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「認められませんな」
ぽっちゃりした輪郭に大きな鼻の、いかにも「腹に一物も二物もありそうな偉い人(こういうイケメン以外のキャラもきちんと描き分けられる、花宮愛歌の画力は称賛する)」という雰囲気の男が反対してくる。ロヴィーサ王国筆頭貴族にして宰相、ドゥーカ公爵である。
(出たな、曲者大臣)
桜子は女王陛下として、大臣達との会議に出席していた。
広い重厚な室内の中央に長いテーブルが置かれ、金モールがまばゆい上着を着た男達が、テーブルをはさんで向かい合う形で座っている。
「陛下のお着替えは、ロヴィーサ王族の伝統ある作法の一つにございます。陛下は一国の王でございますれば、どうぞ我が儘はひかえて伝統を守ってくださいますよう…………」
「その伝統で私、いえ、わらわは死にかけたんだけど?」
現在、アウラは三十人の貴婦人達から順番に着替えをうけとり、それを侍女達に着せてもらう、という方法で着替えている。これを起床後と就寝前、会議、食事、お茶会や音楽会、舞踏会といった各種イベントのたび、行うのだ。
結果、真冬の室内に下着数枚で立たされつづけたアウラは、風邪をこじらせて死にかけた。
廃止の要求は当然であり、権利だと思う。
「時間と手間ばかりかかって、非効率すぎ。そもそも年頃の娘が大勢の人前で着替えるなんて、セクハラ…………恥ずかしすぎます。侍女二、三人で充分。貴婦人達は必要ありません」
さすがに「一人で着替える」とは言わない。女王陛下のドレスは一人で着ることを想定していない事実と現実を、すでに思い知らされている。
しかし大臣達は承知しなかった。「伝統です」と宰相以外も全員、口をそろえる。
桜子は心の中で舌打ちしたが、いったん退くことにした。
(まあ、伝統は急には変えにくいか)
現代日本でもよく見られる光景である。ましてや王宮のように格式を重んじる場所なら、なおのこと。
「では今後、新調するドレスや装飾品の数を減らして、倹約したい。いや、する。今のドレス、いえ、衣装全般、多すぎ。仕立ての量を減らして予算を浮かせた…………浮かせる、のじゃ」
慣れない言葉遣いに四苦八苦しながら、扇で口もとを隠しつつ、桜子は提案した。
記憶がたしかなら、アウラは『贅沢好き』で『民に重税を課して苦しめている』設定だったはず。この設定を改善する必要がある。
なぜなら桜子は死ぬ気が薄れていた。
(昨日まで、あんなに人生をやめたかったのに…………現金な気もするけど…………)
でも、それが本音だった。
若く美しい新たな肉体と、安定した暮らしを得て。新しい人生と世界を提示されて。
(やりなおしてみようかな…………)と少しも思わない人間がいたら、会わせてほしい。
まして「明日死ぬ」のと「二年後に処刑される」のとでは、精神的負担が大きく違う。
明日処刑される展開なら、日本での絶望に浸ったまま、おとなしく死を待つ選択もあっただろう。しかし「あと二年、あと一年」とカウントしながら死を待つのは、精神的なプレッシャーが大きすぎる。
(二年もあったら、立ち直るチャンスも生きたいと考え直すきっかけも、遭遇するでしょうよ。まして、ハイレベルな美女王に転生しておいて黙って死ぬなんて、もったいなさすぎる!)
それが偽らざる本音だった。
だから、桜子は生きることにしたのだ。
(生きて二年後の処刑を回避して、絶対、今度こそは幸せな人生を送る!)
そのための、死亡フラグ回避工作だった。
学生時代に何度か読んだ異世界転生物の漫画や小説で、破滅が決まっているキャラに転生した主人公の定番の選択肢である。
桜子は決めていた。
(行状を改め、周囲からの評価の改善に努める! そして悪役女王の座を降りる!!)
なんなら王位はヒロインに返上してしまってもいい。
(アウラが処刑されるのは、悪役だから。それからヒロインから女王位を奪ったから。だったら、多少の財産や安全と引き換えに、女王の座を譲るのも全然アリ。むしろ、そのほうが気楽に自由に生きられるはずだし。国と政治はヒロインに任せればいいのよ、花宮漫画のヒロインなら、運とヒーロー達の助力で、困難はすべて乗り越えるはずだから。あ、でも)
『庶民になる』ルートは無理だ、と桜子は確信していた。
(日本で庶民をやれたのは、便利な家電があってインフラも整っていて、一応仕事もあったから。こっちじゃ庶民は家電どころか、水道すらないレベル。給料も最低賃金の概念がなくて、休みは週一が基本。毎日、日本の派遣以下の薄給で朝から晩まで酷使されて、帰宅したら自分で水を汲んで薪を燃やして料理して、洗濯も掃除もすべて手で…………なんて、体がもたない! 貴族がたくさんの使用人を雇うのは理由があったのよ、私にこちらでの一人暮らしは無理! 侍女か、侍女を雇える程度の財産は持っていないと!!)
