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新選組?

 京都が近づいて、人通りや建物が増えてくると、子供達があちこちを指さして俺やおりょうさんを質問攻めにしてくる。


(……ん?)


「御主人、感じた? 京の結界だよ!」


 関所で入領税を払い、通過した瞬間の違和感の事を黒ちゃんは言っているようだ。


「京も江戸と同じ風水都市だからか……みんな、特に異常は無い?」


 江戸や京都は風水の思想に従って設計され、四方に朱雀、青龍、玄武、白虎という四神に対応した地形を配置し、結界で霊的に護られている。


 しかし実際には鵺であった黒ちゃんと白ちゃんが跳梁し、稀代の陰陽師である安倍晴明が百鬼夜行に遭遇したりと、どうやら完璧な物では無かったようだ。


「なんか変な感じはしましたが……特にどうという事はありません」

「俺もです!」

「「「……」」」


 紬と玄は、俺と同じく違和感はあったが、特に支障は無さそうだ。ちびっ子達は何の事なのかと、首を傾げている。


「何も無いなら、それでいいんだ。行こうか」


 関所の傍でもたもたしていても怪しまれそうなので、皆を促して通りを歩き始めた。



 御所を囲む塀の見える辺りに差し掛かると、騒がしかったちびっ子達の口数が急に少なくなっていった。


 どうやら行き交う人や建物の密度が増し過ぎて、質問をするよりも呆然と見つめるだけになってしまっているようだ。


「こ、こんなにいっぱい、人間がいるのですか……」


 殆どの子が、ぽかんと口を開けて見ているだけになっている中、紬が驚きを口に出した。


「賑やかだねぇ。でも江戸は場所によっちゃ、もっと人が多いんだよぉ」

「ほ、本当でございますか?」


 現状でも里の何十倍もの人が見えるので、おりょうさんの言っている事は紬には理解不能のようだ。


「浅草の辺りは、もっといっぱい人がいるよね!」

「浅草寺の近くなんかは、いつでも人通りが多いよね」

「ええ……」


 黒ちゃんと俺の言う事が信じられないという目で、紬が見てくる。


(こんな調子で、那古野に連れてって大丈夫かな……)


 京都や江戸に劣らず、ブルムさんが店を出している那古野も人が多い。


「そうだねぇ。それに祭りになると、どっからこんだけ湧いて出たってくらいになるからねぇ」

「湧いて出たって……」


 楽しげに言うおりょうさんだが、子供達がいるのでもう少し言葉を選んで欲しいものだ。


「京には特にあてが無いんだけど、黒ちゃんはどこか知ってる?」


 店にしても宿にしても目移りする程あるので、京都来訪の経験者である黒ちゃんに意見を訊いてみた。


「暴れてただけのあたいに言われてもなぁ……」

「それもそうか……」


 鵺として京の住人に恐怖を振り撒いていただけの黒ちゃんに、宿の話をするのは無理があった。しかも何百年も前の話だ。


「もう少し歩いてから決めても、いいんじゃないのかい?」

「それもそうですね」


 まだ早朝と言える時間帯なので、宿が取れずに困るという事は無い。京の街並みを見物しながら、のんびりと決めればいいだろう。



 右手に御所を見ながら鴨川近くの道を南下して、大きな二条の通りを過ぎると、宿の看板が目立つ地域に入った。


「この辺の宿なら、良さそうじゃないかい?」


 二条から少し離れると喧騒が少なくなった。だが、閑散としていると言う程でも無く適度に賑わっている。


「そうですね。どこにしましょうか」


 子供主体だがとにかく人数が多いので、ある程度は大きな宿じゃないとダメだ。


「あそこの宿なんか、そこそこ大きくて良さそうだけどねぇ」

「……池田屋か」


 後少しで三条の通りに至るという辺りで、おりょうさんが指差す先には、池田屋という看板が見える。


 俺の記憶通りなら新選組が、尊攘派を討ち取るために襲撃した、あまり縁起の良くない場所だ。


(まあ幕府が無いんだから、尊攘も何も無いんだけど……大丈夫、だよね?)


 頭の中で独り言ちていると、正面から揃いの服装の武人の集団が歩いてきた。


 武人達は額に鉢金を着け、纏う羽織は目にも鮮やかな浅葱色で、袖口を特徴のあるダンダラ模様に染め抜かれている。


(新選組!? ま、まさかお目に掛かれるとは!)


