浮橋
「それじゃ、お邪魔しました」
「「お邪魔しました」」
「また、いつでもお越し下さいませ。紬様も、玄様も」
店の利用客では無いので玄関は勘弁して貰って、裏口から出た俺達を椿屋さんとお藍さんと貞吉さんが、丁寧に頭を下げながら見送ってくれている。
「親方。今度は是非、料理の方を食べに来て下さいね」
「鈴白様。その際には私の接客の方も、是非お試しに」
「ははは……」
貞吉さんの見送りの言葉に便乗して、お藍さんが流し目を送ってきながら売り込みを掛けてくる。
(プロってのは凄いもんだなぁ……まあ、売れっ子なのに俺が全然なびかないから、プライドを刺激されているだけかもしれないけど)
三大遊郭の一つの古市で三本の指に入るという事は、お藍さんは最低でも全国の十傑であり、コンテストでもあったらトップかもしれないのだ。
そんなお藍さんからすると、自分から誘いをかけているのに俺の反応が鈍いのは、許せない状況なのかもしれない。
(お藍さんは凄い美人だし、お大尽遊びっていうのに憧れもあるけどね……)
憧れはあるが自分的なハードルで飲酒は出来ないし、遊びの作法なんかも知らない。お藍さんの客になるには、まだ色々と経験を積まないと無理だ。
「あの方達はわかっておりますね! 我が主人の偉大さを!」
遊郭が集まっている地域から離れると、紬が笑顔で話しかけてきた。
「どうしてそう思ったの?」
「主人に対する態度が、物凄く丁寧でしたわ!」
「まあ、そうだね」
古市でも特級レベルの店であり、その接客や作法に関しては、おりょうさんと頼華ちゃんが教えてレベルの底上げが行われたからなのだが、その事を紬に話す必要も無いだろう。
「俺もそう思います! あんなにおいしい菓子を出すのは、主人が特別な相手だからに違いありません!」
「ははは……そうだねぇ」
ホットケーキ生地に小豆餡を挟んだ陽鏡は、実は俺の発案なのだが、玄も御満悦なので黙っていた方が良さそうだ。
(確かに、生地も餡の甘さ加減も、良く出来てたな)
生地の味や焼き色や膨らみ具合、餡の滑らかさや甘さなど、貞吉さんや厨房の人達が相当に努力をした事が伺える。
「やはり、わかる者にはわかるのですね!」
「我らの主人だから当然だ!」
「二人共、それくらいにね?」
歩きながら盛り上がる二人を窘め、古市近くを流れる五十鈴川に掛かる橋の下に向けて歩く。
「……大丈夫そうだな」
三条の時と同じく人通りはあるが、橋の下に目を向ける人間はいないようだ。
(次からは代官所の裏じゃなくて、ここを目標にした方が良さそうだな)
代官所の方が位置的に、伊勢の色々な場所へ向かうのには便利なのだが、橋の下の方が人目を避け易い。
「じゃあ京に帰ろうか。二人共しっかり掴まっててね」
「「はい」」
紬を抱えて玄を背負い、京に向けて界渡りを開始した。
「ただいま戻りました」
「「「おかえりなさーい!」」」
ブルムさんと別れてから、伊勢到着からの滞在時間と京への移動時間を含めて一時間程で、俺達は池田屋に戻ってきた。ちびっ子達の賑やかなお迎えを受ける。
ブルムさんとの会談では服を作ったりで時間を掛けたのだが、椿屋さんとは簡潔なやり取りだったからだろう。
「しゅじんー! うどんたべたー!」
「そっかー。おいしかった?」
「うん!」
てててっと近づいてきたお結ちゃんが、俺の脚に抱きつきながら嬉しそうに報告してきた。抱き上げてやると、ギュッと首にしがみついてくる。
「むぅ……」
紬が羨ましそうに見てくるが、年長者としてのプライドなのか、自分もとは言ってきたりしない。
「江戸のうどんも好きだけど、京のうどんはうまいねぇ」
味を思い出しているのか、おりょうさんが微笑みながら呟いた。
「やっぱり違いますか?」
「そうさねぇ。そんなに高くない割には、贅沢に鰹や昆布の出汁を使っててねぇ。良太にたっぷり軍資金を預かったから、しっぽくって、ちょっと豪華なのを頼んじまったよ」
おりょうさんによると、しっぽくは江戸の蕎麦の品書きにもある物で、卵焼きやかまぼこや椎茸などの載ったメニューらしい。具無しのうどんだけと比べると一・五倍くらいの値段なので、まあ豪華と言える。
