紹介状
「わが主人よ! さすがの素晴らしい履き心地でございます!」
「紬……静かにって言うのは、何度目?」
「も、申し訳ございません!」
精神を削りながら作ったパンツなので、喜んでくれるのはこちらとしても苦労が報われるのだが……。
(まあ、何も言って来なかったりよりは、何倍もマシか)
感情表現が乏しかったり、リアクションが少なかったりするよりは、ネガティブな事であっても反応がある方がいい。
「で、でもですね、主人にこう……お尻を持ち上げて頂いているような、そんな履き心地なんです!」
「持ち上げた事なんか無いよね!?」
今度は注意を守って抑え気味の声ではあるが、頬を紅潮させて目を輝かせる紬は、パンツのフィット感に大興奮している。
「む! 主人! 俺のはそんな感じでは無いですよ! 紬と差別ですか!?」
「差別じゃ無くて……紬は女の子で、玄は男の子だろ? そういう差だよ。それとも玄も、女の子の下着が欲しいって言うのか?」
「むぅ……」
玄も紬も発展途上体型とはいえ、お互いの身体構造が異なるのはわかっているので、その点を指摘されると黙るしか無かったみたいだ。
(玄が「それでも紬と同じ物が欲しい!」とか言い出さないで良かった……)
一部の好事家が喜ぶような展開に玄が持って行こうとはしないので、心底ホッとした。
「では鈴白さん。私は今日中に那古野を引き払う為に動きますので、そうですね……一週間以内には京へ出向きます」
「わかりました」
こちらとしてはありがたい話だが、ブルムさんは随分とフットワークが軽い。
(売掛とかもありそうな気もするんだけど……そこはこっちが口を出す問題じゃ無いか)
売り手と買い手の信用で、その場で現金ではない取引をする事は良くあるのだが、回収出来なければ儲けにはならない。
しかし神仏などに誓って契約を交わせば、踏み倒したりするとあぶく銭以上の物を失う事もある世界なので、その辺をブルムさんのような遍歴の商人が、抑えていないという事は無いだろう。
「京では三条近くの池田屋という宿に泊まっていますので、もしも俺がいなくてもわかるように話を通しておきます」
里の整備や観光などで全員が出払っている可能性はあるが、宿の方に話を通しておけば、最悪でも伝言のやり取りは出来るだろう。
「わかりました。それでですね、里という場所へ行商するのに、私自身が仮宿住まいだと支障が出そうなので、京に店舗と住まいを得ようかと考えております」
「京で店開きですか? ここのような露店では無く?」
「ええ」
考えてみれば、里から発注する食料品や日用品はそれなりの量になるので、一時保管をするにも宿では難しそうだ。
「店を開いて人を雇ってしまえば、私の不在中でも商品を流通させられますしね」
ある程度は専門的なスキルも必要そうだが、人を雇う時にも契約をしっかりしておけば、留守中に悪さをされる事も無いのだろう。
「ブルムさん、良かったらその新しく開くお店に、出資させて頂けませんか?」
「出資、ですか?」
「ええ。その代り、少し想定よりも大きな建物を、買うか借りるかして欲しいんです」
既に里の方から玄や紬、ちびっ子達の約半数を京に連れ出しているのだが、ブルムさんに出資する事によって、広めの店舗兼住居を確保して貰い、そこを間借りしようと考えた。
幸いな事に、使い切っても惜しくないあぶく銭があるので、ブルムさんと里の子達の為に投資してしまえばいい。
「それでしたら、鈴白さんが御自身で商売を始めれば宜しいのでは?」
「うーん……店を開くというくらいですから、ブルムさんは京での商売の実績があるんですよね?」
「それは、そうですね」
「俺は下働きをした程度しか、商売の経験がありません。おまけに場所が京となると……」
「成る程。そうですね……」
現代とは違うのかもしれないが、京では元々住んでいた者と新参者とでは、明確に態度に差が出る土地柄だと聞いている。
そういう土地で流れ者の自分が家を借りたり、商売を始めようとしたら、様々な軋轢が生じるだろう。