 賛否は分かれるが、幕末好きには人気の高い新選組らしい集団に、実際にお目に掛かれるとは思わなかった。


「……む?」


 無意識にガン見してしまったのが不味かったのか、新選組と思われる集団の先頭の人物が、俺達の方に向けて歩いてきた。


(や、やばい状況か!?)


 心の中でプチパニックを起こしているが、表面上は平静を装って状況を見守った。


「なんとも可愛い子達だな! そなたの子か?」

「……え?」


(じょ、女性!?)


 俺の子かと訊かれた事に驚いたのでは無く、二本差しで鉢金まで着けている人の声が女性の物だったのに驚かされて、間抜けな反応をしてしまった。


「「「……」」」


 俺の態度を無礼と取ったのか、女性の背後の武人達が、僅かながらも殺気を放ちながら、腰に差した刀に手を掛けている。


「まあ待て。私達のような者が突然声を掛ければ、戸惑うのも当然だ。そうであろう?」

「……失礼致しました」


 急な事ではあったが、受け答えをちゃんとしていなかったこちらに否があるので、女性に向けて頭を下げた。


「うむ。そう畏まるでない。それにしても可愛いなぁ……」


 謝罪を受け入れてくれた女性は蕩けるような笑顔で、俺が抱えているお結ちゃんとお朝ちゃんの頭を撫でている。どうやら子供好きのようだ。


(でもこの女性の言う通り、里の子達はみんな可愛い、というより美形なんだよな)


 紬を筆頭に、里の女の子達は総じて美少女と呼べる容姿をしている。当然ながら男の子達は美少年だ。


 紬は着飾らせたら、現代ならティーン雑誌の表紙のモデルでも出来そうなレベルだし、玄は多数のアイドルを抱える事務所に所属していると言われれば、納得してしまうだろう。


「……組長、そろそろ」

「む、そうか。時間を取らせて済まなかったな。子供は国の宝だ。大事にするがいい」

「は……」


 会釈する俺に満足そうに微笑んだ組長と呼ばれた女性は、俺達が歩いてきた道を御所方面に向けて歩き始めた。


(新選組はトップが局長で、その下に副長。副長助勤っていう役職が、確か隊を率いる組長だったはずだけど……)


 先程の集団が新選組であり、記憶通りの編成ならば、あの女性は何番隊かの組長という事になる。


(新選組一番隊の組長は、言うまでも無く悲劇の天才剣士沖田総司だけど……まさかね)


「主人! なんであんな奴らに、好き勝手言わせてたんですか!」


 玄の抗議の声で、俺は思考を中断させられた。


「バカですね玄は。この子達を戦いに巻き込まない為に決まっているではないですか」

「あっ!? そ、そうかっ!」


 特に何も考えていなかったのだが、紬と玄の間で会話が完結してしまっているようなので、俺からは口を挟まなかった。


「……なんか縁があるのかもしれないですから、とりあえず空きがあるか訊いてみましょうか」


 池田屋の前で新選組に話し掛けられるというのには、因縁めいた物を感じずにはいられない。


「良くわかんないけど、いいんじゃないかい」


 そもそも組長と呼ばれた女性の所属する集団に関して、おりょうさんが知っている訳も無いので、縁がどうとか言っても通じなくて当たり前である。


(あれ? 新選組の前身の浪士組の発祥は江戸だっけ? そういえばあの女性も、イントネーションが関西っぽく無かったな……)


 浪士組の後、新選組と名乗るようになってからの中核を担うのは、江戸の天然理心流の試衛館の門人だが、だからといって、おりょうさんが知っているとは限らないのだが。


「しゅじんー! はやくはいりましょう!」

「おっと。そうだね、お結ちゃん」


 少し舌っ足らずな喋り方のお結ちゃんが、可愛い声で言いながらペチペチ叩いてくるので、俺は我に返った。



「すいません。宿を取りたいんですが」

「はい。お早いお着きですね。何名様でしょうか?」


 従業員らしい女性が膝を付き、俺達を迎えてくれた。


「えっと……三人と、子供が十一人です」

「「……」」


 子供組に入れられて、紬と玄が面白く無さそうな顔をするが、文句は言って来なかった。


「小さなお子さんがいらっしゃいますから、十人部屋でも宜しいかと思いますが、二十人部屋もございますが?」

「十人の部屋でもいいんですか?」

「ええ。小さなお子様でしたら、宿代も二人で一人分で結構ですので」


 女性の言う通り、ちびっこ達なら二人で一人分の食事と布団でも十分なのだが、それにしたって良心的だ。


「もしかしたら人数が増えるかもしれないので、二十人の部屋の方をお願いします」


 今日来たメンバーと入れ替わりで宿を利用しようかとも考えていたが、キャパ的に問題が無さそうなので、全員で来てしまっても良さそうだ。里の方は空っぽにしても、関係者以外は侵入出来ない。


