ビッチ疑惑を掛けられて勇者パーティを追い出された元聖女ですが、たまたま出会った真の勇者の少年が可愛すぎて本当に道を踏み外しそうです。
「アンアンアンアン!オーイェス……!カモンベイベーアハーン!!!」
何人もの男に囲まれ、あられもない痴態を晒す女の姿が、魔法使いのエミルさんがかざした記録水晶に映っていました。
絹の糸のような長い銀髪、胸には大ぶりの果実のようなふくらみが二つ。
腰はキュっと締まっているけど、尻はまた胸と同じように大きく、男の情欲を誘う肉感を湛えています。
映像の中の女は上気した顔を快楽にゆがめて、それはそれは心地よさそうに身をよじっていました。
記録水晶の映像は鮮明で、それを観せられている一同……勇者キリルのパーティの間には気まずい空気が流れていて、特に真面目な女騎士のラキュースさんなどは激しい怒りすら感じさせる表情でブルブルと肩を震わせていました。
「これが動かぬ証拠よっ♪アリシアはこんな風に、夜な夜な抜け出して男漁りをしている淫乱女だったの☆」
そう、何よりも問題なのは、その女が私――アリシア・エーデルワイスにそっくり……というか、本人そのままな姿で、でも私にはこんな行為をした記憶が全くないということです。
一体何が起こっているのか、その時の私には全くわからなくて、唖然とする他にありませんでした。
今にしてみれば、このときのエミルさんの表情が愉悦で歪んでいることに気付いていれば、私の処遇もずいぶん違ったものになっていたのではないかと思います。
「アリシア、君がまさかこんな女性だったなんて……今まで俺たちを騙していたのか!?」
「下らん姦淫などに身を焦がす売女め……恥を知れ!!!!」
「違……っ私は!」
「言い訳なんて聞きたくないですぅ~☆こうして記録水晶に映像が残ってる以上、何を言ったって無駄ですよ☆」
記録水晶はその場で起こっている出来事を映像として記録できる便利な魔道具であり、その証拠能力は絶大なものです。
偽造は難しく、よほど高度な幻惑系魔法の使い手でもなければ困難だと言われています。
「うわぁ〜二本も咥え込んじゃって、相当ヤり慣れてなきゃこんなこと出来ないですよぉ☆あたしドン引きしちゃう〜☆」
エミルさんがいつもの口調で、でも冷たく私を突き放します。
その言葉に同調するように、キリル様が私を見る表情も、信じられないという顔から私を軽蔑するような表情に変わっていきました。
あとはもう、それはそれはスムーズに話が進んでいきました。
「残念だよ。聖女とまで呼ばれていた君の正体が、こんな風だったなんて。」
「本当に信じられな~い☆」
「キリル様……私……は……」
そして、勇者キリル様の口から、決定的な一言が発せられたのです。
「君には、俺のパーティに居る資格はない。ここでお別れだ……本当に残念だよ、アリシア。」
「じゃあね、変態さん☆」
「二度と顔を見せるな、汚らわしい淫売め。」
こうして、仲間だった人たちに心からの軽蔑を受けて、私――聖女アリシア・エーデルワイスは勇者パーティを追放されたのでした。
◇◇◇◇◇
――古の時代に封印された魔王が復活して私たち人間の国へ宣戦布告を仕掛けてきたのは、今からつい半年ほど前でした。
兼ねてより神様のお告げで予期されていた復活の時期は、それよりも10年も前であったため、人々はすっかり、そんな予言など当てにならないと安堵して暮らしていました。
そんな魔王の復活が、10年遅れでついに現実となったのです。
人々はそれはもう、この世の終わりのごとく絶望しました。
だけど、ただ滅びを待っていたわけではありません。
あらかじめ魔王復活を神様から知らされていた国王は、国民の中から”勇者”を選定し、魔王討伐へ送り出すことにしたのです。
こうして、王都の中から選りすぐりの人材が集められ、勇者パーティとして旅立つことになりました。
まずは”勇者”キリル・キルシュタイン
美しい金髪を短く揃えた、切れ長の偉丈夫です。
国王直属の近衛騎士団――その団長であるクレゴリウス・キルシュタインの一人息子であり、幼い頃より厳しい剣術の指導を受けた才媛です。
その剣の実力は既に父をも越え、王国随一との呼び声もあります。
そんな彼が”勇者”として王から選ばれたのは、最早必然と言えたでしょう。
正義感が強く、仲間想いな好青年です。
次に――同じく近衛騎士団から――女騎士のラキュース・ガルフォード
キリルより更に短く刈りそろえた茶髪に、彼よりも更に頭一つほど高い長身の重戦士。
女性の身でありながら鋼のように鍛えられた肉体を全身鎧に包み込み、左手には身の丈ほどもある大楯を携えています。
彼女が鉄壁の守りで敵の攻撃を受け止め、その隙をついてキリルが斬り込む。
そんな戦い方が、シンプルながらも強力な黄金パターンでした。
