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パンツ

「紬にはこの赤いのも似合いそうだな……おお! 玄は袴姿もいいじゃないか!」


 目についた服を扱っている店で、俺は紬と玄に次々と試着をさせていた。


「しゅ、主人。私は最初に見た物でいいですので……」

「そ、そんなに何種類も服が必要なのですか!?」


 おりょうさんと買い物をした時のように、妙なスイッチが入ってしまっている俺も悪いとは思うのだが、遠慮なのか面倒なのかは定かでは無いが、自分の着る物だというのに二人共消極姿勢である。


「紬が最初に見たのも買うとして……全部で三着くらいと寝間着だな。肌着は念の為に多めに」

「「ええ……」」


 紬も玄も、絶望的な表情をしながら俺を見る。


(それでも、最初の一着以外は真面目に選ぼうとするんだよな)


 端から三種類とかいう選び方をしない点から、二人の生真面目さと俺への忠誠みたいな物が伺える。


「玄の質問への答えだが、見た目で判断してはいけないというのは、おりょうさんを相手にしたお前が、一番良くわかっているだろう?」


 紬にこれからの時期に良さそうな麻の着物を渡し、玄には少し薄い藍に染めてある袴を渡す。


「っ! は、はい……」


 おそらくは俺の連れの中で一番弱いと玄が思っていたおりょうさんに、手も足も出ずに敗退した記憶が蘇ったらしい。顔が羞恥の色に染まっている。


「そこを逆にすると、どうなる?」

「……あっ! 相手を油断させられるのですね!?」

「正解。紬は賢いな」

「そ、そんな……」


 玄とは違う意味で頬を染める紬に、顔の色よりも少し濃い朱色の着物を合わせてみる。


(あまり大きな声では言えないけど、人間らしい格好で街に溶け込んでいれば、お前達が蜘蛛の能力を使えるとは思わないだろう?)


 紬と玄に耳打ちをする。


(な、成る程! 油断させて、確実に倒すんですね!)

(さすがは主人です! なんという狡猾な……)

(狡猾って、褒め言葉じゃないよね……)


 紬が狡猾なんて言葉を知っていたのが意外だったが、どうやら二人に見た目の重要性を教える事には成功したようだ。



 買い物を済ませて、目についた那古野の湯屋に三人で入った。半端な時間帯なので、ほぼ貸切状態だ。


「……主人のそれは、他の人間の物とは違いますね?」

「ん? ああ、これは……ちょ、ちょっとね!」


 玄が小声で言う他とちょっと違う物というのは、入浴を終えて着替えている利用客の締めている褌と、俺の着けているトランクスタイプのパンツの事だ。


「主人がこれをと言うので着けていましたが、俺も主人と同じ物がいいです!」

「そ、それを言うなら、私も同じ物がいいです!」

「ふ、二人共わかったから、先に風呂に入ろうね!?」

「?」


 なんの騒ぎかと、着替えの途中の男性が振り返るが、俺が曖昧な笑顔で会釈をすると、じゃれ合う兄弟にでも見えたのか、小さく頷きながら微笑んだ。


「俺達だけになったからいいけど、他の人がいる場所では、あんまり騒がしくしちゃダメだよ?」

「それも街に溶け込む手段ですね!」

「参考になります!」

「だから、騒いじゃダメなんだってば……」


 小さく溜め息を付きながら、二人の背中を押して洗い場に向けて歩いた。



「はぁぁ……こう、全身を温めるというのは初めての体験です」

「中々、気持ちがいいものですね……」


 他に客がいなかったので、石鹸で紬と玄の身体と頭を洗ってから、伸び伸びと湯船に浸かった。


 風呂が初体験の紬も玄も、どうやら気に入ってくれたようだ。


「この風呂を、出来れば里にも設置したいんだけどね」

「まあ! それはなんて素晴らしいお考え!」


 俺の想像以上に風呂が気に入っているのか、紬の食いつきが凄い。


「でも、こういう風に木で作るのは大変なんだよね。あまり里に人を入れるのもなぁ……」

「それは……そうでございますね」


 現実的な問題を俺が口にすると、紬が項垂れてしまった。


(掘っ立て小屋程度なら俺にもなんとか出来るけど、強度が必要な湯船を木で作るとなるとなぁ……)