「畏まりました。お食事の方は朝晩にお出ししますが、予めお知らせ頂ければ、数の方は調整致しますので」


 縁起が悪そうだなとか考えていたのが失礼に思える程、池田屋は本当に良心的な宿のようだ。


「二十人部屋ですと、一泊が銀貨十枚になりますが、宜しいですか?」


 まだ部屋を見ていないが、宿の外観から一人分銅貨五十枚というのは、俺には妥当に思える


(ちょ、ちょっと良太! 結構な額だけど、いいのかい?)


 隣でお糸ちゃんを抱えているおりょうさんが、肘で俺を突っつきながら耳打ちしてきた。


(数カ所に分散しないでも泊まれそうだし、いいんじゃないですか?)

(そ、そうかもしれないけど……)


 伊勢から大津までに利用した宿は、一人一泊で銅貨三十枚から五十枚くらいの間の価格帯だったので、子供を含む宿泊としては、おりょうさんには高額に思えるのだろう。


(俺達五人なら四泊出来る訳だから、おりょうさんの言う事もわからなくはないけどね)


 京都では初めて泊まるので詳しくはわからないが、ここまでの旅で銅貨五十枚の宿は街一番くらいのグレードだったので、そういう意味でも大盤振る舞いし過ぎだと、おりょうさんは考えているのだろう。


「ええ。お願いします」


 だが結局は、ちびっ子達を宿選びで連れ回すのも気が引けるので、空きがあるなら利用させて貰う事にした。


「何泊の御利用になりますか?」


 料金を承諾した俺に、女性が利用日数を尋ねた。


「えっと……」


 余りにも順調に宿が確保出来そうなので、訊かれるまで何泊するとか考えていなかった。


「とりあえず十日という事でお願い出来ますか? 支払いはこれで」


 一泊にして銀貨で九十枚のお釣りを受け取るのが嫌だなと思ったので、使い切ってしまえと言う事で十日にして、懐から金貨を一枚取り出した。


「えっ!? しょ、少々お待ち下さいませ!」

「あ、あの?」


 俺が差し出した金貨を受け取る前に、女性は立ち上がって店の奥へ入っていった。


「なんか不味かったですかね?」


(ここまでの道中で、言われた金額以上に掛かった事は無かったんだけどなぁ……)


 現代とは違うので、税サービス料別とかでは無いと思ったのだが、もしかしたら金貨一枚では足りなかったのかもしれない。


「前金で払うのは、良い泊り客のはずだけどねぇ……」


 気の利いた接客をされた時などには心付けを渡す事もあったが、それは宿泊料とは別だ。


「それにしても……金貨で払うくらいなら、どっかに家でも借りちまった方が良かったんじゃないのかい?」

「京に定住する訳じゃ無いですし、江戸と違って信用が無いですから」


 金貨一枚は現代の百万円くらいだから、宿に泊まって消費するには大きな額だというのは自覚している。


「それもそうだねぇ……」


 おりょうさんの言う通り、長い目で見るなら宿に大金を払って宿泊するよりは、家を借りてしまった方が安上がりで自由も効くのだが、持ち主との信頼関係が無ければ容易には借りられないので、基本的には地元以外で住居を定めるのは難しい。


