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トイレ

「玄に教える戦い方とは、どんな物ですか?」

「ん? とりあえずは俺の知ってる無手の戦い方を一通りかな」


 群がるちびっ子達を引き剥がしている、頼華ちゃんの問い掛けに答えた。


「御主人、それはこいつらにも教えてやって!」


 親衛隊のように脇に控えていた黒ちゃんが名付けた五人が、俺の返事を待っている。


「それは構わないけど、黒ちゃんが教えればいいんじゃないの?」


 元蜘蛛なのだが、見た目幼児なので、鍛えてしまっていいのか悩ましい。まあそれを言うと、玄も少し成長したが十歳程度だ。


「うーん……面倒を見るのは構わないんだけど、あたいや白の戦い方は、教えて教えられるもんじゃないから」

「それもそうか……」


 黒ちゃんと白ちゃんの戦い方は、頼華ちゃんの剣術やおりょうさんの体術のように、技術で戦うのでは無く、パワーと(エーテル)に物を言わせてのゴリ押しが基本だ。


 もっとも、二人共テクニックが皆無という訳でも無いので、戦いになった場合には相手が気の毒としか言いようがない。


「その点に関してはわかったよ。黒ちゃんと白ちゃんには、用事をお願いしたいと思ってたしね」

「「用事?」」


 黒ちゃんと白ちゃんの疑問の言葉が重なった。


「白ちゃんには、前にも言ったように江戸に。でも、ついでに鎌倉にも寄ってきて貰おうと思ってる」

「源屋敷か?」

「そう。ちょっと大変だけど、頼むよ」

「それは構わんが……どういう用向きなんだ?」

「えっと……こういう物を、鎌倉で必要じゃないかって訊いてきて欲しいんだ」


 俺は頭の中で描いた物を、指から出した糸で編み上げた。


「これは……もしや漁網か?」

「そう。網目の大きさとか広さとか長さなんかは、注文に応じるからと伝えてきて欲しい。あと、同じくらいの強さの綱が、様々な長さと太さで作れるって」

「あ、兄上! これは絶対に父上が欲しがりますよ!」

「でしょう?」


 海沿い育ちの頼華ちゃんから、太鼓判を頂けた。


 当たり前だが、こっちの世界にはまだ化学繊維なんか無いので、恐ろしい程の強靭さのある糸から作られた網は、漁師からしたら夢のような道具だろう。綱は汎用性も高いので、様々な可能性を秘めている。


「綱だけではなく、釣り糸にも使えますね!」

「ああ、そうだね。あと布に関しては、強度を落とした物も売れると思うんだ」

「質が劣る物を売るのかい?」


 俺の言葉に、おりょうさんが首を傾げた。


「試して貰わないとわかりませんけど、強度を落としたら裁断と縫製、それと着色が出来るんじゃないかと思いまして」


 自分の能力以上に糸の強度を上げたり、織る密度を上げるのは難しいと思うが、逆に全体の質を落とすのは、それ程難しくはないだろう。


「ああ! 完成品の着物じゃなくて、反物として売ろうってんだね?」

「ええ。糸を着色出来れば、尚いいんでしょうけど」


 紺や灰などの色なら単色でも着物に仕立てる事があるので、紬やちびっ子達が慣れてきたら、着色した糸を出せる事に期待したいところだ。


「染まる事が確かめられたら、糸だけでも売り物になると思いますけどね」


 絹の場合、繭から糸を紡ぐという手間が掛かる上に、繭によって質にバラツキがある。その点、紬達の作り出す糸は、かなりの長さにならなければ均一な品質の糸が作れる。おまけに、そのまま糸巻きにでもまとめれば、即出荷出来るという優れものだ。


「主人! 良くわからないんですけど、俺達が作る布とか糸なんか、誰かが欲しがるんですか? それと、売れるとかいうのはどういう事です?」

「売り買いって概念からか……まあそれはそうだよな」


 紬なら少しはわかっているかもしれないが、これまでは野山の獲物を狩って生活していたのだから、玄を始めとするちびっ子達に、売買という概念が無いのは当たり前かもしれない。


