友達を作らない俺と友達が作れない彼女 2
喧噪が鳴り響く教室の片隅。春のあたたかな陽光を浴びながら、俺はひとり、外の景色をぼんやりと眺めていた。
少し前まで咲き乱れていた桜はだいぶ落ち着き、かわりに新緑が見え始めていた。四月が終わりを迎えようとしている最中、やはり俺は只々ぼんやりと外の景色を眺めているのだった。
教室では何人かが集まりいくつかの輪を作っていて、昨日見たテレビ番組がおもしろかっただの最近のファッション雑誌がどーだのと、たわいないことを和気藹々に賑やかに話していた。
俺はそんな中、喧噪の外にいた。
ひとりなのはいつものことなので特に気にすることではない。
突然、後方から声をかけられた。
「相変わらず眠そうだね、井ノ原」
そう言って、声の主は俺の前に座った。そいつはザ・王子と言わんばかりの爽やかさを感じさせるイケメンだった。
泉翔平——今年、高校二年生になってから同じクラスになった男で何が気に入ったのかわからないが事あるごとに俺に話しかけてくる。おとぎ話に出てくる王子様のような見た目と誠実さから校内の女子から絶大な人気を集めている。
お陰でこいつが話しかけてくるたび女子から嫉妬を孕んだ視線を向けられるのでこっちはいい迷惑だ。
「相変わらず、変な奴だな。俺に話しかけてくるなんて」
「そうかい? 僕は君と話するの好きなんだけどなあ」
「やめろ。俺は男に口説かれてもなんも嬉しくない。よそでやってくれ」
「はは、さすがに僕も男を口説く趣味はないかな」
泉は楽しそうに笑った。こいつは俺と話していて何が面白いんだか。
「でも、友達にはなりたいかな」
「悪いが俺は思わない」
「手厳しいなあ」
やれやれといった感じで泉は残念そうに言う。もうこのやりとりも何回目だろうか。いい加減諦めてほしい。
と、まあ、こんな感じでいつも話しかけられるのでこちらとしても慣れてしまい、世間話程度ならこちらからも割り振れるようになっていた。
「それにしても外が騒がしいな、なんかあったのか」
「ああ、一年生の子が十六夜さんに告白したらしいよ」
「なるほど、それでか」
十六夜凛華。その名前を聞き俺は納得した。
十六夜凛華といえば小野小町もびっくりするほどの美しい容姿を持ち、何をやらせてもこなせてしまう才女で校内一の美少女である。
しかし、とある問題から、彼女を少しでも知っているものは彼女と関わろうとしない。いや関われないのだ。
彼女、十六夜凛華は他人に無関心で常に一人なのである。それに加えていつもクールというか無表情。とにかく無表情。話しかけても大抵無視されるか無言で返されるかのどちらか。去年の入学したての頃なんかは誰もそんなこと知るはずがなく、学年問わず多くの男子生徒が十六夜に告白していた。それはもうすごい勢いで。そして、皆きれいに玉砕、というのが定番になっていた。
そのため、わが校の男子は八割が失恋するという失恋経験豊富な学校となっていた。後は推して知るべし、次第に十六夜に近寄ろうとする生徒はほとんどいなくなった。
当然、入学したばかりの一年生が知っているわけがないだろう。
「で、フラれたのか」
「うん。そうみたい」
「そいつはご愁傷様だな」
「だね」と泉が苦笑気味に相槌を打つ。
その一年はしばらくの間は立ち直れないだろうな。俺はそいつのことを何一つ知らないが少しばかり同情してしまった。
「そういえば、十六夜さんといえば、最近井ノ原のことをよく見ている気がするよ」
「はぁ……。あの十六夜が俺に? 勘違いじゃないのか?」
「うーん……勘違いではないと思うよ。確証はないけどね」
泉にしては珍しく、冗談ではなく本当にそう思っているように言った。
「そんなわけないと思うが。そもそも、あの十六夜が俺なんかを気にかける理由なんてないだろ」
と言うか、この学校で俺を気にかける奴なんてほとんどいない。いてもこいつぐらいだ。
泉は先程までの雰囲気とは打って変わって、茶化すように言った。
「井ノ原のことが好きだとか?」
「……なわけあるか。そもそも、あいつ他人に興味ないて感じだが」
「はは、確かに。十六夜さん、井ノ原と一緒で友達いなさそうだしね」
「うるせぇ」
「いつも一人だけど寂しくないのかな?」
「さぁな」
別に一人でいることは悪いことではない。本人が望んでそうしているなら他人が口をはさむことではないのだ。むしろ他人とそりが合わないなら関わらないという選択を選ぶ方が賢明である。とはいえ協調性がなさすぎるのは問題なのだが。
「井ノ原が友達になったら? 井ノ原にも友達ができてちょうどいいんじゃない?」
「余計なお世話だ。俺は友達を作らないをモットーにしてるんだ」
俺は常日頃、非友三原則を掲げている。
友を持たず、作らず、そういう話を持ち込ませず。
友達だなんてもんは俺には必要ないし欲しいとは思わない。ひとときの関係さえ上手く渡ればなんとでもなるのだ。
「というか、そういうお前が友達になってやればいいだろ」
そうすれば泉は十六夜のほうにかかりきりになり、俺の方に来ることもなくなる。
