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「そろそろかな……」


 里に近づいたのを感じた俺が小さな声で独り言ちると、周囲を霧が閉ざし始めた。


「これは……何やら自然現象では無いような」

「安心して下さい。この霧が里を護ってくれているんです」


 警戒して身構えたレンノールを安心させる為に、俺は作り笑いを浮かべた。


「霧が里を護っているのですか……何か仕掛けがあるのですか?」

「詳しくは俺にもわからないのですが……」


 里を霧が護ってくれていて、俺や紬には出入りをする存在を選別出来るのはわかっているのだが、何か超常的な力による物なのか、それとも何らかのメカニズムでそうなっているのか、実のところ良くわからないのだ。



「ここが里になります」


 薄れてきた霧の先に、ぼんやりとゲルのシルエットが見えてきた。


「なっ!? こ、こんな場所があったとは!?」

「こんな場所と言いますと?」


 里の全景を目にして、レンノールが激しく動揺している。


「自慢ではありませんが、私と一緒に行動している者達にとって、京の周辺の土地に関しては庭だと自負していたのですが……」


 山で生活している者が遭難したら笑い話にもならないので、地形などを把握しているのは当然だろう。それにしても、かなり広い範囲に渡るみたいではあるが。


「しかしこの場所がこんなに開けており、生活空間になっているというのは長らく……いや、全く知られておりませんでした」


 どれくらいを山中で過ごしているのか定かでは無いが、レンノールの驚き様を見ると、かなりの衝撃の事実みたいだ。


「あたしもぉ、こんな場所があるのは知りませんでしたぁ。すぐ近くに住んでるんですけどねぇ」


 夕霧さんも知らなかったようで、キョロキョロと里を見回しているのだが、口調がいつも通りなので驚いているようには見えない。


「あ! 兄上! お帰りなさい!」


 俺の姿に気が付いた頼華ちゃんが声を掛けてきた。


「「「あー! しゅじんー!」」」

「あ、こら! まだ鍛錬は終わっていないぞ!」


 すると、馬歩をやっていたちびっ子達も俺に気付き、わらわらと駆け寄ってきてしまったので、頼華ちゃんが叱りながら後を追ってきた。


「うんわぁー! 可愛い子がいっぱいいますぅー!」


 俺に到達する寸前に、女の子が一人夕霧さんにインターセプトされて抱き上げられた。


 しかし他の五人の女の子は夕霧さんの手を掻い潜って、俺の元まで到達した。


「おねーちゃん、だれ?」


 抱き上げられた女の子は怖がったり嫌がったりはせずに、初めて見る夕霧さんに目を真ん丸にしている。


「お姉ちゃんはねぇ、御近所に住んでる夕霧って言うんですよぉ。宜しくねぇ」

「ゆーぎり?」

「そうそう。良く出来ましたぁ。あなたはなんていうお名前なのかなぁ?」

「あたしは、れいか!」


 夕霧さんに名前を答えられないと可愛そうだなと思っていたが、どうやら俺が不在の間に、頼華ちゃんが考えてくれたみたいだ。


(才能なのか天然なのか……夕霧さんは、あっという間に打ち解けちゃったな)