 里で利用すると考えれば、浴槽も相当な大きさにしなければならない。全員一度にとまでは言わないが、それでも五、六人が一度に浸かれるくらいの広さは必要だろう。


 そうなると必然的に容積と共に湯量が増し、それだけの強度に耐えられる浴槽を作らなければならないのだ。


(アイドルのバラエティーでは、派手に浴槽が壊れてたっけなぁ……)


 アイドルグループが放棄されていた村を開拓するテレビ番組で、見晴らしの良い場所に設置した浴槽が湯の量に強度が耐えきれずに、入浴中に崩壊したシーンが鮮明に思い出された。


「あの、水場と同じように、岩を穿って利用する事は出来ないのですか?」

「それは出来なくも……ああ、その手があったか」


 多分玄は湯と水の違いはあるが、風呂を湯が溜めてあるだけの物だという単純な認識をしたので、こういう考えが浮かんだのだろう。


(利用出来るような大きな岩があれば使えばいいし、もしも無ければ穴を掘って、シート状にした蜘蛛糸の布を敷いただけでも、なんとかなるか……)


 織りを密にした蜘蛛糸の布が水を弾くというのは、トイレを設置した時点で実証済みである。


(洗い場や脱衣所は、ゲルの要領で作ればいいし……これはいけそうだ!)


