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(甘かった…………)
ろうそくの灯りの下、書き物机にむかってガリガリと羽ペンで日記をつけながら。アウラ女王こと雨井桜子は歯ぎしりする。
アウラと魂が入れ替わって一ヶ月。
『態度を改めること』と『いつでも逃げ出せる準備をしておくこと』を念頭に行動してきた桜子だが、後者はともかく、前者に関してはろくに進んでいなかった。
桜子自身は態度をあらためている。世話をしてくれる侍女達に無理は言わないし、彼女らが失敗してもいちいち怒ったりしない。些細な失敗なら笑って許してもいる。
だがしかし、処刑の根本的原因の改善にとりかかれないのだ。
「あの大臣ども! 人がアイデアを出すたび、頭っから反対して!!」
にぎりしめた羽ペンが折れかける。最近、桜子の日記は『日記』というよりデ○ノートだ。
(昔、読んだ異世界転生物だと、主人公の悪役令嬢や領主が現代日本の知識をもとに事業や政策を提案したら、側近達は「頭がおかしくなったんじゃないか」と思いつつ、主人公の提案を呑むパターンが大半だったのに…………)
異論はあっても、主人公のほうが立場が上だったのだ。そして主人公の言うとおりにすると、すべてがうまく回っていく~というのが、異世界転生物の定番だったと思う。
対して、ロヴィーサの大臣達はまるで女王陛下の言葉を聞かなかった。
桜子がなにを言っても提案しても「聞いたこともない」「前例がない」「話にならない」と、はじめから相手にしない。とどめに「陛下はお若い」「現実をご存じない」である。
要は「世間知らずの机上の空論」「現場を知らない素人は黙っとれ」ということである。
最近では、会議に出席しても桜子だけ意見を求められず、大臣達の議論のみで終わってしまう。今週はついに、会議の予定が突然中止になったと思ったら、なんと女王陛下抜きで開かれていたことが判明した。
桜子は頭の血管がぶち切れそうだった。
(なにが若いって!? 現実を知らないって!? こっちは二十七よ! 最初に入った会社は倒産して、派遣でギリギリ生活して、結婚できると思った相手は既婚者で、相手の妻からは法外な慰謝料を請求されてんのよ!!
親に結婚相手を用意されて毎日、贅沢な衣食住を保障されているアンタらより、よっぽど世間の世知辛さを知ってるっつーの!!)
「ああああ」と侍女がブラッシングした頭をかきむしる。
だが現実問題、大臣達は難敵だった。
桜子も無策で彼らに対抗しているわけではない。そこは腐っても社会人。プレゼンの重要性は理解していたし、並行して政務の勉強も行っている。アウラはすでに女王教育をうけており、その記憶や知識は頭に入っていたが、あらためて勉強し直しているのだ。
だが勉強なら大臣達もしている。彼らは彼らで幼い頃から将来、領地や国を動かす地位に就くことを前提に教育を受けてきたし、なにより実務経験が違う。何十年も現役で知識と経験を積み重ねてきた三十代、四十代、五十代達なのだ。
ろくに新聞もニュースも読まず聞かず、政策などそれこそ異世界転生物の小説や漫画に出てくる程度にしか知らない桜子の付け焼刃の知識や提案など、彼らにとっては真実『机上の空論』なのだろう。
桜子自身、彼らの指摘をうけているうちに、自分の提案が子供だましに思えてくることもしばしばだ(表に出しはしないが)。しょっちゅう(アニメや漫画じゃない、この提案は本当にうまくいかないのかも)と、ためらってしまう。
(けど、あきらめるわけにはいかない)
なにしろ二年後は公衆の面前で処刑である。今のところ安全かつ確実な逃走経路と逃亡先を確保できていない以上、生き延びるために悪役女王の汚名返上は必須だった。
(いいわよ! 却下したきゃ、すればいい! こっちは百回でも千回でも主張してやる!! なんたって、命がかかってんだからね! そっちとは覚悟が違うのよ!!)
