第三話 4人が4人でなくなってしまう始まり
ばかと何とかは高いところが好きだと言う。
竹林がスカイツリーに上りたいと聞いてすぐに頭に浮かんだ言葉だが、口にはしなかった。それこそばかみたいなことだが、「何とか」の部分が思い出せなかったからだ。
嶋君は行ったことがないそうで、
「行ってみてもいいな」
と軽く頷いていた。鎌ちゃんは二度女の子と一緒に行ったことがあるからもういいという。
「へえ、誰?」
とこういう時に、餌に飛びつくうに質問するのはもちろん竹林だ。鎌ちゃんに追い付いて隣にならび無邪気に聞いた。僕らは駅に向かっていた。
「お前の知らない子だよ」
「二度って、二度とも同じ女の子?別々の子と行ったの?もしかして彼女?」
僕の背後で、別の子だよ、と鎌ちゃんはややぶっきらぼうに答えていた。彼女は作る気がしないからいない、とも言い訳なのように説明していた
。
「そうかあ、鎌ちゃんにそんなスキルがあったとは知らなかったな。二人もかあ。でも彼女いらないんだ」
素直に感心した様子に、鎌ちゃんをかえって赤面させていた。確かめる術はないのだが95%の確率で、それは彼の嘘なのだ。これだけ一緒の時間を過ごしていて彼に「彼女」がいたら僕達が知らないはずがない。
鎌ちゃんという人間を知れば知るほど、彼が、自分の心の中の定位置に、特定の誰かに定住してほしいと熱望するタイプの人間なのだ、というのが痛いほど分かる。
竹林は僕達がどのくらいの時間を鎌ちゃんと過ごしているかを思い出せば、鎌ちゃんに彼女がいないのは分かるはずだが、彼には『特定の誰か』が心の『定位置に』いてほしいという感覚が分からないとみる。
空間と同時に時間の観念も違うのだろう。
鎌ちゃんが、もし本当に二人の女の子と出かけたならその時に彼が僕らに話していないはずはないのだ。彼は絶対口を割ってないはずがない。しゃべりまくっているずだ。それも出かける前と出かけた後で、だ。で、複数回。
しかし、もしかしたらそれが作り話ではなく、例えば、親戚で観光に来ていたとしてもあり得るのだから、深い考慮のため、僕と嶋君は何も言わないのだ。ある意味親切とも言える。
ただ認めなければいけないのは、もし竹林がいなければ、鎌ちゃんの分かりやすすぎる嘘のつき方に嫌気がさすときもあったかもしれない。
特に僕はすぐに「嘘だ」と見抜いてしまうから。竹林がいる時はそれでもまだ95%嘘だろうと思うけど、5%は本当でもいいかもしれないと思わせる何かが、竹林とのやりとりの中に醸し出すから。
「どお?行かない?行こうよ!絶対いいよ!こんなに天気がいいし!」
竹林がそれまでスカイツリーに行ったことがないのは、一人で行ける自信がなかったからに違いない。
そして僕らが行く気になってしまったのは、その日曜の空があまりに青すぎて、そして僕らが自由すぎたからだと思う。到着すると、まだ開店時間に半時ほどあったが日曜のため、多くの人が既に閉じられたドアの前に並び始めていた。
「ええぇ、こんなに並ぶのぉ」
言い出しっぺの竹林が泣き声をだした。
僕もこの行列を見た途端、昨夜の徹夜の疲労感がにじみだして家に戻りたくなった。
「あほか、こんなん全くもって何でもないやんか。俺が前来た時はこれの3倍くらい長かったわ。しかも開店中でさ。これ今開店待ちだけど、一回開いたらそれほど待たないと思うわ」
鎌ちゃんが意外なことにやる気になりだして、僕らはそれにつられて並ぶことになった。まあいいか、と。
ここが僕ら4人のターニングポイントとなった。
閉じたドアの前の長い列の最後尾につらなりんがらも、青空が視界の半分以上に広がる開放された空間に、僕たちは爽快感と開放感を感じていた。空高くそびえる建物の中から見えるものはどんな美しい青空だろうかと、胸の中になんとなく期待を芽生えさせていた。目下に広がるお互いにきつく隣り合う建物を遥か下に、そして光る青い空をこの4人で覗き込むのも楽しかろうと。
スカイツリーの展望台には、複数の強化ガラスが重ねられて作られた床ガラスがある。高さ340メートルの場所に設置されている。足のほぼすぐ下に、340メートルに及ぶ空間を感じる訳である。落ちることはないと知りながらも、透明なガラスの下に見える景色に、自分がどれだけ高い位置にいるのか改めて痛感せざるをえない。その高さは安全な場所であっても落ちたら、という恐怖をかきたてずにはいられない。そして僕は、竹林を立たせてみようとひそかに計画していた。空間感覚が歪んでいる男を、一枚のガラスの下に厳かなる深みをたたえるものを見せてやるのだ。面白かっただろう。
自らの脚の下に見える世界。落ちたら命はないという空間に彼を立たせたかった。
そのガラスは今や粉々に砕け散ったはずだ。いくら幾千の人をその上に立たせた強さがあったとしても、あの高さだ。スカイツリーが撃ち落された衝撃には耐えられなかったはずだし、あの高さから叩き落されたならそれはそれこそ幾千のかけらに飛び散ったに違いない。
ドアが開くまでまだ20分程あったのを確かめた後、三人を残して、僕は何となく待っていた列から離れた。
何かを見ようとして列が離れたのであるが、その時はそれが何の違和感なのか分からなかった。結構歩いてから、それが何か気づいた。
明るすぎる。
僕は空を仰いだ。それは夏の空だからという理由ではなかった。
僕が見たのは青空を真っ二つに裂く目もくらむほど眩いレーザーの光が、空の一点からこちらに伸びてくる空間だった。