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夕霧

「採取と採掘してる連中は今から呼んで来させるから、少し待ってろ」

「えっ!? そんなに簡単に呼んで来れるものなんですか!?」


 浮橋が思いもよらぬ事を言い出した。


「ああ。定住場所が無いってだけで、時期によって大体の居場所は決まってるんだ。今の時期はそれ程遠くない」

「それにしたって……」

「この集落の人間も健脚だが、山で生活しているだけあって、連中も負けて無いんだよ。おい!」

「はっ!」


 部屋の外で待っていたらしい若い男が、呼びかけに応じて入ってきた。浮橋が耳打ちをする。


「……」


 無言で頷いた若い男は、俺達にも黙礼して出ていった。


「なに、すぐに戻る。その間に、もう少し話をしようじゃないか」

「はい」

「その前に、茶のお代わりを出そう。おーい!」

「はぁい。少しお待ち下さぁい」


(ん? どこかで聞いたような……)


 浮橋の呼び掛けに応じた女性の、少し語尾を伸ばした口調と甘ったるい声に、何故か聞き覚えがあるような気がしたのだ。


「失礼いたしますぅ」

「ゆ、夕霧さん!?」


 膝をついて障子を開け、下げられていた身体が起こされると、江戸の大前で共に働いていた、頼華ちゃん位よれば源家で雇っているという忍びの一人、夕霧さんがそこにいた。


 ふくよかな容貌に少しウェーブの掛かった髪の夕霧さんは以前と変わらず、おっとりした雰囲気をその身に纏っっている。


「あれぇ? なんで良太さんがここにいらっしゃるんですかぁ?」


 少し友好的になってきてはいたが、まだどこか緊張感を孕んでいた室内の空気が、夕霧さんのポヤーンとした話し方で一気に緩くなった。


「そ、それはこっちの言う事で……」

「だってぇ、ここは私の生まれ故郷ですよぉ?」

「そ、そうなんですか!?」


 頼華ちゃんから夕霧さんは、胡蝶さんを筆頭とする源家に雇われている忍びの一人だと聞いていた。だとするとここは忍びの隠れ里のような場所という事だ。


(道理で、老若男女全てが、敵意を持って見てくる訳だ……)


 この集落も住人達も、全てが秘密にされていて忍びという仕事が成り立つのだろうから、余所者が来たら敵意を剥き出しにするのも当たり前かもしれない。


「なんだ。夕霧と知り合いだったのか?」

「ええ、まあ……」

「江戸でぇ、すごぉくお世話になったんですよぉ」

「江戸? 鎌倉じゃないのか?」


 依頼人や仕事場所なんかは秘密なんじゃないかと思うのだが、ナチュラルに失念しているのか、それとも打ち解けているという証なのか、浮橋の様子からは伺えない。


「頼華様のお手伝いでぇ、江戸のお店で一緒に働いていたんですぅ」

「……」


(ははは……情報はダダ漏れでいいみたいだな)