「あ、そうだ。細かい話を始める前に……おりょうさん、女の子達に、教えてあげて欲しい事があるんですけど」

「教えるって、何をだい?」

「えーっと……排泄、です」

「えっ!? あ、あー……」

「おわかり頂けましたか?」

「「「?」」」


 おりょうさんは、俺の少ない説明で察してくれたようだが、頼華ちゃんと黒ちゃんと白ちゃんには、なんの事か理解出来ていないようだ。


「あのね、食事を二回済ませて、多分だけど明日の朝には、小さい子達に初めての現象が起きると思うんだよ」

「あ! そ、そういう事ですか……」


 ここまで話して、頼華ちゃんにもわかったみたいだ。


「おりょうさんには場所を教えてあるから、みんなから女の子達に説明して欲しいんだ」

「男には御主人が説明するの?」

「まあ、仕方ないよね……」


 黒ちゃんに懐いている男の子達なんかは任せてしまいたいところだが、肉体構造の違いはどうにもならないので、俺から説明するしか無いだろう。


 もしかしたら、既にその辺で済ませてしまっている子達はいるのかもしれないが……今は深く考えないでおいて、もし見つけらた迅速に処理しよう。


「紬と玄は、排泄に関してはわかる?」


 必要な事なので二人にも訊いておく。興味という部分があるのは否定しない。


「えっと……この身体になってからは、必要が無さそうです」

「俺もです!」


 俺と同じように、ロス無しでエネルギーに変換されているのかまではわからないが、紬と玄に関しては、基本的に排泄は必要無いらしい。


「そういえば訊いた事が無かったけど、黒ちゃんと白ちゃんも?」


 今まで突っ込む事でも無かったから気にもしていなかったが、いい機会だと思ったので訊いてみた。


「おう! あたい達は元の姿と比べて、こっちの姿を維持するのに消費が激しいから、少しも無駄に出来ないからな!」

「ああ、そういえばそうなんだったっけ」


 食事や、適当に俺から(エーテル)を吸収していいと言ってあるので、その事は忘れかけていた。


「でもまあ、少しこの姿でいるコツを掴んだので、部分变化(ぶぶんへんげや界渡りなんかを使わなければ、それ程消耗はしないがな」

「コツって?」


 白ちゃんの言う事が気になったので、オウム返しに質問した。


「そんなに大した事では無い。主殿と出会った頃は、俺も黒も相当に周囲に気を配ったり、いつでも戦闘に入れるようにしていたのだが、今では必要以上に警戒しなくなったという事だ」