 宿の方は騒動でも起こさない限りは、料金さえ支払えばそれ程客を選んだりはしないものだ。


「お待たせ致しました! 当宿の主人でございます。この度は当池田屋をお選び頂きまして、誠にありがとうございます……」


 店主と名乗る恰幅のいい初老の男性が、膝をついて頭を下げた。


「あ、いや……泊まるのに問題がある訳では無かったんですね?」

「ええ、ええ。滅多にございません大部屋へ連泊のお客様という事で、御挨拶に伺ったという次第でございます」

「あー……」


 この時代だと修学旅行や運動部の合宿なんて無いだろうから、やはり大人数の連泊をするのは上客だったらしい。だから店主自ら挨拶に出向いてきたのだ。


「それで、先程は受け取って貰えなかったんですけど、これ宿代です」

「確かに、お預かり致しました……」


 恭しく差し出した両手で、店主の男性は金貨を受け取った。


「早速ですが、お部屋の方へ御案内させて頂きます」

「お願いします」


 靴を脱いで、店主と従業員の女性に続いて、店内へ上がろうかと思ったところで問題が発生した。


「つ、紬、玄、履物を脱がないと!」

「「えっ!?」」

「ああ、あんたらも脱がないと……先に注意しとくんだったねぇ……」

「「「ぬぐー?」」」


 里ではそもそも俺達以外は履物を履いていなかったので、土足という概念が紬達には無かったのだ。


 おりょうさんと俺と黒ちゃんで、慌ててみんなの履物を脱がせる。


「お気になさらずに。では、参りましょうか」


 他の従業員に掃除を任せ、笑顔のままの店主の案内で、俺達は店の奥へ入っていった。



「それでは、御用がございましたら遠慮無くお申し付け下さい」


 お茶と茶請けの菓子を用意して、店主と従業員の女性は退出していった。


 俺達が通されたのは、三階建ての宿の三階の半分くらいを専有している、宴会場みたいな広い座敷だった。


「それじゃ俺と紬と玄は那古野に行ってきます。おりょうさんと黒ちゃんにはお金を預けておきますから、ここから飲み食いの代金と買い物をお願いします」


 お茶を飲んで一息ついたところで、俺はおりょうさんと黒ちゃんに金貨を一枚ずつ渡した。


「ちょ、ちょっと良太! これは多過ぎるよ!」

「姐さん、お金一個だよ?」


 金種はわからないようだが、お糸ちゃんには数の多い少ないはわかるらしい。


「ああ、これは金貨って言ってね、銀貨の百枚分で……ちょ、ちょいと良太と話があるから、お糸ちゃんとは後でね? ほら、あたしの分のお菓子、食べていいから」

「はい!」


 うまい具合にお糸ちゃんの意識をお菓子に誘導して、おりょうさんが俺に向き直った。


「食事とか以外に、履物も着物も食材も必要ですから、多くは無いと思いますけどね」

「う……そう言われると、そうかねぇ」

「行動に関してはお任せしますけど、黒ちゃんと買い物の分担とかは話し合ってからの方が良いかもしれませんね」


 買う物が多少ダブるのは構わないと思うが、足りない物が多くなるのは困る。


「そうだねぇ……じゃあ昼を食べに出るまで話し合って、それから出かけようかねぇ」

「お手数掛けますが、お願いします。黒ちゃんもね」

「わかったよ」

「おう!」


 特に危険は無いと判断して、おりょうさんと黒ちゃんに引率を任せた。心配ではあるが、考え過ぎるのも良くない。


「みんなは、おりょうさんと黒ちゃんの言う事を、ちゃんと聞いてね?」

「「「はーい!」」」


 みんなお揃の笑顔で、元気な返事をしてきた。なんか幼稚園の先生にでもなった気分だ。


「あ、そうだ。おりょうさん、外套を貸して貰えますか。黒ちゃんも」


 大丈夫だと思うが、那古野では掏摸(すり)集団や、そのバックの任侠組織に遭遇した事があるので、その用心である。


「ああ。この子達と一緒に歩くから必要無いし、いいよ」

「おう! はいこれ!」


 紬がおりょうさん、玄が黒ちゃんから外套を受け取って羽織った。さすがにサイズが合わず、引きずりそうだ。


「じゃあ、行ってきます」

「気をつけてね。みんな、行ってらっしゃい、って」

「「「いってらっしゃーい!」」」


 おりょうさんの音頭で、ちびっ子達から盛大なお見送りを受けた。



「おや、お出かけでございますか?」

「ええ。ちょっと」


 階段を降りて玄関まで出ると、店主さんと出会った。


「お気をつけて……お連れ様の草鞋の紐を、お結びしますか?」

「え……ああ、お願いします。紬は俺が結んであげるね」


 紬と玄が草鞋の紐を結ぶのに手こずっているのを見かねて、店主さんが手伝いを申し出てくれた。


「も、申し訳ありません!」


 俺が手を貸すと、紬はしきにりに恐縮している。


「……」


 一方の玄は、俺達や里の者以外の人間に触られるのが初めてだからだろうか、店主さんのなすがままになっているが、どこか居心地が悪そうだ。


「あ、ありがとうございます……」

「うん……まあ、気にしないで」


 たかが草鞋の紐を結んであげただけで、紬は俺の事を尊敬の眼差しで見ている。


「……」

「玄。親切にして頂いたら、お礼を言うものだぞ?」


 無言で立ち上がり、そのまま外へ出ようとした玄に注意した。


「……」

「いえいえ。お客様、いいのでございますよ」

「ですが……」


 店主さんは気のいい笑顔をしている。さすがに客商売をしているだけあって、この程度では表情を変えたりはしないようだ。


(玄は暫く、里から出さない方がいいのかな……でもまあ、今日一日は様子を見るか)


