愛の女神
「現れましたね、北欧の浮気妻が」
ヴァナさんに険しい視線を向けながら、天照坐皇大御神様がエッチなビデオのタイトルみたいな事を言いだした。
「だっ、だれが浮気妻ですかっ!」
顔を真赤にしたヴァナさんが、天照坐皇大御神様に猛抗議する。
「あら。夫がいるのに、たかが首飾りの為に黒小人に身を任せるのが、浮気では無いと?」
「くっ……」
天照坐皇大御神様の指摘が的を得ていたのか、悔しそうな表情をしながらもヴァナさんは反論出来ずにいる。
(ん? 首飾りの為に黒小人にって、どっかで聞いたような……)
天照坐皇大御神様の語った話は、確か北欧神話の愛の女神フレイヤが、ブリジンガメンという首飾りを得た時のエピソードだったはずだが、それがヴァナさんと何か関係があるのか俺にはわからない。
「そ、それを言うならあなただって、弟との間に何人も子供を作っているでしょ!」
「そ、それは……で、ですが私は、浮気なんかしていませんよ!」
「ぬぅ……」
天照坐皇大御神様をやり込めようとしていたらしいヴァナさんだが、浮気の点だけはどうにもならないようだ。
(それにしても、和風美人と洋風美人の喧嘩というのは、困っちゃうけど見ていたくなるな……)
天照坐皇大御神様とヴァナさんのやり取りは、舞踏会に招かれた貴族の奥方同士の言い争いを彷彿とさせ、張り詰める緊張感の中に目の離せない華麗な物を感じる。
「それで北欧の浮気妻が、いったいなんの用なんですか?」
「そ、その妙な二つ名はやめて下さい」
事実は事実として仕方がないとヴァナさんの方でも悟ったようだが、さすがに何度も浮気妻と連呼されるのは堪えるらしい。
「まあまあ。落ち着け、北欧の浮気妻よ」
「そうだ。諍いからは何も生まれんぞ、北欧の浮気妻よ」
「ぐぬぬ……」
北欧の浮気妻という、ヴァナさんにとっては有り難くないキャッチフレーズを、観世音菩薩様も八幡神様も気に入ってしまったようだ。
「そ、そんな事はどうでもいいんですっ! それよりも良太さんは、私が最初に目をつけたんですからねっ!」
「ん?」
こっちの世界のガイド的な役割を、ヴァナさんが担っているくらいにしか俺は思っていなかったのだが、どうやらマークされていたようだ。
「あの、目をつけられていたんですか?」
「うっ! じ、実は……」
「そうなんですか……」
こっちの世界に転生する際に、金銭だったり装備だったりのサービスが妙にいいなとは思っていたのだが……それにしたって、俺をマークする理由なんかに心当たりが無い。
「お気をつけて良太さん。この北欧の浮気妻は、死んだ後のあなたの魂も、自分の元で働かせようとしているんですからね」
「ちょっ! どうしたバラしちゃうんですか!?」
「えー……」
まさか死後も俺をこき使う為に、ヴァナさんが画策していたとは思わなかった。しかも驚き様からすると、どうやら本当みたいだ。
「あの、ヴァナさんって、いったい何者なんですか?」
今まで特に疑問にも思っていなかったが、天照坐皇大御神様とのやり取りを聞いていて、少し気になってきた。
元の世界とこっちの世界の中間みたいなところで働いていたのだから、人間では無いというのは確定だろうけど。
「ヴァナ? 良太さんに対して、そのように名乗っているのですか?」
(あれ? ヴァナさんって偽名だったのか?)