「ちょいと無駄遣いだったかねぇ?」
「みんなが喜んだのなら、構いませんよ」
そこまで俺の懐を考えてくれなくてもとは思うのだが、おりょうさんのこういう細やかな気遣いは嬉しい。
「あたい達は適当な飯屋に入ったんだけど、悪くは無かったってくらいかなぁ……」
色の薄い塩が主体の味付けの煮物などの食事は、おいしくなかった訳では無さそうだが、黒ちゃんはイマイチ不満そうだ。
「あたいは江戸の料理の方が好きだなぁ……でも一番好きなのは、御主人の料理だけどね!」
江戸の料理は濃い味付けの場合には見た目にも反映しているので、そういうギャップが黒ちゃんの舌を混乱させているのかもしれない。
「あはは。まあまだ京に来て初日だし、あちこち歩けばいい店が見つかるかもしれないね。明日はおりょうさん達の行った、うどん屋にでも行ってみたら?」
黒ちゃんにお褒めに預かるのは嬉しいのだが、一口に京と言っても広いので、当たり外れもあるだろう。
「おう! でも、たまには御主人の御飯も食べさせてね?」
「うん。あ、それで、御飯にも関連する事で、ちょっと話があるから座って。おりょうさんも来て下さい」
「ん? 那古野で何かあったのかい?」
膝に座っていたお糸ちゃんを抱えて、おりょうさんが近づいてきたので、お結ちゃんを抱えたままの俺も腰を下ろした。
「ブルムさんは糸や布に興味を示して下さって、商売にするのに非常に乗り気です」
「そりゃあ、良かったじゃないか」
「ええ。それで、里の方への行商も引き受けて下さったんですが、その拠点にするのに京に移動して店を開くと言うんです」
「ブルムのおっちゃん、京に来るんだ!?」
那古野と京ではかなり距離もあるので驚いたのか、黒ちゃんが目を丸くしている。
「ブルムさんといえば、石鹸も扱ってる商人さんだったねぇ。そんなお人が京にいるなら、頼もしいってもんじゃないか」
「そうですね。それで店の開店の資金を出す代わりに、大きめの建物を借りるか買うかして貰って、間借りさせて頂ける事になりました」
「そ、そりゃあ、京に住む場所が出来るって事かい?」
「ご、御飯に関連してるって、そういう事!?」
おりょうさんと黒ちゃんは、呆れ顔で俺を見ている。
「ブルムさんなら信用出来るし、この子達が少しずつ人間の世の中に慣れるのにいいと思ったんですけど……不味かったですかね?」
二人の反応があまり芳しく感じないので、先走ってしまったのかと思い、言葉を待つ。
「うーん……頼華ちゃんも黒も白も、江戸の大前で慣れてったんだし、悪くは無いかもしれないねぇ」
「そう言って貰えると助かります」
大前の開店準備から落ち着くまでの間は、おりょうさんにはお世話になりっぱなしだったのを思い出す。勿論、今もお世話になっているのだが。
「御主人の御飯が食べられるんなら、あたいは文句無いよ!」
「ははは……」
黒ちゃんの方は、自由に使える厨房があって、そこで俺が料理をするのなら、あまり細かい事には拘りは無いみたいだ。嬉しく思った方が良いのかは、わからないが。
「とりあえずの報告は以上です。あとは夕食の時にでも」
「良太は、まだどっかに出掛けるのかい?」
「ええ。里の周囲に棲んでいる人達に、挨拶……って言っていいのかな?」
里の位置とそこに棲んでいる者達の事を知らしめ、周囲の土地にある物を利用したりする事に関して了承を得る為だ。仁義を通すというのが、ヤクザっぽいが適切な表現かもしれない。
「荒事にならなけりゃいいけどねぇ……」
「そうならない為に、話をしに行くんですけどね」
やり過ぎなければ狭い範囲であれば、周囲にある物を黙って使っても大丈夫なのかもしれないが、後々諍いの種になるくらいなら、仮に争いになったとしても最初に片付けておいた方がいいだろう。
「良太なら、ちっとくらいの荒事は潜り抜けるって信じてるけど……気をつけて行っといで」
「はい。じゃあお結ちゃん、また後でね」
おりょうさんはお糸ちゃんを抱いているので、俺は抱いていたお結ちゃんを黒ちゃんの膝の上に載せた。