彼女もキリル様に負けず劣らず実直な人物で、厳しく己を律していて、聖女として厳しく育てられた私には親近感を覚えたのか、特に親切にしてくださいました。
お次は、王立魔術師アカデミーの歴代最高主席にして若干16歳で大魔術師のジョブを取得した大天才、エミル・ミラー
燃えるような赤い髪の上からつば付きの大きな帽子をかぶった女の子です。
魔力を高める効果があるというヒラヒラの法衣とマントは彼女の体系をすっぽりと覆っていて、身体のラインはよくわかりません。
いつも軽口を叩いていますが、実力の方は歴代最高といわれるだけあって最高位の火属性魔法を自在に使いこなします。
彼女の放つ大火力の魔法は広範囲の敵を瞬時に焼き尽くす威力がありました。
最後に、私。
自分で言うのもなんですが、癒しと生命を司る地母神様より直接お告げをうけて聖女に認定された、アリシア・エーデルワイスです。
生まれてすぐに両親から捨てられたらしく、エーデルワイス聖教会に拾われて、そこで聖職者となるための教育を受けて育ちました。
聖女となってから修行はさらに厳しさを増し、本当に自慢するようなことではないですが、最上位の回復魔法と聖属性魔法を扱えるようになりました。
「勇者とともに旅立ち、魔王を討滅せよ」というお告げを神様から受けた都合上、一番最初に勇者パーティに内定したメンバーでもあります。
こうして選りすぐって集められた4人は、王都中の人々から期待を受けて旅立ったのでしたが……
「どうして……どうしてこんなことに。」
今現在、私は鬱蒼とした森の中を一人で歩いています。
キリル様の軽蔑するような目とラキュースさんの射殺すような視線をうけてその場を逃げ出した私には、もう行く宛もありませんでした。
あれだけの期待をうけて王都を出た手前、一人で戻るわけにもいかず、さりとて今更勇者パーティに復帰など許されるはずもなく……。
そして捨て子である私には、帰る故郷すらなかったのです。
「はあ……私、何かエミルさんに恨まれるようなことをしたのかしら。」
いくらか冷静になった今考えてみると、私はエミルさんに嵌められたのでしょうね。
そもそもは野営の最中、彼女が嬉々として持ってきた記録水晶が全ての発端でした。
あれに映し出されていた映像は、どうやって撮影したのかは分かりませんが真っ赤な偽物であることは間違いありません。
男漁りなんてするどころか……どころか……
私はまだ処女なのですから!
確かに、夜中にこっそりと抜け出していたことは事実です!
ですがそれは断じて姦淫のためなどではなく、身体を清める沐浴のためです。
神聖なる聖属性魔法を行使するには、清らかな身体を保っていなければならないのです。
でも、先を急ぐ旅路で、水浴びをしたいから小休止とも言い出せず、仕方なく夜中にコソコソと川へ向かい、水浴びを行なっていたのでした。
まあ、結局はそういう隠し事をするような態度がキリル様たちに猜疑を生み、エミルさんに付け入られる隙を作ってしまったのも事実でしょう。
「もういっそのこと、世捨て人にでもなろうかしら。」
あんな映像を捏造してまでパーティを追い出されたことで、私は軽い人間不信に陥りそうになっています。
いっそ人里から離れて、誰とも関わらずに一人でのんびり生きていくのも良いかもしれません。
……キィン
「えっ?」
ギン……ガキンッッッ!!!!
唐突に、森の奥から重い金属音が鳴り響いてきました。
いや、これは何か大きくて重いものに剣をぶつけるような音……?
「モンスター……誰かが戦ってる!?」
そう気付くと、身体は勝手に駆け出していました。
人間不信になりそうだと考えていた矢先にこんな反応をするなんて、自分はつくづくお人よしな人間なのだなぁと自嘲せざるを得ません。
『ゴアアアアアアアアアアアアアアアアア!!!!!』
その戦闘が直接見える位置まで近づいたとき、モンスターがひときわ大きな咆哮を上げました。
身の丈3mはあろうかという巨躯に小さな山のようなゴツゴツとした筋肉。
通常は緑色の筈ですが、その全身を覆う皮膚は燃えるような朱色――一瞬だけエミルさんの髪の色が脳裏にちらつきますが、慌てて頭の隅に追いやります。
モンスターの正体は大鬼……それも特殊個体の朱大鬼でした。
頭はあまり良くありませんが非常に強力な膂力を持ち、特殊個体ともなればその力は無造作な蹴りで大岩を粉々に打ち砕くほどにもなります。
「くっ!?この距離からの魔法では詠唱が……」
直接見える距離とは言ってもまだかなり離れています。ここから有効なダメージを与えられる魔法を放つには、長い呪文詠唱をしなくてはなりません。
『ガアアアアアアアアアアアアアアアア!!!』
「ああっ危ない!!」
大鬼が、右手に持っている棍棒を大きく振りかぶりました。
そしてそのまま、相対する敵に向けて振り下ろし――
「はあああああああああああああああああああ!!!!」
ガギィィィイイイイイイイイン!!!