「くっ……」
当のヴァナさんが天照坐皇大御神様に言い返せないところを見ると、どうやら偽名で確定らしい。
「ヴァナ……ああ、そういう事ですか。良太さん、ヴァナというのは偽名では無いのですが、この者の本当の名前ではありません」
「えっ!?」
偽名では無いにしても、どうやらヴァナさんには、俺に本名を教えたくない事情があったようだ。
「どうします? 私が良太さんにお話しますか? それとも御自分で?」
「ぐぬぬ……」
(無意識なんだろうけど、この悔しがり方はやめた方がいいと思うんだけどなぁ……)
まだ事情は訊き出していないのだが、それにしたってこの悔しがり方は悪役っぽくて、美人なのに台無し感が凄い。
「はぁ……では良太さん、改めて私の本当の名前をお教えします」
「え、ええ」
短く溜め息をついたヴァナさんは、覚悟を決めたように顔を上げ、俺と視線を合わせた。
「私はフレイヤ。北欧神話の愛の女神という説明でおわかり頂けますか?」
「ふ、フレイヤ、様!?」
「そうです」
輝くような美貌だけで言えば、ヴァナさん……じゃなくてフレイヤ様は、説明の必要が無いくらいに愛の女神しているが、今までに様々なお茶目な面を見ているので、俄には信じられなかった。
(でも、なんでフレイヤ様が俺を……ん? 死後も働かせる?)
北欧神話に関する知識で、俺の頭に引っかかる物があった。
「おわかりになったようですね? この北欧の浮気妻は良太さんを、死せる勇士、アインヘリヤルとか言うのでしたか? として、死後もこき使おうとしているのです」
「……」
「えぇー……」
冗談だと思いたいが、天照坐皇大御神様の説明に口を挟まないところを見ると、どうやらフレイヤ様の狙いは本当にそこにあったようだ。
「こ、光栄な話なんですけど、その……どうして俺なんかを?」
ジャンル的には北欧神話とか大好きだが、これまでに行った事も無ければ、由来のあるアイテムを所有した覚えも無い。
「そ、それは……良太さんの魂が、素晴らしく澄み渡っていて、将来性が見えましたので……」
凄く言い難そうにしながらも、フレイヤ様は本音を語ってくれた。
「だから待ちきれずに、良太さんの死期を早めてしまったのですよね」
「そっ、それはっ!」
「えぇぇー……」
(こ、これはさすがに、ショックが大きいな……)
死んだのは手違いで、本当の寿命はまだまだあるとは聞かされていたが、まさかのフレイア様のフライングと言うかお手つきと言うか、そんな理由で俺は死んで、こっちの世界に来る事になったらしい。
「それは、幾ら何でも……」
「ご、ごめんなさいっ! で、でも、待ちきれなくて……」
俺の死因は手違いと言うよりは、完全にフレイヤ様の個人(神?)的な勇み足だったという事だ。
「まったく……人の命を弄ぶような事をなさって、それで良く愛の女神なんて名乗れますね?」
「くっ……」
天照坐皇大御神様の言葉を否定出来ないのだろう。フレイヤ様は唇を噛んだまま何も言わない。
「あー……ま、まあ俺は、それ程は気にしていませんので」
「「えっ!?」」
俺の発言に、天照坐皇大御神様とフレイヤ様の驚きの声が重なった。
「だ、だって良太さん、死んじゃったんですよ!?」
「そうなんですけど……そのお陰というと変ですけど、こうして天照坐皇大御神様ともお会い出来た訳ですし」
「まっ! そ、そんな……」
両手を頬に当てて、天照坐皇大御神様が身体をくねらせている。
「……お主は、中々の女たらしであるな」
「うむ」
「そんな事無いですよ!?」
思ったままを言っただけなのに、観世音菩薩様に酷い事を言われた。しかも八幡神様も同意しながら頷いている。
「女たらしって……俺は元の世界で、男女交際もした事が無いんですよ?」
女性の扱いなんか知らない俺が、女たらしになんてなれる訳が無いのだ。
「それはそれで、自慢にはならんな」
「まあ、そうですが……」
そこは自分でもそう思っているので、神様といえども突っ込まないで欲しかった。
「は、話を戻しますけど。本当に俺は、それ程気にしていませんよ、フレイヤ様」
「良太さん……」
薄く頬を染めながら、フレイヤ様が俺を見つめてくる。
(う……なんて綺麗な瞳をしているんだろう……)
当たり前だが、日本人とは違うエメラルドのような瞳にじっと見つめられていると、吸い込まれてしまいそうな錯覚を覚える。
「でも、アインヘリヤルになるかどうかは別の話です」
一応この部分だけは、神様であるフレイヤ様が相手でも、きっぱりと宣言しておく。