 おりょうさんとは方向性は違う感じだが、夕霧さんにも保母さんの才能があるようだ。


「れいかちゃんですかぁ。いいお名前ですねぇ」

「うん! らいかさまがつけてくれました!」

「らいかさまぁ? ってぇ、もしかしてぇ……」

「おお! お主は夕霧ではないか!」

「あぁー、頼華様だぁ。お久しぶりですぅ」


 眼の前の可愛い女の子しか視界に入っていなかったのか、夕霧さんは声を掛けられるまで、頼華ちゃんの存在に気が付いていなかったみたいである。


「こんなに可愛い子達がいっぱいいるなんてぇ、ここは天国ですかぁ?」

「天国と呼ぶには、もう少し住み易くしなければなりませんけどね」


 今でも決して悪い場所では無いのだが、現段階では不足している物が多過ぎる。


「おにーちゃん、かみきんいろー! おめめあおくってきれー!」

「ははは。お兄ちゃんと呼ばれる歳では無いのですが、褒められると嬉しいですねぇ」


 レンノールも女の子を一人抱き上げていて、髪の毛を引っ張られているが怒ったりはせず、言葉通りに非常に嬉しそうにしている。


「失礼ですが、凄くお若そうに見えるのですが?」

「御覧の通り、普通の人間とは違いますので、寿命が長い、というか自然死はしないのです」


 女の子を抱いたままのレンノールは、尖った耳を指差して、身体構造の違いをアピールしてくる。


「あの、もしかしてですが、レンノールさんはエルフなんですか?」


 十中八九そうだとは思うのだが、もしかしたら呼び名などは違うのかもしれないので尋ねてみた。


「御存知でしたか? ええ。海を隔てた大陸の、西方にある大きな森からやって参りました」


(ん? なんかどっかで聞いた事があるような……ドランさんとブルムさんの故郷の話だったか?)


 一口に大陸の西方と言っても、広大な範囲なので決めつける事は出来ないが、もしかしたらという気はする。


「ところで兄上、この方は?」


 考え込んでいたところで、頼華ちゃんから当然の質問をされた。


「紹介が遅れたね。ここの周辺の山中で生活している人達の代表で、レンノールさん。それと夕霧さんは、この近くの集落の代表として来てもらったんだ」

「そうでしたか! 始めまして! 余はこのりょうた兄上と一緒に旅をしていて、縁あってこの地に来た頼華と申します!」


 さすがに心得ていると言うか、頼華ちゃんは礼儀正しく、しかも堂々たる態度でレンノールの挨拶をした。


「始めまして、レンノールです。お近くで生活しておりますが、私も流れ流れてこの地にやって来た身の上ですので、そういう意味では似ておりますね」


 微笑むレンノールは腕の中の女の子を見つめているのだが、その視線はどこか遠くを彷徨っているようにも感じる。


「ここで立ち話もなんですから、あちらで座って話をしましょうか」


 俺は里の中心に見えるゲルを指差す。


「鍛錬の邪魔をして悪いけど、頼華ちゃんも話に加わってくれる?」

「はい! お前達、途中になってしまったが、本日の鍛錬はこれまで!」

「「「はい!」」」


 自由に脚元に群がっていたり、抱かれたりしている女の子達だったが、頼華ちゃんの薫陶が行き届いているのか、この時ばかりは揃って返事をした。


「さっき夕霧さんに名前を教えてくれた子がいたけど、頼華ちゃんが名付けてあげたの?」


 ゲルに向けて歩きながら、頼華ちゃんに尋ねた。


「はい! 夕霧が抱いているのが麗華(れいか)。レンノール殿に抱かれているのが凜華(りんか)。兄上の脚元にいるのが、風華(ふうか)雪華(ゆきか)陽華(ようかです!」

「もしかして、頼華ちゃんの名前から?」


 頼華ちゃんの話を訊きながら、風華ちゃんというらしい女の子を抱き上げた。


 すると後の二人も俺に向けて盛んに手を伸ばしてくるので、風華ちゃんを肩車してから、雪華ちゃんと陽華ちゃんを片方ずつの腕で抱え上げた。


「はい! この者達は余にとっては、妹と同じですからね! 余が頼光様から一字頂いたように、分けてやりました!」


 誇らしげに語る頼華ちゃんは、俺が肩車したり抱えあげたりするのを少し羨ましそうに見てきたが、お姉さんとしてのプライドなのか、グッと我慢をするみたいだ。


(今度なんかの形で労ってあげないとな)


 お姉さんだからと我慢ばかりさせず、偶にはお姉さんだけを優遇する機会を作ってあげなければ、いずれ不満が爆発してしまう。


(持ち回りで休みを取って貰って、一緒に京都観光でもするかな)


 里の面倒を見る事にしたのは完全に俺の我儘なので、それに付き合って貰っているおりょうさん、頼華ちゃん、黒ちゃん、白ちゃんの事は、それぞれ個別に労う必要があるだろう。


