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(最悪だ…………)
寝間着にガウンをはおった格好で、膝下まで伸びた銀の髪を侍女二人がかりでブラッシングしてもらいながら。アウラ女王陛下こと雨井桜子は、心の中で(まさしく『どうしてこうなった?』だ)と絶望に沈む。
化粧台の鏡に映るのは、闇の中で出会ったあの美姫。
ロヴィーサ王国女王、アウラ・ローザ・トゥ・オルディネ。芳紀まさに十八歳。
(これ…………本当に私? 本当にアウラになったの? もう桜子に戻れないの?)
頭をかきむしって叫びだしたい衝動をこらえて(状況を整理しよう)と己に言いきかせる。
(戻れるか否かは、いったん置いて。仮に私が、本当にアウラになったとして。まずは転生物の定番…………この漫画の設定と展開の確認をしよう。ええと…………)
『フェリシア~聖なる祈りの乙女~』。
たしか、これは高校時代に漫画好きの友達に勧められて読んだ全五、六巻の少女漫画だ。絵がきれいで驚いた記憶がある。が。
(よりによって、花宮愛歌漫画…………)
桜子はごっそり気力を削られる。
なぜなら桜子にとって、花宮愛歌は苦手に分類される漫画家だった。
『ティアラ』という少女漫画誌の看板作家で、少女漫画界でも屈指の画力の持ち主(この点は桜子も異論ない)だが、ストーリー作りに大きな欠点を抱えている。
とにかくヒロインが創造神(作者)に愛されすぎているのだ。
徹底的なまでのヒロイン至上主義で有名な作者で、それは桜子が転生したらしいこの作品でも貫かれている。
そもそもこの漫画は、
ブリガンテ王国の平凡な田舎娘だったヒロイン、フェリシアはある時『聖なる祈りの力』に目覚めて聖女として認定される。
さらに彼女は、反乱によって故国を追われたロヴィーサの前々国王、イルシオンの遺児、つまりロヴィーサの正統な王女であることも判明する。
ロヴィーサの現在の王は「我が儘で贅沢好き」と評判のアウラ。反乱を起こしてイルシオン王一家を追放し、王座を奪った前ロヴィーサ王、レベリオの一人娘である。
心優しく気高いフェリシアは「聖女として王女として、虐げられる人々を救うため、私は戦うわ!」と立ちあがり、「偽りの女王アウラを倒して、ロヴィーサに真の平和と幸福をもたらします!」と蜂起、軍をひきいてロヴィーサを目指す――――というものだった。
『戦う』と言っても、掲載誌が小中学生向けだったせいか、実際の戦闘シーンを見た覚えはほとんどない。メインは圧倒的に、ヒロインとヒーロー達のからみだった。
戦いは「戦闘に巻き込まれて危険な目に遭うヒロインを、ヒーローが格好よく助ける」ための前座だったと思う。
(だから花宮漫画って白けるのよ。ヒロインがどんな危険な目に遭っても苦労しても「はいはい、どうせ男が来てくれるんでしょ」としか思えなくて。しかも男は一人じゃないし)
ヒロインが常に複数のイケメンに愛されるのも、花宮作品の大きな特徴だ。妹や仲間として慕われるのではない。明らかに恋愛感情を向けられて溺愛され、特別扱いされるのだ。
(ブリガンテの王子も、たしかアウラの婚約者だったのに、ヒロインと出会った途端、ヒロインに惚れてアウラとの婚約を破棄して、ヒロインと一緒に軍を率いて来るんじゃなかったっけ?)
そして、それだけヒロインを愛しているブリガンテの王子は、実は恋人ではない。
(たしかヒロインの恋人は別にいて、王子も恋人もヒロインをはさんではりあいながら、どちらもヒロインのために命がけで戦って溺愛してくれて…………合間に『幼い頃の初恋の少年』だの、別のイケメン達との出会いもあるのよね。で、全員「聖女にふさわしい心清らかな少女」だの「気高く神秘的な乙女」だの「ロヴィーサ王族特有のローズピンクの髪と高貴な笑顔」だの褒めたたえて、味方になってくれて)
芋づる式に記憶がよみがえる。
(アウラはたしか、婚約者の王子だけでなく、唯一信じた本物の恋人も実はヒロインの兄で、妹と父の敵討ちのためにアウラに近づいただけ~みたいな展開じゃなかった? そりゃ、ここまですべてを他の女に奪われて死ぬ未来しか待っていないなら、異世界に逃げたくもなるけど…………二年後に死ぬと判明しているキャラと入れ替わった、こっちの身にもなってよ!!)
「女王陛下? なにかご不満な点でも?」
アウラの隣でブラッシングを見守っていた、白髪交じりの貴婦人が訊ねてくる。アウラの身の回りをとり仕切る、女官長だ。髪を梳かしていた二人の侍女も、息を詰めて女王陛下の返事を待っている。
桜子は気づいた。鏡の中の美しい顔が、いつの間にか眉間にしわを寄せている。
いそいでごまかした。
「いえ、問題ないわ。今日の議題について考えていただけ」
侍女二人がほっとしたように表情をゆるめ、とめていた手をふたたび動かす。
ブラッシングがようやく終わり、アウラは立ちあがった。
「それでは着替えの間へ。みなさまおそろいです」
女官長の言葉に、桜子はアウラから読みとった記憶をもとに(どうせ無理だろうな)と思いつつ、駄目もとで訊いてみる。
「もう、ここで着替えたほうが早くない? わたし――――妾も、風邪をひかずにすむし」
「毎日の務め。これも女王陛下としての大切なお役目でございます。我が儘はお控えくださいませ。どうぞ着替えの間へ」
桜子はため息をつき、うながされるまま隣の部屋に移動した。
家具をほとんど置いていない、広々とした空間。そこに三十名の貴婦人が整列している。
彼女らはみな、ドレスだの靴だのアクセサリーだの、女王陛下の着替えを一つずつ捧げ持っている。
アウラは彼女らの前に立ち、貴婦人達に見守られながら、彼女達一人一人から差し出される衣装を受けとって侍女に着せていってもらうのである。
(時間の無駄!)
現代日本から来た庶民としてはそうとしか思えないが、これがロヴィーサ王宮に『代々受け継がれてきた伝統ある王族の着替えの作法』なのだそうだ。
アウラはこの作法によって風邪をひき、意識がもうろうとする中で予見の力を発現させ、己の未来とこの世界の真相を見抜いて、別の世界に移ることを決意したのである。
(伝統にしろ作法にしろ、そのせいで女王陛下を逃がしていたら本末転倒じゃないの?)
桜子は呆れつつ、着替えのための台の上に乗る。
真冬である。
暖炉には火が焚かれていたものの、広い部屋全体をあたためるには至らず、ガウンを脱いだ桜子は盛大にくしゃみの音を響かせた。