「そ、それは勿論ですよ! 良太さんが元の世界に帰る時にちょっと……本当にちょっとだけ、勧誘しようと思っていただけで……」
「そんなに軽い物なんですか?」
俺のイメージでは死せる勇士、アインヘリヤルというのは、ワルキューレが見どころのある者を見つけたら、死ぬ瞬間を待ち続けてヴァルハラに連れて行くというイメージだったのだが、どうやら選択の余地はあるみたいだ。
「それは良太さんが日本人で、北欧の神々を奉じていないからですよ」
「そうなんですか?」
「大体、住んでいる地域や奉じている神によって、死後の魂の行き場所は決まっておる」
天照坐皇大御神様の言葉を、観世音菩薩様が補足してくれた。
「その辺は、国や宗教による死生観の違いで、伝承や絵画などにも現れているであろう?」
「そうですね」
八幡神様の言う通り、その辺は国民性のような物によって様々なのだろう。大体共通しているのは、死後に審判に掛けられるというところか。
「この北欧の浮気妻は、良太さんをこちらの世界に送る際にお金や道具で優遇して、死後は自分の元に来れば、もっと優遇しますよ、とでも言って勧誘するつもりだったのでしょう」
「うっ!」
物凄くわかり易く図星を突かれた事を、フレイヤ様が声と態度で示してくれた。
(不思議と怒ったりする気にならないのは、こういう可愛いところだよな)
フレイヤ様は思惑を暴露される度に、いい意味で神様らしくない豊かな感情表現をするので、なんか見ていて微笑ましい。
(でもまあ、北欧神話の浸透している地域に住んでる人達は、死んだ後にフレイヤ様とかワルキューレが目の前に来たら、選ばれた戦士になれるって思うのかな)
転生物にありがちな、妙な存在のお遊びみたいな感じに異世界に行かされるとかよりは、主神や愛の女神の元で戦士になるというのは、実際には楽じゃないだろうけどイメージ的には格好いいかも知れない。
「なあフレイヤよ。そもそもお主の鈴白殿に対する思惑は、既に失敗していると思うんだが、違うか?」
「ど、どういう事ですか、それは!?」
八幡神様の言い出した内容に、フレイヤ様が目に見えて狼狽する。
「あの、それはどういう?」
「む? 本人に自覚が無い、か……」
「?」
フレイヤ様だけでは無く、俺にも八幡神様の言葉の真意はわからない。
「本当に自覚が無いのか? お主は既に、神の手先として戦うような器は超えているであろう?」
「……へ?」
八幡神様からは「何言ってんだこいつ?」みたいな雰囲気が伝わってくるのだが、俺自身にはこっちの世界に来てそれなりに鍛えられたかな、程度の自覚しか無い。
「い、言われてみれば……」
「で、あろう? さすがにトールやテュールには敵わんかもしれんがな」
「えぇー……」
北欧神話で数々の逸話がある雷神トールや軍神テュールよりは弱い、くらいに言われても、どう反応すればいいのか俺にはわからない。
「元々の素質があった良太さんの身体を最適化した上に、周天の……いえ、ここは本当の名のドラウプニールと呼ばせて貰いましょうか。そのドラウプニールのお蔭で、成長した分の気をすぐに満たせるのですから」
「ど、ドラウプニールって、もしかして!?」
「ええ。あのドラウプニールです」
天照坐皇大御神様の言うドラウプニールとは、フレイヤ様の兄である豊穣神フレイの金の猪と、トールの槌であるミョルニルと共に創り出された物で、九夜毎に同じ腕輪を八個創り出すとされていて、主神であるオーディンの所有物であると言われている。
「こ、これってもしかして……」
創り出された複製品だとしても、破格の性能を持っているドラウプニール、周天の腕輪だが、もしかして……。
「えーっと……ちょ、ちょっと借りてきちゃいました」
片目を閉じたフレイヤ様は、ペロッと可愛らしく舌を出した。
(テヘペロされてもなぁ……可愛いけど、複製の方だと信じたかった)
フレイヤ様に可愛らしさをアピールされても、今ここにドラウプニールのオリジナルがあるという事実は揺るがないのだ。
「お、お返しします!」
「だだだ、大丈夫ですから! 元々、私達神々には、それ程必要の無い物ですから!」
「そ、そうなんですか?」
俺が腕輪を手首から外そうとするのを、フレイヤ様の小さくて柔らかい手が制した。繊細な感じなのに、その手からは物凄い力の波動みたいな物が伝わってくる。
(この辺は、さすがに神様だな)
小柄で華奢な感じではあるが、フレイヤ様は見た目通りに非力という事は無さそうだ。
