オトコの勲章
「わぁーっ、凄い傷!」
練習合間の休憩時間、僕の隣でスパイクとソックスを脱いでいたチームメイトの磯村を見て、サッカー部の女子マネージャーである奥野深雪が驚いたような声を上げた。
磯村の左脛には大きな古傷がある。浅黒い肌の色とは明らかに違うピンク色をした傷が二十センチくらい。昔、かなりの大怪我を負ったと本人から聞いたことがあった。
「――ああ、コレ? 小学生のとき、夏休みに海に行って岩場で遊んでたら、波にさらわれてさぁ。んで、ザックリと。いやぁ~、あのときはマジで痛かったわぁ。まあ、立入禁止エリアで遊んでたから自業自得なんだけどよ。――悪い、奥野。こんなグロいもんを見せちまって」
「ううん、気にしないで。て言うか、私、男の人の傷痕って、ちょっと惹かれるのよねえ。カッコイイっていうか」
深雪ははにかむようにカミングアウトした。
そいつは初耳だ。
「へえ、変わったヤツだな。でも、まっ、確かに “傷は男の勲章” って言うか」
「でしょ、でしょ?」
「そうかぁ? ただの “傷フェチ” とも言えるんじゃね?」
他のチームメイトも苦笑しながら口を挟む。
「でも、生々しいのは無理。血がドバーッとかいうのはパスだから」
「てことは、奥野の理想の男性はブラックジャックかフランケンシュタインの怪物ってことだな?」
「ひっど~い! そういう意味で言ってるわけじゃないもん!」
「古傷と言やぁ、西尾もあるよな?」
磯村は立ったままスポーツドリンクを飲んでいたDFの西尾に話を振った。今までの会話は聞いていたはずである。
西尾はスポーツドリンクを左手に持ち替え、右肘を突き出した。
「コレか?」
日焼けした肌に、これまた見事なくらいクッキリと大きな傷が刻まれていた。傷の大きさは磯村のとどっこいどっこいだ。
「交通事故だっけ?」
「ああ、中二のとき、バスの陰から飛び出して来たバイクにやられた。これさえなきゃ、高校に入っても野球を続けてたんだけど」
「あっ、西尾くんって元からサッカーじゃないんだ? 上手いから、てっきり」
「サッカーはこの高校入ってから。それまでずっと野球で、ピッチャーやってた」
「甲子園、目指してたんだよな?」
「さすがにそこまでのレベルでは……もちろん、夢としてはあったけど」
「まあ、甲子園に行けなくなったのは残念だが、オレたちには国立がある! 絶対に全国高校サッカー選手権大会を勝ち抜いて、国立競技場に行くぞぉ!」
「……今はもう “新国立競技場” になってるけどな。でも、大きな目標を掲げるのは結構だが、この前の練習試合、せっかく相手から貰ったPKを外しやがったのは誰だよ?」
「くうぅぅぅっ、それを言ってくれるな! まだ心の傷が癒えていないんだぁ!」
NGワードを聞かされ、小さい頃からサッカー一筋で、我が校のエースストライカーである磯村は、わざとらしく胸を押さえて呻いた。
「前から思ってたけど、磯村ってPKが苦手だよな? 角度のないところから、凄いシュート決めるくせに」
「いや、キーパーと一対一になると、何か緊張すんだよなぁ。特に蹴る前なんかにキーパーと目を合わせたりすると……」
「どんだけ気が弱いエースストライカーなんだよ!? だったら、他のヤツにキッカーを譲ればいいだろ! お前、いつも率先して蹴ろうとすんじゃん!」
「だって、得点するチャンスだろ? そこはキャプテンで、エースストライカーでもあるオレが――」
「そういうことは、PKを決めてから言ってくれ!」
皆が爆笑し、磯村がしょげ返る。
そこで、なぜかMFの牧が薄気味悪い笑顔を浮かべ、深雪にぬっと近づいた。
「なあ、奥野……オレの傷痕も見せてやろうか?」
「えっ? 牧も大きな怪我をしたことがあるの?」
「オレの場合は怪我じゃなくて、病気。去年、盲腸の手術をしたんだよね」
そう言いながら、牧は自分のトランクスを引っ張ると、女子である奥野に対し、わざと下腹部を見せようとする。
「きゃっ! もお、何すんのよ、変態!」
深雪は真っ赤になって牧から離れ、僕の後ろに素早く隠れた。そのとき、深雪が僕のユニフォームの背中をつかむ。故意か、或いは無意識による偶然か。思いもかけない片想い相手による不意討ちに、僕はドキッとしてしまう。
「遠慮するなって、奥野。ほら、この手術痕を見ろってば! きっと大興奮、間違いなしだから」
まるで露出狂の変質者のように、なおも牧は深雪へ迫ろうとした。
「牧、お前のは冗談にならないんだよ!」
ベンチから立ち上がった磯村が大きな身体で牧の行く手を阻んだ。ふざけるにしても、もうちょっと考えてからにしろ、と牧の胸を軽く突いて、変態セクハラ大魔王から深雪を守る。
「何だよ、磯村。オレは傷フェチの奥野のヤツが見たいかと思ってだな――」
「うるせえ、お前が見せたいだけだろうが、この変態野郎め! ――あっ、手術って言えば、お前も最近したばっかなんだよな?」
振り向いた磯村に指摘され、僕はうろたえた。
「ど、どうして、それを……?」
「お前が練習休んだ日、帰りに病院から出て来るのを見かけたことがあったし、ほら、いつだったかも、手術したばかりで何かしっくり来ないんだよ、みたいな話をしてたじゃないか」
手術のことは学校のみんなに、絶対話すまいと秘密にしていたはずなのに、いつの間にか独り言を発していたらしい。何て馬鹿なんだろう。僕は手術したことを磯村に悟られたばかりか、そのことをサッカー部のみんなの前で公表され、今すぐにでも消えてしまいたくなった。
「木津くん、いつの間に手術なんて……? 何処が悪かったの?」
マネージャーとして各選手のコンディションをよく見てきたつもりの深雪は、まったく気づかなかったことに驚いている様子だった。心配そうな顔で僕に尋ねる。
――違う。違うんだよ、深雪。そんな目で見ないでくれ。
「い、いや……手術ったって、入院しなきゃいけないような、そんな大袈裟なものでもなかったし……」
「で、何処を手術したの?」
「ど、何処って……」
――言えない。言えるわけがない。絶対に。
僕は顔を赤くし、口ごもった。
そこへ――
「おーい! そろそろ再開すっぞー!」
監督が集合の合図をかけた。練習の再開だ。
「へーい」
助かった、これでこの話題は打ち切りだ。僕は安堵した。
ところが、みんなが小走りでグラウンドに集合する中、行こうとしかけた僕の背中を深雪が引き留めた。またしてもユニフォームの背中がちょっぴり伸びる。
「お、奥野……!?」
「……ねえ、今度見せてよ」
僕だけに聞こえるよう、内緒話でもするみたいに深雪はそっと囁いた。はにかんだような笑顔に、僕は頬がカッと熱くなってしまう。
「そ、そんな……他人に見せるような代物じゃないし……それに傷痕だって、きっと見たって分からないくらい小さいから……」
「だったら尚更、直にこの目で確かめてみないと……是非とも見てみたいな、木津くんの “男の勲章” ってヤツ」
ふふふっ、と悪戯っぽく笑うと、彼女は照れ隠しのつもりなのか、みんなのところへ駆けて行ってしまった。
――どうしよう。見せる? 深雪に?
まさか包茎手術だったなんて言えない僕は、その場に立ち尽くすしかなかった。