12
(これで終わりかあ、実感ないな。もともと一年半前に一度、本気で死ぬ気だったもんな)
せまい石造りの、あからさまに牢獄っぽい部屋で。アウラ前女王こと雨井桜子は後ろ手に縛られ、粗末な木の椅子に座らされていた。
漫画では、たしかシンプルだけれど可愛い白のワンピースを着ていたシーンで「少女漫画だなあ」と思った記憶があるが、実際には簡素な白の長い寝間着(兼下着)を着せられている。
(情けないけど、向こうが一枚上手だった。裏切るのはもう少し先だと思い込んでたんだ。原作の先入観がありすぎた)
桜子は処刑を回避するために奔走した。その奔走が逆にドゥーカ公爵達を刺激して、彼らが裏切る時期を早めたとすれば、皮肉としか言いようがない。
桜子はこれまでの出来事をぼんやり、ふりかえった。
(ホント、あのクソ親父どもに邪魔されつづけた一年半だった。そりゃ、本物の悪役女王も逃げ出すわよ。作者も、もうちょっと考えて描けばいいのに)
死が迫っているというのに、桜子の精神はどことなく現実味が薄い。自分を外側から見下ろすような他人事感がある。
(けっきょく、死亡エンドは回避できなかった。…………死んだら、どうなるんだろ。正直、多少の成果は出せたと思うんだけどな。支出はかなり抑えて減税できたし、貴族への課税も…………少しだったから、足りなかった?
結果が変わらなかった? けっきょく私は、なにも――――…………?)
牢の唯一の出入り口である木戸の向こうから、石の床を踏む足音がこちらへ近づいてくる。
「王都に到着したら、すでにアウラが捕えられているとはな。おかげでフェリシアの即位まですんなり進みそうだ。君の父君のおかげだ、リーデル」
占領したてのロヴィーサ王宮の一角。ブリガンテ軍が設営した陣の中で。
艶やかな黒髪の、色気と野性味が同居した美形――――ブリガンテ王国第二王子レスティが満足そうにそう言うと、やわらかい金髪の、いかにも貴公子然とした美形がうなずく。
「被害をほとんど出さずに終えられそうなのも、僥倖でした。フェリシアは心優しい。民の被害が出ることを、なにより恐れていましたから。――――父上が正道に立ちかえられて、本当に良かった」
ひかえめに、けれど本当に嬉しそうにほほ笑むリーデルに、本来、一人の少女をはさんで恋敵であるはずのレスティも、好意的な賛同の笑みを返す。その時。
「? 騒がしいな」
陣の入り口のほうから大きな声が聞こえる。明らかにもめている声音だ。
「何事だ?」
入口にむかったレスティは、手近なブリガンテ兵に状況の説明を求めた。
問われた兵士は飛びあがるように背筋を伸ばす。
「不審人物です! 『聖女に会いたい』と、陣内に押し入ろうとする者が…………」
「ソヴァール!?」
レスティと共に様子を見に来たリーデルが声をあげた。
彼にとっては、恋人が動向を気にかける初恋の少年、つまり恋敵の一人である。
「フェリシアに会わせてくれ!」
リーデルを見たソヴァールが叫んだ。
「大事な話がある! ロヴィーサ王家や、この国の未来に関わることだ! リーデル、フェリシアに会わせてくれ!!」
リーデルに詰め寄ろうとするソヴァールの腕を、左右からブリガンテ兵がつかんで捕らえる。
「どういうことだ、ソヴァール。君はいったい、なにを…………」
「――――っ!」
ソヴァールは数秒、秀麗な顔を苦しげにゆがめてから叫んだ。
「アウラ女王を処刑してはならない!!」
「ソヴァール!?」
「女王を殺しては駄目だ! 彼女は、この国に必要な人材だ! それにアウラ女王を処刑すれば、フェリシアの名誉にも関わる!!」
「フェリシアに? いったいなんの…………」
「女王の命乞いか?」
兵士の手をふりほどこうと身をよじるリーデルの言葉を、レスティが冷ややかに切り捨てる。
「間諜からの報告で、お前がアウラお気に入りの侍従ということは判明している、ソヴァール。幼なじみだか初恋の相手だか知らないが、フェリシアの味方面をしておいて、真実はフェリシアの最大の敵の恋人か。彼女の純粋さに付け込んで、恥知らずな真似を…………」
「そうじゃない!!」
「隊長。この男は、ひとまず牢へ。言い分はあとでゆっくり聞く」
「待ってくれ、レスティ。それは…………」
「あとでは遅い! 今フェリシアに話さないと…………!!」
だが第二王子の命令をうけたブリガンテ兵は、問答無用にソヴァールを引きずって行こうとする。そこに愛らしい声が飛び込んできた。
「ソヴァール!! あなたなの!? ソヴァール!!」
「フェリシア…………!」
女性用の簡易な鎧を着た、いかにも清純可憐な雰囲気の少女が、ローズピンクのふわふわした髪をゆらして駆け寄ってくる。
「まあ、ソヴァール。生きていたのね、ここであなたに会えるなんて…………」
フェリシアは初恋の少年の胸にとびつく。
「フェリシア…………」
万感の思いを込めた一言が、ソヴァールの口からこぼれた。
「フェリシア。どうか、アウラ女王を解放してくれ。彼女は暴君でも暗君でもなんでもない。すべては――――」
「ソヴァール?」
「すべては、ドゥーカ公爵達が元凶だ」
「父上が!?」
「どういう意味だ」