 ただ、俺が連日休むというのは当分無理そうだから、スケジュールに空きが出来そうな時に、順番に相手をしていくという感じになりそうだ。


 様々な考えを巡らせながら歩いていると、程無くして里の中心に設置されているゲルに到着した。



「なんとまあ、簡単な作りなのに快適ですね」

「本当にぃ。座り心地は畳よりもぉ、いいかもしれませんねぇ」


 膝に凜華ちゃんを座らせたレンノールと、麗華ちゃんを座らせた夕霧さんは、ゲルの中を見回したり床に触れたりしながら、しきりに感心している。


「全部兄上の考えた物です!」


 ふふん! と、鼻息も荒く、レンノールと夕霧さんに向けて頼華ちゃんが自慢気に言い放った。


「まあその辺は置いといて……レンノールさん、夕霧さん。これからお話する事に関して、秘密にして頂きたい内容が幾つかあるのですが、宜しいですか?」


 ここまで連れてきたのに勿体ぶった物言いは自分でも嫌なのだが、必要な事なので仕方が無い。


「秘密ですか? 良太殿は私を信用してここまで連れて来て下さったのでしょうから、それにお応えするのは当然です。お約束しましょう」

「私もぉ、この子達の為ならぁ、秘密にしちゃいますぅ」


 きっぱりと答えてくれたレンノールと違い、夕霧さんは冗談を言っているようにも聞こえるのだが、信用しても大丈夫だろう。


「さっき集落で浮橋さんにも見せたこの布なんですが、実はこれはこの里の者達と、俺が作った物なんです」


 懐から蜘蛛糸の布を取り出しながら、レンノールと夕霧さんの様子を伺う。


「「えっ!?」」


 さすがの夕霧さんも驚きが大きかったらしく、いつものようなおっとりした感じでは無い、レンノールと同じような反応を見せた。


「実はこの子達は人間では無くて、蜘蛛の妖怪の末裔です」

「……」

「わはー♪」

「たかーい♪」


 頼華ちゃんは、じっと事の成り行きを見守っているが、俺の膝に座っている雪華ちゃんや、肩車している風華ちゃんは、緊張感の欠片も無く自由に振る舞っている。


「そんな……もしやこの子もなのですか!?」

「ふぇぇ……麗華ちゃんがぁ?」


 荒唐無稽な話過ぎたのか、レンノールと夕霧さんは、膝の上ではしゃぐ麗華ちゃんと凛華ちゃんと俺の間で、何度も視線を行き来させている。


「本当なんですよ。ほら、凜華ちゃんと麗華ちゃんもやってみて」

「「はーい!」」


 俺が指先から糸を出すのを見て、凜華ちゃんと麗華ちゃんも糸を出した。


(お? 楽々と、それも強度のある糸が出せるようになってるみたいだな)