「人間と神では、元々所有しているの気の量の桁が違います」
俺の手首に触れたまま、フレイヤ様が語り掛けてくる。
「その……ドラウプニールで補充出来る程度は、些細な量だという事ですか?」
「その考え方で間違っていません。瀕死にまでなれば話は別ですが」
ドラウプニールが周囲から集めた気を無限に供給してくれると言っても、流入量の調整は出来ないので、神様のキャパのゼロを一にするくらいは出来ても、フルに補充するには能力不足という事なのだろう。
「一応は北欧の神々の標準装備なのですが、実質的には見目のいい飾り程度の物ですので、これからも良太さんのお役に立てて下さい」
「う、うーん……」
ドラウプニールの物品の収納や装備のチェンジなどの能力にも大いに助けられているので、確かに手放すのは惜しいのだが、ゲームで言えば終盤のアイテムっぽい気がするので、それを序盤どころかスタート時に入手していて良かったんだろうか、という考えが頭を過る。
「その浮気妻の言う通りです。神にとっては取るに足らぬ物で、アインヘリヤルにとっては、装着しても誤差程度の効果でしかありません」
「そんな事は無いのでは? アインヘリヤルの話ですけど」
神々の元で戦う戦士がアインヘリヤルなので、当然のように気を使いこなした攻防を行うだろう。
そう考えると気を無限に供給してくれるドラウプニールは、非常に重要な装備になるはずだ。
「良太さん、考えて下さい。気を供給してくれるというのは確かにありがたいですが、その点が即、戦闘に役立つという事では無いでしょう?」
「……あっ!」
「お気づきになりましたか?」
最初の内は天照坐皇大御神様の説明には首を傾げるしか無かったが、俺自身がかつて、朔夜様を相手に指摘したのと同じ事だ。
「気の防護を上回るような攻撃に対しては、幾ら供給されても無力という事ですね?」
攻撃が防御を下回れば、ダメージを受け止めた分を自動回復するドラウプニールは意味を成すが、おりょうさんの使う透過や反射みたいな特殊な方法を除けば、所詮は力が上回った方が勝つという事だ。
もっとも、その透過と反射にしても、どのレベルまでの攻撃に対して有効なのかは不明なので、過信するのは危険だろう。
「そうなんです。だから良太さんが不要になったら、売り払うなり捨てるなりしても問題はありませんよ」
「そんな事はしませんけど……」
天照坐皇大御神様が微笑みながら言うが、フレイヤ様の好意を無にするような事はしないつもりだ。
「さて、正体もバレた上でここにいるのですから、あなたも良太さんに、更にお役に立つ事でも申し出たらどうなんですか?」
意外なというと失礼だが、天照坐皇大御神様がフレイヤ様に助け舟を出した。
「天照坐皇大御神?」
「……ふん」
不思議そうに問い掛けるフレイヤ様に、天照坐皇大御神様は、面白く無さそうに鼻を鳴らした。
「あ……」
「どうかされましたか?」
ちょっと思いついた事があって、俺が思わず出した声に、天照坐皇大御神様が反応した。
「あの、舟での航海中に、権能とかで水が作れたりしたら便利だなと思ったんです」
「ああ。人間にとっては水は重要ですものね」
飲料水もなのだが、江戸から廻船での航海中に潮混じりの飛沫や海風を浴びていると不快なので、おりょうさんと頼華ちゃんにはタライでの行水をして貰っていたのだ。
この間の航海では手持ちで足りたが、次も同じとは限らないので、既に授かっている火の権能のような物が使えれば、水が無くなるという不安に悩まされなくなる。
「ああ。それでしたら、そのドラウプニールで出来ますよ」
「そうなんですか?」
まだ隠されていたドラウプニールの能力を、フレイヤ様がポロッと口に出した。
「伝承に、九夜で八個の腕輪を創り出すという記述があるのを御存知ですか?」
「ええ。それが何か?」
人間にとっては黄金の腕輪が自動で作り出されるというのは夢のような話だが、神様にとってはどれくらい魅力的なのかは謎だ。
「神でも無から有を創り出すのは難しいのですが、このドラウプニールは気と同じように、周囲から元素を集めて任意の物質を創り出すことが出来るのです」
「それは……もしかして水以外にもですか?」
「ええ」
ドラウプニールが複製の黄金の腕輪を生み出す原理といういうのは、フレイヤ様の説明の通りだとしたら、どうやら昔のアニメにあった空中の元素を固定する装置みたいな感じらしい。
(という事は木炭を集めれば、ダイヤも出来るのかな?)