社会人だっただけに、そこは堅実な結論を下している。
(最悪、どうしても処刑が避けられないなら、一人で逃げだそう。いつでも逃げ出せるよう、庶民に変装できる、動きやすい服や生活費を準備しておかないと…………)
だが現状、この選択肢は現実的ではない。王宮を脱出したところで逃亡先のあてがないし、どうすれば逃げきれるかもわからない。こちらでの勝手がわからないのだ。
となると、当面は悪評の改善に専念するしかない。
アウラは悪役女王だったがゆえに倒され、処刑される運命だが、悪役設定をくつがえして周囲の評価や人望を集めることができれば、いざという時に手助けしてくれる存在も現れるだろう。
そのための第一歩としての、着替えの廃止や倹約の提案だったのだが。
「なりません」
宰相、ドゥーカ公爵は堂々と反論してきた。
「陛下のご衣装はドレスも靴もヘアピン一本にいたるまですべて、我がロヴィーサの威光を示すために用意されたもの。王者にはふさわしいお姿というものがございます。自国の王が貧相であれば、民は失望して他国の王の貫録や優雅を羨むようになるでしょう。倹約など行って陛下の威厳と優美を損なっては、国の一大事。幸い、陛下はお姿に関して、天からこれ以上ないほど恵みをいただいておられる。陛下はその恵みを最大限に活かす方法をお考えください」
(まあね)
アウラの容姿が際立って優れている点については、桜子も疑問や反論の余地はない。ましてロヴィーサのような階級社会では、王は国の看板として立派な服装を求められもするのだろう。
しかし。
「衣装のすべてを減らせというわけではない、のじゃ。式典や儀式、外国からの賓客を迎える時などの衣装は、今までどおりでいい、良いのじゃ。ただ、室内着や普段着、それから夜会や舞踏会用の衣装の注文を減らしたい、と言っている、のじゃ。ついでに、王宮で毎日のように開催する夜会や舞踏会の数も減らした…………減らす!」
(面倒くさいな、アウラの言葉遣い!)
桜子が扇で口もとを隠しつつ提案すると、大臣達は一様に驚愕した。
「お待ちください! 夜会の数を減らすとおっしゃるのですか!?」
「そうじゃ」
桜子は重々しくうなずいた。
「現在、社交シーズンに毎晩、開催している王宮の夜会、舞踏会を半分…………いや、三分の一に減らす。それから、わた…………妾の食事も減らす。今の食事の量は異常じゃ。妾一人分だけ作ればよい。式典と工事の数も減らす。レベリオ王の即位何周年記念をやった年に崩御何周年記念って。記念式典も記念碑の建設だのも、中止する。妾の衣装と食事と舞踏会等の削減。それから、記念式典や記念碑の建設中止。これで多少は予算が浮くはず。どうじゃ?
財務大臣。それでなくとも近年、ロヴィーサ国庫は赤字つづきで、今年もすでに借金を重ねている…………じゃな?」
朝食の間にいそいでひねり出したアイデアだが、名案に思えた。だいたい庶民として言わせてもらえば、アウラの記憶に残る女王の生活は無駄と浪費が多すぎるのだ。
「それは…………たしかに、陛下のお衣装代と食事代の削減、なにより、舞踏会と式典の数を減らして工事を中止すれば、かなりの額が――――」
片眼鏡をかけた痩せ形に白髪の財務大臣が、書類をめくりながら女王陛下の質問に答える。言外に「いけるかも」という期待の雰囲気を読みとり、(ここから攻めよう)と思った桜子だが。
「なりませぬ!!」
宰相の断固たる声が会議室に響く。
「夜会や舞踏会は、陛下が貴族達と親交を深めて見聞を広めるための、大切な場。貴族達にお言葉をかけるのも、陛下の大事なお役目です! それに式典の中止とは! 陛下のお父上の偉業を讃えてのちのちの世まで語り継ぐ、そのための式典ですぞ!? 中止などされれば、父王陛下が天の園でさぞやお嘆きになられましょう!」
「その舞踏会や夜会で話す相手はいつも同じで、かける言葉も話す内容も似たり寄ったり。本気で親交を深めるなら毎回、違う話題を出すべきだし、もっと違う人を招待すべき…………であろう。今の会話は型通りの手順すぎて、多額の予算を費やしてまで行う意味があるとは思え、ぬ。父上も理解して下さるはず、じゃ」
「毎夜、顔を合わせるからこそ、親交が深まるのです。貴族達にとって陛下に顔を覚えていただけることは、この上ない喜び。陛下の挨拶一つを、貴族達がどれほど心待ちにしていることか。どうか、彼らから喜びを奪うような真似はおやめください」