「ああ、成る程ね」


 白ちゃんが言うのは、車のアイドリングストップみたいな物だろう。


「主殿に手傷を負わせるような相手はそうはいないので、常時戦闘態勢は無駄が多いと思ってな。だが、その油断から、今回のように分断されてしまったという……」

「し、白ちゃん!? そんなに気にしなくてもいいからね!?」

「し、白! 余も悪かったのだ!」


 深く落ち込み始めた白ちゃんを、頼華ちゃんと一緒になって慌てて慰めた。


「も、申し訳ございません!」


 白ちゃんが落ち込む事の直接的な原因を作った紬が、その場で平伏した。


「白ちゃんには悪いけど、あんまり蒸し返すと紬達が……」

「む? そうだな。すまん紬」


 紬の反応を見て、白ちゃんが立ち直った。


「えっと、丁度話が途切れたから、さっきの指導を女の子達にお願いしようかな。眠っちゃう前に」


 ゲルの中なので外の様子は見えないが、そろそろ日が暮れる時間だろう。


「あ、ああ。そうだねぇ。はーい。女の子達、ちょいとこっちおいで」

「「「はーい!」」」


 場の雰囲気を察して、さすがのおりょうさんが、さっさと女の子達を呼び寄せた。


「男の子達は、俺の方へ来てくれるかな。玄は待機……いや、手伝って貰おうかな」


 一人で対処しようかと考えたが、もしかしたら手に余るかもという気がしたので玄に声を掛けた。


「はい!」

「「「はーい!」」」


 その後、男女に分かれてのトイレ指導となった。みんな聞き分けがいいので、説明が簡単に澄んで非常に助かった。



「紬は、この辺の他の集落とかは知ってる?」


 トイレ指導を終えて、再び話し合いになった。既にちびっ子達の大半はおねむだ。


「複数の者達が定住している集落と思えるのは一箇所ですね。他に単独で棲み着いている者が、数箇所に分散しております」


 集落の方はわからないが、単独で棲み着いているのは、おそらくは猟師や炭焼の類だろう。


「あとは定住はしていませんが、小さな集団が幾つかいたはずです」


 こちらはおそらく、山岳修行をしている集団だろう。


「明日は、そういう人達のところへ行って、話し合いをしようかと思ってる」

「そ、それは何故でございますか!?」


 話し合いの必要性がわからないらしい紬が、驚きの表情で問い詰めてくる。


「この里で使う物の一部を、山の中で調達しようと思ってるんだけど、その事を説明しなくちゃね」

「そんな……山の中の物など、勝手に採ればいいのではないですか!」

「少しならそれでもいいと思うんだけど、この里全体を賄う事を考えると、物によっては大量に必要だからね」


 俺達を含めてではあるが、一升炊きの釜で作った御飯が、一食で綺麗に無くなるのだ。そして今後は消費量も増えるだろう。


「で、ですが!」

「必要のない争いを避けるためだよ」


 食い下がる紬に、きっぱりと言い切った。


「そんなの! やっつけちゃえばいいではないですか!」


 紬だけでは無く、玄も俺に反論してきた。


「相手が玄より弱いと、どうして思えるんだい?」

「うっ! で、でも、主人に与えて頂いた名に掛けて、俺は負けません!」


 玄なりに思うところはあるのだろうが、(いささ)か考えが暴走気味だ。


「戦う時には戦わなければならないけど、無駄な争いを避けるのも戦術だよ?」

「しかし!」

「玄。もしかしてこの辺に棲んでいる他の人達より、自分達が上位だとか考えているんじゃないよね?」

「そんなの! 主人の下にいる俺達の方が……」

「そういう考えなら、俺がこの里を滅ぼしたとしても仕方が無かったのか?」

「えっ!?」


 俺の問に、玄が目に見えて狼狽する。


「玄からすると、俺や一緒に旅をしてきたおりょうさん達は、上位の存在なんだろう?」

「そ、そうですが……しゅ、主人は俺達を見捨てるのですか?」

「お前の考えは、そういう事だろう?」


 里や、そこに暮らす者達を大切に思う気持ちは尊重するが、それが他の者達を下に見ていいという理由には到底ならない。


(もしかしたら、こういう考え方が根っこにあったから、商取引って概念が理解出来なかったのかもなぁ……)


 狩りで獲物を得るという、弱肉強食の世界で生きてきた玄達にとっては、当然といえば当然かもしれない。


「玄。もうおよしなさい。我が主人の言い付けが守れないというのでしたら、里を出ていってもいいのですよ」


 玄の行動を見かねたのか、紬が苦言を呈する。


「な!? お、俺がいなければ、誰がここを!」


 今まで紬と共にこの里を護ってきたという自負が玄にはあるのだろうが、プライドが高くなり過ぎて、遂には傲慢になってしまったようだ。


「そういう考えのあなたがいない方が、ここは安全でしょう」

「くっ……」


 紬が相当に厳しい事を言うが、この場合は歯噛みして悔しがっている玄の擁護は出来ない。


「玄。俺は下手に出ろって言ってるんじゃ無い。余計な争いをするなって言っているんだ」

「……」

「そんなに戦いたいんなら、あたしが相手になろうかい?」

「おりょうさん!?」


 納得出来ないという顔で黙っている玄に、おりょうさんがとんでもない事を言い出した。


「……主人のお連れ様であっても、ただの人間相手では」


(あー……まあ、普通はそう考えちゃうよなぁ)


 たおやかな風情のおりょうさんは、玄の目には争いとは無縁な感じに見えるのだろう。


「おりょうさん……」

「良太が作ってくれた着物があるから、裸になっちまう心配も無いからねぇ」


 黒ちゃんと白ちゃんの(エーテル)による攻撃で、着物がボロ布と化してしまったのは記憶にも新しい。


「……玄、やってみるか?」

「っ!? い、いいのですか!?」

「やってみないと、お前が納得出来なそうだしな」


 正直、玄の勝ち目が九分九厘無いのは明白なので、やらせたくはない。


「はぁ……おりょうさん、お願いします」


 今の所これが最良だと判断したので、溜め息をつきながらも、おりょうさんにお願いした。


「任しときな。ちゃんと手加減はするよ」


 おりょうさんが、俺に向かって片目を瞑って見せた。頼もし過ぎて逆に不安だ。


「……」


 自分が見下されたからだろうか、鋭い眼差しで玄がおりょうさんを睨みつけている。


「じゃあ、表に出ましょうか……」


(なんでこうなるかなぁ……)