 頼華ちゃんの鍛錬の効果か、二人が無理をせずに出している糸は、紬や玄には及びそうには無いが、それなりの強度がありそうに見える。


「なっ!? ま、まさか……しかし、確かに指先から出ていますね」


 凜華ちゃんの指先に繋がっている糸をまじまじと見つめているレンノールは、信じれらないが信じるしか無い、そんな表情をしている。


「えぇー……見世物小屋でやってるようなのじゃ無さそうだしぃ、本当なんですねぇ」


 夕霧さんはどうやら、最初は手品の類だと思ったみたいだが、俺はともかく小さい子達にそんな芸当が出来ないと考えたようだ。


 更に麗華ちゃんに繋がる糸を引っ張って、構造は不明だが指先から出ているという事実は動かし難いという結論に至り、呆れながらも納得した。


「浮橋さんにはこの糸と、糸を撚って作った紐や漁に使う網、それと布を買い取って頂けるように話をしてあります。どういう製法なのかは説明していませんが」

「それは……話さないで正解だと思います」


 例え害が無いと説明しても、俺や子供達が糸を出すのは、かなりショッキングでシュールな光景だから、少し顔を引き攣らせているレンノールの反応は、無理もないだろう。


 それどころか、俺と子供達に対して即座に敵意を持たないでいてくれる事を、感謝したいくらいだ。


「そうですねぇ。この辺では蜘蛛っていえばぁ、京を荒らし回っていたのを頼華様の御先祖様がぁ、退治したたっていう伝承がありますからぁ」

「退治されたのは本当みたいなんですけど、悪さをしていたのかは微妙なんですよね……」


 双方共に言い分はあるのだろうが、基本的に負けた側には発言権は無いだろう。


 その上で、蜘蛛という異形の者が人の世に受け入れられるのが難しいという事もあって、退治した側の英雄譚として語られてしまったという訳だ。


「でも、その時の事を言っても仕方ありません。今を生きる為に、レンノールさん達と夕霧さん達に、是非とも力を貸して欲しいと思います。この通りです」


「「しゅ、主人!?」」


 膝を付きまではしなかったが、レンノールと夕霧さんに深く頭を下げた俺に、紬と玄が目に見えて狼狽している。


「さ、里の為に我が主人が、そこまでなさらなくても……」

「どどど、どうすんだ紬! 俺達も頭下げるか!?」


 おろおろする紬を、完全に混乱している玄が激しく追求する。


「……お前達、心が込もらないんなら、無理に頭を下げたって失礼なだけだぞ」


 注意したら紬と玄は礼儀を守るようになったのかと思っていたが、俺の手前、全くその気が無いのに頭だけ下げていたようだ。


(これなら頼華ちゃんや黒ちゃんが名付けた子達の方が、聞き分けがいいなぁ……)


 これ以上目に余るようだと、長生きして里を護ってきたとかいう点を無視して、ちびっ子達の誰かをリーダーにした方がいいかもしれないと考えさせられる。


「余からもお願いする。元はと言えば御先祖様のしでかした事が発端だ。面倒を見るのが筋というものであろう」

「ら、頼華様っ!?」


 頭を下げる頼華ちゃんの姿に、驚愕の表情になった夕霧さんは、いつものように言葉尻を伸ばす事も出来ない程驚いているようだ。


「「「……」」」


 なんだか良くわかっていない様子だが、自分の名付け親であある頼華ちゃんが頭を下げているので、麗華ちゃんを始めとする女の子達も一斉に頭を下げた。


(この子達のも心が込もっている訳じゃ無いけど、紬や玄のように打算的な感じてはい無いんだよな)


 紬や玄は俺が頭を下げる事に驚くのに、麗華ちゃん達には上位者が頭を下げる相手ならば、自分達も下げるのが当然という認識が出来ているのだ。


「……レンノールさん、夕霧さん。里の代表を紬と玄にするのはやめます」

「「!?」」


 俺の言葉に、紬と玄が愕然としている。


(まあ、ショックだろうけど、仕方がないよな……)


「ど、どういう事でございますか!?」

「お、俺が何か悪い事をしたんですか!?」


(やっぱり無自覚なんだよなぁ……)


 何も理解していない二人の姿を見て、俺は心の中で大きな溜め息をついた。


「前にも言ったけど、お前達二人は里の外の人達の事を下に見てるだろ?」

「そ、そんな事は……」

「本当か?」

「う……」


 言い繕おうとした紬を少し追求すると、言葉に詰まった。


「そんな紬と玄を里の代表にしておいたら、揉め事の種になるのが目に見えている」

「そうですねぇ……」

「頼華様!?」


 頭を上げた頼華ちゃんが、渋い顔をして腕を組んでしまったので、玄が助けを求めるように呼び掛けた。


「お二人に懐いてるみたいだし、凜華ちゃんと麗華ちゃんを里の代表にしましょう」

「なぁっ!? そ、その二人は、満足に喋る事も出来ませんよ?」


 紬の言っている事は正しいのだが、凜華ちゃんと麗華ちゃんにコミュニケーション能力が無いわけではないので、レンノールと夕霧さんが納得するのなら、特に問題があるとは思えない。


 むしろ、このまま紬と玄を据え置きにすると、問題が噴出するのは確実だ。


「それを言うならお前達だって、読み書きや計算は怪しいだろ?」

「あぅ……」


 痛いところを突かれたからか、紬が眉間に皺を寄せた。


「紬と玄は、この里では一番下という扱いにする」

「ど、どういう事ですかそれは!?」

「俺達が永きに渡って、ここを護ってきたのですよ!?」


 俺がきっぱりと言い切ると、二人は激しく反論してきた。


(ここで素直に言う事を聞けば、まだ見どころがあるって思えるんだけどな……)