口調は殊勝だが、鋭い眼光で宰相は主張を重ねてくる。
「ドレスも、倹約されれば仕立て屋達が困りましょう。彼らは陛下から仕事をいただいて、糧を稼いでおるのですぞ? 陛下は仕立て屋達を路頭に迷わせるおつもりですか?」
「妾が注文を減らして下がった分の売り上げは、他の貴族達から補えばよい。舞踏会や夜会を完全にやめるとは言っていない。ドレスの注文が途切れることはあるまい」
「陛下。世間を知ってくださいませ。陛下のドレスを仕立てるのは、王室御用達の仕立て屋。注文できる貴族がこのロヴィーサにどれほど存在すると、お考えですか?」
「おや。それこそドゥーカ公爵領は、王家の直轄地である王領より広く豊かなうえ、公爵には多額の貴族年金と、宰相としての給料が国庫より支払われているのであろう? 赤字続きのロヴィーサ国庫を抱える妾より、よほど裕福ではないか?」
宰相は一瞬、刃物のように鋭い目つきをしたように見えた。が、桜子が確認しようとした時にはへりくだった表情に戻り、うやうやしく頭をさげる。
「それは買い被りと申すものです、陛下。我が領地や給金など、女王たる陛下にくらべれば、太陽の隣の月のごとし。陛下のご威光には敵いませぬ」
(どうだか)と半眼になった桜子に、宰相は「やれやれ」という表情で頭をふる。
「今日の陛下は大変、意固地だ。どうやら本日の私は相当嫌われたらしい」
「ははは」と、他の大臣達から笑いが起こる。宰相としては場を和ませるジョークかユーモアのつもりだったのだろう。
しかし桜子は笑えなかった。
(だってアンタ、二年後には裏切るキャラだからね!!)
そう。思い出したのだ、宰相の設定を。
漫画ではヒロインには『リーデル』という名のイケメンの恋人がいる。
このリーデルの父親が宰相、ドゥーカ公爵なのだ。
序盤では、この父子の仲は良くない。母の死がきっかけだか、父親の厳格で冷淡な後継者教育に反発しただかで、息子は父親に反抗。業を煮やした父親は、留学という体で息子を隣国ブリガンテに追いやり、幼い次男を後継者に据えようとする。
だがリーデルは留学先でヒロインと出会い、彼の調査でヒロインが正統なロヴィーサ王女と判明する。そしてリーデルはヒロインに力を貸して共に蜂起、故国の女王と父親に反逆する立場となり、宰相は「わしの顔と家名に泥を塗りおって!!」と、息子への怒りが頂点に達する。
しかし聖女・ブリガンテ軍とロヴィーサ軍が衝突する直前、両者の間では話し合の機会があり、そこでヒロインの力と心の清らかさを目の当たりにした宰相は、悪しき女王に協力していた己の非を認めて息子に対する愛情もとり戻し、息子とヒロインの味方となって、聖女・ブリガンテ軍をロヴィーサ王宮まで連れてくるキャラなのである。
(信用できないっつーの!)
すました表情を維持しながらも、桜子は扇をにぎる手に力がこもる。
宰相の主張はつづいていた。
「料理を減らすこともなりませぬ。陛下が料理を減らせば、下の者達が困りましょう」
「料理人達のことなら」
「料理人ではなく、下男下女のことでございます。彼らは陛下が残したり、手をお付けにならなかった料理をいただいております。陛下が料理を減らせば、彼らの食べる物が無くなってしまいます。陛下は下男下女が飢えることを、お望みですか?」
「はあ!?」
桜子は耳を疑った。アウラの言葉遣いの真似も吹き飛ぶ。
「私の残した料理って…………残飯のこと!? そんなものを他人に食べさせているの!?」
「残飯ではございません。国王の料理をいただくことは、下々の者にとって光栄なこと。町で働いたところで、得るのは粗末な食事だけ。下男下女は王宮で働く代わりに、王族の料理を分け与えられる栄誉を得ているのです。栄誉を奪われれば、彼らはさぞ失望することでしょう」
「…………っ! だったら私の食事を減らして、浮いた分の食費で下男下女の食費を補てんして、質や量をキープすればいいだけの話でしょうが! なんで食べ残しにこだわるのよっ!?」
桜子は叫んでいた。
けっきょく、その日の会議はそこでお開きとなった。
「陛下は興奮されておられるようだ。しばらくお休みになられたほうがいい」
という、宰相の鶴の一声である。
大臣達はそそくさと会議室を出ていき、桜子の、アウラ女王陛下の要求は、なに一つ通らなかったのである――――