桜子は拳をにぎり、歯を食いしばって己に誓う。
アウラ本人が見たら「妾の花の顔でそのような表情をするでないわ」と、さぞや嫌がられたことだろう。
しかし翌日。会議は予想外の展開を迎えた。
「え。良いのか?」
「はい。先日の庭園の件、重臣一同、賛成いたします。それと陛下のお着替えの件に関しましても、陛下のご意向に沿うよう最大限、努力したいと存じます」
ドゥーカ公爵他、大臣全員が恭しく頭をさげる。
(なんで急に…………)
不審を覚えた桜子だが(ははーん)とピンときた。
(さては、女王陛下をハブっていたことがバレて、さすがに気まずくなったな? 一回ぐらいは要求を呑んで、ご機嫌をとっておこうってわけか。せこいな。けど)
OKサインには変わりない。ならば利用させてもらおうではないか。
桜子は扇を顎に寄せ、にっこり笑う。
「みなの賛同が得られて妾は嬉しいぞ、宰相。感謝する」
十八歳の美姫の渾身の笑顔はさすがの威力だった。
あれほど反発していたドゥーカ公爵はじめ、大臣一同が思わず見惚れる。
桜子は即座に行動に移った。
彼女が提案したのは『王宮の庭園と離宮の一般公開』だ。
現在、ロヴィーサの国庫は深刻な危機におちいっている。四十年以上前から赤字がつづき、その穴埋めのための借金も増えていくばかりだ。
しわ寄せは増税という形で国民にむかい、放置すればアウラ女王に対する反感や怒りという形で積み重なって爆発するであろう未来は、漫画の詳細を覚えていなくとも見当がつく。
桜子自身、日本で「消費税高い」「各種税金だの保険料だの高い」と、ぼやいていた身だ。
なので「支出を抑える」「税収を増やす」、この二点を可及的速やかに解決する必要があった。
(内政チートっぽくなってきたな…………)
そんなことを考えながら、一般公開を提案した。このアイデアには自信と勝算があった。
なぜなら、女王の提案反対派の筆頭である宰相自身が、すでに行っているからである。
宰相は、王都にあるドゥーカ公爵邸の美しい広大な庭を無料で解放し、庶民に憩いの場を提供していた(たぶん、情報収集のため、という面もある)。
だが桜子の提案当初、宰相は反対した。
「王宮と個人の館は違う」「王宮を一般公開したら間諜が忍び込みやすくなる」「王宮の庭も離宮も毎日、庭師や下男下女が念入りに整えている。公開などしたら、下々の手垢や足跡で汚れてしまう」「彼らの仕事を無用に増やす気か」…………云々。
が、女王をハブっていたことがバレて、認めざるをえなくなったのは前述のとおり。
桜子は熱心に作業を進めた。必要な書類を作成し(全部、手書き!)、人材の選定に加わり、仕事が増えるであろう庭師や下男下女達に「これからよろしく」と、あいさつしてまわる。
若く美しい女王陛下に直々にお言葉をかけられ、使用人達はそろって陶然となった。
(この顔、使える…………『美しさは武器』って、こういうことか…………)
雨井桜子だった時は一度も使えなかった武器である。桜子は積極的に活用することに決めた。
ひと月後、庭園の公開がはじまる。
まずは『お試し』ということで、週二回(この世界は日本同様、七日で一週間)。公開範囲も、門から入って全体の四分の一までに限定した。
どちらも、最初からやりすぎて失敗して反対派の「そらみろ」という失笑を買ったり、「世間知らずの女王に政務は任せられない」という格好の攻撃材料を提供しないための配慮だ。
さらには『無料』はやめ、庭に入るだけでも入場料をとることにした。日本円換算で二百円程度の額だが「一般公開などして、薄汚い貧民が盗み目的で入ってきたらどうするのか」という、一部大臣の意見を考慮しての判断だ。