 ゲルで建てた家と同じように、出来る手段を用いて簡単にという方向で考えればいいのに、いつの間にか本格的な建築をしなければと思い込んでいたので行き詰まったのだった。


「偉いぞ玄! 良く思いついたな!」


 仮に大工を里に招き入れたとしても、設計、施工から完成までにも多大な日数が必要になるから、正攻法での建造物の設置は最初から無理があったのだ。


 しかし玄のアイディアなら、短期間どころか極端な話、一日でも設置が可能だ。


「あ、ありがとうございます!」

「むぅ……」


 俺が玄を褒めながら頭を撫でると、紬が面白く無さそうな顔をした。



「ブルムさん、お待たせしました!」


 買い物にそれなりに時間が掛かったので、二人を丹念に洗って湯屋を出たら、ブルムさんとの待ち合わせにギリギリになってしまった。


「いえいえ。丁度今、商品を仕舞い終わったところですよ」


 目を細めるブルムさんは、俺達を咎めるような事はしなかった。


「さて、昼は何を食べましょうか?」

「相変わらず那古野は不案内なので、出来ればブルムさんにお任せしたいのですが」

「ふむ……さすがにこの間と同じ店では、芸が無いですかな?」


 ブルムさんが言っているのは、黒ちゃんと白ちゃんと一緒に食事をした鍵前という鶏鍋の店の事だろう。


「俺は久しぶりなので、あの店でも構いませんが」


 鍵前の鶏鍋は絶品という訳では無いのだが、飽きがこないで幾らでも食べられそうな味わいがある。


「では店選びに時間を掛けずに、行きましょうか」


 以前と同じように、両隣の露店主に会釈したブルムさんの先導で、俺達は熱田神宮方面にある鍵前へと向かった。



「では、頂きます」

「「「頂きます」」」


 もう何度目かになるので、紬も玄も俺が言い聞かせなくても、食事の挨拶をするようになっていた。


「あっつ……主人、とてもおいしいです!」


 初対面のブルムさんが同席しているが、特に警戒心などは抱いていないようで、出汁で炊いた鶏鍋を味わった紬は、無邪気な笑顔になった。


「同じ鶏でも、随分味が変わるんだな……」


 続いて運ばれてきた、塩での味付け以外は鶏鍋と内容が同じ味噌味の鍋に、玄が不思議そうな表情をする。


 食べた反応はそれぞれだが、紬も玄も鶏鍋の味は気に入ってくれたようだ。


「長い目で見たら、鶏も里で飼いたいよなぁ……」


 最後に運ばれてきた鶏のすき焼きを、溶き卵につけて口に運んだ後で、自然と独り言を漏らしてしまった。


 そんなに頻繁に肉にする為に潰す訳にはいかないが、卵を手に入れるのに雌鶏を買って飼育するというのは、前向きに考えてもいいだろう。


「鈴白さん、里と言いますのは?」


 紬と玄の小鉢に、肉や野菜や豆腐を盛ってくれながら、ブルムさんが俺の呟きに反応した。


「この子達の住まいのある場所なんですが……さっき言った商談にも関係がありますので、後程詳しく話します」

「わかりました。では、今は食事に集中しましょうか」

「あ、これはすいません……」


 ブルムさんが俺の小鉢にまで肉を盛ってくれたので、恐縮して頭を下げた。



「こ、この黒い物はなんなのですか!? それに何やらドロリと……」

「匂いは甘い感じだけど……」

「……」


 ここも前回と同じく食後に入った甘味処で、椀の中のぜんざいを前にしての紬と玄の反応に、俺は笑いを噛み殺すのに必死だった。


「な、なんで主人は笑っておりますの!? きっと、玄が何かをしでかしたに違いありませんわ!」


 完璧な断罪口調で、紬が玄を指差す。


「な!? お、俺は何もしてないぞ!」


 濡れ衣なのだが、玄はここまでの自分の行動に後ろめたい物があるので、紬の言葉を完全否定出来ないでいる。


「はいはい、二人共。人がいる場所では静かにって、言ってあったよね?」

「「うっ! はい……」」


 俺が笑ったのが騒がしくなったきっかけではあるのだが、これ以上二人がヒートアップしないように注意した。


「すいません、騒がしくしまして……」

「いえいえ。先日のお嬢さん達も可愛かったですが、この子達も将来が楽しみな感じですなぁ」


 ブルムさんから見ても、紬と玄の容姿は整っているようだ。


「では商談の前に、この子達の事から……先ずは二人共、ブルムさんへ自己紹介を」

「は、はじめまして! 紬と申します」

「はじめまして。玄です」


 湯屋で何度か練習させていたので、紬も玄もブルムさんに、ちゃんと頭を下げながら挨拶が出来た。


「どうも。鈴白さんとは何度か商売をさせて頂いている、行商人のブルムと申します」


 見た目が年下の紬と玄に対しても、ブルムさんは丁寧に頭を下げて対応してくれた。