「だから煩わしい管理や、守護の任から解き放ってあげるって言っているんだ」


 予想以上に頑迷な考えに凝り固まっているみたいなので、尚更外の人の相手はさせられないという結論に達してしまった。 


(エリート意識以外に過去に人間と争ったというのも、頑なな態度の原因なんだろうけど、それを言うと俺も人間なんだけどな……)


 この辺になると理屈では無く感情的な部分なので、いくら言っても紬と玄の意識を変えるのは難しいかもしれない。


「「そ、そんな……」」


 リーダーと戦闘隊長みたいなポジションから、いきなり一兵卒に降格されたので、紬と玄は目に見えて消沈している。


「凜華ちゃんと麗華ちゃんには、色々と覚えてもらうけど、いいかな?」

「やるー!」

「がんばるー!」


 ちゃんと理解をしているのかは怪しいが、二人共やる気は十分のようだ。


「計算に関しては余も少し自信が無いので、教えて頂けますか?」

「勿論いいよ。覚えておけば役に立つからね」


(時間のある時に、九九の表でも作っておこうかな……インド式に二桁くらいまで)


 ある程度までの暗算は、表を見ながら丸暗記するのが一番だ。それなりに苦労はするけど、代わりに中々忘れなくなる。


「はい!」


 妹分のやる気が、頼華ちゃんにも伝わったようだ。


「良太殿は、中々厳しいですな。では代表となったなら、凜華殿とお呼びした方がいいですかな?」


 両手で麗華ちゃんを持ち上げながら、レンノールがお伺いを立てている。


「んー……りんかでいいよー! だからあたしも、れんってよぶー!」

「そうですか。では凜華、宜しくお願いします」


 あくまでも礼儀正しく、レンノールは凜華ちゃんを扱っている。


「うん! れんもねー!」


 キャッキャ言いながら凜華ちゃんがレンノールの髪の毛を弄るが、当の本人は嬉しそうに微笑んでいる。


「じゃーあ、あたしもぉ、麗華様ってぇ、呼んだほうがいいかなぁ?」

「やーだぁ! おねーちゃんは、れいかちゃんってよぶのぉ!」


 これまでのように接して貰えなくなると思ったのか、麗華ちゃんが夕霧さんの胸をポカポカ叩きながら抗議の姿勢を見せる。


「あははぁー。わかりましたぁ。じゃあこれからもぉ、麗華ちゃんって呼ぶねぇ」

「うーん!」


 安心したのか麗華ちゃんは、夕霧さんの豊かな胸に顔を埋めて上機嫌だ。


「どうも俺が特別扱いしたのが良くなかったみたいだから、これから紬はおりょうさんと、玄は黒ちゃんと一緒に行動するように」

「「えぇ……」」


 二人は不満は見せないが、やはりここでも即座に返事をしたりはしてこない。


「そして、おりょうさんと黒ちゃんの言う事には絶対に従うんだ。わかったな?」

「「っ! は、はいっ!」」


 少し力を込めて見つめると、俺が本気だと理解した紬と玄は、背筋を伸ばして返事をした。


「じゃあ紬と玄は、早速京の宿に移動して、俺が言った事をおりょうさんと黒ちゃんに伝えて従うように」

「「はい!」」


 移動に関しては問題無しと見なして、那古野で買い求めた二人の私物を持たせ、玄と紬を送り出した。


「京に宿を取ってあるけど、頼華ちゃんはどうする? そろそろ風呂にも入りたいでしょ?」

「そうですねぇ……」


 里の寝泊まりに関してはそれ程不便は無いのだろうが、やはり風呂の事を言い出されると、頼華ちゃんも考えてしまうようだ。


「宿はわかり易い場所にあるけど、不安なら俺も一緒に行くよ?」


 三条の通りか橋の辺りで、池田屋の名を出せば迷う事は無いと思うが、なんと言っても頼華ちゃんにとっては初めての京だ。


「あれ、そういえば白ちゃんは?」

「ここにいない子供達を連れて、近辺を散策に行くと言っておりました」

「散策か……」


 白ちゃんがいれば万が一にも危険は無いと思うが、護る対象が五人と多いので、少しだけ不安が過る。


「ん? 帰ってきたかな?」


 噂をすれば、ゲルの外でガヤガヤと話す声が聞こえる。多分白ちゃんと、一緒に行った子達だろう。


「む? 帰っていたのか主殿」