京で無くてもそういう事は起こり得るのだが、ここまで一緒に旅をしてきた一行はともかく、里の者達は紬や玄を筆頭に、俺が軽んじられたりする場面に遭遇したら、何をしでかすかわからない。
「これを、開店と仕入れの足しに使って下さい。商売人では無いので、このくらいの額が、多いのか少ないのかはわからないのですが……」
俺は金貨十枚を五枚ずつ二列に重ねて座卓の上載せ、ブルムさんの方へ押し出した。
「これは……大きな店を構える必要が出来てしまいましたなぁ」
こっちに返すような事はしないで、ブルムさんは金貨を懐へ仕舞った。
「そ、そうですか?」
現代のように敷金、礼金なんかがあるのかも不明なので、金貨十枚というのが出店費用を賄える程なのかは、俺には本当にわからない。
「このお金は、里の方達の為に使う予定だったのですよね?」
「まあ、そうですね」
糸や布の交易が軌道に乗って、ブルムさんの定期的な訪問で物資の入手の体制が整うまでは、自分で動いて必要な物の調達も行うつもりではあった。
「これだけ頂けるのでしたら、私が相手の取引では、向こう一年間は支払いの必要はありません」
「えっ!?」
ブルムさんが悪辣なやり方をするとか疑ったりはしていないが、まだ商取引どころか、里の者達は四則演算も出来ないと思うので、頻繁に金銭のやり取りが行われないのは助かる。
「でも開店準備で、ある程度は無くなってしまうのでは……」
「鈴白さん、私も商売人ですよ? 人情だけに流されたりはしませんし、里の産物に勝算も感じているんです」
「ならいいですが……」
考えてみれば、ブルムさんにとって見知った顔というのは、当たり前だが俺だけには限らないので、多少着心地のいい服を提供したからといって、商売っ気を無くしたりするはずが無い。
「あ。これ、伊勢の椿屋さんという店の御主人からの紹介状みたいな物なんですが、もしかして京での出店の役に立ちますか?」
伊勢を発つ際に椿屋さんが、商売をする上での信用を得るための紹介状のような物を持たせてくれていたのを思い出して、ブルムさんに見て貰った。
「ふむ……椿屋といえば伊勢古市の大店。京から着物や化粧品なんかを納めている商人もいるでしょう」
(そういえば、ブルムさんには機会があったら、代官所と椿屋さんには行って欲しいと頼んであったんだっけ)
代官所の朔夜様と、椿屋で働いている女性達は石鹸が大層御気に召しているので、定期的に購入したいと考えているのだった。
「土地家屋を扱っている人間に対しての信用に、十分なると思います。鈴白さん、いよいよ御自分で出店された方がいいのでは?」
「いや、店舗を買ったり借りたりは出来るかもしれませんが、何をするにしても仕入れのあてが無いですよ……」
見習いなどの修行の際に、自分を雇っている店や店主の信用で取引をしている出入りの商人と、自分が店を開く際の仕入れの顔繋ぎなどもするので、資金だけがあってもそういう取引先を知っていなければ、一から商売を始めるのは難しい。
「図々しく、ブルムさんが開く店に曲がりさせて頂こうと考えてますから、役に立つかはわかりませんけど、お手伝いはさせて頂きますよ」
「ははは。ではせいぜい、こき使わせて貰うとしましょう」
本当にこき使う人はこんな事は言わない。その証拠にブルムさんは目を細めている。
「では、京で再会しましょう。その時までに、染まるかどうかも検証しておきますので」
甘味処を出ると、そう言いながらブルムさんが手を差し出してきた。
「宜しくお願いします。では京の池田屋で」
俺は笑顔で手を握り返した。
「さてと……ちょっと寄り道してから京へ戻ろうか」
ブルムさんの背中を見送りながら、紬と玄に向けて呟いた。
「寄り道って、どこへですか?」
「伊勢の古市ってところだよ」
書状を使う事を、椿屋さんに報告しておこうと考えた。必要無いと思うのだが帰り道だし、糸と布を見せて、その感想も聞きたい。
「……」
「紬?」
玄は反応を示したが、紬は腰の辺りを撫でさすりながら、ニヘラ、と、気味の悪い笑いを浮かべている。
「はっ!? す、すいません! 新たな下着の履き心地に酔いしれておりました!」
「むぅ……」
紬の言い訳に、玄が面白く無さそうな顔をする。