真っ赤な花が咲きました。
あ、いえ。棍棒で叩き潰されたという意味ではありません。
趨勢で言うとむしろ逆で……
その人が剣で攻撃を受け止めたかと思うと、大鬼の持つ棍棒の方が弾き飛ばされ、バランスを崩した大鬼はそのまま尻もちをついてしまったのです。
あの怪力の大鬼をそんな風に弾き飛ばしてしまうなんて、とんでもない膂力です。
さぞかし力自慢の大男が戦っているのかと思ったのですが――
「嘘……あんな小さな子供が?」
朱大鬼と戦っていたのは、髪も肌も雪のように真っ白な少年でした。
「はあ……はあ……うっ」
「あっ!?」
少年がふらつきました。ダメージを受けたようには見えなかったのですが……いや。
よく見れば彼の全身は真っ赤な血で汚れていました。
大鬼の血液は薄汚い青紫色をしているので、あの赤い液体は少年のものであることがわかります。
命そのものとも言える大事な液体で少年のシャツはあちこちが真っ赤に染まっており、いま尚新しい血が流れて彼の足元に赤い水たまりを広げています。
先程みた赤い花の正体も、やはり彼の血であったに違いありません。
どう見ても出血量は命を脅かすもので、一刻も早い治療が必要です。
というか、まだ意識を保って、あまつさえ剣を支えにして立っていられるのが不思議なくらいです。
『グルルル……』
と、転倒していた大鬼が勝ち誇ったような唸り声をあげて立ち上がりました。
もはや少年が虫の息であることを悟ったのでしょう、その動作には何処となく余裕のようなものが感じられます。
そのまま大鬼はゆったりと棍棒を振りかぶり……
『ガアアアアアアアアアアア!!!』
けれど、その攻撃が少年に届くことはありませんでした。
「させませんよ——雷神の……戦鎚ああああああ!!!!」
接近しながら練り上げていた聖属性の魔力を、杖の先端に集めて解き放つ——
バチバチとスパークしながら暴れ出そうとする力の塊を、繊細かつ強力な魔力操作によって押しとどめる。
それはまるで、巨大な鎚のような形に——
聖属性における最上位の近接格闘魔法を、今まさに棍棒を振り下ろそうとしていた大鬼へ向けて振り抜きました。
ズガアアアアアアアアアアアアン!!!!!!
巨大な雷が空を引き裂き、天空の彼方まで昇って行き、やがて残光を残して消えて行き……。
衝撃波が起こした土煙が晴れると、私の前に立っていたのは|真っ黒に炭化した下半身だけでした。
「獲物を前に舌舐めずりなどするから、足元を掬われるのですよ。」
その言葉を聞いていたかのように、残った下半身は力を失って倒れ、ボロボロの灰になって崩れていきました。
「め……がみ……さま?」
ぽそりと、背後の少年が何事か呟いたのが聞こえた気がしましたが、大鬼の残骸が崩れる音が大きくてうまく聞き取れませんでした。
「ふう。間に合って良かった。」
——正直に言うと、私の力だけでは間に合わないところでした。
少年が大鬼の一撃を弾き飛ばし、転倒させたお陰……そして勝ちを確信した大鬼が余裕を持ってトドメを刺そうとしたからこそ、私が割り込む為の時間が出来たのです。
「っと、そんなことより!」
私は唖然としている少年の方へ向き直ります。
モンスターという脅威は去ったものの、未だ彼は命の危機を脱したわけではないのです!
「あ、あの……貴女は?」
「今はそんなこといいですから、じっとしていて下さい……《マキシマム・ヒール》」
呪文を唱えると、暖かい翠色の光が優しく少年を包み込みます。
「あ……」
完全治癒――回復魔法の中でも特に魔力消費の激しい最上位魔法を、惜しげもなく使用しました。
効果は絶大で、彼の全身から流れていた血はたちどころに止まり、内側から破裂したかのように裂けていた皮膚は、傷跡の1つすら残さずに綺麗さっぱり治ってしまいました。
「嘘……血が!傷も塞がって……え、え!?」
「治癒魔法です。これで一先ずは安心ですね。」
「そんな……こんなに早く傷を治しちゃうなんて!……あっ」
「おっと。」
ふらり、ぽふっ
失ってしまった血だけは元どおりとはいきません。
大きな声を出そうとして貧血で倒れそうになってしまった少年を、抱きとめてあげました。
ちょうど胸の谷間に顔を埋めるような形になって、それに気づいた少年は慌てて離れようとします。
ですが最早私を引き離すだけの力も残っていないようで、その手は弱々しく震えるだけでした。
「す、すみません。すぐに離れ……」
「無理しないでください。傷は塞がっても流れた血は元に戻せないんです。」
私の胸の中で、申し訳なさそうに震えている少年。
元々白い肌でしたが、いまは真っ青になってしまっています。
ここまで血を失ってしまっては、放っておけば死んでしまうかもしれません。
「……ごめんなさい。助けてもらったのに、また迷惑を」
「そんなこと言わないでください。私がやりたくてやってるんですから。……そうだ!これ、飲めますか?」
そう言って私は腰のポーチから一本の小瓶を取り出しました。
中身は普通の水薬ではなく、乳白色の液体。
いざという時——まさに今のような状況に陥ったときの為の、とっておきです。
「そんな、きちょうなもの、ぼく、なんかに……」