 夕霧さんの口から仕事内容が漏れても、浮橋が咎めたりしないので、俺もあまり気にしない方が良さそうだ。


「外から人が来てるって聞いてましたけどぉ、それが良太さんだなんてぇ、ビックリですぅ」

「そ、そうですね」


 口調と同じく穏やかな笑顔の夕霧さんを見ていると、とてもビックリしているようには見えない。


「浮橋様ぁ。この人は頼華様を始めとする源家の大切な方ですからぁ、信用しても大丈夫ですよぉ」

「そうなのか?」


 浮橋は夕霧さんと俺の間で、視線を行き来させている。


「大切かどうかは……少しだけお手伝いをさせて頂いた事がありまして」

「またまたぁ、御謙遜されちゃってぇ。浮橋様ぁ、良太様は源の頭領がですねぇ、跡取りにって言われた程の方なんですよぉ」

「ゆ、夕霧さん! あれは、頼永様の冗談で……」


 胡蝶さん辺りから伝わったのか、夕霧さんにも頼永様の発言が伝わっていたらしい。


「そうか。場合によっては、お前さんが我らの雇い主になっていたかもしれないのか」

「いや、そんな事は……」


 感慨深げに言う浮橋には悪いが、絶対にそんな事にはならなかっただろう。


 ぎりり……


「ん?」


 何かが軋むような音が聞こえたので、左隣の音源の方に目を向けると、紬が剥き出しにした歯を強く噛み締めていた。


「……紬?」

「ええ。いいんでございますよ? どうせ私は良くて側室五席でございますから!」

「俺にはそんな甲斐性は無いってば……」


 黒ちゃんと白ちゃんの言ってた事が、まだ紬の中では有効らしい。


「うふふぅ。良太さんってばぁ、相変わらずモテモテなんですねぇ」

「ははは……」


 瞳で激しく炎を燃やしている紬を他所に、夕霧さんはひたすらマイペースだ。


「夕霧さんはいつまでここにいるんですか?」

「頼華様が出奔されてぇ、鎌倉でのお仕事も減っちゃったのでぇ、別のお仕事でお呼びが掛かるまでぇ、私はここで待機中ですぅ」

「江戸の大前は大丈夫なんですか?」


 大前の厨房で働いていた俺と、給仕を受け持っていたおりょうさん、頼華ちゃん、黒ちゃんと白ちゃんが一度に抜けたので、ここに夕霧さんまでいるのでは人員が不足しているのではないかという疑問が浮かんだ。


「嘉兵衛さんが気にしていたみたいでしてぇ、あたしや胡蝶ちゃん達鎌倉組はですねぇ、口入れ屋から紹介された人と順次入れ替えになりましてぇ」

「そうですか」


 頼華ちゃんにくっついてくる形で雇用されていた胡蝶さんが、更に夕霧さん達を引っ張ってきたのだが、俺達がいなくなってからも雇い続けるのに、嘉兵衛さんは気が引けたのだろう。


「あの、夕霧さんは、この集落での仕事とかって、何かあるんですか?」

「仕事ですかぁ? 鍛錬以外は特には無いですよぉ?」

「そうですか……浮橋さん、こちらの里と、この集落の連絡役には、夕霧さんをお願い出来ませんか?」

「そりゃ構わないが……何か理由でもあるのか?」


 以外な申し出だったのか、浮橋が俺に問い質してきた。


「深い理由では無いんですが、夕霧さんは俺と旅を一緒にしている人達とも顔見知りなので」

「そういう事か……夕霧は構わないか?」

「はぁい。こことぉ、良太さんの両方のお役に立てるんでしたらぁ、喜んでやらせて頂きますぅ」


 夕霧さんが俺と、旅のメンバーとも顔見知りだとわかれば、里の者達も警戒心が和らぐだろう。


 この集落の人達にも、夕霧さんと面識があって、鎌倉とも関わりがある人間だとわかれば、少しは敵意が和らぐのではないかという狙いもある。


(夕霧さんなら、子供受けも良さそうだしな)


 ほんわかした雰囲気の夕霧さんは、ちびっ子達からも人気が出そうな気がする。


「でも浮橋様ぁ。良太さんを丁重に扱って良かったですねぇ」

「ん? それはどういう事だ?」

「さっき源の頭領がぁ、良太さんを跡取りにって話をしましたよねぇ?」

「ああ。頭領か頼華姫に気に入られたんだろう?」

「あの、夕霧さん、その話は……」


 不味いパターンに陥っていると感じたので、夕霧さんと浮橋の会話を止めようと試みる。


「頼華様は御自分をより強い相手じゃなければぁ、お嫁さんにはならないって言ってたんですよぉ?」

「って事は、このお人は源の鬼姫よりも強いのか……」


 疑わしげな視線を、浮橋が俺に向けて送ってくる。


「良太さんがその気になればぁ、こんな集落はあっという間にぃ……」

「いや、やりませんからね?」


 正恒さんの家の前で頼華ちゃんと戦った時の事は、どうやら夕霧さんにも知られているようだが、それ程好戦的だと思われるような姿は見せていないはずだ。


「えぇー。でもぉ、江戸でお武家様相手にぃ、物凄い殺気を放ってぇ……」

「ゆ、夕霧さん、もうその辺で……」


 頼華ちゃんのピンチだと勘違いし、徳川家の頭領の家宗様を相手に、周囲への影響を一切考えずにフルパワーで殺気を放ったその場所に、夕霧さんもいた事を思い出した。


「失礼します……」


 誰かに助け舟を出して欲しいと思っていたタイミングで、部屋の外から呼び掛けがあった。


「おう、来たか」

「お邪魔しますね」


 先程出ていった男性が膝をついて障子を開けている傍らに、俺の着ている作務衣と似た形状の白い服の上下を着た、長身の男性が立っている。


「っ!?」

「おう。まあ座ってくれ」

「はい」


 男性の容姿を見て俺は激しく動揺していたのだが、浮橋は気軽な様子で男性を部屋の中に招き入れた。


(こ、この人……いや、人じゃない!)