アメリカの胸にSマークを付けたヒーローが、石炭の粒を握ってダイヤモンドにした強烈なシーンを思い出したが、同じ元素を用いるにしても、あれよりは強引さは無いかもしれない。
「でも、神とその眷属でしたら鉱山でも知っていれば、ドラウプニールと同程度の金を集めるのに、九夜も必要無いのですよ」
「な、成る程……」
(確かに金の鉱山を知ってれば、人力というか神力で掘り起こして精錬するのは容易いか……)
神様が金の価値をどう考えているか以前に、能力から考えればドラウプニールを使った場合の待ち時間は、非常にまどろっこしく感じるのだろう。確かにこの辺はフレイヤ様の言う通りだ。
「水でしたら、湿り気の多い空気中ですとか、航海の最中でしたら海水から集めた水分を真水にする事が可能です」
「成る程……具体的にはどうのようにすればいいんですか?」
ドラウプニールにそういう能力があるというのは教えて貰ったが、実際にはどうすればいいのかわからない。
「頭の中で想像して下さい。そうすれば出来ますから。でも、元素を集めて創り出すので、頭で思い描くよりは随分と遅いと思います」
「あー……」
原理は不明だけど、空気や海水から真水を抽出するのだから、当たり前だが蛇口を捻って水を出すような訳には行かないのだろう。これは聞いていなければギャップに戸惑ったかもしれない。
「再び旅に出る前に練習してみます。という訳で、まだ暫くの間、これはお借りしますね」
俺はフレイヤ様に周天の腕輪、ドラウプニールを示す。
「っ! も、勿論です! なんなら元の世界にもお持ち下さい」
「それはダメなのでは……」
現代文明の世界でもドラウプニールは物凄く汎用性がある装備だが、機能を使っているところを誰かに見られたら、大変な事になるだろう。
「あの……」
「な、なんでしょうかっ!? まだ何か御要望でしたら、大概の事は……も、勿論、この身体を御所望でしたら……」
「いや、そういう事じゃ無くてですね……」
北欧の民族服っぽい物を着ているフレイア様が、腰を縛っていたベルトと言うか帯のような物を緩め始めたので制止した。
「……ちっ」
「なんで舌打ち!? しかも他の神様の前ですよ!?」
他の神様達がいるのに誘惑してくるという辺りは、さすが愛の女神というところか……。
「えっと……これまで名乗られていた、ヴァナさんという名前が気になったので」
俺の知る限りでは、北欧神話にヴァナという女神はいないし、そういう偽名をフレイヤ様が使ったというエピソードも知らない。
「ああ。ヴァナというのはヴァナディースから来ています」
「ヴァナディースですか?」
「ええ。ヴァン神族の女神、という意味です」
「ああ、そういう事ですか!」
主神であるオーディンやトールはアスガルドに住むアース神族で、フレイヤ様と兄の豊穣神フレイは、ヴァナヘイムに住んでいるヴァナ神族に属する。
(北欧神話のヴァナ神族の女神ってフレイヤ様以外には出てこなかったような……確かに意味的には間違ってもいないのか)
北欧神話にはフレイとフレイヤ様の父親のニョルズが登場するが、他に女神と思しき存在は登場しない。
ニョルズの妻と言われるスカジは、女神では無く巨人族の女性とされている。
「だから、本当の名前では無いけど偽名という訳でも無い、という説明になったのですね」
「その通りです。本当に、良太さんを騙していた訳ではありません」
まだフレイヤ様は俺に対する引け目を感じているのか、チラチラと様子を窺うような視線を投げ掛けてくる。