 思っていたよりも、玄のエリート意識みたいな物は強いみたいだ。このままだと騒動を起こす可能性もあるので、気をつけて見守る必要がある。


「それじゃ、行ってきます」

「いって参ります」

「……あ、ありがとうございました! 行ってきます!」


 俺と紬に続いて、玄がなんとか御礼の言葉を絞り出した。無駄に大きな声だ。


「はい。いってらっしゃいませ」


 店主さんの笑顔に見送られて、俺達は池田屋を後にした。



「玄。良く出来たな」

「……」


 俺が褒めてやると、玄は無言で頭を下げた。顔が赤い。


「もう。我が主人よ、こんな事程度で褒めたら、玄が増長してしまうのでおやめ下さいまし!」

「な!? 増長なんかしない!」

「ほんとかしら?」


(主従関係かと思ってたけど、姉弟みたいな関係なのかもな)


 聞き分けの悪い弟を諌める姉のような二人の関係を見ていると、自然と笑顔になってしまう。


「まあ! 玄、あなたの所為で、我が主人に笑われてしまったではないですか!」

「お、俺の所為かよ! 違いますよね主人!?」

「さて、どうかなぁ……」

「えー……」


 世にも嫌そうな顔で、玄が俺を見る。



「この辺でいいかな……」


 三条の通りから鴨川の河原に出て、三条大橋の下に入った。橋の上には人通りがあるが、橋桁に隠れたこの場所は、人目を避けられているようだ。


「紬、玄。これから界渡りという術を使う。俺がやめていいと言うまで身体を(エーテル)覆うんだ。厚さや強さは最低限でいい」

「「わかりました」」


 紬も、機嫌が直ったらしい玄も、素直に言う事を聞いて(エーテル)を身に纏った。


 今の身体も(エーテル)で構成されているので、紬にも玄にも特に難しくは無かったようだ。


「じゃあそのままで、玄は俺の背中にしがみついてくれ。紬は前ね」

「はい!」

「えっと……宜しいのですか?」


 玄は即座に俺の首に手を回してしがみついて来たが、紬はもじもじと身を捩っている。


「ああ、頼華ちゃん達が言ってた事を気にしてるのか……構わないよ。それより二人共、離れないように気をつけてね」

「はい!」

「……はい」


 背中に要る玄の返事が耳の直ぐ傍で聞こえ、紬も観念したように俺に向かって、両腕を開くようなポーズを取った。


「はひゃぁぁぁぁぁ……」

「……行くよ?」


 抱き上げると顔を真赤にした紬が変な声を出すが、下手に突っ込むと悪いような気がしたので、返事を待たずに界渡りを開始した。


「おおっ!?」

「うわぁ……」


 玄と紬の、微妙に違う反応をする。ワイヤーフレームのようになった景色の中、俺は地面を蹴った。


「こ、これは何なのですか!?」


 意識する部分が切り替わったようで、紬が今の状況を俺に問い質してきた。


「黒ちゃんと白ちゃんから俺が受け継いだ能力の一つ、界渡りだよ」

「なっ!? 主人の背中から翼がっ!?」


 上昇から下降に移る前に、背中に翼を生やして(エーテル)を集中させる。


「は、はやいっ!」

「す、すげぇっ!」


 翼から噴射される(エーテル)の尾を引きながら、低い高度で京都、那古野間の百キロ強の距離を一直線に飛行する。前と後ろに一人ずつ抱えているが、速度にはそれ程影響は出ていないようだ。