 人じゃないという前提で言うと、男性かどうかという話にもなるのだが、長身で整った容姿であり、長い金髪で耳が尖っている。


 俺の知る限りでは、エルフ族の身体的特徴を備えているのだ。


(そういえば江戸でも、一度だけエルフを見た事があったっけ……)


 関わり合いは出来ていないのだが、一時期世話になっていた江戸の蕎麦屋の竹林庵の二階から、通りを見下ろしている時に通行人にエルフがいた事を思い出した。


「はじめまして。レンノールと申します」


 レンノールと名乗ったエルフと思われる人、という言い方は変な表現だが、この際仕方が無い。なんにせよ、翻訳を介さずに流暢な日本語で挨拶をしてきたのに少し驚かされた。


「こちらこそ。鈴白良太と申します。こちらは紬、それと玄です」

「「……はじめまして」」


 レンノールの身体的特徴を見て、紬と玄も驚いているようだが、俺に続いてちゃんと挨拶をした。 


(今日は先にブルムさんにも会ってたから、その辺も驚きを少なくしたかな?)


 金髪碧眼のレンノールは、日本人とは明らかに違う特徴を持っているのに、紬と玄が極端に驚いた様子を見せないのは、やはり特徴の異なるドワーフのブルムさんと、先に出会っていたからだろう。


「……失礼ですが、そちらの二名は鈴白様の配下か眷属でしょうか?」


 レンノールが微笑んでいた口元を引き締め、紬と玄を見る。


「「……」」


 レンノールの微かな緊張感が伝わったようで、紬と玄が僅かながらも戦闘モードになっている。


「配下と言うか、妹と弟みたいなものです」

「そう、ですか……失礼致しました」

「あ、いや……」


 再び口元に笑みを浮かべたレンノールは、深く頭を下げた。


 紬と玄の事に関しては侮蔑を含んだ言い方では無く、本当に確認という感じだったので、その後のこの礼節を重んじている態度には、非常に戸惑わされる。


「あの、レンノールさん、の目には、この二人がどういう風に映っているんですか?」

「……とても大きな力を持っている存在、ですね」


 レンノールが何らかの能力を用いて、紬と玄の正体を見抜いているのかとかまでは不明だが、どうやら見た目通りの子供では無いうと看破はされているようだ。


「「?」」


 そんな俺達のやり取りの意味がわからないらしく、浮橋と夕霧さんの頭には、はてなマークが浮かんでいる。


「それで、私を呼んだ用件というのは、この方達と引き合わせる為ですか?」

「ああ。住んでるところを少し開拓するんだそうでな。周辺の木や石なんかを使う前に、仁義を通しに来たって事だ」


 レンノールに対して俺が説明する筈の内容を、浮橋が先に言ってくれた。集落の長をやっているだけあって、どうやら面倒見のいい性格のようだ。


「そうですか。無秩序に木の伐採などをされると困りますが、そういう事でしたら、こちらも出来る範囲で協力しましょう」

「あ、その辺に関しまして、もう少しお話があるんですが」


 ありがたい事に友好的に話を進める事が出来そうなので、こちらももう少しカードを切る事にした。


「こちらの住んでいる里という場所に、定期的に行商人の方が来てくれる事になっています。ですから、この集落とレンノールさんと行動を共にされている方達が必要とする物がありましたら、ある程度までは要求に応じられと思います」