ああ……少年が固辞の言葉を紡ぐが、もう呂律も回っていません。かなり危険な状態です。
(仕方ない……)
私は自ら、小瓶の中身を口に含みました。
濃密でむせかえるようなミルクの香りが鼻腔を蹂躙します。
そして——
「ん、むっ!?」
少年の顎を持ち上げて私の正面を向かせると、その唇へ口づけました。
驚いて口を閉じようとするのを強引に舌で割り込んで、無理やり口腔へ侵入――液体を流し込みます。
「ん……ん~~~~!」
吐き出されては敵わないので、そのまま舌を器用に使って喉の奥へ。
危うく窒息しそうだと勘違いした彼の身体は、本人の意思に反して慌ててその液体を嚥下し、胃の腑へと流し込みます。
――そして、効果はすぐに表れました。
液体を飲み下した途端、少年の血色は見る見るうちに良くなっていき……
顔にはさらに血液が集まって、真っ赤になってしまいました。
「~~~~~~~ぷぁっ!」
力も戻った様子の彼に肩を掴まれ、無理やり引きはがされると、二人の唇は粘性の高い糸を引いて離れていきました。
「うふふ、もう心配いらないみたいですね。一安心です。」
「なっ……んなななななな……っ!」
彼に飲ませた液体は、私のとっておき——”聖母の雫”という秘薬です。
乳白色の溶液に溶け込んでいるのは、文字通り私自身の生命力。
地母神様に祈りをささげることで、日に数滴だけ抽出することができる代物です。
因みに、あの小瓶一本分貯めるのにだいたい3か月くらいかかりました。
貴重な代物ですが、命には代えられません。いや、むしろその程度で人の命が買えるのなら安いものです。
「気分はいかがですか?」
「は、はい……もうすっかり大丈夫、みたいです……えっと、その……」
「ああ、申し遅れました。私はアリシア——アリシア・エーデルワイスと申します。」
「アリシアさん……助けていただいてありがとうございました。僕の名前はネロです。」
そのとき、ザァっと一陣の風が吹いて、少し長い前髪に隠れていたネロ君の瞳が露わになりました。
その段に至って私は——それまで彼を助けるのに夢中で——少年の……ネロ君の姿を正面から、初めて注視したことに気付きました。
年の頃は14.5歳といったところでしょうか。剣を持って戦うにはまだ若い。
先ほど見せた怪力が嘘のようにその腕は、下手をすれば女である私のものより細く、とても大鬼を打ち負かせるようには見えません。
「……綺麗」
それよりも私の目を引いたのは、目の覚めるように真っ白な髪と肌——ボロボロだった肌は傷が塞がると、まるで陶磁器のようにきめ細やかです。
そして、真っ白な肌と対比するかのように、鮮血のように真っ赤な瞳。
ルベライトの宝石のような美しい瞳は、見つめていると吸い込まれてしまいそうに綺麗でした。
「……天使」
「えっ?」
穢れなく、神聖で、あまりに侵しがたい。
その美しい少年は、まさしくそう形容せざるをえない存在でした。
「……ああ、ごめんなさい!なんでもありません。ところでネロ君、どうしてこんなところで朱大鬼と戦ったりしていたのですか?」
このごまかし方は少々苦しかったでしょうか?いや、でもそのことが気になっているのは本当です。
「あ、はい。話すには少し長くなるんですが……」
なんとか誤魔化せたのでしょうか?
初対面の男の子に「天使」だなんて、私もどうかしていたのか……
——彼はここから然程遠くない場所にある村の人間で、この先にある洞窟の奥に群生している薬草を採るために一人で来ていたそうです。
ですが間の悪いことに、その洞窟にはさっきの朱大鬼が棲みついていたらしく、ネロ君の姿を見るや否や襲い掛かってきて……
で、なんとか騙し騙し、逃げながら戦って、今に至る、と。
取り敢えずその薬草とやらを摘みに行くため、話しながらその洞窟へ向かって歩いていたのですが……
道中の光景は、まさしく凄惨の一語でした。
地面はあちこちが抉れ、胴回り3mほどもありそうな大きい樹が何本も半ばから圧し折れて倒れていました。
そしてその破壊の跡、そこかしこに散らばっている夥しい量の赤い血の痕——これはネロ君の血に違いありません。
彼が何故こんなに大量の出血をしているのか……。もしかして、と思ってはいましたが、これで確信が持てました。
「いつも……こんな戦い方をしているのですか?」
あの細腕からは信じられない程の膂力——それを支えているのは、恐らく魔力による身体強化です。
戦士系統のジョブを取得している人間ならば特段珍しいスキルではありません。
ただ、彼の場合はその出力が大きすぎるのです。
桁外れに。内側から身体を壊してしまう程に。
これでは自爆と殆ど変わりません。
「わからないんです。速く動こう、もっと強い力を、って思うと勝手に身体が軽くなって、内側から力が沸き上がってきて……」
「最後には限界を超えてしまう、と。しかも、無意識にですか……いえ、確かに、そうでもなければあんな無茶な出力は……」
身体強化をスキルとして使いこなしている戦士は、肉体を壊すような出力をかけることは絶対にしません。
いえ、出来ないといっても良いでしょう。
人間の脳は、自らを傷つけるようなことが無いよう、必ずリミッターを掛けているのです。