それでも出だしは上々だった。
庭園公開の公示はわずか一週間前だったにもかかわらず、初日は朝から行列ができた。
行列は時間が経つごとに長くなり、小奇麗な格好をした比較的裕福そうな夫婦がいたり、一張羅と思しき粗末な服を着た若い男女がいたり、王宮への出入りが許されない下級貴族と思しき家族がいたりと様々で、一様に楽しそうに並んでいる。
さらには行商達が勝手に集まってきて、行列相手に飲み物や軽食を売りはじめた。
離宮には有名画家の絵画や、高価な白磁の花瓶、ティーセット、ディナーセット一式、絹やビロードをはった猫足のソファやテーブル、黒檀のタンスなど、最高級の品を並べさせた。
こちらは富裕層向けの展示だ。普段は王宮への伺候が許されない下級中級の貴族や、貴族並みの財力を持った豪商を想定している。彼らにすれば「王宮に入った!」「すばらしい調度品や絵画を見てきた!」と自慢の種ができるし、王都の洗練された内装を勉強する機会にもなる。
大臣達にとっても、王家の威光を見せつけてやることができてウィンウィンだ。
さらに桜子は「将来の芸術家達に傑作を見せるため」という主張もしていた。
「傑作は、傑作を知る者からしか生まれぬ。優れた芸術家を輩出したければ、まず多くの傑作を見せねば。近年、ロヴィーサは王宮の中にも外にも、これといった芸術家の名を聞かぬ。良き芸術家を育てるのも、女王の務め。離宮には名作傑作を集めて、定期的な入れ替えも行い、芸術家を志す者達の勉強の場ともする。ロヴィーサの財産になるような、優れた芸術家を育てるのじゃ」…………ということである。
さすがにこちらは傷一つついただけで大事になるので、入場料は一万円以上に設定している。
それでも二十組以上の来訪があり、客達は有名な観光名所に来たかのように、はしゃいで帰っていった。
(いける…………!)
王宮の窓から、ちょくちょく望遠鏡をのぞいてチェックしていた桜子は手応えを感じた。
実際、この一般公開は成功だった。開催される日は毎回、行列ができたし、離宮にも富裕層が先を争うようにやってきて、桜子は侍女達から「最近、離宮公開のおかげで家具や食器の注文が増えているそうですわ」と聞かされる。
王宮に日常的に伺候している高位貴族達も、お抱えの若い芸術家達を引き連れて離宮にやって来ては、その数を競いあっていた。
さらに桜子は思いつく。
今の自分にはとっておきの武器があるではないか。アウラの美貌だ。
ある解放日。桜子は地味めの外出着を着て侍女二人を連れ、さも偶然のように庭園に姿を現し、そこにいた客達に声をかけた。
「ごきげんよう。みなさま、ゆっくり見ていかれてね」
「!」「えっ…………」「女王陛下…………!?」「女王様!?」
長い銀髪と白い肌が映える、焦げ茶色の散策用ドレスを着た美姫を目の当たりにして。庶民も貴族も入場客も警備兵も区別なく、目を丸くして言葉を失う。
彼らに、にっこり笑いかけて優雅な足どりで通り過ぎていくと、女王陛下のお姿が見えなくなった途端、庭がどっと沸いた。
「見た!? 今の!!」「女王陛下だったよな!?」「なんて美しい方! 妖精みたい!!」
宮殿の影に隠れてこれらの歓声を聞いた桜子は(よし!)と、手袋をはめた拳をにぎる。
むろん、これはあとで大臣達と女官長に怒られた。「女王が勝手に見知らぬ者達の前に出るとは、危機管理がなっていない」「何事か起きたら、どうするつもりだ」と。
桜子は、
「むろん、必要以上に近寄りはせぬ。供と護衛は必ず同行させるし、行く時も事前に公表はせぬ。警備の兵達にも入場客が妾に近づかぬよう、励んでもらう。これで妾に何事か起きたら、それは誰ぞ妾に害意を持った者が、妾のごく近い位置にいたということじゃ」