リーデルが動揺し、レスティも「聞き逃せぬ」と踏み込む。
「お許しいただけるなら、私が説明いたします」
額に包帯を巻いた、片眼鏡の白髪の男が脇から進み出る。山ほどの書物を抱えた供が二人、同行している。
「何者だ」
「お初にお目にかかります、ブリガンテ第二王子殿下、フェリシア王女殿下。クラージュ王陛下より財務大臣と男爵の地位を賜りました、オネット・ラ・オーロと申します。今はアウラ女王陛下により、子爵の位を賜りました。亡きイルシオン王陛下の王女にこうしてお目にかかれたこと、光栄に存じます」
財務大臣はロヴィーサ貴族の作法にのっとり、最敬礼の形で頭をさげた。
ガチャガチャと金属音が響いて鍵が開けられ、厚い木戸が開く。暗い雰囲気の男がぬっ、と小部屋に入ってくる。
「時間です」
処刑の役人だろうか。男は桜子の背後にまわって、有無を言わさず罪人を椅子から立たせると、長い銀髪を無造作につかんで、ジャキジャキと大きな鋏で切りはじめた。銀の束がばさばさ石の床に落ちる。
(…………っ)
桜子はじめて心が動いた。髪を切られて処刑の実感が迫った、というだけではない。
(せっかく伸ばした綺麗な銀髪なのに)と、本来の持ち主であるアウラに申し訳なく思ったのだ。
「出てください」
鋏をしまった役人が罪人をうながす。
桜子は抵抗せず、後ろ手に縛られたまま、かるくなった頭をふって肩に落ちた髪を払うと、廊下に出た。
廊下では兵士達が待機しており、桜子は彼らに囲まれて建物の外に出ると、用意されていた木の荷車に乗せられる。
荷車はゴトゴトと音を立てて進み出した。
やがて王都の大通りにたどり着くと、通りの左右には普通に人々が行き交って、こちらに気づくと荷車を指さして不思議そうに顔を見合わせている。
(けっこう恥ずかしいな、これ。…………というか、こういう処刑って大々的にやるものじゃないの?
あらかじめ都中に公表して、当日は現場が観客でいっぱいに、みたいな。周囲の反応を見るに…………これ、ひょっとして処刑の連絡もされてないんじゃ?)
すれ違う民はみな一様に不思議そうな、あるいは驚いた表情をしており、それがこの女王陛下の御なりが予定内のものではないことを、暗に示している。
(緊急の処刑? とにかくさっさとアウラを処刑して、将来の禍根をのぞこうってこと…………?)
本来、罪人を晒すために進む荷車は妙にせっかちに大通りを突き進んで、桜子が結論を出す間もなく、王都の大広場に到着した。
広場には、中央やや奥に処刑台が設置されている。断頭台だ。
見物人がほとんどいないので、荷車はスムーズに処刑台の前まで移動した。
桜子は、こくり、と唾を飲んだ。
「お降りください」
役人に声をかけられ、後ろ手に縛られたまま、どうにか荷車から降ろされる。
「お登りください」
処刑台への階段を示された。
(こうなりゃ、せめて最後まで女王様らしく、堂々と優雅にいくか)
どうせ一年半前に捨てていたはずの命。一年半遅れで回収されると思えば、腹も立つまい。
そう思ったのだが。
「こんの、クソ親父」
つい、正直な悪態が口を飛び出していた。
階段を登りきった先。断頭台から少し離れたて立つ役人が三人――――と思いきや、ドゥーカ公爵が肥えた腹をゆすって尊大に肩をすくめる。
「やれ情けない。仮にもロヴィーサ女王たる御方が、そのような下品な言葉遣いとは」
「下品なのは、アンタのほうでしょうが。自分の既得権益を守るため、隣国と手を組んで自国に侵略軍を引き入れるなんて。それこそ品性の欠片もない、とんだ売国奴だこと」
「売国奴などと、とんでもない。聖女は、我々のロヴィーサを憂う愛国心を認めてくださいましたよ」
「はっ」と女王陛下は吐き捨てる。
「売り込み成功ってわけ? 聖女も見る目ないわね、よほど巧く息子に媚びたのかしら? 近寄るでないわ、下衆。汗臭い」
桜子はせいぜい高慢に、軽蔑のまなざしで裏切り者を見下してやった。
ドゥーカ公爵はさすがに気分を害したようだが、反論はしない。
実際、彼は汗臭かった。着ている物は相変わらず高級品だが、額には汗が光り、呼吸は荒くて肩で息をしている。この処刑のセッティングのため、奔走したのかもしれない。
桜子は納得していた。
(要は、ヒロイン達によぶんなことを告げられる前に、私を殺して証拠隠滅、ってことか。たしかにこのクソ親父なら、それくらいするでしょうよ。ああ、腹が立つ…………っ)
どんどん腹部に熱がたまってくる。
(そもそも、この狸親父がもっと早くに協力的だったら、今頃はもっと事態が改善していたかもしれないのに…………このクソ親父、最後に一矢報いてやれないかな)
桜子の眉がどんどん釣りあがり、歯も食いしばる。とても処刑される罪人の表情ではない。
本来の持ち主であるアウラが見れば、さぞ嫌な顔をしたことだろう。
「さっさと済ませろ!!」
役人達を苛々と怒鳴るドゥーカ公爵の姿はいかにも『悪党』という雰囲気で、大貴族らしい威厳とは無縁だ。
役人が書状を開いて、ろくに集まっていない観客へと、罪人の罪状を述べるため声をはりあげようとした、その時だった。
遠くから声が聞こえた。
いや、歓声だろうか。大勢の声だ。
(アウラの処刑を喜んでいるの?)