 藤沢の正恒さんの家と同じような、山に棲む人達の窓口的な場所に里がなればと考えての提案だった。


「それは……俺のところは助かるが、どうだ?」

「ええ。殆どは山の中で賄えてますが、米や麦や塩は、どうしても必要ですからね」


 この集落でも定期的に買い物には出ているのだろうと思うが、行きも帰りも追跡者や監視者を気にしなければならないだろうし、規模を考えると量的にもかなりになるだろう。


 レンノールと行動を共にしている者がどれくらいいるのかは不明だが、主食の米や麦は代用が出来るかもしれないが、やはり塩だけはどうにもならないようだ。


「逆に、山で手に入れた物などを売る窓口にもなればと考えていますが」

「そんな事が!?」

「ええ。里へ来て下さる行商人は、非常に優秀な方ですから」


 あまり安請け合いするのも考え物ではあるが、後になってブルムさんの儲け話を不意にしていたとわかったら、取り返しのつかない事になってしまう。


「生憎とこの集落には、商売に使える程の産物は無いんだが……炭焼と陶芸家の作った物をそっちの里まで運ぶから、それの買い取りを頼めるか?」

「勿論です。ただ、初めの内は里へ入るのは夕霧さんだけにお願いしたいんですが……」

「それくらいの用心深さは当然だ。構わんよ」


 ちょっとこちらの都合の良さを出し過ぎたかと思ったが、浮橋はあっさりと受け入れてくれた。


「こちらの方は、私が代表として伺うつもりですが、宜しいですか?」

「ええ。こちらこそ宜しくお願いします」


 ちょっと拍子抜けするくらい、良い方向で話がまとまった。


「個人的な話なんですけどぉ、良太さんの作るお菓子を売って頂く事は出来ないんですかぁ?」

「俺はお菓子を売った事は無いんですけどね……」


 話が一区切りついたところで、夕霧さんが妙な事を言い出した。


「そういえばそうでしたっけぇ? でもぉ、良太さんが旅に出られてからぁ、時折味を思い出しちゃってぇ……」


 小さい子がするように親指を咥えて、夕霧さんが俺の方を見る。


「うーん……これ、さっきお茶請けに出した物ですけど。宜しければレンノールさんもどうぞ」


 俺は夕霧さんとレンノールに、二種類のキャラメルを一粒ずつ渡した。


「これって飴ですかぁ?」


 摘んだキャラメルを興味深そうに見ながら、夕霧さんが訊いてきた。


「柔らかい、噛んで味わう飴です」

「へぇー……ふぁぁぁぁ……甘くってぇぇ、蕩けるぅぅぅ……水飴みたいな物かと思ったらぁ、全然違いますねぇ!」


 口に入れたキャラメルをゆっくりと噛みながら、夕霧さんは言葉通りに表情を蕩けさせ、いつもよりも言葉尻が伸びている。


「……この濃厚な風味は、もしや牛の乳ですか?」

 

 神妙な表情でキャラメルを味わいながら分析していたらしいレンノールが、おもむろに口を開いた。


「おわかりになりますか? ええ。煮詰めた牛の乳と砂糖を混ぜ合わせて作ってあります」

「これは滋養がありそうですね……売っているのですか?」

「いや。たまたま牛の乳が手に入ったので作ったんですが、安定して入手する事が出来ませんので……」


 牛乳が安定供給されたからといって、キャラメルの製造販売を始める事は無いのだが、入手困難なのは本当だ。


(そういえば、椿屋さんに行った時に、牛の導入に関して訊くのを忘れてたな……)


 那古野の織田本家へ、伊勢の代官の朔夜様が牛の導入を呼び掛けて貰うように話を進めていたが、結果がどうなったのかを確認し忘れていた。


(伊勢で牛の飼育が始まったからって、牛乳を融通して貰えるとは限らないんだけどね)


 代官所から椿屋に牛乳を卸してくれるようになれば、多少の融通はして貰えるかもしれないが、期待していてダメだと落胆も大きくなるから、あまり簡単に考えない方がいいだろう。


「そうですか。小さいのに滋養がありそうなので、山中の生活には適しているのですが……残念です」


 現代ではフリーズドライやレトルトなど、様々なコンパクトなタイプの食事があるが、昔からチョコレートやキャラメルは登山者の携行食として利用されていたので、レンノールの着眼点は的確だと言えるだろう。


「ん?」

「「……」」

「欲しいんなら言えばいいのに……ほら」


 夕霧さんとレンノールの食べているのを、まさに垂涎という感じで紬と玄がみつめていたので、苦笑しながら二人にもキャラメルを出してあげた。


「「ありがとうございます!」」


 嬉々として受け取った紬と玄は、早速一粒口に放り込んで御満悦の様子だ。


「すごぉく可愛い子達ですねぇ。良太さんにはこういう子達を惹き付ける何かがあるんでしょうねぇ」

「そうなんですかね?」


 夕霧さんに指摘されたが、俺自身にはあまり自覚は無い。


「頼華様がいなければぁ、胡蝶ちゃんもぉ、若菜ちゃんもぉ、初音ちゃんもぉ、良太さんともぉーっとお近づきになりたいって言ってましたよぉ。勿論、あたしもでぇす」

「そ、そうですか……」


 江戸の大前で働いていた頃は、確かにフレンドリーに接して貰っていたが、俺自身というよりは作るデザート類に惹かれていたのではないか? と、疑ってしまう。当の夕霧さんにしたって、先程御所望になったのだから。