限界を超えた力を引き出そうとすればそれは痛みという警告となって拒絶されてしまう——そういう風に、神様は人間という生き物をお作りになられました。
このリミッターを無視できるとしたら既に正気を失った狂人か、痛覚の存在しないアンデッドくらいのものでしょう。
けれど当然、目の前の少年はそのどちらでもありません。
「誰かに戦い方を教わったりしたことは?」
「ありません。僕の村には、戦いができる人なんて居ませんでしたから。」
もう一つ可能性を挙げられるとするなら、そう。
彼のスキルが誰かに教わったものではなく、自らの才能だけで自然に習得してしまったものであった場合。
そもそも使い方をきちんと理解できていないのなら、暴走してしまうこともあることでしょう。
ですが、その可能性のほうも少なからず疑問が残るのです。なぜなら——
「戦える人が居ない?一人もですか?そんな……この辺り一帯は大鬼や狼人をはじめとして強いモンスターが多い危険地帯ですよ?こんな場所に村だなんて」
「村の中には、モンスターは絶対に入ってこないんです。何故かはわからないけど……だからみんなは、村から出ないようにしてずっと暮らしているんです。」
ますますわからない。
モンスターが入ってこない?そんなことがあり得るのでしょうか。
兎に角、彼の話では——村の中は安全ではあるものの、それは外出もできないという事で、結果的に村は陸の孤島になってしまった、と。
外界との交流もできず、戦える者も居らず……村の人たちは結局、誰からも知られることなくひっそりと暮らしていたそうです。
幸い、その村をモンスターから守っている結界(?)のようなものは近辺にまで及んでいて、川はあるし動物も狩れるため、衣食住は不自由なく暮らせていたそうなのですが……
「でも、母さんが……病気になってしまって……。」
不幸だったのは、その村にはお医者様が居らず、薬草の類も採れないことでした。
聞けば、ネロ君のお父様は彼が物心ついた頃には既に亡くなっていて、ずっと母子二人で暮らしていたと。
そんなお母さまが病気で苦しんでいるのを見て居てもたっても居られず、大人たちが反対するのを振り切って一人で薬草を摘みに来たそうです。
なんて無茶を……いえ、たった一人の肉親がそのような状態になれば、無茶だってしてしまうものなのかもしれません。
「けれど、その無茶があったからこそ私はあなたを助けることができました。」
あの剣戟の音を聞かなければ、私はこの付近に村があったなんて知りもせずに素通りしていたことでしょう。
彼の勇気が、私を此処へ呼び寄せたのです。
そして、問題の洞窟へたどり着きました。
ですが——
「これは……」
「そんな、こんな酷いことって……!」
——薬草は、全て枯れていました。踏みにじられ、つぶされて、もう見る影もありません。
「ああああ……せっかくここまで来たのに……母さん……」
朱大鬼が根城にしていたという話を聞いてもしやとは思っていましたが、ここまで荒れていてはもう新たに芽吹くこともないでしょう。
残念です。
「薬草を採取できれば村の中でも栽培できるかと思ったんですが……そう都合よくはいきませんでしたか。」
「えっ?」
薬草が採れなかったのは残念だったけれど、これで用事は終わりました。
「さあネロ君、村へ案内してください。早くお母さまを診てあげないと!」
「アリシアさん?でも、薬草は……」
「おや、貴方の傷を誰が治療したのかお忘れですか?」
そういって悪戯っぽく微笑むと、反対にネロ君は泣きそうな顔になってしまいました。
でも、それは悲哀ではなく……絶望の中で希望の光をみたような、そんな表情でした。
「……助けて、くれるんですか?母さんを」
「乗りかかった舟ですし……それに、一応私は”聖女”ですから。」
勇者パーティを追放された今、もうそう名乗ることはできない”元聖女”だけど……
※※※※
「おぉ、ネロや……無事じゃったか!よかったわい!!」
「心配してたんだぞ!」
ネロ君に案内されて村へたどり着くと、すぐさま村の人たちに囲まれて軽い騒ぎになってしまいました。
見たところ人口は2,30人といったところでしょうか。本当に、最低限の小さな村です。
「心配かけてごめんなさい……でも、母さんを放っておけなくて。」
「気持ちはわかるが、焦りすぎだ。もう少し帰りが遅ければ捜索隊を出すところだったんだぞ。」
彼らはどうやら村を出て行ったネロ君を見捨てたわけではなく、危険を承知で捜索しようとしていたようです。
下手をすればそのまま全滅という可能性もあったというのに……。
「して、さっきから気になっていたんじゃが、その御仁は一体?」
「初めまして、みなさん。私の名はアリシアと申します。事情はネロ君からうかがっています。通りすがりの身ですが、どうか彼のお母さまの治療をお任せください。」
そう言って、恭しく頭を下げます。
いきなりやってきた余所者の言動に、村の人たちの間に戸惑いが広がっているのを感じます。
「アリシアさんは、僕がモンスターに襲われているところを助けてくれたんです。それだけじゃなく、そのとき負っていた傷まで癒してくれて……。」
「そうか、あんたがネロを……恩に着る。」
「そうとわかりゃ善は急げだ!はやくマリアベルさんも助けてやってくれ!」