「それでですね……実はこの子達も、この間の黒ちゃんと白ちゃんと同じく、人では無いんです」


 少し前かがみになり、小声でブルムさんへ伝えた。


「そう、ですか……黒さんと白さんの件もありますから、信じられませんけど本当なんでしょうなぁ」


 全面的に信じている訳では無さそうだが、黒ちゃんと白ちゃんという前例があるので、ブルムさんは否定の姿勢は見せなかった。


「この子達は京辺りの伝承に出てくる、蜘蛛の末裔なんです」

「蜘蛛、ですか……」


 目の前の玄と紬と、頭の中のに思い浮かべた蜘蛛の姿を、ブルムさんは比較しているみたいだ。


「それで……これは蜘蛛の糸で作った布なんですが、俺は重要な産物になると思っているんです。ブルムさんの意見を伺えませんか?」


 俺は紬が織った蜘蛛糸の布を、ブルムさんに差し出した。


「あ、二人共、食べてていいよ。見た目で用心しなくても、おいしいからね」

「「はい。頂きます」」


 俺が許可を出したので、紬と玄は箸を持ってぜんぜいに手を付けた。


「む……肌触りもいいし、織りも密だ。これは糸自体が強く滑らかなのだな……鈴白さん、もしやこの糸は?」

「わかりましたか? 蜘蛛の糸です」

「むぅ……」


 布を眺めながら、ブルムさんが唸った。


「これは標準的な織りの布なんですが、お気づきかもしれませんけど、ちょっと丈夫過ぎるんです」

「丈夫過ぎる? ああ! これでは加工が難しい!」


 どうやらブルムさんも、この布の利点と欠点に気が付いたようだ。


「それでですね、強度を落とした糸が染められるかを知りたいので、ブルムさんの知り合いに染め物の職人でもいればというのが、最初の相談です。これが現物になります」


 強度を落とした糸と、粗目に織った布のサンプルをブルムさんに手渡した。


「成る程……幾ら良い布でも白一色で、しかも裁断も縫製も出来ないのでは、使い途が限られますからなぁ」

「あ、いや。実はそうでも無いんです」

「ど、どういう事ですか!?」


 俺がすぐに意見を翻したので、ブルムさんが問い質してきた。


「大量生産は出来ないんですが、色柄物も作れるんです。実はこの二人が着ているのが、その方式で作った物です」

「な、なんと!? その……少し触ってみても宜しいですかな?」

「紬。食べてるとこ悪いけど、ブルムさんの方に手を差し出して」

「はい」


 ぜんざいに入っていた伸びる餅と悪戦苦闘していた紬は、俺に言われて椀と箸を置き、右腕をブルムさんに向けて差し出した。


「な、成る程。確かに先程の密な布と同じ手触り……注文生産ならば、これが出来ると仰るか!?」

「え、ええ……」


 ブルムさんの目が、今までに見た事が無い程の熱を帯びている。


「これは先ず、私が欲しいです! 上下一揃いに肌着があれば、相当な冒険の旅にでも耐えうるでしょう!」

「あー……そう、ですね」


(さすがに大陸を横断して、日本まで来た人だけの事はあるな……確かに岩に引っ掛けたりした程度では、ビクともしないからなぁ)


 ブルムさんは日常生活でいつまでも保つような服では無く、冒険などのヘビーデューティーな使い方にも耐えられる服、という認識をしたようだ。


「ブルムさんが今着ている服で良ければ、この場で俺が作りますよ」

「えっ!? す、鈴白さんがですか!?」

「ええ。この子達の親代わりみたいな立場になって、そういう能力を授かりまして。ですが、この件は御内密に願います」


 少し芝居掛かった感じに、俺は片目を瞑りながら、立てた人差し指を唇の前に持って来た。


「そ、それは勿論です!」

「では……」


 口の堅さも商売人の資質なので、これ以上念を押して確認するまでも無いだろう。俺はブルムさんの履いている靴下を、指先から出した蜘蛛糸で複製し始めた。


「おおお……見た目には今まで物と違いがわからないが、触れば全くの別物であるのがわかります!」


 出来上がった靴下を手にして、ブルムさんは目を見開いている。


「そ、それにしても、目の前で糸を出しているのを見ていなければ、お話だけではとても信じられなかったですよ」


 黒ちゃんか白ちゃんをブルムさんへの使いに出しても良かったのだが、論より証拠だと考えたのは、どうやら正解だったみたいだ。


 鎌倉の源家にも、本当なら出向いた方がいいとは思うのだが、遠方なので細かなオーダーに応じられるかがわからないから、今のところは糸と紐と網のような単純な物しか、商談を持ちかけるつもりは無い。


「素材の由来と産地に関しては、誤魔化して貰うしか無いんですが……」


 品質は申し分ないと思うが、妖怪が市民権を得ているとは考え難いので、ある程度人々の間に浸透するまでは、謎の素材で謎の職人が作っている糸と布という事で押し通すしか無いだろう。 