「あの、夕霧さんとレンノールさんは、この後はお時間ありますか?」

「私は大丈夫ですよぉ」

「私も大丈夫ですが、何か?」

「良ければこれから、里までいらっしゃいませんか?」

「「主人!?」」


 そんなに俺の発言に驚いたのか、笑顔でキャラメルを味わっていた紬と玄が、何事かと俺を見た。


「さ、里に入れられるのですか?」

「そうだけど、何か不味いかな?」


 明らかに狼狽えながら、紬が俺に訊いてきた。


「た、確かに友好的に話が進みましたが、性急過ぎるのでは!?」

「こちらを信用して取引に応じてくれるんだから、こちらも誠意を見せるべきだろう?」

「う……」


 里を思って玄が警戒するのもわからなくは無いのだが、この場にいる人間に対してまで考えを巡らせるのは、いくらなんでも失礼だ。


「あのぉ、良太さん? あたしは今日じゃなくてもいいんですよぉ?」

「私も里という場所に興味はありますが、急ぎはしませんよ?」

「そう言って頂けるのはありがたいんですけど……こういうのって先延ばしにしても、いい事って無いと思うんですよね」


 今日、全員の都合が悪くないのに明日以降に予定を延ばして、同じ様にスケジュールの都合がつくのかはわからないのだ。


「紬、玄、お前達だって、明日以降にもやる事はいくらでもあるんだぞ?」

「そ、それは、そうでございますね……」

「むぅ……」


 里にはゲルを一棟建ててトイレが設置されただけで、整備がされているとは全く言えない。京に宿を取っているから急場を凌ぐ事は出来るが、すぐに済ませられる用事を先送りにしている場合では無いのだ。


「何度も言うつもりは無いから、良く聞いておくんだ。お前達は里の子供達の事を常に考えろ。そうすれば自分が気に入らない事なんて、些細に思えてくるはずだ」

「「はい……」」

「良太さぁん……小さい子にぃ、そんなに厳しくしなくてもぉ……」


 中身は何百年もの時を生きている蜘蛛の妖怪なのだが、見た目が幼い紬と玄を俺がいじめているように、夕霧さんの目には映るのだろう。


「わかってはいるんですが……俺もそんなに長くは、面倒を見る事が出来ないので」

「そっ、それはどういう事ですか!?」


 目を見開いた紬が、声を裏返らせながら俺を問い詰める。


「どういうって……里が落ち着いたら、俺は旅に戻るだけだよ」

「そんな……主人は我々をお導き下さるのでは!?」


 紬が膝を震わせながら、この世の終わりのような愕然とした表情で俺を見る。


「生活が整うまでは、勿論、面倒を見るよ。でも、親だっていつまでも一緒にいる訳じゃ無いだろ?」


 ちょくちょくこういう問題に直面するが、まだまだ定住する気は俺には無いし、人の世界に馴染んで自立するまでは面倒を見るつもりではあるが、里の者を導くなんて御大層な事は出来ない。