マリアベルさんというのが、ネロ君のお母さまで間違いないでしょう。
「ええ、わかっています。ネロ君、案内してくれるかしら?」
「はい、こっちです!」
※※※
「ネロ……?外が騒がしいけど何かあったの?げほっげほっ……!」
「母さん?寝てなきゃダメだよ!」
案内されて家の中へ入ると、お母さま——マリアベルさんはベッドの上で身を起こしていました。
騒がしくして起こしてしまったみたいです。
「初めまして、マリアベルさん。私はアリシア・エーデルワイスと申します。偶然この村へ立ち寄った、エーデルワイス聖教会の聖職者です。」
ネロ君が勝手に外へ出たというのは秘密です。いずれはバレてしまうでしょうが、治療を施す前に動揺させてしまっては良くありませんから。
「聖職者の方が、偶然こんな場所に……?げほっ!」
「ネロ君から話は聞きましたよ。ご安心ください。すぐに治療しますね……≪身体精査≫」
治癒魔法をかける前に、原因を突き止めます。薬と同じで、魔法もちゃんと効果があるものを選ばないと意味がありませんから。
体内のマナの流れを見通す魔法でマリアベルさんの身体を調べると、すぐに病の根源がみつかりました。
「……肺が、灼け爛れています。」
肺炎でした。
悪化すればたった数日で命を落としてしまう、極めて危険な病魔です。
「アリシアさん、母さんは……」
「ですが、まだ初期も初期の段階……この程度であれば問題なく完治できます。」
ネロ君はよほど素早く、お母さまの体調不良に気が付いたのでしょう。
マリアベルさんの容体は、幸いにもまだそれほど危険な状態ではありませんでした。
「では、開始します。」
私はマリアベルさんの胸に手を当て、ゆっくりと癒しの魔力を流し込みます。
病というものには様々な種類があります。
単純な外傷だけなら治癒魔法ひとつで事足りるのですが、病とは小さな悪魔——細菌が体内に入り込むことで起こるものがほとんどです。
病の原因を取り除くための特殊な魔法——
治癒魔術とはべつに、そういった”病を治療するための魔法”は、”医療魔法”と呼ばれています。
「暖かい……」
掌から染み込んでいく魔力がゆっくりと、でも確実に肺の腑へ棲みついた病魔を洗い流していきます。
そして————
「うっ……ゲェ!!!!!!!!」
「母さん!?」
マリアベルさんが、大量の血を吐き出しました。
その血はどす黒く汚れていて、とても邪悪な気配に満ちています。
「はい——≪浄化≫」
すかさずその黒い血へ向かって浄化魔法を唱えると、真っ黒だった血は健康的な赤い色に変わってしまいました。
あとには、荒い息を吐きながらもすっかり顔色のよくなったマリアベルさんの姿が。
「はあ……はあ……」
「アリシアさん、これって……」
「はい、成功です。彼女を侵していた病魔は、全て取り除きました。浄化も済んだので村の人たちに感染する恐れもありません。」
安心させるように微笑んでそう言ってあげると、
「うぅ……うわああああああああああああああああん!!!!」
ネロ君は堰を切ったように、マリアベルさんに縋り付いて泣き出してしまいました。
ずっと、背伸びをしていたのでしょう。
私の前では、一人前の大人として振る舞って……
あんなにボロボロになって、痛いのも我慢して——
「母さん……よかった……良かったよぉ……!」
「よしよし、アンタも頑張ったんだねぇ……。」
母の前で年相応の男の子のように泣きじゃくるネロ君に……マリアベルさんはただそう言って頭を撫でてあげていました。
私には、きっとあんな風に甘えてはくれないんだろうな、と。
分不相応にも、そんな卑しい嫉妬心のようなものを、私はそのときマリアベルさんに抱いてしまっていたのです。
助けられてよかった。
それは疑いようのない本心の筈でしたが、私の心にはすこし……ほんのすこしだけ、苦いものが残っていたのでした。
※※※※
「本当に、ありがとうございました。」
泣き疲れたのか、今までの疲労がどっと押し寄せてきたのか、ネロ君はベッドへ寄りかかったまま眠ってしまいました。
マリアベルさんはそんな彼の頭を愛おしげに撫でながら、お礼を言ってきます。
「いえ、困った人を助けるために私たちは居るのですから……」
「それもそうだけど、ネロを助けてくれたことも、よ。」
貴女を助けたのも当然の行いです、と続けようとした言葉は、マリアベルさんに遮られました。
「……気付いてたんですか?」
私が偶然この村へ立ち寄ったという嘘——そして、ネロ君が勝手に村を飛び出していたことも、既にマリアベルさんにはお見通しだったようです。
「そりゃあ、誰だって不自然に思うわよ。この村にはもう何年も、聖職者どころか外の人間の一人だって来た試しがないわ。それが、私が倒れたこのタイミングで、偶然?あり得ないわよ。」
「……でも、ネロ君を助けることができたのは、少なくとも全くの偶然でした。」
「そこは否定しないわ——だからこそ、ネロを助けてくれてありがとう。貴女は私の……そして夫の宝物を守ってくれた。」
「……私は、そんなに大した人間では」
「よかったら、もう少し顔をよく見せてくれないかしら?命の恩人の顔を……」
