落下
紅く長く美しい髪が上に流れていく。少女は顔を引きつらせて緑の髪の青年に抱きついていた。
青年は緑色の髪を風になびかせてはいたがいつも通り無表情だ。
その横で水色の長く美しい髪が上に流れていく。女の顔は無表情に近い。
その横では楽しそうな顔をしながら女の服の裾を持つ白い髪の少年が居た。
四人は落ちている。空から地上に一直線に。
「ひっ……」
少女の口が悲鳴の形を彩ったまま動かない。
青年は静かに少女の顔を見て、その紅い目が恐怖のあまり固まりかけているのを見てその目を大きな手で覆った。
すると少女がバタバタ抵抗するように動き始める。
浮遊感だけ感じることになり更に恐ろしくなってしまったのだろう。
「……余計なことを」
ぼそりと女が呟いたが、青年は何が悪かったのかが分からないといった様子で目を隠した手に力を込めた。
少女の口が動く。
「きゃあああああぁぁぁあぁぁぁぁああぁぁぁぁあぁ!」
それは悲鳴の形を彩った。青年は悲鳴を上げられパニックを起こしたようだ。
青年は驚き、少女から両手を離してしまった。少女がふわりと浮く。
質量的な問題である。かなりの重量ある青年にくっついていたから同じ速度で落ちていたのだ。
青年より軽い少女は青年より遅く落ちる――つまり少女だけが上に行ってしまう。
「いやぁぁああぁぁぁアズサ!!」
少女がまた悲鳴を上げた。そうしている間にもどんどん少女は上に行ってしまう。
「ファイ!!」
アズサと呼ばれた青年もまた悲鳴のような声を上げた。大きな両腕を上に伸ばす――が届かない。
その横で小さく女がため息をついた。
「ヒナ」
女は小さく呟く。隣の白髪の少年が小さく笑って頷いた。
「助けに行って来て良い? ウシオ」
「行け」
ウシオと呼ばれた女が命令を出すように目を瞑り手を払う仕草をする。
その瞬間、ヒナと呼ばれた少年はは躊躇いもせずウシオの服の裾を離した。
当然小柄なヒナは上の方へ行く。しかし、少女ファイには届きそうも無い。
「我は鳥! 我は翼! されば飛べ! ティファレト!」
ヒナが高らかに誇らしげに叫ぶのがアズサの目に見えた。ヒナは両手両足を空いっぱいに広げる。
その背中からその瞬間白い大きな翼が生えた。
そしてそのまま上の方へ飛んでいく。その手が紅い少女を捕らえた。
それを見て安堵するようにため息をついたアズサだったが、その手を鋭い青白い鱗が生えている手が掴む。
「な!?」
アズサは驚いたように目を見開きウシオを見た。
すると大声かつ全力で叱咤された。
「おぬしは落ちるんじゃからさっさと準備しとけ! 戯けが!」
くわっと目と口を開き叱咤するウシオにアズサはしおしおと「了解」と答える。
早くも頭が上がらない。
「先に行け! ヒナ! ファイ!」
ウシオが上に向かって叫ぶ。
上から間延びした「りょーかーいー」というヒナの声がしたと思った瞬間。
ウシオとアズサは水に叩きつけられた。
「アズサ!! ウシオさん!!」
空を飛んでいる――というより抱えられているファイは海に落ちた二人を見て悲鳴を上げる。
大きな水しぶきが飛び、水に波紋を帯び、そして静かになっていくのを横目で見ながらヒナは翼をはためかせ、移動を開始した。
それを感じてか腕の中のファイが動きだす。
「はーなーしーて!」
「いーやーだー!」
バタバタ手足を動かしファイは離せと抵抗した。
それをヒナはブンブン頭を振って嫌だと言い張る。
「落ちたくないなら静かに掴まっててよね!」
ヒナが叫んだ。
ファイも負けてたまるか、と叫ぶ。
「落ちても良いもん! だから離して! アズサが……!」
ヒナは内心気が気ではない。
落としたら二人に殺されてしまうのは自分だ。
「二人は無事だから! だから暴れないで!!」
二人は無事だ。
ウシオがいる限りアズサが海で死ぬことは無い。
それを聞いた瞬間、ぴたりとファイが暴れるのを止めた。
「……無事、なの?」
「うん」
本当は四人で固まっていれば、海にも落ちず空も飛ばずに任務先まで行けるように神が手配していたとは言わない。
今回は四人一組で、しかも初めての落下だったから失敗してしまったわけで。
普段だったらどんなことがあってもアズサが彼女を離すわけがないと思ったからだった。
これも神は解っていたんだろうな、とヒナは思う。
飛べる自分と、泳げるウシオ。
残るカナでも、ケテルでも、ラムニオでもこの状況は打破できなかっただろう。
「……だからね暴れないで? 僕は君を、任務先まで無事に連れて行かないといけないんだ」
それを聞いてファイは黙った。
暴れることも身動きすることもなく、しがみつくようにファイは自分を抱え上げている白い手を握る。その手は背中の羽根みたいにたくさんではないが、鳥の羽が生えていた。
青い空と青い海の間、何もない空間に二人は漂っている。
ファイはそれがとても落ち着かなかった。
「……ヒ……ティファレトは、鳥、だったの?」
ファイがしばらくしておずおずと問う。
何もない空間に黙っているのが耐えられなかったらしい。
ヒナは一瞬きょとんとして、笑い出した。
「あはははははは!」
そんなヒナにファイがきょとんとする。
ヒナは笑いすぎて涙が出るかと思ったが、それを拭うことは出来ない。
かわりにファイの問いに答えた。
「鳥以外に何が飛べるっていうの!? 面白いことを言うなぁ、ファイは。あ、それに今度僕をティファレトって呼んだらお仕置きだよ!」
ヒナは言いたいことを一気に言う。
脈絡無いことも言ったけど、彼女はウシオじゃないから良いか、とヒナは思った。
「……お仕置きは嫌だよー。……そうだね、鳥以外は空飛べないわ。ふふっ、あまりにも綺麗な羽根だったから小さいころに絵本で見た天使かと思ったの」
天使。
天の使い。
ヒナは笑うのを止めた。
天使ほど、自分から離れたものは無い。そう知っていたからだ。
「……天使、か。……ファイ、君は、任務の内容を、知っているの?」
知らない方が、良い。
そう思いながらヒナは問うた。
ファイがきょとんとあいまいな笑みを浮かべる。
それを見て、ヒナはこのまだ穢れ無き使徒をこっちの世界に連れてきたくはないと思った。
「戦うんでしょ? 悪いモノと。違うの?」
ファイの答えにヒナはあいまいな笑みを浮かべた。
アズサは彼女に何もやらせる気が無かったに違いない。
この子は自分とウシオのペアではなく、道具屋であるケテルと戦闘狂の基礎ラムニオとペアになるべきだった、そう思う。
多分神はこれもお見通しだったんだろう。
神が決めたから、彼女は初めての任務で戦い傷つかなければならない。
それを思ってヒナは心が沈んだ。
「ヒナ? どうしたの?」
心配そうな声色でファイが問う。
ヒナは「なんでもないよ」と笑って返事をした。
もう青に囲まれた世界では無くなっていたからだ。
ヒナの視界には緑と灰色と茶色の島が見えている。
ファイの視界にはまだ見えないのだろうか。
緑の森、茶色の土、灰色の石造りの家、城、道。
あそこが今回の戦いの場所か、とヒナは大きく内心でため息をついた。
この次どうやって持っていこうか、悩み中でs←黙