(玄。頼むから履きたいとか言い出すなよ……)
まだ幼く、格好によっては女の子にも見えるかもしれない玄が女性物のパンツを履いたら、似合ってしまいそうなのが恐ろしいのだ。
「……別に従来の物でも差し支えは無いのだから、あまり態度が目に余るなら、履くのを禁止する」
「ええっ!? ご、後生ですからそれだけはっ!」
瞳をうるうるさせながら、紬が俺に縋り付く。
「普通にしてれば、取り上げたりしないから」
「はいっ! お言いつけを守ります!」
(傍から見れば、完璧に俺が悪者だよなぁ……)
幼い美少女の履いているパンツを取り上げようとする男……どう考えても外聞が悪過ぎる。
「ここが伊勢ですか……」
「ここも人が多いですねぇ……」
那古野から界渡りで移動した俺達は、伊勢神宮の内宮近くの代官所の裏に、人気の無いのを確認してからこちらの世界へ復帰した
通りを歩く参拝客の多さに、紬と玄が溜め息混じりに呟く。
「人は多いけど、ここに住んでる人はそれ程多くは無いんだよ」
「そうなのですか?」
「うん。全国から巡礼に来ている人達なんだ」
「そうですか。全国から」
巡礼とか言っても通じているのかはわからないが、紬は小さく頷いた。
「ここから少し歩くけど、外套をしっかり着てね」
「「はい」」
花街である古市にいきなり界渡りで移動するのは気が引けたので、目標地点を代官所にしたのだが、世話になった役人の松永様になら、見つかってもそれ程問題は無い。
しかし、俺に好意を寄せてくれている代官の朔夜様に遭遇すると引き止められそうなので、出来るだけ目立ちたく無い。
「すいません、お邪魔します」
「こ、これは、親方じゃないですか!」
外套のフードを脱ぎながら裏口から椿屋を訪ねると、厨房を預かる貞吉さんが気づいてくれた。
「お久しぶり……って程でも無いですね」
「そうですなぁ……お元気そうで何よりです。他の皆さんは?」
「ええ。元気ですよ」
「「「親方、おかえりなさい!」」」
(帰ってきた訳じゃ無いんだけど……それでもこういう風に迎えて貰えると、嬉しいもんだな)
訊いてきた貞吉さんも、他の厨房で働いている人達も元気そうだ。
「ところで今日はどうしたんですか?」
「ちょっと椿屋さんに相談がありまして。いらっしゃいますか?」
「ええ、帳場です。さ、どうぞ」
厨房の責任者の貞吉さんが、率先して俺達を中へ案内してくれるが、大丈夫なんだろうかと思ってしまう。
「まさかと思いますが連れてる子達を、ここで働かせたいってんですか?」
「ち、違いますよ!」
貞吉さんに誤解されてしまったが、身贔屓を無しにしても紬は容姿端麗だし、外見年齢的には古市で働いていてもおかしいとは言えないので、そう思われても仕方が無いのかもしれない。
(紬の妓女姿か……似合いそうではあるな)
黒ちゃんと白ちゃんが妓女達に遊ばれて、風呂上がりに着物や化粧で飾られた姿を思い出した。
「旦那、鈴白の親方がお見えですよ!」
「こ、これは鈴白様! ようこそお出で下さいました! 今日は当店を御利用で?」
「違います……」
誤解をされないように裏口から訪ねたのに、椿屋さんに勘繰られてしまった。
「今日は相談というか、商談です」
「ほほぅ……詳しくは奥で伺いましょう。誰かお茶とお持ちして下さい」
「畏まりました」
一礼して下がっていく貞吉さんと別れ、椿屋さんの案内で応接室へ向かった。
「失礼致します。御無沙汰しております、鈴白様」
「お藍さんも、お元気そうで。こんな事をしていいんですか?」
椿屋というか、古市でも指折りの妓女であるお藍さんが、わざわざお茶を運んできてくれた。
多少は関わりがあるが、多分一見では顔も見る事が出来ないランクの妓女であるお藍さんが、こういう事をするのは非常に珍しい事だろう。
「鈴白様と、そのお連れ様という事でしたら話は別です。ね、お父さん?」
実に優雅な所作で、お藍さんが俺達の前に茶器と茶請けの皿を並べていく。
茶請けはこの椿屋で編み出された、ホットケーキの生地で小豆餡を挟んだ陽鏡だ。
「それはもう。大恩ある御方ですからな。だがお藍、残念ながらお客様としてお見えになったのでは無いそうだよ」