思わず桜子の胸がきりり、と痛む。
「何事だ?」
ドゥーカ公爵も怪訝そうに広場の入り口を見た。
バラバラと広場に人が駆け込んでくる。一般的な服を着た、一般的な都の民だ。
はじめは『バラバラ』だったのが、どんどん数と勢いを増して『なだれこむ』という表現がふさわしくなり、数分で処刑台は人々にとり囲まれる。
(処刑の見物人?)
口コミで集まって来たのだろうか。
桜子は推測し、ドゥーカ公爵も注目が集まっているのを悟ると、大貴族兼宰相らしく、前へ進み出て集まった人々を見渡し、声をはりあげる。
「ロヴィーサの民よ! よく見るがいい! 贅沢に溺れ、国政をほしいままにした暴君の女王の末路を!!」
「はあ!?」と、桜子は縛られたままドゥーカ公爵を見た。
「あ゛あ゛ん!?」とにらみつけた、が、正確な表現かもしれない。
「神は、ロヴィーサを見捨てなかった! 今、簒奪者の娘、偽りの女王は倒れて、正義はなされ、真の正統な女王が新たに――――!!」
朗々と演説するドゥーカ公爵に、怒りをとおりこして呆れ果て、なにかいってやろうと桜子が口をひらこうとした、その時。
「うっ!」
ドゥーカ公爵が苦痛の声をあげた。
石が飛んできて公爵の額をかすったのだ。
「な、なにが…………!?」
公爵は額を押えて呻く。
処刑台の下から怒声が飛んできた。
「この裏切り者!! 俺達を散々苦しめやがって!!」
「よくも今まで、重い税をかけてくれたな!!」
(――――っ!)
最初、桜子はアウラのことを言われているのだと思い、罪悪感に胸がしめつけられる。しかし。
「この嘘つき宰相!! お前がアタシ達を苦しめたんだ!!」
「病気と言いながら、公爵の館では毎日、宴会三昧だった! 仮病と知ってんだぞ!!」
「お前が半年前、ブリガンテに行ったのは、みんな知ってる! お前がブリガンテ軍を連れて帰ってきたんだろう!!」
男達、女達の指弾がドゥーカ公爵にむかう。
「な、なんだと。貴様ら、ドゥーカ公爵でロヴィーサ宰相たる私にむかって…………」
公爵が叱りつけようとすると、何倍もの怒りと恨みの声が返ってきて押し戻す。
「ドゥーカ公爵がいなくなったら、税金下がった!! 貴族に税金がかけられた!! みんな、アウラ女王陛下のおかげだ!!」
「ドゥーカ公爵は裏切り者だ、イルシオン王の娘なんか連れ帰りやがって!!」
「イルシオン王の王女も、信じられないわ! イルシオン王がなにをしたというの!?」
「お前達が長い間、国を操ってきたんだろう! 重税は女王様のせいじゃない、ドゥーカ公爵のせいだ!! アウラ女王様は間違いなく、レベリオ王の王女だ!!」
「俺達に必要なのは、アウラ女王だ!! お前は要らない!!」
「レベリオ王陛下万歳!!」
「アウラ女王陛下万歳!!」
「アウラ女王を処刑するな!!」
避難の間にも人の数は増えて広場からあふれ、ドゥーカ公爵を糾弾する声がこだまする。
桜子は予想外すぎる展開に、縛られたまま立ち尽くした。
胸に、先ほどの怒りとは異なる熱が、ぽっと灯る。