手招きされるままに、私はベッドの脇まで歩いていきました。
すぐ足元には、穏やかに寝息を立てるネロ君。
おずおずと正面から彼女の顔をみると、思わずドキっとしてしまいました。
病に侵され、多少頬はこけているものの、その顔立ちはゾッとするほどの美人さんです。
恐らくネロ君は母親似で生まれてきたのでしょう——マリアベルさんの髪は彼とは違って向日葵のような明るい金髪でしたが。
そんなマリアベルさんは近くまで来た私の頬に手を当てながら、ぽつぽつと話し始めました。
「若いわね……ちょうど私がこの子を産んだ歳ぐらいかしら。その歳であんなすごい魔法を使えるなんて……相当苦労したんでしょう?」
「……ひっ?!」
カチリ……カチリ……
心の中に堅くかけていた鍵のようなものが、軋む音が聞こえてきます。
いけない、被らないと。仮面を。だって私は聖女なのだから。
「怖がらないで。」
この人には全部見透かされてる気がする。ダメだ。この感情は
「頑張ったのね、貴方はすごく頑張った。だから、誰かが褒めてあげなくちゃ。」
ずっと忘れたと思い込んで、考えないようにしていた感情が、堰を切って溢れ出しそう
こわい。この感情を吐き出したら、今まで積み上げてきた自分がなくなってしまうんじゃないか
「大丈夫よ。親が恋しくない子なんて居るもんですか。」
「うぅ…………」
「いらっしゃい。」
そんな不安ごと、彼女は私を包み込んでくれたのでした。
「うわあああああああああああああああああああああああああああああああああああああああん」
子供のように、幼子のように……私は生まれて初めて、他人の前で大声を出して泣いたのです。
※※※
「ご、ご迷惑をおかけしました……」
先ほどのネロ君と同じように縋り付いて、しかもいい大人が泣き叫ぶのを、マリアベルさんは何も言わずに頭を撫でて、落ち着くまで抱きしめていてくれました。
あとに残ったのは若干の気恥ずかしさだけ。
ずっと背負っていた重荷のようなものだけが、私の肩から落ちて何処かへ消えてしまったようです。
「うふふ、落ち着いたならよかった。貴女、さっきみたいに張り詰めてるより、いまのほうがずっと可愛らしいわ。」
因みにネロ君は寝つきがいいのか余程つかれていたのか、私があんなに騒いでいたにも関わらずまだ熟睡していました。
そんなネロ君の髪を手で梳きながら、マリアベルさんは少しだけ真剣な顔つきになりました。
「……うん。今の貴女になら、お願いできるわ。」
「お願い、ですか?」
「この子をね……連れて行ってほしいの。」
「えっ!?」
「まず何処から話そうかしら……結論からのほうがわかりやすいかしらね。」
何の話でしょう?いきなりな話が多すぎて、私には何が何だかわかりませんでした。
しかし、マリアベルさんから続けられた言葉はそれまでの何よりも衝撃だったのです。
「私は……そしてこの子も、勇者の血を引いているの。古の時代、あの魔王を封印した、真の勇者の血を。」
「ゆう……しゃ?」
疑問が
それまでいくつも感じていた違和感や疑問が、一気に氷解したような気がしました。
どうして、こんなモンスターだらけの危険地帯にひっそりと人間の村があったのか
どうしてその村だけモンスターが近寄ってこないのか
どうして……そう。どうしてネロ君は、自分さえ壊すような、あんな異常な力を持っていたのか
勇者。
王都で、王に選定された勇者ではなく、その特別な力と血筋で以て、そう呼び称されるもの。
「神様からお告げがあって……いえ、もっと前——この隠れ村でネロが生まれたその日、私と夫はこの子に待つ運命を悟ったわ。」
真っ白な肌と髪に、真っ赤な瞳。
その特徴は、魔王と戦った初代勇者の力を色濃く受け継いだ者にだけ表れるのだそうです。
その力が発現するのは、必要になったときだけ。
つまり、ネロ君が生まれた時点で、マリアベルさんたちは魔王の復活を予期していたのでした。
「そして夫は……オルステッドは、その日から剣の修行に没頭したわ。息子にそんな運命を背負わせないために……自分が魔王を倒すのだと言って。」
「え……でも?」
「そう、勇者の血を引いているのは私……夫はなんの力も持たない只の人間だったわ。けどそんなことは関係ないと、そういって毎日毎日、もう死ぬんじゃないかと思うくらいモンスターと戦って、戦い続けた。」
もう一つ、頭の中でパズルのピースが組みあがっていくような音がしました。
神様によって予言されていた魔王復活の日と、実際に魔王が宣戦布告をしてきた日——
「そして、夫は予言にあった復活の日に、魔王の元へたどり着いた。結果だけ見れば、そういうことなんでしょうね。」
「それが……いまから10年前?」
マリアベルさんは黙って、首を縦に振りました。
そういうこと、なのでしょう。
彼女の夫——オルステッドさんは、本来の魔王復活の日に単身、魔王城へ乗り込み、そして一騎討ちを仕掛けた、と。
何もかも滅茶苦茶な話です。
でも、辻褄は……合います。
何故なら、魔王復活は事実として10年遅れたから。
倒すとまではいかなくても、オルステッドさんは何らかの深手を与えて、復活直後だった魔王はその傷を癒すために10年もの歳月を費やした……。
その結果、どうなったか?