俺は皮肉のつもりでそう言ったのだが、泉は気にする様子もなくいかにも自分の力不足と言わんばかりに答えた。
「魅力的な話だけど、僕にはちょっと難しいかな。まだ同じクラスになったばかりだしね
」
何が難しいだ。初対面でクラスの女子のほとんどと仲良くなった奴が言うセリフか。俺は言葉にせず、内心で悪態をつく。
しかも、泉は悪意がなく真剣に言っているのだから揚げ足の取りようがない。
「井ノ原は十六夜さんと去年も同じクラスだったんだよね?」
「一応な」
「なら、やっぱ井ノ原のほうがいいと思うよ。知っている人の方がやり取りはしやすいし」
「逆に言うが俺は去年一年間、十六夜と一度たりとも話したことはないぞ」
「でも、まったく知らないよりかはいいんじゃないかな」
「それこそ俺じゃなくて他の同じクラスだった奴の方でいいだろ」
「そうかな? 井ノ原、十六夜さんと気が合いそうだけど」
「ないだ——」
ガラリと扉が開かれ、教室に入ってくる人影が一人。その途端、教室に広がっていた喧騒がぴたりと止む。入ってきたのは担任の教師、ではなく一人の女子生徒。
十六夜凛華である。
まるで時間が止まったかのようにクラスの誰もが十六夜に釘付けになっていた。十六夜はクラスの注目をまったく気にすることなく自分の席へと向かっていく。十六夜が通り過ぎると、さっきまで話し込んでいた数人の女子がヒソヒソと何か話し始めた。十六夜はそれも気にすることなく無機質な表情のまま自分の席まで進む。
ようやく席にたどり着くや否や、椅子を引いて座ろうとするタイミング。
一瞬、こちらを一瞥した。
その瞬間、俺は十六夜と目が合った……気がした。
やがて、十六夜はなんともない調子で席に着くと、鞄から教科書を出し授業の用意を始めた。しばらくの間は皆、固まっていたが次第に会話を再開し始め、瞬く間に教室も騒がしさを取り戻していった。
「十六夜さん、いつ見てもすごいね」
「あ、ああ……」
泉はこちらに向けられた視線に気づいていなかったようで淡々と話を続ける。
「彼女を見るといつも飲み込まれる気がするよ」
その割には言葉に全く熱がこもっていない。それもそのはず、こいつにとって十六夜は恋愛対象外だからである。
泉翔平には彼女がいない。俺みたいなそこら辺の男子なら当たり前だが、泉ほどのイケメンともなればいない方がおかしい。
なぜかというと、
「でもやっぱり僕は、麗しい幼女の方が魅力的に見えるけどね」
こいつの恋愛対象は小学生。つまり、ロリコンだからである。本人曰くロリ属性なら年齢は問題ではないらしい。
「その点、奈穂ちゃん先生は小さいし、可愛いし、僕の理想だよ」
奈穂ちゃん先生とはこのクラス二年A組の担任教師である西沢奈穂のことだ。どう頑張っても小学生にしか見えない容姿をした美人いや、美少女(?)教師だ。いわば合法ロリ。
その可愛らしい容姿とうっかりしているところから皆からは奈穂ちゃん先生と呼ばれている。
「お前、その恋は不毛だと思わないのか」
「井ノ原、恋愛に年齢なんて関係ないよ」
「年齢云々の前に教師と生徒の壁はどこ行ったんだよ」
ご覧の通り泉は西沢先生に過度な好意を一方的に寄せている。もう救いようのないロリコンだ。まあ、救いようがないのは俺も同じだが。
「十六夜さんが小学生か幼い容姿だったら一直線だけどね」
前言撤回。俺はこいつよりはマシだ。
「お前は警察に自首しに行ったほうがいいぞ」
「はは、冗談だよ。まあ、十六夜さんに魅力を感じるって部分は間違ってはないけどね」
泉は苦笑しながら言う。やはり、泉にしても十六夜の魅力は感じられるらしい。
「そういう、井ノ原はどうなんだい」
「別になんとも思わんし、別に興味もない」
「本当にそうかなあ? 井ノ原、ほんとは十六夜さんと仲良くなりたいんじゃない?」
うぜぇ……。
実際のところは十六夜に何も思わないわけではない。少なからず魅力も感じている。ただ、こいつに正直に言ったら絶対にからかわれるであろうことはわかりきっているので口にはしない。かわりに、俺はこの会話を終わらせる言葉をぶっきらぼうに言い放った。
「だからなんとも思わないって言ってるだろ。しつこいぞ。それに、俺みたいに好きでひとりでいる奴だっているんだ。それを他人がどうこう言う筋合いなんてないだろ」
それは同時に自分に言い聞かせる言葉だった。
俺は友達が欲しいなんて思わない。
そう、だからきっと十六夜と目が合ったのも気のせいなのだ。ただの俺の勘違い。
「そうだね……ごめん。ちょっと、押しつけがましかったね」
そう言って泉は残念そうに自分の席へと戻っていった。泉のこういう引きの早いところは嫌いではない。好きでもないが。
しばらくして担任の西沢先生が教室に入ってきて朝のホームルームが始まった。
俺はせわしなくされる連絡事項をぼんやりと聞き流しながら、十六夜の様子をうかがっていた。
その後の授業の間も俺は集中することができず、時折十六夜を見ていたが、特に変わった様子は何もなかった。
そして何事もなくただ時だけが過ぎていった。
放課後までは。
放課後、そこには俺の人生の分岐点となる出来事が待っていた。