「まあ……でも、お待ちしておりますわ」
「ははは……」
心底残念そうに、お藍さんが俺を見つめる。
椿屋さんもお藍さんも、俺のささやかな手伝いに対しての恩返しが、客としてもてなす事だと思っているみたいなので、その点だけは参ってしまう。
(料理でのおもてなしなら、幾らでも受けたいんだけどな……それだけで終わらなそうだけど)
貞吉さんや厨房全体の技術の向上具合を見たいので、一通り料理を試してみたいとは思うのだが、なし崩しに色々とセッティングされてしまいそうなので、怖くて踏み切れないのだ。
「お藍さんもお見えになったのは、丁度いいと言えば丁度いいのかな……この布を見て頂けますか」
俺の個人的な考えの部分は一時棚上げし、里の産物になる蜘蛛糸の布を取り出して、椿屋さんとお藍さんの方へと差し出した。
「これは……絹と似ていますが、少し違うような」
「わぁ……なんて滑らかな肌触りでしょう。鈴白様、これの反物とかあるのでしょうか?」
椿屋さんも間違い無く興味を持ってくれているが、女性であるお藍さんの方が、食いつきは強いみたいだ。
「あるんですが、まだ染めが綺麗に出来るか検証中でして」
「そうですか。気持ちの良い肌触りですから、これで襦袢や着物を仕立てたら着心地が良さそうです」
「実は、この子達が着ているのが、同じ素材で仕立てた物です」
「「えっ!?」」
椿屋さんとお藍さんの、驚きの声が重なった。
「ですが、まだ染めの検証中だと……」
こちらの方で検証中だと先に言ったのだから、椿屋さんが怪訝な表情をするのは当たり前だ。
「この子達が着ているのは染め物では無く、色を付けた糸で織り上げた物です」
「な、なんと!? もう少し近くで見せて頂いても?」
「構いませんよ。紬、玄。近くでお見せして」
「「はい」」
少し茶請けに未練がありそうだが、二人共俺の言う事を聞いて、立ち上がって椿屋さん達の方へ近づいた。
「……着物にばかり目が行っていましたけど、この子達凄く可愛い、というより綺麗。鈴白様のお身内ですか?」
「違います。似てませんよね?」
「「……」」
俺が否定すると、紬と玄が悲しそうな顔をした。
(そ、そんな顔されても……似てないけど身内だとでも、言っておいた方が良かったか?)
紬と玄の、幼いながらも整っている容貌は、俺よりは頼華ちゃんの方に近い。なので似ているとはとても言えないのだが……。
「な、なんですかこの着物は!? 縫い目かと思ったら、これは織り目!? い、いや、それも違う!?」
「ちょ!? 袂が凄く軽い!? この布で仕立てればこうなるのかもしれないけど、それにしたって……」
実用的な面から素材と着物を検証していたブルムさんとは違って、椿屋さんとお藍さんは、仕立てや着付けなんかの方向から見ているようだ。
「あの、一応は見本としてお見せしたんですが、その布と着物は特注品になってしまいそうなんです」
強度の弱い糸と布が染まったら、サンプルの方も試してみるつもりだが、多分染まらないだろうと考えている。
仮に染められるとしたら、かなり特殊な染料が必要になるだろうと思われるが、そうなると俺が色付きの糸で作る方が手軽になってしまうかもしれない。
「こ、これなら多少高くても、買いますとも!」
「そ、そんなに買いたいですか?」
どういう訳か、椿屋さんが必死の形相だ。
「あの、良ければ理由を訊かせて頂けますか?」
「簡単ですよ。絹と同じかそれ以上に良い素材なのに、この布が丈夫だからです」
「えっ? それだけですか?」
こっちの世界には無いのだが、椿屋さんの言う通りならば、シルクと化繊が同じ扱いという事になってしまう。
「お父さんの言葉を補足させて頂きますが、正絹の着物は本当のお得意様用に、年に数度だけ着てお相手をするのですが、高価な上に扱いに困るのです」
「それはまあ、そうでしょうね」
着付けの仕方で力が掛かりやすい場所は摩擦で傷む。どれだけ大事に扱って、とっておきの機会にだけ使ったとしても、寿命は決して長くないのだ。
おまけにクリーニングなんかの技術も発達していないだろうから、手入れの面でも大変だろう。