「もう着くけど、まだ(エーテル)は維持しててね」

「「はい」」


 目標ポイントの熱田神宮の手前で急減速する。界渡りに使う空間内だと、衝撃波も発生しないし慣性も気にしないでいいので本当に便利だ。


「人の気配は……無いな。二人共、もういいよ」

「「ふぅ……」」


 (エーテル)の防壁を維持する必要はあったが、俺にしがみついていただけでも気疲れしたのか、紬と玄が同時に小さな溜め息をついた。


「ここは……」

「京から百キロばかり北上した、那古野という大きな街の近くだよ」


 熱田神宮の参道や鳥居を見回しながら、玄が呟いた。


「大きいと言いますと?」

「さっきまでいた京と同じくらいかな?」


 実際の人口や通行量なんかはわからなくて、俺の体感的に検討をつけただけだが、それ程間違ってもいないだろう。


「江戸も大きいと仰っていましたが、そんなに大きな街がいくつもあるのですか!?」

「そうだなぁ……江戸、京、大坂、神戸、那古野、長崎は大きいかな?」


 ブルムさんから聞いた貿易港のある街は、どれも大きそうだ。


「そ、そんなに多くの!?」

「それだけ多くの人間がいるという事は、主人くらい強い者も大勢いるのですか!?」

「俺と? うーん……大勢はいないかな」


 我が事ながら比較対象の基準にされても、玄には上手く答えられない。


「……頼華ちゃんくらいの武人なら、街ごとにいるんじゃないかな?」


 江戸の家宗様は未知数だが、鎌倉の頼永様、雫様は間違い無く強い。伊勢の朔夜様もポテンシャルはかなりの物だ。


 そう考えると、尾張織田の本拠地であるここ那古野や、京都や大坂にも強い武人は居そうに思う。


(……あの組長と呼ばれた女性も、なんか強そうな気がするな)


 強大な(エーテル)を感じたとかでは無い。なんとなく予感めいた物ではあるが、そんな気がした。


「ら、頼華様程の強さの方が、そんなに!?」


 俺の見立てでは紬と頼華ちゃんはほぼ互角だ。しかし得物の薄緑の対蜘蛛特効みたいな物の差で、総合では


頼華ちゃんがやや上回るだろう。


「そんな……嘘ですよね主人!?」

「いや、本当だよ?」


 人間の戦闘力を侮っていたらしい玄は、驚愕に目を見開いている。どうやら俺やおりょうさん達は、特別な例だと考えていたようだ。


「しゅ、主人! もっと俺を鍛えて下さい!」

「まあ、無理のない程度にね。じゃあ少し歩くよ」

「そんな事言わずに!」


 妙にやる気になってしまった玄を宥めながら、三人で連れ立って熱田神宮から那古野方面に向けて歩き始めた。



「こんにちは、ブルムさん」

「おお! 鈴白さんではないですか! 伊勢からお発ちになったのでは?」


 日はすっかり昇っているが、まだ昼には時間があるので、ブルムさんを露店で捕まえる事が出来た。


「ええ。今は京に落ち着いてます」

「それはそれは……それで、本日は何か御入り用で?」

「それが……ちょっと商談があるので昼まで待ってますから、また食事でもしながら話を聞いて下さいませんか?」


 糸と布の事を話すには、周囲にブルムさんの同業者が多過ぎる。


「わかりました。では早めのお昼にしましょう。一時間後くらいに、また来て下さい」

「ではその時に、この子達も紹介させて頂きますので」


 お互いに頭を下げあって、俺達は露店を後にした。



「さて、時間が出来たな……丁度いいから、二人の着物と履物を買おうか」


 幸いな事に周囲には、選ぶのに困る程店がある。


「えっ!? 着物は今着ている物がありますが?」

「そうです。履物だって」


 紬と玄には、俺の言う事の意味が伝わらないらしい。


「あのね……汚れたりもするでしょ?」

「よ、汚れるまで着ていてはダメなのですか!?」

「えーっと……なるべく清潔にしないといけなくてね」


(食事に風呂に着替え、洗濯とかも教えなきゃならないんだったな……)


 説明が難しいと言うか面倒くさいので、これはそういう物だと習慣付けてしまう必要があるかもしれないと、俺は考え始めた。


「よし。着物と履物を買ったら、湯屋に行くよ」

「ゆ、湯屋とはなんですか!?」


 また新しい単語が出てきたので、紬が怯んでいる。


「行けばわかるから」

「も、もう少し説明を!」


 こちらも怯んでいる玄が食い下がる。


「さあ、買い物に行くぞ」

「「ええーっ!?」」


 戸惑いに少量の恐怖の入り混じった表情をしている紬と玄の手を引いて、俺は目についた服を扱っている店に入った。

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