 ゲルの入り口の前垂れを跳ね上げ、俺の姿を認めた白ちゃんは、少しだけ嬉しそうな表情を見せてくれた。


「おかえり白ちゃん。散策に行ってたらしいけど、何か収穫でもあった?」


 単に山歩きだけが目的で、白ちゃんが子供達を連れ出したとは思えないので尋ねてみた。


「猪に遭遇したので、一頭仕留めてきた。だが素手で倒したので、こいつらには何の参考にもならなかったと思う」


 白ちゃんが立てた親指でゲルの外を示す。


「あー……」


 少し鍛えれば、ちびっ子達も戦力として期待出来ると思うが、現状では何の得物も無しではきついだろう。


「運ばせてきたから見てくれ」

「どれどれ……」


 ゲルの入り口の垂れ幕を跳ね上げると、白ちゃんが引率していた五人が、二本の細木に糸で縛り付けて運んできた猪を、そっと地面に置いている。


「この時期にしては太ってるね」


 立派な牙のオスの猪は太ってはいないが、それでも百キロくらいはありそうで、綺麗な毛並みをしている。


「そうだろう? もうワタ抜きして冷やしてあるから、これから解体を教えてやろうと思う」


 大きな獲物を前に白ちゃんが胸を張ると、猪を運んできた男の子五人組も胸を張った。


「白ちゃんも、頼華ちゃんみたいに名前をつけてあげたの?」

「うむ。永久(とわ)久遠(くおん)(ゆう)はるか)(こう)だ。苦労はしたがな……」


 白ちゃんが苦笑いした


「なんとも、壮大な名前を付けたんだね……」


 五人の名は多少ニュアンスの違いはあるが、果てしないというような意味を持っている。


「みんな、良かったね」

「「「はい!」」」


 白ちゃんに名付けられた男の子達は、晴れ晴れとした顔で返事をする。


(やっぱり名付けによって、ある程度の命令系統が出来て、性格が名付け親と名前に引っ張られるみたいだな……そう考えると、紬と玄の性格は俺の所為なのか?)


 五人の男の子達はは最後に見た時に比べ、少しだけだが身体が大きくなっているように思えるし、元々の力が強かったとは言っても、手分けしてでも仕留めた猪をここまで運んでこられるのは、やはり尋常では無い。


「山を歩くのに問題は無さそうだし、重荷も気にしなさそうだね」

「そうだな。徐々に鍛えていった方がいいとは思うが、少しくらいは無理をしても大丈夫だろう」


 やはり蜘蛛であった子供達は、並の人間とは尺度が違うようだ」


「でも白ちゃんみたいな真似は出来ないだろうから、何か得物は必要だね」


 素手とは言っても白ちゃんの場合は、部分变化(ぶぶんへんげ)を使えば四肢などを、鵺の身体の一部に変える事が出来る。


「そうだな。正恒殿に頼みに行くか?」

「うーん……」


 正恒さんが優秀な刀鍛冶なのは言うまでも無いのだが、発注する者の要望や体格などによって使い勝手を考えて製作するという主義なので、この場合は難しいと思える。


(なんと言っても使うのが小さな子だからなぁ……)


 いくら力があっても、柄を握る手そのものが小さかったりするのはどうにもならない。


「ふむ……そういう事でしたら、私が弓をお作りしましょうか?」


 俺と白ちゃんの会話を聞いていたレンノールが、ポツリと呟いた。


「主殿、こちらは?」

「あ、ごめんね、紹介が遅れて。こちら、里の近くの山中で生活している人達の代表で、レンノールさん。こちらは俺の……妹みたいな存在の白ちゃんです」


 妹と紹介して、白ちゃんがどういう反応を見せるか気になったが、表面上は平然としている。


「良太殿が、いつ紹介してくれるのかとお待ちしておりました。レンノールです。宜しく、白殿」

「こちらこそ、レンノール殿」


 レンノールと白ちゃんは、お互いに軽く頭を下げあった。


「おい。猪は水場の近くまで運んでおけ」

「「「はい」」」


 男の子五人組は細木を担ぎ直して、持ち上げた猪を運んでいく。


「それで、弓を作って頂けると?」

「ええ。浮橋殿の集落で話も付けましたので、鏃以外の材料に関しては問題ありません」

「でも、弓はなぁ……」


(日本の弓は、山野で使うにはちょっとな……)