「それにこの布、肌に長く触れていても蒸れた感じがしませんから、肌触りからは密な織りに思えますけど、着ていて汗を気にしないでも良さそうに思えます」
場合によっては物凄く重装備になるお藍さんが言うと、着心地に関してのコメントはかなり実感が籠もっている。
「あの……そのお得意様用の着物というのの値段を、差支えがなければ教えて頂けますか?」
当たり前だが、そこら辺の店で売っている一般的な仕立ての着物の値段しか、俺は知らないでいた。
(ある程度はブルムさんに頼るにしても、これはちょっと不勉強だよな……)
糸や布で商売をとか考えているのに、最低限のデータを調べていないのはダメ過ぎだ。
「別に隠す事でもございませんので……仕立て込みで、金貨二枚というところですね」
「金貨二枚!」
スーツなんかもオーダーメードならば百万超えはあると聞くが、どちらにしても衣類にそれだけ掛けるというのは、俺の理解の範囲を超えている。
「使われている生糸や柄の指定、仕立てまでを含めた価格ですが、その気になればどこまででも金を掛ける事が出来ますので、金貨二枚でも最高額という訳ではございません」
「そういう物だというのはわかりますけど……」
有名ブランドのオートクチュールなんかは、桁がもう一つ違うとも聞いた事がある。
「仮に、ですが。今お手持ちのお得意様用の着物が、その布と同じ素材になったとしたら、お買い上げ下さいますか?」
「そ、それはどういう事ですか!?」
「実は作る人間に、柄などを考える才能が無いのですけど、今ある柄で着物を仕立てる事は出来るんです」
自分で言っていて悲しくなってくるが、事実は曲げようが無い。
「それは勿論、買わせて頂きます。年に何度も着ないと申しましても、長く使えるに越した事はありませんから」
「金貨一枚とかでも、ですか?」
元の着物が金貨二枚なので、寿命が伸びるが同じ柄の着物に、更に金貨を一枚出す気があるのかを、椿屋さんに確認した。
「ええ。不思議な素材ですが、風合いは絹に負けておりません。間違い無く買わせて頂きます」
椿屋さんは、きっぱりと言い切った。
「そうですか……では、暫くの間着ないお得意様用の着物というのを、預からせて頂けませんか?」
「えっ!? そ、それは、お藍以外の分もですか?」
「ええ」
ビジネスパートナーになるブルムさんには目の前で見せたが、椿屋さんには作り手が俺や紬達であるという事は明かす事は出来ない。
「お得意様用の特別な物と申しましても、十点程はございますが」
「差し支えが無ければ。それと、着物に合わせる襦袢や帯もですけど、信用して頂けるのなら、預けて下さい」
売り払えば一財産になるだろうから、断られたとしても仕方が無い。
「今更、鈴白様を御相手に信用などと……わかりました、お預け致します。少々お待ち下さい」
椿屋さんとお藍さんが、着物を取りに退出したので、開放された紬と玄は席に戻った。
「二人共悪かったね、さ、お茶とお菓子を頂こうか」
「「はい」」
心配する程不満な感じでも無い紬と玄は、嬉しそうにお茶と茶請けに手を付けた。
「あんまぁーい……さっきのぜんざいというのもおいしかったですけど、これもおいしいです!」
陽鏡を一口頬張って、紬が表情と共に口調までを蕩けさせた。
「そっか。今度俺も何か作ってあげるよ」
普通の食事も紬はおいしそうに食べてくれているが、やはりスイーツは別なようだ。
「宿でもさっきの食事の時でも、このお茶っていうのが出ましたけど、害は無いんですよね?」
「ん? どうして害があるとか思うんだ?」
言われてみれば、玄だけで無く里の子達は、お茶に手を付けていなかった気がする。
「少し舐めてみましたけど、苦いので……」
「あー……苦いけどこれは大丈夫だから。慣れるとうまいんだよ」
苦い物は毒だと野生動物は認識するので、積極的に摂取しようとするのは人間だけだと、どっかで聞いた事があるのを思い出した。
飼育されている動物などは人に勧められる事によって、慣れてくるとお茶も酒も飲む事がある。
「まあ多少の毒なら効きませんけど。獲物には毒を持っていた奴もいましたし」