 心の中で大きく溜め息をつきながら、俺は立ち上がった。



「じゃあ、どちらかが負けを認めた時点で勝負ありとする」


 三メートル程の間を開けて対峙する、おりょうさんと玄に確認する。


「わかったよ」

「わかりました!」


 微笑を浮かべるおりょうさんとは対象的に、玄は相変わらず不満そうな顔をしている。


「では……始め!」


 号令を掛けて俺が下がると、玄は後方に飛び退って腰を落とした構えを取った。


「……」


 対するおりょうさんは特に構えは取らず、両手を下げたままでその場に佇んでいる。


「っ!」


 鋭い呼気と共に踏み込んだ玄は、一気におりょうさんの懐に達すると突きを入れた。


「な!? て、手応えが!?」

「おや。今、何かしたのかい?」

「くっ!」


 さすがに黒ちゃんや白ちゃんの打撃程の威力は無いだろうが、それでもかなりのダメージを及ぼすはずの突きが、当たっているのに手応えを感じないのだ。玄が動揺を顔に貼り付けたまま、慌てて後方へ飛び退く。


「……」


(普通の攻撃が通用しなければ……まあこうなるよな)


 玄の身体の中で、(エーテル)が膨れ上がっていくのが感じられる。普通なら止めるところだが……。


「はぁっ!」


 技も何も無い、さっきと同じ真っ直ぐな突きを玄が放つ。違っているのは、膨大な(エーテル)が拳に纏われているという点だ。


 ぼすっ……


 畳んだ座布団でも叩いたような鈍い音がした。突きを受けたおりょうさんは平然としている。


(相変わらず上手いなぁ……)


 間合いと打点を完璧に見切ったおりょうさんは、今回も突きの威力を完全に殺した。そして……。


「ぐあぁぁぁぁっ!?」

「げ、玄!?」


 攻撃をした玄の方が、その場に蹲って苦しみ始めたので、どうしていいのかわからない紬が、その場でおろおろし始める。


「……玄、力を抜け」


 玄に近づいてしゃがんだ俺は、おりょうさんの「反射」によって突きの威力をそのまま返されたダメージの治療の為に、胸に手を当てて(エーテル)を送り込む。


「ぐうう……」


(頭に来ていたとはいえ、これだけの威力のある攻撃を、おりょうさんにしちゃうんだよなぁ……)


 出来る事と、やって良い事と悪い事の区別を教える必要があると、玄の行動を見て痛感させられた。


「う……ふぅ……」


 治療の為に送り込んだ(エーテル)が効果を現したようで、息を吐き出した玄の顔は、苦痛を訴えなくなった。


「気が済んだか?」

「……はい。俺の負けです」


 上半身を起こしたが、玄は項垂(うなだ)れたままだ。


「まあ当然の結果だな!」

「えっ!?」


 どういう事だかわからない玄は、頼華ちゃんに言われて目を白黒させている。


「御主人の次に強い姐さんに喧嘩売るなんて、バカな奴だ!」

「な!? 主人の次に強い!?」


 やはり外見だけで判断していたのだろう。黒ちゃんから驚愕の事実を知らされた玄は、俺とおりょうさんを交互に見ている。


「精進すれば、頼華と俺と黒くらいには強くなれるだろう。修行に励めよ」

「そ、そんな御方なのですか!?」


 鵺である白ちゃんに言われては、玄も納得せざるを得ないだろう。


「大丈夫かい? 反射じゃなくて透過にしておくんだったかねぇ……」


 心配になったのか、玄に見つめられながら、おりょうさんが近づいてきた。


「あ……しゅ、主人に治して頂いたので、もう平気です!」

「そうかい? しっかり休むんだよ」

「……」


 頭を撫でられた玄は憧憬の眼差しで、ボーッとおりょうさんを見ている。


(これは……今後は玄が言う事を聞かなかったら、おりょうさんに言って貰えば大丈夫そうだな)