「んんー……しゅじんといっしょにいきたいけどー、がまんするー……」
名残惜しそうにお結ちゃんが俺の方に手を伸ばしかけるが、考え直したように引っ込めた右手の指を口に咥えた。
「しっかりお留守番頼むね。じゃあ紬、玄、行くよ」
「「はい」」
お結ちゃんの頭をぽんぽんと軽く撫で付けてから、紬と玄と共に立ち上がった。
「はい、みんな。いってらっしゃい、って」
「「「いってらっしゃーい!」」」
完璧に保母さんになっているおりょうさんの号令で、俺達はちびっ子達に送り出された。
界渡りで里のすぐ近くに移動した俺達は、里の中には入らずに、その場に留まった。
「じゃあ飛ぶから、二人共しっかり掴まっててね。界渡りと違って、少し振り回されると思うから」
「「はい」」
これから紬と玄を連れて、上空から里の周囲を探査するのだが、界渡りの際に軽減されている加速や減速や旋回などの際の慣性が生じるので、油断して手を離したりしないように注意を促した。
「よっ、と」
短く声を発して地面を蹴った俺は、背中に翼を展開して飛翔した。
「俺も探すけど、二人も周囲を良く見てね!」
「「はいっ!」」
それ程風は強くないし速度も出していないのだが、目立たないように着ている外套がバタバタ音を立てるので、自然と怒鳴り合うような会話になってしまっている。
「こういう状況ですと、人の身体になっての視界の狭さを感じますわね……んっ! 広くなりましたわ!」
「つ、紬っ!?」
強く瞑っていた瞼を紬が開くと、驚いた事に眼球の形状が変わっていた。サイコロの四の目のように、黒目が四つあるのだ。
「……それって元の蜘蛛の目なの?」
「それ程自由に動かせませんし、側方や後方の視界は狭まっていますが、それでもかなり広範囲を見渡せるようになりました!」
「そ、そうか……」
紬は可憐な顔立ちをしているので、眼球だけが人外の造りになっているのが、逆に不気味さと凄みを増している。
「成る程! こうか!」
背後の事なので見えないが、どうやら玄も瞳を変化させたみたいだ。
「あっ! 我が主人よ、目を変化させたら、巧妙に隠蔽されている場所があるのを発見しました!」
「えっ!? ど、どこに!?」
「あれか! 俺にもわかったぞ!」
「むぅ……」
紬と玄が指差す方向を見るが、まだ俺には隠蔽されている場所というのがわからない。木々の生い茂る森にしか見えないのだ。
「この真下です!」
紬と玄の誘導で、五百メートル程移動してから静止を命じられた。
「真下……ああ、やっと俺にもわかったよ」
二人のように隠蔽されているのを見つけたのでは無く、目を凝らすと樹冠の下側で、植物や野生動物以外の幾つもの気が動くのがわかったのだ。
「じゃあ降下するけど、地面に降り立つまでは大人しくしててね」
「「はい」」
いきなり中心部に降りると騒ぎになりそうなので、動き回る気の密度の薄い場所を選び、木々の間を縫って降下した。
「それにしても二人共、良く見つけられたね」
地面に降り立った俺は、そっと紬を地面に立たせた。玄も背中から下りた。
「目を変化させましたら、見える物の様子も少し変わったのです」
「見える物が変わった?」
「ええ。木々の緑色が、少し深まって見えたと言えばいいのでしょうか……上手く御説明出来ないのですが」
「俺には、この辺の自然に伸びてる木と、覆い隠すようになっている木の違いがわかるようになりました!」
「うーむ……」
紬の説明は、本人の言っているように良くわからないのだが、玄の説明だと蜘蛛の目を使うと、人が手を加えた箇所がフィルターを通して見たようになるらしい。
(もしかしたら、可視光が人とは違うのかもしれないな)
通常の可視光よりも外側の光を見る事が出来る人は極稀にいるから、蜘蛛の目にも何かそういう違いがあるのかもしれない。
「ん? お迎えかな? 二人共、俺が命じるまでは大人しくしてるんだよ?」
「「はい」」
命じるというのは好きでは無いのだが、下手に動かれて交渉を台無しになるかもしれないので、少し厳し目に言っておいた方がいいだろう。
