覗かないでください
名前ですか? 安心院麻衣です。
読めないね、ってよく言われます、確かに、はい。
あの……本題に入ってもいいですか。
実は、バイト先であったことなんですが。
職場のみなさんは、みんな優しくて学生の私にもとても親切にいろいろ教えてくれます。
始めてから半年以上になりますが一度も、怒鳴られたり、とか嫌みを言われたり、とか言うことがありません。
全体の雰囲気もとても良くて、いつも誰かが面白いことを言って、周りを笑わせたり、ほっこりさせたりしています。
じゃあ、何が問題なのかって?
いつもみんなを和ませてくれる、総務課長の白石さん、あっ、いつも社長とか部長とか課長、ではなく、名前にさん付けするのがこの葬儀社の決まりなんです。
そう、白石さんに前から、これだけは注意してね、と言われてたんです。
「印刷室には、入らないようにね」
もちろん、何故か訊いたことはありました、入ったばかりの頃に。
そうしたら白石さんは
「いろいろ、危ない機械とか……個人情報とか、企業秘密とか」
そう言って少しだけ笑ってから
「社長と、役員しか入れないんだ、ごめんね」
目はぜんぜん、笑っていなかったんです、その時も。
葬儀社も、今ではすっかりオンライン化、というかシステム化、というか、香典帳も外看板の『●●家』とか葬儀の日時情報とかもすべて、パソコンで入力してプリンターで印字して、住所やご芳名のデータもすべて、データベースで一元管理していました。
だから、白石さんが言ったことも、
「ああ、そうなんだ」
程度にしか、受けてめていなかったんです。
その日は葬儀が立て込んでいて、バイトの私も上りがすっかり遅くなっていて、タイムカードを押したのはすでに夜の九時を回っていました。
ほとんどの社員も仕事を終えていて、おつかれさまー、の声が飛び交う中、私は資料室に入り、資料の片づけをしていたのです。
気づいたらもう、タイムカードを押してから一時間以上すぎていました。
サービス残業に厳しい会社でしたし、バイトの身ということもあって、私はあわてて資料室から飛び出しました。
通路からあたりを見回してみましたが社内は、しん、と静まり返っていて、ただ、印刷室の明かりが廊下に漏れ出ているだけでした。
―― ぶわん、ぶわん
機械が動いている音のみ、後は人の気配すらありません。
私も急いで帰ろうと、廊下を急ぎました。
あ、と気づいた時、ピアスが耳から滑り落ちたのに気づきました。
かなり小さなものでしたが、赤い輝きが転がって、あろうことか印刷室のドアの隙間から中に転がり込んでしまったのです。
学校の友人から――はい、付き合っている彼氏なんですが、彼から誕プレでもらったものでした。
少しだけためらったのですが、それでも、大事な贈り物をそのままにはできず、私は印刷室のドアに手をかけました。
ドアはするりと内側に開きました。
―― ぶわん、ぶわんぶわん
プリンターが盛大に、何かの紙を吐き出していました。
何枚も何枚も。
ひら、と一枚足元に落ちたものをふと、拾っておもて面に目をやったちょうどその時
「覗かないでね、って」
背後の静かな声に、私は声も出ず飛びあがりました。
「言ったよね、前に」
振り返ったところに、白石さんが、微笑んでいました。
「は、はい」
私はにこやかに答えようとしました。
「すみません、廊下を歩いていたらピアスが落ちてしまって転がってこの部屋に」
「うん、そうなんだ」
「あの……すみません大事なものだったので」
「だよね、そうだよね」
「すみません、すぐ出ますから」
白石さんは、微笑んでこう言いました、
「何を見たか……企業秘密だからね。この業界も何かと厳しくてね。だから、少しでもたくさん、先にできる作業を進めておかないと、だから。
誰にも言わないよね?」
「はい」
じゃあよかった、お疲れ様、そう言った白石さんの目だけは
最後まで、笑っていませんでした。
どうしてここで話しているかって?
印刷していたのは、たくさんの、訃報連絡だったようです。
しかも、日付が、すべて、これからの。
そして、たまたま拾い上げた一枚に確かに見たのです。
私の名前を。
日付は見てなかったんです。
でも……
どうしたらいいんでしょう? 私。