 どうやら玄にとっておりょうさんは、幼稚園とか小学校の憧れの先生みたいなポジションになったみたいだ。



「明日は紬と玄を、里の外へ連れて行こうと思っているけど、いいね?」

「はい」

「はい……」


 返事はするが、まだ玄はどことなく不服そうだ。


「どこへお行きになるのですか?」

「紬は、俺と一緒に那古野だ」

「那古野? ブルムのおっちゃんのとこ?」

「うん。布の事とか、ここで必要になる物の事とかの相談にね」


 他に心当たりが無いというのもあるだろうが、那古野という事で黒ちゃんにはピンと来たようだ。


「那古野での用事は午前中で済ませる予定だから、午後からは玄も一緒に、ここの周囲の集落とかを回るよ」

「畏まりました」

「わかりました。その……俺も那古野へ連れて行って貰えませんか?」


 予想外の、しかし嬉しい発言を玄がしてきた。


「構わないが、行きたいのか?」

「見識が足りなのを自覚しました! お願いします!」

「わかった、一緒に行こう」


 こういう積極性は大事にしたい。俺は玄の同行を承諾した。



「おりょうさん、少し予定を変更しようと思います」

「ん? 良太は紬達と、那古野へ行くんじゃないのかい?」

「そのつもりだったんですけど……」


 朝食は昨夜と同じ、御飯に味噌汁に漬物という簡単な物なのだが、たったこれだけのメニューでも、食材の減りが目に見えて早いので、抜本的な解決が必要だった。里に棲む者達を飢えさせる訳にはいかない。


「おりょうさんと黒ちゃんは、俺と一緒に京へ行きましょう」

「京へかい?」

「ええ。適当に宿をとって、そこを拠点にこの里へ物資を供給します」


 細かな生活用品なども必要なので、その都度調達に行くよりも、拠点を設けて中継した方が便利だろう。


「なんか観光のはずだったのに、行動を決めてしまって申し訳ないんですが……」

「ああ。気にしないどくれ。この子達を、ほっぽっちまう訳にはいかないしねぇ」


 おりょうさんは、膝に座って邪魔にならないようにしているお糸ちゃんの頭を撫でる。


「姐さん……行ってしまうのですか?」


 おりょうさんとお別れと思ったのか、お糸ちゃんがうるっとしている。


「ちょいとお買い物にね。なぁに、すぐに……」

「なんならお糸ちゃんも、おりょうさんと一緒に行く?」

「えっ!? 良太、いいのかい!?」

「構いませんよ。里の者達には順次、外を見せようと思っていましたし」


 玄のように考え方や価値観が凝り固まってしまわないように、里の者達には外を知ってもらうつもりだった。紬と玄を那古野へ連れて行くのもその一環だ。


「それに、何日も風呂が利用出来ないのは、きついですよね?」

「う……」


 ゲルを作ったおかげで住環境は悪くないのだが、風呂好きのおりょうさんを入浴施設の無いこの場所に、長く留め置くのは気の毒だ。


「という訳ですので、お糸ちゃんと……他の子も一緒にどうですか?」

「ええっ!? そ、そりゃあ、あたしは嬉しいけど……」


 おりょうさんが視線を送ると、お結ちゃん、お朝ちゃん、お夕ちゃんの三人が、期待のこもった眼差しで見てくる。


「四人の面倒を見るのは大変でしょうけど、おりょうさんがいいのなら、一緒に連れていきましょう」


 おりょうさんは費用を気にしているのかもしれないのだが、伊勢で望外の収入があったし、里での調理の量が減るのは、作業量の面でも悪い事では無いだろう。


(炊飯量が半減するだけでも、相当に違うだろうしなぁ)


 作業量もそうだが食材の消費も半減するので、中々バカに出来ない。


「そ、そんな面倒なんて事は無いさ! じゃあ、あたしと一緒に京へ行こうか?」

「「「はいっ!」」」


 おりょうさんの名付けた子達が、元気いっぱいに返事をした。


「それなら……黒ちゃんの名付けた子達も連れて行こうか?」

「えっ!? 御主人、いいの!?」

「人数的に宿を分ける事になっちゃうかもしれないけど、構わないよ」


 ちびっ子達を里から出すというのは、遅かれ早かれ実行に移す予定だった。おりょうさんと黒ちゃんの名付けた、監督下にあると言える子達を連れて行くのは、悪くない選択だろう。