「……」
(囲まれてるな……五人か)
微かに殺気を放ちながら近づいてきた五人の気配は、いずれも木を遮蔽物に使って、俺達を十メートルくらいの距離で包囲する位置で動きを止めた。中には木の上に陣取っている者もいる。
「俺達はこの近くの集落に棲む者だ。話し合いに来たのであって戦う意志は無い」
「っ!?」
気配を消す術に長けているという自信があったのか、いきなり話し掛けてきた俺に動揺を隠しきれなかったようだ。
「案内をしてくれないのなら、勝手に通るが?」
俺の言葉をはったりだと思っているのか返事が無いので、上空から見えた中心部の方向へ足を踏み出した。
「……待て。戦う意志が無いというのを、信じて良いのだな?」
姿は見えないが応答があった。若い男の声だ。
「そちらが指定する物に誓おう」
宣誓が重んじられる世界なので軽々しくは使えないが、相手の信用を得るのには非常に有効な行為だ。
「……そこまで言うのならいいだろう。付いて来てくれ」
意外にあっさりと受け入れの姿勢を見せた声を出している相手は、木の陰から姿を現した。
服装は農夫っぽいのだが、長い布を顔に巻き付けて覆面にしているという、あからさまに怪しい姿だ。
「「「……」」」
周囲を囲んでいた他の人間達も姿を現したが服装はマチマチで、やはり覆面姿をしている。
先に立って歩いている男に続くが、体型から判断すると女性も一人混じっているようだ。
「……宣誓は?」
「する覚悟があるのなら、それで十分だ」
紬と玄に目配せし、離されないように歩き始めてから問い掛けると、こっちの方に向き直ったりはしないが、明確な答えが返ってきた。
「……」
正対して話をしない相手に、紬が不満そうな顔をしているが、俺の言った事を守って余計な口を出してきたりはしなかった。
「ここで少し待て」
開けた場所まで案内されて、待つように言われた。
「多くの人が住んでいるみたいですね……」
呆然と、紬が呟いた。視界に入る範囲だけでも、二十人程度の人間が動き回っている。
町までは行かないが村くらいの規模はあるようで、横からも上からも巧妙に隠蔽されているこの場所はかなりの広さがあり、目に見えるだけでも幾つもの家屋が建っているのがわかる。
「結構な広さの畑なんかもあるみたいだね」
田んぼは無いようだが、様々な種類の農作物を栽培している畑があるのが見える。
「空を木が覆っているのに、明るいですね」
玄に言われて気が付いたが、木でうまい具合にカモフラージュして真上からは見えなくなっているが、太陽の運行によって変わる日照の角度を考えて、隠蔽に使っている木の枝を巧みに伐採してあるようだ。
「お待たせした。この集落の長の浮橋と申す」
壮年に差し掛かった辺りの年齢と思われる男性が現れ、俺達に向けて頭を下げてきた。
(笑顔だけど、隙が無いな……浮橋というのも、当然のように偽名だろうし)
浮橋と名乗った男性は、一見すると穏やかな笑顔を浮かべているだけなのだが、直立せずにほんの僅かだが膝を曲げ、いつでも動けるように備えている。
「大したもてなしは出来ないが、どうぞこちらへ」
笑みは絶やさないが、浮橋は警戒態勢を解いていないように思える。
「……」
「玄。ダメだよ」
「っ!? は、はい……」
玄も浮橋の動きと気配を察していたようで、普通に歩く動作の中から手を挙げ、糸を放とうとしたところで俺に注意されたので、渋々諦めた。
(まあ、玄の行動も無理はないけどね……)
玄を止めはしたものの、浮橋に先導されて歩く俺達に、農作業をしている者も井戸で水汲みをしている子供も、敵意を込めた視線を送ってくるのだ。
立場が逆なら同じ事をしないとも言えないのだが、見た目には武装もしていない子供連れの人間に対し、ここまで敵意を剥き出しにしてくるのは良くわからない。
「どうぞお上がりを」
平屋だが周囲の家屋と比べると大きな、家というよりは屋敷の玄関を開けて、中に招いてくれている。
「お邪魔します」
「「お邪魔します……」」
不信感を顔に出しながら、紬と玄が俺の後に続く。