「いや。そういうのと比較されてもね……」
特定の獲物を狙う種もいるようだが、殆どの蜘蛛は張れる大きさの巣に掛かった獲物に、消化液を送り込んで摂取するので、中には毒を持った獲物もいたのだろう。
「おいしいかどうかは別として、俺が特に食べるなって言う物以外は、毒は入っていないと思っていいから」
「「わかりました!」」
紬も玄も、ここまで言ってやっと安心したようで、お茶の淹れてある湯呑にも手を伸ばした。
「ん……苦い、ですけど、あまり後を引かないで、口の中がさっぱりしますね」
「俺はあんまり好きじゃないなぁ……」
紬はお茶の味を気に入ったようだが、玄には合わなかったようだ。この辺は純粋に好き嫌いの問題だろう。
(ちびっ子達の中にもお茶が苦手な子がいるかな……麦湯用の大麦でも買っておこうかな)
焙煎した大麦で淹れる麦湯にも苦味はあるが、お茶よりはマイルドだ。
「鈴白様。お待たせ致しました」
椿屋さんを先頭に、お藍さんと下働きの少女二人が、着物が包まれているらしい布の包みを抱えて入ってきた。
「草履などの履き物以外、一揃いずつお持ち致しました。全部で十二点ございます」
「確かに、お預かりします」
丁寧に並べられた包みを、一つずつ腕輪に収納する。
「幾日程お待ちすれば宜しいでしょうか?」
「そうですね……二週間程度を見て頂けますか?」
「に、二週間っ!?」
「え……」
(も、もしかして、預かり期間が長過ぎるのかな?)
お藍さんがとっておきの着物を着て接客する機会が、どれくらいの頻度であるのかはわからないが、もしかしたら二週間後くらいにそういう場があるのかもしれない。
「そ、そんなに短い期間で、織物から仕立てまでが出来るものなのでございますか!?」
「えーっと……」
椿屋さんの驚きは俺の考えとは逆で、出来上がりまでが短過ぎるという事だったようだ。
「あのですね……その期間の短さまで含めて、当分は内密にお願いしたいのですが」
俺が不眠不休で作業をするのは構わないのだが、最終的には里の者達だけで注文をこなして貰わなければならないので、上達する為の期間が必要だ。
「そ、それはまだどうしてでございますか!? 質を考えれば格安で、短期間に仕立てられるのでしたら、注文は殺到しますよ?」
椿屋さんも商売人なので、儲かるのにわざわざ注文を絞るという、俺の考えが理解出来ないようだ。
「まだ不慣れなのと、質かられば安いとは言え、それなりに高価な物ですから、出来上がってから評価して頂かないと」
「む。それは確かに……」
紬と玄の着ている物が質が高くても、依頼されて納品される物が同じだけの質をしているとは限らないのだ。
椿屋さんも少し気が急いていた事を自覚したのだろう。俺の言葉を納得してくれたようだ。
「今回は俺から訪問した事ですし、お世話になっている椿屋さんがお相手なので、こういう受け方になりましたが、今後は京に窓口になる店が開かれますから、そこを通して欲しいんです」
「京に店ですか? それは鈴白様が?」
「いえ。那古野でお世話になったブルムさんという方が店を開きますので、そちらで扱って頂きます」
「ブルム様と申されますと、鈴白様が色々と仕入れてこられた、珍しい食材や石鹸などを扱っている方でしたか?」
「覚えていらっしゃいましたか? ええ。そのブルムさんです」
咖喱の具材用の野菜、特に赤茄子などの珍しい食材と、店の女性を中心に好評だった石鹸を扱っているブルムさんの事は、椿屋さんも印象に残っていたようだ。
「それで、ブルムさんが京で店を開くのに、椿屋さんから頂いた書状を使わせて頂きたいんですが」
「勿論、構いませんよ。でしたらその店が開いたら、遅かれ早かれ私の耳に情報が届くという事ですね」
電話など無いので時間差はあっても、書状の確認みたいな事で椿屋さんに連絡が入るのだろう。
「わかりました。那古野の方が近いので便利なのですが、それは言っても仕方が無いですね……」
江戸から来た自分達からすると、伊勢から京都も十分近いのだが、自動車も鉄道も無いので、椿屋さんがぼやくのも無理はないだろう。