と反論して、今後も『予期せぬ女王陛下のおなり』をつづけることを宣言する。
これはリピーターを増やすためのサプライズだった。「生の女王陛下に会えるかもしれない」と思わせられれば、客が増えるかもしれない。そういう計算だ。
実際、客は増えた。
若く美しい女王を一目見ようと、庭園の開放日は早朝から長蛇の列ができるようになる。
男達はアウラの華麗で高貴な美貌の虜となり、女達も女王陛下のファッションや髪型を真似しようと、ひんぱんに通う者が続出する。
桜子もそれを察して、センスのいい侍女に頼んで毎回のコーディネートを苦心し(あまり贅沢な格好をして反感を買っても意味がない)彼女達の参考になるよう、心掛けた。おかげで出入りの仕立て屋達から「陛下のおかげで注文が増えました」と、お礼を言われたほどだ。
並行して別の計画も進めた。
新メニューだ。
学生時代に読んだ異世界転生物の小説を参考に、現代日本の料理を異世界で売ってみることにしたのだ。
といっても、桜子の料理のレパートリーは少ない。なので、売るのはケーキだ。
桜子は女王という立場を利用してロヴィーサに存在する菓子の種類を調べ、就職したての頃に通ったカルチャースクールの記憶を頼りに、材料や手順を書き出して完成図を描いていく。
(あの頃はすんなり正社員採用されて、経済的にも精神的にも余裕があったからなあ。『婚活で有利かもー』なんて、今ふりかえればイタい理由ではじめたのよ。でも、やったらハマって、最終的に一年間つづけたし。とはいえ、さすがに細かい分量は覚えていないな…………)
しかたなく目分量ではじめたものの、王宮勤めの菓子職人はさすがに本職で、女王陛下のメモをもとに、いくつかの新しいケーキのレシピを完成してくれた。それをお茶会で貴族達にふるまい、試食してもらう。
はじめはこれらのケーキを、王家直営店を開店して、そこで売る予定だった。しかし繁盛した場合、すでにあるケーキ店の邪魔をすることになるし、そもそも繁盛する保証はない。
そこで王都の老舗店の責任者を集め、彼らに新しいケーキを試食させて気に入ったレシピを買い取らせ、売り上げの一部を王家に渡す、という印税方式でいくことにした。
これも成功した。『女王陛下考案のケーキ』に大衆が興味をもたないはずがなく、店はどこも売り上げをあげて、老舗からはおおいに感謝され、王宮は定収入を得ることができた。
とはいえ儲けでいうと、このケーキのレシピも一般公開もたいした額ではない。規模が規模なので、国庫を潤すにはまったく至らない。
しかしこれらの件は、萎れかけていた桜子にあらためて勇気と自信を与え、反対派の大臣達に対しても「現場を知らない世間知らず」と反論する余地を少しだけ削った。
(よし…………ここからガンガン巻き返す!!)
夜の寝室、四方を厚地の赤いカーテンにさえぎられたベッドの上で。桜子は絹の寝間着姿でガッツポーズをとり、決意をあらたにする。
(とにかく赤字! ロヴィーサの国庫は今、どでかい赤字を抱えている! これをどうにかしないと!!)
そこであらためて桜子に疑問が生まれる。
(そもそもロヴィーサの国庫に予算がないのは、なにが原因?)
これまでは漫画で読んだ『我が儘で冷酷で贅沢好きな女王が民を苦しめている』という説明を、そのまま信じていた。しかし。
(一度、とことん調べたほうがいいかも。というか、最初にそれをやっておくべきだったんだ。原因がわかれば対処のしようもあるだろうし)
経理ならちょっと自信がある。
桜子はさっそく明日からとりかかることに決め、気合と共に毛布をかぶった。