六畳程の座敷に通された俺達は、座卓を挟んで浮橋と向かい合わせに座った。俺の右隣には玄、左側隣には紬が着席している。
「どうぞ」
「頂きます」
湯気を立てる茶が出されたので礼を言い、無造作に湯呑を手に取って一口飲んだ。
「……」
「おいしいです。水がいいんですかね?」
浮橋が無言で見守る中、湯呑を置いた。
「お茶を頂いた後になってしまいましたが、この近くの里の代表の、鈴白良太と申します。こちらは……族長の紬に……まとめ役の玄です」
俺が自分と紬と玄の紹介をしてから目配せすると、二人は浮橋に向けて頭を下げた。
紬と玄の役職みたいな物の説明に悩んだが、族長とまとめ役というのは間違ってはいないだろう。
「ではこちらも改めて……この集落の長の浮橋だ」
まだ警戒態勢は解かないが、浮橋もこちらへ向けて頭を下げた。
「宜しければ、お茶請けに如何ですか? 紬と玄にもね」
腕輪から二種類のキャラメルを取り出し、一粒づつを紬と玄に渡し、浮橋にも差し出した。
「……これは?」
「飴みたいな物なんですが、説明が難しいんですよね……原料は牛の乳と砂糖です」
果たして牛乳が原材料に使われていると知って、浮橋が口にするかはわからないが……俺は自分の分も手に取り、口に運んだ。
「まぁぁぁ……伊勢で頂いたお菓子もおいしかったですが、これはまた……我が主人は本当に神なのですか!?」
「そんな大袈裟な……」
朱に染まった頬を押さえる紬は、キャラメルの味にトリップ気味だ。
(まだ里の子達には食べさせてあげて無いけど、今日連れ回してる二人への御褒美という事でいいだろう)
出来るだけ里の子達は公平に扱ってあげたいのだが、ここへは代表として紬と玄を連れてきているので、これくらいは仕方が無いだろう。
「俺はこっちの黒っぽい方が、甘さの中に少し苦味があって好きです!」
玄はチョコレートが混ぜてある、少しビターなキャラメルの方がお気に召したようだ。
「あれ? 玄は苦いからお茶を警戒してたんじゃ無かったっけ?」
「むぐっ!? しゅ、主人の言っていたように、慣れたらおいしく感じ始めまして……」
「ははは。いい事なんだから、照れなくてもいいよ」
お糸ちゃんやお結ちゃんからも感じていたが、少しずつ里の子達にも個性が生まれてきているみたいだ。
「……」
「お口に合いませんでしたか?」
「あ、いや……はぁ。もう、やめだやめだ! お前さん達の勝ちだよ!」
「……は?」
急に浮橋の口調が変わり、頭を掻き毟りながら俺を睨みつけてきた。
「む……」
「玄、ダメだからね? それで浮橋さん、何がやめで、勝ちなんですか?」
浮橋の態度の豹変ぶりに玄が反射的に身構えたが、それを制して浮橋の行動を見守る。
「何って……茶に毒を入れられるとか、考えなかったのか?」
「いえ。全然」
匂いから怪しさは感じなかったし、毒にどういう種類の物があるのかはわからないが、自分や紬達にとって、多少の物なら影響は無いだろうと考えていた。
ただし、そういう手段に訴えて来るのなら、情けを掛けるつもりは無かったが。
「全然って……俺達がどういう相手だかわかってて、そんな態度を取ってるのか?」
「実は、どういう人達なのかは全然知らないんです。御近所さんなので、挨拶にと思っただけなんですが」
「御近所さんって……」
思いっきり呆れているというのは、浮橋の表情から伝わってくる。
「……それで、御近所さんはなんの用で来たんだ?」
「実はですね、これまではひっそりと暮らしていたんですが状況が変わりまして、少し整備する必要などもあるので、山の木や石なんかを使ったりしたいんですが、無断ではと思いまして」
「ふむ……仁義を通しに来たって訳か」
浮橋からも仁義を通すという言葉が出たので、どうやら俺の考え方は間違っていなかったみたいだ。
「それと何も無い場所なんですが、ちょっとした産物があるので、出来れば交易なんかもして頂ければと」
「産物? 子供相手に強く出たくは無いが、野菜とかならここでかなりの種類を作ってるぞ?」
(あれ? 意外といい人?)