 鎌倉で白ちゃんを捕まえる際に頼華ちゃんが使った、長大な和弓を思い出した。


「もしかしたら鈴白殿は、勘違いされているのかもしれませんね」

「勘違いですか?」

「ええ。私の言っているのはこの国の弓では無く、故郷で良くあった合成弓(コンポジットボウ)という物です」


 合成弓(コンポジットボウ)というのはその名の通り、木材に金属や動物の骨や角などの複数の素材を組み合わせて弾性を強化した、コンパクトな割に威力のある弓の事だ。


「私はもっぱら、罠と槍で獲物を手に入れていますが、どうやらここの子供達は力も強そうですし、十分に使いこなせるでしょう」

「そう、ですかね?」


(まあ考えてみれば、蜘蛛は生まれついての狩人(ハンター)か)


 獲物が通りそうな場所に巣を張って、捕まえてとどめを刺すのだから、隠形の術にも長けていそうだ。


「あれ? もしかしたら罠でもいいんじゃないの?」


 考えてみれば、獣道に糸で罠を張っておけばいいのだ。


「主殿。罠で捕まえても止め刺しは必要だから、どちらにしても得物は必要なのだ」

「それもそうか……」


 蜘蛛の糸で絡め取ってしまえば、危険が無く獲物を行動不能には出来るだろうけど、早めに止め刺しをして血とワタを抜かなければ肉の質が落ちる。


 最終的には刃物を使うのだが、その前の段階の止め刺しだけでも、弓を使えば格段に安全性が上がるのは間違い無い。


(弓があれば、罠を設置しての止め刺しだけじゃ無く、巻狩りや狙撃も出来るしな)


 弓で追い立てながらの巻狩りも出来るし、糸を使えば樹上を移動して獲物に忍び寄っての狙撃も出来る。罠に固執する必要は無いし、バリエーションが多いのは良い事だ。


「ただ、合成弓(コンポジットボウ)には致命的な欠点があるのです。特にこの国に於いては……」

「致命的な欠点、ですか?」

「ええ」


 凜華ちゃんにじゃれつかれながら、レンノールが苦笑いする。



合成弓(コンポジットボウ)は複数の素材を組み合わせて作るのですが、素材同士を張り合わせるのに(にかわ)を用いているのです」


 ゲルの中に戻り、白ちゃんと夕霧さんが再開を喜び合ってから話を再会した。


「その(にかわ)に、何か問題があるんですか?」


 動物の皮や骨から作られる(にかわ)と言われて俺が思い浮かぶのは、日本画の彩色をするのに顔料に混ぜるくらいだが、弓のパーツの張り合わせに使える程、強度があるとは思わなかった。


(にかわ)で張り合わせてある部分は水分に弱く、雨に濡れれば剥がれてバラバラになってしまいます」

「そ、そういう事ですか……」


 乾燥した気候の大陸でなら非常に有効な武器なのだろうけど、雨も湿気も多い日本では、(にかわによるパーツの張り合わせは現実的では無いようだ。


「ん? あの、レンノールさん。その接合部分を、糸で補強したらいけませんかね?」

「糸ですか? ただ巻いただけでは、張力でずれてしまうかもしれません」


 どうやら俺の言葉が足りなかったようで、レンノールが難色を示した。


「あ、いや。ただ巻くだけでは無くてですね……」

「何か良い方法があるのですか?」

「糸にはくっつく糸というのもありまして、それで部品を張り合わせて、その上から補強と滑り止めにくっつかない糸を巻けばいいんじゃないのかな、って」

「ちょっと今の説明ではわかりかねますね」


 俺の下手くそな説明が悪いのだが、レンノールには言いたい事が上手く伝わらないようだ。

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