「それは……そうですね。文句があるなら買うなと言えるくらいには、この糸と布には価値があると私は思いますから、大丈夫でしょう」


 話している間に、ブルムさんが着ている上着の複製が出来上がった。


「なんとまあ、この軽さに肌触り……若い頃にこの服があったら、もう一旗くらい挙げてましたなぁ」

「ははは……」


 冒険用の装備として合格だったらしく、どうやら蜘蛛糸の服は、ブルムさんの血を騒がせてしまっているらしい。


「あの……ブルム様?」

「ん? 何か御用ですかな、お嬢さん?」


 黙ってやり取りを見守っていた紬が、何やらブルムさんに尋ねたいようだ。


「ブルム様も、主人と同じような下着をお使いなのですか?」

「……それは、答えねばなりませんか?」

「つ、紬! 失礼だよ!」


 紬のとんでもない質問に、ブルムさんはどうしたものかと言うような渋い表情をした。


「も、申し訳ございません! で、ですが、ブルム様はこの国の方とは違うようにお見受けしましたので、もしやと思いまして……」

「だからといって……普通は下着の事なんか訊くものじゃ無いよ?」


 現代の女子なら、ガールズトークで下着の話くらいはするのかもしれないが、それにしたって初対面の年上の男性に訊くのはダメだろう。


「……なんでまた、下着が気になったんですか?」

「そ、それは、湯屋で主人が、他の方とは違う下着を着けておりましたので……」

「鈴白さんは、そんなに変わった下着をお使いで?」

「ち、違いますよ!?」


 紬の疑問に乗っかって、ブルムさんまで俺を追求してきた。


「確かに、この国で一般的な下着では無くて、洋風の下着を使ってますけど……」


 トランクスと言ってブルムさんに通じるかが怪しかったので、こういう説明になった。


「ほう? それもお手製で?」

「ええ、まあ……」


 以前は布を買って手縫いしていたが、蜘蛛糸が使えるようになったので、虚しさを感じる作業をせずに済むようになったので非常に助かっている。


 しかも蜘蛛糸製の服は物凄い強度なので、(エーテル)を用いた攻撃や防御にも耐えるというのが非常にありがたい。


「それも作って頂く事は出来ますか?」

「えっ!? そ、それは勿論出来ますけど……」


 まさかの、ブルムさんからパンツの発注だった。


「では、その下着もお願いします」

「ええ……わかりました」


 手縫いの時程の虚しさは無いのだが、それでも下着を作るという作業は中々自分的に微妙である。だが色々とお世話になっている、ブルムさんの要請では仕方が無い。


「しゅ、主人! わ、私のも作って下さいませ!」

「お、俺のもお願いします!」

「二人は自分でも作れるよね!?」


 何故か紬と玄が、ブルムさんに便乗してきた。


「着物や襦袢は作れますが、あんな変わった形の下着は作れませんわ!」

「俺も、褌なら作れますけど、あんなのは無理です!」

「ふ、二人共! 騒いじゃダメって言ってあるでしょ!」

「「あ!」」


 知らずエキサイトしていたという自覚があるのだろう。俺が注意すると紬も玄も身を縮こまらせた。


「ははは。鈴白さん、小さい子が色々と興味を示すのは良い事ではないですか」

「そうですけど……」

「鈴白さんの負担が大きいとかでしたら無理は言いませんがね。もしもお金で済むようでしたら、私が出して


もいいですし」

「負担とかは別に無いんですけどね……」


(精神的な負担はありますけど……)


 心の中の呟きは、俺が少し我慢すれば良い程度の物なので、勿論だけど声には出さない。


(しかし……玄のは俺のサイズ違いでいいとして、紬のは……ビキニタイプか?)