口調が荒っぽい割にはこちらが子供だという事で、浮橋は色々と考えを巡らせてくれているようだ。
「むしろその野菜を、差し支えない範囲でこちらへ譲って頂きたいんですよ」
「そりゃ、物によっちゃ構わんが……それで、その産物ってのはなんだ?」
「これです」
紬の織った布を取り出し、浮橋の方へ差し出した。
「こいつは絹か? こんな高級品なんざ、この集落では……な、なんだこれ!? 絹じゃ無い!?」
強度を試そうとしたのか遊びなのかはわからないが、浮橋はかなりの力を込めて布の端を持って引っ張ったのだが、当然のようにビクともしかなった。
「糸や、その布を染色出来るかは試している最中なんですが、様々な長さの糸と、様々な太さに撚った紐、様々な用途の網を、現在は扱っています。これが糸です」
丸く束ねてある一メートル程の長さの糸を、浮橋に差し出した。
「こいつは……細いのになんて強さだ! 力を入れたら糸が切れる前に、こっちの肉に食い込んじまいそうだ」
試してはいないが、おそらくは裁縫用の鋏ではこの糸は切れない。針金を切る金工用のニッパーなどなら或いは、という感じだろう。
「……あー、ちきしょう!」
「ええっ!?」
突然、浮橋が叫び声を上げた。紬と玄が膝立ちになり、警戒態勢を取る。
「悔しいがこいつはいい品だ! 注文をまとめとくから、住んでるところを詳しく説明してくれ」
(いい品だからちくしょうって……わかり易いんだかわかり難いんだか、面倒な性格をしているっぽいなぁ)
浮橋は言いたい事は素直に口に出るようだが、根底では面倒な性格の人間みたいだ。
「わかりました。ちょっと都合がありまして、里にお入れする訳にはいかないんですが……なんならこちらから出向きますけど?」
「こっちの場所はバレちまってるから、仕方ねえか……じゃあそうして貰うかな」
ここも隠れ里みたいな場所なので、浮橋はこちらの状況も同じようなものだろうと察してくれたようだ。
(里の子達は山道は物ともしないだろうけど、荷物が嵩張る事もあるだろうから、その対策は考えないとな……ブルムさんに相談するか)
福袋のような収納と保存の手段が必要そうなので、京で探すかブルムさんに相談した方が良さそうだ。
「ちょっと伺いたいのですが、この集落以外にも、人が棲んでたり活動してたりしますよね?」
浮橋ともそれなりに打ち解けた感じになったので、雑談混じりに里とこの集落以外の勢力の話を持ち出した。
「ん? ああ。近くに炭焼と、陶器を焼いてる職人がいる。あとは山の中で修行しながら、あれこれ採取したり採掘してる連中がいるな」
「採取に採掘ですか?」
「ああ。薬草や鉱物なんかをな」
「ああ、成る程」
採取と採掘をしているという人達が、そういう分野の専門家なのか、それても山岳修行などの傍らに行っているのかはわからいないが、山中での生活のエキスパートなのは間違い無さそうだ。
「炭と陶器はこちらでも必要なんですが、渡りを付けて頂く事は出来ますか?」
炭焼と陶器職人の家は、この集落のように隠蔽などはされていないだろうから、上空から探せばすぐに見つかると思うが、いきなり行くよりは仲介して貰った方が話がスムーズだろう。
「それはいいが、そいつらにもこの布を見せても構わんか?」
「欲しがりそうですか?」
服などは勿論必要だろうけど、炭焼と陶芸に蜘蛛糸の布を、俺には結び付けられない。
「炭焼は窯入れや窯出しの時に口を覆わなけりゃならんからな。陶芸の方では篩を使う」
「ああ、成る程……」
炭塵を吸い込むと肺を傷めるので、炭焼の作業にはマスクが必需品だ。
陶芸では命とも言える土作りに篩を使うが、漁師の網と同じで化学繊維なんて無いので、強靭な糸で作って目の粗さを注文に応じれば、喜ばれるかもしれない。