「あ、兄上? その……余と白は?」

「頼華ちゃんは、残って子供達への色んな指導と、名前と考えてあげる事。白ちゃんも、江戸と鎌倉に行って戻ったら、ちゃんと考えてね?」

「「ええ……」」


 俺の言葉をある程度は予想していたと思うが、頼華ちゃんと白ちゃんの表情には、落胆の様子が顕著だ。


「頼華ちゃんも入浴はしたいだろうから、早めにね。無論だけど、白ちゃんも」

「「はい……」」


 どうやっても逃れられない事を悟り、頼華ちゃんと白ちゃんが項垂(うなだ)れる。



「じゃあ、昼の食事の支度は任せたよ。持ち物の食材は、何を使っても構わないから」


 急遽、紬と玄とちびっこ達の分の着物を作り上げ、出発の支度を整えた。


「留守番はお任せを!」

「うむ。大した物は作れないだろうが、なんとかする」


 料理に関しては、頼華ちゃんは簡単な手伝いくらいしか出来ないが、白ちゃんは伊勢の椿屋でそれなりに上達しているので、それ程不安は感じていない。


「名付けの方も、しっかりね?」

「「はい……」」


 この話題になると、二人がどんよりと落ち込む。


(そんなに難しい物かなぁ……)


 最初の頃の黒ちゃんみたいな安直な名付けは考え物だが、頼華ちゃんも白ちゃんも、もう少し気楽に考えて欲しいと思う。


「それじゃみんな、行こうか」

「「はいっ!」」

「「「はーい!」」」


 少々気合が入り気味の紬と玄の返事の後で、ちびっこ達が揃って返事をした。


 と、出発の号令を掛けたのだが、紬の着物と玄の作務衣は用意したのだが、他の子達の着物の用意をしなければならず、一時間程用意の為に足止めを食らうのだった。


 何事も土壇場で決めてしまうのは良くないと、我が身で味わう事になったので、次はもう少し計画的に考えよう。


 急遽用意した、デザイン性やバリエーションを廃した着物を子供達に着せ、足元は糸で草履っぽい何かを作って履かせた。


 紬と玄にはサイズ的に合わないが、俺が買ったまま使わずに死蔵していた草鞋を履かせた。道中で雑貨屋でも見かけたら、すぐに買い換えるつもりだ。


 そんな子供達を、俺と黒ちゃんは一人を背負い、一人ずつを腕に抱えている。おりょうさんがお糸ちゃんを抱え、紬と玄が一人ずつの手を引いて歩くという体勢だ。


「……勇んで出てきたのはいいけど、ここってどの辺りなんだろう?」


 霧の中を彷徨い歩いて里に到着したので、正確な現在地を把握出来ていなかった。


 体格が違うので、歩くペースが上がらないかと心配だったが、元蜘蛛の子供達はやはり普通の人間よりは体力も持久力もあるようで、然程歩調を落とす事も無く進んでいる。


「んーっとね、京の北の方だよ!」


 独り言のような俺の呟きに、黒ちゃんが答えてくれた。


「ああ、黒ちゃんには一度、お使いに行って貰ったんだったね」


 一度里から出て帰ってきた黒ちゃんには、場所の見当がついているようだ。


「前に黒ちゃんから聞いた、東三条院って場所は近いの?」


 鵺だった黒ちゃんと白ちゃんが、京都に出現する時の出口のような場所が東三条院という場所だと聞いている。


「えっとね……こっからだと八キロってとこかな?」

「近くも無いか……」


 歩き続けて、霧の中から抜け出た場所は、それ程高くない山の頂きだった。遠くに京と思しき街並みが見える。


(太陽の位置からすると、京都の北の方だな……)


 三条院という場所までは八キロとの事だが、京都自体には五キロも歩けば到着しそうだ。


「みんな、疲れたら言ってね」

「「「はい!」」」


 主におりょうさんと、紬と玄が手を繋いでいる子へ向けて言ったのだが、元気な返事をしたのは、俺と黒ちゃんに群がっている、楽をしている子達だった。

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