すのよ!!)
絶対に負けるわけにはいかなかった。
一方、ドゥーカ公爵邸。
王都でも一、二を争う広大さと豪奢さを誇るその館では、館の主が『療養』に入ったその日から、ひっきりなしに貴族達が訪問していた。
夜会に舞踏会に晩餐会。昼間のお茶会や読書会、朗読会、音楽会。毎日なにかしら催されては王都中の貴族が招待され、客達は供される贅沢な料理や広間の華麗さ、招待客の高貴さに、ロヴィーサ宰相たるドゥーカ公爵の権勢と財力を思い知らされる。
「こんなに立派な会を開けるのは、公爵閣下の人徳あってこそですわ。これほど美々しい夜会は、王宮でも見られないでしょう」
「あの料理の数々に、あの顔ぶれ! まさに宰相こそ、ロヴィーサの真の王者だ」
客達のそのような会話や感嘆の言葉が、ドゥーカ公爵を心地よく酔わせる。
公爵と共に『療養』に入った別の大臣が、ふと、水をむけた。
「それにしても、いったい何が原因でしょうな。これまで淑やかだった陛下が、突然あのようにお変わりになるとは。誰ぞ、陛下をそそのかした者でもおるのでしょうか」
「だとすれば、オーロ男爵が怪しい。あの男、爵位も持たぬ下級貴族の出でありながら、クラージュ陛下に財務大臣に任命され、男爵位を下賜されて以来、予算を盾に、なにかと我々に逆らってきた。アウラ陛下を第二の後ろ盾に、と画策しているのやもしれん」
「なに。若い頃は、無用に年長者に逆らいたくなるものだ。儂の長男が良い例だ。なにせブリガンテに留学したきり、戻る様子もない」
お仲間の大臣達の会話をドゥーカ公爵は鷹揚にいなす。禁句扱いの公爵の長男の話題が飛び出し、大臣達は返答に詰まって曖昧に笑う。ドゥーカ公爵はゆったりと酒杯をかたむけた。
「心配せずとも、しばらく待てば、陛下にも我々の重要さがご理解いただけるはずだ。その時には、あの目障りな財務大臣も立場をわきまえているだろう。それまで葡萄酒でも飲みながら、ゆっくり待とうではないか」
「たしかに」「それもそうですな」と『体調不良』の大臣達は笑い合う。
この時点では、まだ公爵達の危機感は決定的な水準には達していなかった。
誰もが若き女王を侮り、新たな定収入の件もまぐれと信じて注視していない。
さらにこの直後、ドゥーカ公爵は隣国に留学していた長男から珍しく連絡を寄越され、ある重要な情報を入手する。
事実ならばロヴィーサ王家の行く末を左右するその情報は、宰相が関心を寄せるには十分な理由であり、同時に女王から目を離す一因ともなった。
ロヴィーサ宰相、他数名の大臣が同時に療養に入った翌日から。
ロヴィーサ女王、アウラこと桜子は精力的に金策に駆けずり回った。
まずは、クラージュ王が重ねに重ねた大借金の返済だ。
桜子はオーロ男爵を筆頭とする財務省の役人達と、話し合いをくりかえす。
王宮に入れ替わり立ち替わり、銀行家や資産家達が呼ばれた。
並行して、今後十年に渡る、すべての宮廷行事や国家事業の見直しが行われる。
同時に、王宮で開催されていた夜会や舞踏会は一気に回数が削られ、時間の空いた貴族達は花街や友人愛人の邸宅、もしくはドゥーカ公爵邸の舞踏会へと流れていった。