 元の世界の昭和の後期になるまでは、女性物でも下着の面積は大きかったはずだが、なんとなく鈍くさいイメージがあるので、自分の美意識的に作りたいと思えない。


(だからといって、女性物の下着を作るというのも……)


 考えれば考える程、精神がゴリゴリと削れていきそうだ。


(まあ、小さな女の子の願いを叶えてあげると思えば、少しくらいの精神の疲弊は我慢するか……)


 実際には紬は数百年を生きている蜘蛛の妖怪なのだが、見た目と行動が幼いから、その辺の真実からは目を背けよう。


「はぁ……先にブルムさんのを作るから、その後でね?」

「「はい!」」


 俺が承諾した事を口にすると、紬も玄も凄く嬉しそうな顔をした。たかがパンツでこの笑顔が見られるのなら、安い物だ。



「ううむ……この服は本当に素晴らしい!」


 甘味処の客のいない仕切りで着替えを済ませ、戻ってきたブルムさんは服の着心地を褒めてくれた。


「鈴白さん、これは絶対に売れます! 私自身が予算の範囲内で、もっと欲しいと思っているくらいです!」

「そ、そうですか……」


 お褒めに預かるのは嬉しいのだが、ブルムさんの反応が熱烈過ぎて、どうにもリアクションがし辛い。


「「……」」


 次は自分たちの番と言わんばかりに、紬と玄が大いに期待の籠もった視線を、俺に向けて送ってくる。


「ほら、玄」


 濃い灰色、現代風に言うならチャコールグレーに染めた糸で作ったトランクスを玄に渡した。


「ありがとうございます! 早速履きますね!」

「あ、こら! この場で脱ぐんじゃなくて、ブルムさんみたいに空いてる仕切りのところで着替えろ!」

「は、はい!」


 単純なトランクスの形状なので、玄用のパンツはあっという間に出来たのだが、その場で作務衣をずり下げようとしたので慌てて(たしな)めた。


「次は私のですね!」

「……」


(腰のクビレとお尻の丸みに沿って、縦糸と横糸の密度を変えて曲線を作るか……)


 すでに腹は括ってあるのだが、蜘蛛糸の布は織り方でしか伸縮しないので、身体へのフィット感をあれこれ考えていたのだ。


 着物は基本的に直線の組み合わせなので、糸一本を一筆書きの要領で着物を作り上げるのは、それ程難しくは無い。


 しかし尻を包み込むような形状のパンツの場合は、素材か縫製に気を使わなければ、履き心地が悪くなるのは勿論、上に着ている服に変なシルエットが浮かんでしまうのだ。


(玄みたいな作務衣なら問題無いけど、着物の下に着ける事を考えると……)


 なんとなく方針が決まったので、心の中に生じる虚しさを押し殺して糸を織り上げていく。


「……こんな感じだけど」


 出来上がった小さな下着を紬に渡した。やはり美意識的に紬にトランクスや鈍くさい感じの下着を作るのは気が引けたので、お尻はある程度包み込むが、動き易いビキニタイプにした。


 ウェストをゴムで調整出来ないので、ずり落ちないように両サイドを結ぶ紐パンタイプも考えたのだが、着物だと結んだ部分のシルエットが出てしまうので、前で結ぶトランクスタイプとは逆に、帯で隠れる背中側で結ぶ方式にした。


 形状を決めてから、やはり白一色だけではと思い、淡いピンクの物と、白地に水色のボーダー柄の物も作った。縞パンだ。


(あ゛あ゛あ゛……技術的に可能だからといって、俺はいったい……)


 やっちまった感が半端じゃない。特に縞は……。


「まあ! さすがは主人の素晴らしい技術の冴え! でも、玄も物とは形が違いますね?」

「あー……俺の知ってる女性用の物だよ。凄く動き易いんだ」


 腰巻きとは違ってお尻をしっかりホールドするのに、脚の可動を妨げない程度の布面積なので、嘘は言っていない。その上布地が薄くてホールガーメント方式でシームレスに作られているから、表面にシルエットも浮かび上がらない。