「で、ですが、黒様と白様は……」

「黒ちゃんと白ちゃんは、俺の分身みたいなものだからなぁ」


 何気無く、いつまでも一緒という誓いを、黒ちゃんと白ちゃんとの間で交わしてしまったのだが、多分だけど魂が消滅するまで、あの二人との付き合いは続くんだと思う。


「別に今日とか明日、急にいなくなるとかって話じゃない。だが、俺に全てを依存をしていいとかいう事では無いのは、絶対に忘れないでくれ」


 紬や玄を始めとする里の子達には懐かれているので、正直なところ愛着は感じているのだが、それは江戸にも鎌倉にも伊勢にも同じ事が言える。


「それに、俺は里には逗まるつもりは無いけど、二度と帰ってこないという訳じゃ無いよ」

「そうなのですか!?」


 以前に玄が自分達を見捨てる気なのかと俺を問い詰めた事があったが、紬は同じ様に考えていたのかもしれない。


「もしかして俺は、旅に出たらもう里には入れて貰えなくなっちゃうのかな?」


 こちらには見捨てる気なんて無いのだが、傍から見ればそういう風に映っているのかもしれない。


「い、いえ! 決してそんな事はございません!」

「里は良い所だし、旅に出てもちょくちょく帰ってこようかと思ってるよ」


 人間同士だって関係が上手くいかない事なんか多々あるので、もう大丈夫だと思って旅に出ても、時折様子を見に来るつもりではいる。


 俺が戻ってきたからといって、問題が解決するという物でも無いのだけれど……。


「ほ、本当でございますか!?」

「本当だよ。だから俺がいない間に、ビックリするくらい里が住み良くなってたら嬉しいよ」


(里に戻ったら、ビルが建ち並んで……って、さすがにそれは無いよな)


 一人ボケツッコミを心の中でしてしまったが、俺のカラーなんか無くなるくらいに、自分達で里を発展させてほしいとは思っている。


「私もてっきり、鈴白様が里という場所の代表だと思っていたのですが、どうやら違うようですな?」

「ええ。今は俺が代理をしているだけど、この紬が里の長です。それとレンノールさん、様はやめて下さると……」


 紬や玄とは意味が違うが、おそらくレンノールも青年のような見た目とは違って、かなり年上だと思える。そうでなくても様なんか付けて呼ばれたくは無いのだが。


「そうですか……では良太殿で宜しいですか?」

「殿もいらないんですけど……では今後はそれで」


 レンノールが俺に対して敬意を表してしてくれているという事で、妥協するしか無さそうだ。


「あたしも良太様ぁ、って、お呼びしましょうかぁ?」

「勘弁して下さい……」


 普段から本気かどうか疑わしい喋り方の夕霧さんに言われると、どう受け取って良いのかわからなくなりそうだ。


「ちぇー。じゃあぁ、今まで通りぃ、良太さんでいいですねぇ?」

「ええ。お願いします。じゃあ、こちらの話でお待たせしましたが、移動しましょうか」

「はい」

「はぁい」


 夕霧さんの言葉尻の伸びた返事で、著しく緊張感に欠ける状況ではあるが、俺達は忍びの集落を後にした。



「ん? 紬、歩き難そうだな」


 玄の先導で里へ向けて歩いているのだが、二番手を歩いている紬の足運びが危なっかしく見える。


「え、ええ……この着物ですと、少し」

「良太さぁん、町中で着るような着物じゃぁ、無理もないですよぉ」


 夕霧さんの言う通り、那古野で買った着物は普段着には良さそうだが、狭い歩幅で歩く事しか出来ないので、山歩きには向かなそうだ。


 玄も着物は買ったが、里を出る時から着ている作務衣から着替えていないので、非常に歩き易そうだ。


(紬にも作務衣を作ってあげようかな……いや、自分で作らせればいいのか)


 自立心を育てたいのに過保護になりそうになったので、心の中で考えを正す。


「主人の作って下さった下着は、動きやすいので山歩きに向いているのですが、これは盲点でした……」

「つ、紬! その事は……歩き難そうだから、俺が運んであげるね!」


 補助をすると同時に口を塞ぐために、前を歩く夕霧を追い越して紬を抱き上げた。


「わぁ。紬ちゃんいいなぁ。ところで良太さぁん、下着を作ってあげたんですかぁ?」

「っ!?」


 おっとりしているが諜報や情報収集を生業としているだけあって、夕霧さんは俺と紬の会話を聞き逃さなかたようだ。


「えっと……俺が褌が苦手なので外国風の下着を着けているのを、この子達に見られたらせがまれちゃいまして」

「それでぇ、作ったんですかぁ? 良太さんは器用だと思ってましたけどぉ、お裁縫まで出来るんですねぇ」

「む。外国風の下着ですと?」


 俺と夕霧さんの会話に、なんとレンノールが食いついてきた。最後尾にいたのに、いつの間にか俺の隣まで移動してきている。


「それは興味がりますね。どういうような物なのか、是非とも教えて頂きたいのですが」

「わ、わかりました……ですが、この場でというのは無理ですので、里に着いてからでいいですね?」

「む……私とした事が、冷静さを失っていたようで。ええ。では後程また」


 表情を引き締めたレンノールは、列の最後尾に戻っていった。

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