ネロ君が、成長したのです。
実際に予言通りの日に魔王が復活していたら、その当時ネロ君はわずか4歳。
いくら勇者の血が濃くても、そんな幼子に何ができるものでしょうか。
「夫はべつに時間稼ぎなんかするつもりはなかった。『魔王のやつをぶっとばして帰ってくるよ。そしたらまたちゃんと家族で暮らそう。』旅発つその日も、そういって村を出ていったわ。」
10年——マリアベルさんがネロ君とともに夫を待ち続けたその歳月は、どれほど長いものだったのでしょう。
魔王は復活しなかった。だからもしかしたら……もしかしたら夫はまだ生きていて、ひょっこり帰ってくるかもしれない。
「そう思ってずっと待っていたけど、結局帰ってきたのは魔王だった。」
そのときのマリアベルさんの絶望はいかほどのものだったのだろう……夫も子供も持ったことがない私には、及びもつきません。
「夫が居なくなって、今度はネロまで?冗談じゃないって思ったわ。一人で行かせたらきっとこの子はあの人みたいに帰ってこない。そういう確信があったの。」
魔王復活から半年……そうやって悩んで、息子に真実を伝えられないまま、悪戯に時間だけが過ぎていったそうです。
「けれど……天罰が下ったんでしょうね。息子を手放したくなくて、この村に隠し続けていた私は、病に侵された。」
「そんなこと……!」
だって、そんなのあたりまえの感情です。
母親が子を大事に思って、何を恥じることがあるというのでしょうか!
「けど、そんな私の前に、一つの希望と選択肢が現れた——貴女よ、アリシア。」
「私……が?」
「お願いよアリシア……いいえ、聖女アリシア・エーデルワイス。勇者ネロの魔王討伐の旅を、傍で支えていてほしいの。」
——電撃が奔ったような気がしました。
思い出したのは、もう何年も前に現れた、地母神様のお告げ——信託のことでした。
『勇者とともに旅立ち、魔王を討滅せよ』
「このこと……だったのですね、神様。」
ひとりでに、涙があふれてきました。
ああ、私の生きてきた意味は——
あの辛く過酷な修練の日々は——
ただこのために。
この少年と出会うためにあったのですね。
眠っているのネロ君の手にそっと私の掌を重ねると、ピクンと動いたような気がしました。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
「う~ん……どこか変じゃないですか?アリシアさん。」
「いいえ、とてもかわ……ごほん。どこからどう見ても、立派な勇者様ですよ。」
危ない危ない。口が滑りかけました。
どうもネロ君を前にすると心のブレーキが緩まってしまうようです。
あの後、一晩明けて次の朝。
私とネロ君は支度を済ませ、その日のうちに村を発つことになりました。
不思議なことに、ネロ君へ全ての事情を説明すると、かれは少しだけ驚いた様子でしたが、すんなりと飲み込んで黙々と旅支度を始めました。
まるで、最初から全部知っていたかのような落ち着きぶりです。
「……待ってるからね、ずっと。」
「うん……行ってきます。」
そんな短い挨拶だけして、最後に一度ハグをして、それだけでネロ君はマリアベルさんに別れを告げました。
「もう、いいんですか?」
「いいんです。また、必ず帰ってきますから……。」
そういって笑うネロ君の顔は、けれど、年相応にあどけなくて。
少しだけ無理をしてるんじゃないかなと思ったのです。
だから——
「えいっ」
「むぎゅ!?」
私は気が付くと、そんなネロ君の顔を掴んで抱き寄せていました。
ちょうど胸の谷間に、彼の顔はすっぽりと埋まってしまいます。
「む~~~~!ん~~~~~!?!?」
「うふふ~、逃がしませんよ~。」
むぎゅん、たゆん、ぽよん、ぱふ
「~~~~~~~!!!!」
そのまましばらく、頭を撫でて絹糸みたいな髪の感触を楽しんでいようかと思いましたが……
「あらあら」
本来の力を取り戻したネロ君は魔力など込めなくても意外と力持ちだったようで、あっさりと抜け出されてしまいました。
ネロ君の顔は真っ白だったはずですが、今は真っ赤になってしまっています。
「は、早く行きましょう。一日でも早く、魔王を倒さなきゃいけないんでしょう?」
「あ、待ってくださいよぅ!」
早歩きで去って行ってしまおうとするネロ君を慌てて追いかけます。
去り際に、マリアベルさんから耳元でささやかれました。
「手、出してもいいけど、ほどほどにね。」
ボンッ
今度は私が赤面する番でした。
「わ、わたわたわた……私は、そんなつもりじゃ……。」
一回りほども年の違う男の子に、そんな感情、あるわけないじゃないですか……
たぶん。きっと……恐らく……
「いや、でも親公認ということは……いやいやいやいや」
ブンブンと頭を振って、邪な考えを隅に追いやります。
今はまだ、そんなピンク色なことを考えている余裕はないのです。
でも——
「まってください~~~~~!」
いつか私は……
誘惑に負けて道を踏み外してしまうような、そんな予感が確信のように、私の心のなかに棲みついて離れないのです。
いかがだったでしょうか?
おねショタが書きたくて連載用の設定を練っていたのですが、一度読み切り版として公開することにしました。
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