「では早速……」

「だから、紬もこの場で脱ごうとするのはやめなさい!」

「し、失礼致しました!」


 おもむろに帯を解き始めた紬に、怒鳴りはしなかったが鋭く言い放つと、パンツを持って足早に立ち去っていった。


「主人! これ凄く履き心地がいいです!」

「そうか。良かったな」

「はい!」


 紬と入れ替わりに戻ってきた玄は、新しいパンツの履き心地に御満悦だ。


「やはり良い物は、若い人にもわかるようですなぁ」

「ははは……」


 玄も紬同様、見た目通りの年齢では無いのだが、それをブルムさんに言っても仕方が無い。


「では話を戻しまして。この糸と布が染められるかどうかの検証と、糸、綱、網の買い手ですな」

「ええ。まだ糸とかの生産量については詳しく検証していないんですが、複雑な形状の物じゃ無ければ、それなりの量を見込めると思います」


 色付きの糸や布、柄物とかじゃ無ければ、ちびっ子達でもそれなりの量を、紬や玄ならかなりの量を一日で作り出せるだろる。


「それとですね、京か大津辺りに知り合いの行商人の人がいたら、定期的に里を訪れて貰えないかと思っているんですが」

「ほうほう。そんなに不便な場所にあるのですか?」

「京から十キロくらいなので、それ程でも無いです。そんなに険しい場所でも無いですし」


 山の中ではあるが、里への入口がある場所は標高で言えば二百メートル程度で、山と言うよりは丘陵だ。


「それなら、悪天候などにならなければ、週に一度くらい訪れる事は出来ると思いますよ」

「そうですか。実際には里に入るのでは無く、里の入り口に取引をするための場所を設けようかと考えています」


 並の武人程度であれば、紬や玄が遅れを取る事は無いと思うが、ちびっ子達を盾に取られる可能性もあるので、極力外部の人間を里に入れる事はしたくない。


「ふむ……鈴白さん。信用出来る人間を行かせる事が出来ると思いますが、初対面の者を信用するのは難しいですよね?」

「それはまあ、そうですが……」


 とは言え、ドランさんやブルムさんの場合には初対面の時から良くして貰っているし、江戸でも嘉兵衛さんや長崎屋さん、伊勢では椿屋さんにも良くして貰ったので、俺のこの世界の商人の印象はすこぶる良い。


「そろそろ那古野での商売も終えようかと思っていましたので、私自身が京に行って、里への行商をしましょう」

「ええっ!? そ、そんな事をして貰っていいんですか!?」

「ええ。正直なところ、素晴らしい商品を、私自身の手で扱いたいと思ったんですよ」

「は、はあ……」


 糸や布の仕入先の事は、俺も極力知る人間を少なくしたいと思っていたので、ブルムさんの申し出は渡りに船だ。


「そういう事でしたら、さっき言った入り口の取引場所の話は無しにして、ブルムさん用の宿泊所を作っておきますよ」

「それはありがたいですなぁ」


 ゲルの方式なら一人用の宿泊施設の設置くらいは簡単なので、こういう安請け合いをしても大丈夫だ。


(こうなると、風呂の設置を急ぐ必要があるな……)


 ブルムさんが泊まる時に、風呂が無いと不便だろう。


「行商の際に持っていくのは、どんな物が良いのでしょうか?」

「主に肉以外の食料品と、日常の消耗品ですね」


 ちびっ子も含めて里の住人はみんな健脚なので、京や大津に足りない物を買いに行く程度は容易いのだが、今のところは金銭のやり取りというところから教えなければならない段階なので、当分はお使いには出せない。


「出来ればブルムさんが里を訪れた時に、商売の事なんかを少しずつ教えて上げて欲しいんですが」

「構いませんが、商売の事になど興味がありますか?」

「それはわかりませんが、可能性はありますから」


 隠れ里で獲物を狩って生活をしていた、人間ですら無かった子達なので、何に興味を持つかはわからない。可能性は無限大だ。

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